本屋にて

甲乙 丙

「馬鹿ですか、あなたは。


 うちはね、小さな小さな吹けば飛んでいってしまうようなしがない本屋なんですよ。

 ですからね。

 ここにも、あそこにもホラッ、『立ち読み禁止』と貼ってあるでしょ。本はね、買ってくれなくちゃ商売にならないんです。


 そりゃ昔はね、私だって立ち読みの一つや二つ、いや一桁じゃ済まないくらいは当然やりましたよ。そのまま一冊まるまる読み終える事だってありました。

 でもね。時代が違うんです。

 こんな小さな本屋はそんな事をされるとすぐに潰れちゃうんです。だから仕方がなく、仕方がなくですよ、『立ち読み禁止』と貼らしてもらっているんです。

 ここで読まずにどうぞ買って下さいという意思表示をしているんです。


 それなのに、どうですかあなたは。


 ふと見たら、どこからか椅子を持ってきて、優雅に足まで組んで、澄ました顔で小説を読んでいらっしゃる。ここの商品棚に陳列していた、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいらっしゃる。

 無理ですよ、あなた。『カラマーゾフの兄弟』を立ち読みするっていうのは無理があります。それ上中下巻の超ボリュームですし、スイスイ読めるって訳でもないんですから。

 ええ、ええ、初めは冒頭だけパラパラ確認するのかな、と私も様子を見ていたんですけどね。ふと私は驚嘆しました。あなたの膝の上にはしっかり上中下巻が載っている!

 あ、もしかして全部読む気かな、と思い当たった時に私は戦慄しました。

 こんなに大胆な立ち読みは見たことがない。こんなに常識知らずな人は見たことがない!


 言語道断!

 唯我独尊!

 傲岸不遜!

 無知蒙昧!


 まさに鬼畜生と言ってもよい仕業ですよこれは。『座っていたから立ち読みじゃない……』なんて子供じみた胸糞悪い屁理屈はこの際通じませんよ、あなた。

 立ち読みは読んで字の如くってモノじゃないんです。

 ――本屋ニテ、本ヲ買ワズニ読ム所業、コレスナワチ立チ読ミ也――

 概念なんです。メタファーなんです。定義はよくわかっていないですが雰囲気です。きっとそうなんです。


 しかもね、あなた……。注意する為に近づいた私に何とおっしゃいましたか?

 ……覚えていないですか。ホホウ、それはまた……。

 あなたはね、近づく私に向かって『喉ガ渇イタノデ、オ茶ヲ一ツ頂ケルカナ』とおっしゃいました。ええ、それはもう上品に、しゃなりしゃなりと、とある国の貴族様のようにね。

 正直言いますとね、私はその時、怒りや呆れを通り越して、ある種のカタルシスといいますか、神秘的な心持ちになってしまいまして、『はい、只今お持ち致します、静々』なんて、あなたに仕える執事の様な気分になってしまいましたよ。危ない、危ない。


 とにかくもね、本屋で椅子に座り、優雅に立ち読みをする。これがいかに非常識であるか、そこのところをよくわかって頂きたい。

 そして本を買わないなら今すぐに、この店から出ていって頂きたい。

 よろしいですか?

 ドゥー、ユー、アンダスタン?」


「コレ、ナンパデスカ? アイム、アナタノカオ、セイリテキニムリデス」

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本屋にて 甲乙 丙 @kouotuhei

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