夜の足音

@tori-0123

夜の足音

 中国地方のとある山がちな街。山陰へと繋がる国道からそれた道を真っすぐ山の方へと向かい、ずっとずっと坂道を登って用水路が囲む雑木林の小さな森を抜けると、段々畑にぽつぽつと家が建っているような小さな集落が見えてくる。殆どの家は瓦葺の大きな日本家屋か今時の洋風建築であり、後目につくのは田んぼと、お墓と、背後に控える大きな山の連なり。

 その中でもひときわ目立つ茅葺屋根の母屋と大きな納屋、庭には柿の木と色々な季節の花。小さい畑が納屋の横にくっついている。日本昔話に出てくるような家、と言えばわかりやすいかもしれない。

 今はもう廃墟となってしまったけれど、私の実家はまさに田舎の原風景を体現したような農家だった。


 まだ、時代は昭和と呼ばれていた頃の話だ。


 農家の夜は早く、当然朝もとても早い。48で亡くなった父がまだ生きていた頃、夏は市内の市場に様々な夏野菜を売りに行っていたので、朝の六時前にはいんげん豆やなすび、キュウリなどの箱詰めをして市場に持って行かねばならず、祖母と父は深夜四時には起きだして畑に出ていた記憶がある。

 私はそんな朝早い生活でも、宵っ張りで朝寝坊。小さい頃から夜更かしが好きで夜中にテレビを見ていたり本を読んでいたりして、もう寝ようと言うころに祖母や父が入れ替わりに起きてくる。まだ起きてごそごそやっている私はよく宵っ張りの様を呆れられたものだった。


 まだ中学生の頃、季節は多分秋の初めだったのだと思う。

 

 当時もう父は無くなっていて母と一緒の部屋に寝ていたので、夜中に明かりをつけることができなかった。だから布団の中に懐中電灯を持ち込んだり、納屋で見つけた衝立を間に立てかけ卓上ライトをつけて絵を描いたり本を読んだりしていた。

 当時流行っていた小説に夢中で、私は家でも学校でも何度も何度も読み返して空想に浸っていた。その日も気が付くと時計は午前二時の鐘を打ち、さすがにその時間には眠くなっていてもう寝もうと思った頃。


 ジャリ、ジャリ


 外を誰かが歩く足音がした。


 母屋の前には庭があり、門口の向こう側は私道だが農業用道路として開放していた。その道の向こう側にはかつて野菜の出荷をしていた名残の大きな畑が、道を通って家の横手に回ると我が家の田と先祖の墓がある場所に出る。

 その農業用道路をまっすぐ降りていくと、かつてはうちの田だったが潰して集落の人間に提供した広場があって、そこで当時は老人がよくゲートボールに興じていた。

 特に夏場は日の出前に集まってカンカンやっているので、流石に2時は早いとは思ったものの、夜に田や畑を見に行ったついでに一汗流すというのはよくある話だったからそういう人が家の前を通った。それくらいにしか思っていなかった。


(朝早くからジジババは元気だなぁ)


 学校など行きたくはなかったが、二時に寝ようが三時に寝ようが朝六時にはたたき起こされ学校に行かされる。仕方がないので電気を消して、目をとしてしばらくして……


(あれ?)


 足音が庭に入ってきた。


 いや、外の道を歩くにしてもちゃんと舗装された道であり、砂利を踏むような音はしないはず。では最初から、庭に居るのか??


 そう思った瞬間、あるテレビ番組の記憶がぱっと頭をよぎった。


 Gメン75、という刑事ドラマを覚えている方も多いと思う。実際私はその頃まだ赤ちゃんだったのでちゃんと見たわけではないけれど、再放送か新シリーズか分からないがその中に【斧で家族を叩き殺し、逃亡中の殺人犯】という回があった。子供ながらにそれが恐ろしく、朝起きたら家族みんな斧で殺されいて……などということを想像し震えて眠ったものだけど。


 家の周りを歩き回る足音に、急にその場面を思い出して恐ろしくなった。


 泥棒ではないか?


 大人は母と祖母しかおらず、兄は当時まだ高校生で弟は小学生だった。怖くて布団をかぶり、誰か入ってきたら大声を出そう(もっとも大声を出したとて近所が離れすぎていて気が付いてはもらえないだろうが)そう思い布団の中で懐中電灯を握り締めて震えていた時。


 ギシリ…ギシギシ……サッ、サッ、サッ……


 庭を歩き回っていたはずの足音がいつの間にか天井――居間件母と私の寝室の真上の二階へと移動していた。


 茅葺き屋根の農家の作りとして、二階部分は居住スペースではなく殆どの場合作業部屋や来客時の什器や座布団などをしまっておく物置になっている。実家も例に漏れず天井が低く狭い空間でいろいろなものが詰め込んであり、人が腹ばいになってやっと入れるような小さい窓がひとつあるだけの部屋だった。


 そこを誰かが歩き回っている。しかも時々サッサッという何かを擦るような音は、畳の上を布が擦るような、いわゆる衣擦れの音だと思えた。


(……誰?一体どうやって入ってきたの??)


 窓を開けて入ってきた音もしなかった気がする。もちろん窓から入るなら屋根伝いに入るだろうから、茅葺き屋根の張り出した軒の部分は瓦を使用しているので、そうであれば足音はガチャガチャと鳴るだろう。


 泥棒であるというならまだしも、その時私はもっと怖いことを想像していた。


 茅葺き屋根を這うようにして移動して、開いた窓からするりと入り込む何か。


 無論生きている人間が一番怖いし気味が悪い。だけども、人間であれば人間の気配もするし、音も立てればそれらしい行動も取ると思う。いや、泥棒ならもっと音を立てないように行動するかもしれない。明らかに普通に二階を歩き回り、六畳程の小さい部屋なのに下に降りる道を探すようにウロウロと部屋を回っている感じがした。

 二階への出入り口は撥ね階段で、使用しないときは天井の梁に通した紐に掛けるようになっている。普段使うことがないのでここ何ヶ月かはそのままにしてあり、こちらから上がっていくならともかく上から下りてくることはできない。下まで二メートルほどのなので飛び降りることも不可能ではないが、とても大きな音がするの泥棒なら意味がないことだろう。

 まだ足音は下に降りる道を探している。ギシギシという音は何故か右に左に振れているようで、酔っ払って千鳥足になった人を思わせた。

 二階の足音の主はいつ下りてくる方法を探し当てるかわからず、布団の中で怖さも極限になっていた私はとうとう母親を揺り起こした。

『お母ちゃん、お母ちゃん。二階になんかおる、さっきから変な足音がしよる』

 母親は何を寝ぼけているのか言いたそうに起きてきたが

『……何の音もしょうりゃあせんがな(何の音もしてないよ)』

 とブツブツ言い始めた。


 うそや、足音めっちゃしてる!!今にも下に降りてきそうなほど歩き回っとる!!


 必死で訴えても、母には聞こえていない。ということは、この音は自分だけに聞こえていて………

 あまりの必死さに母も怖くなったか、隣の部屋に寝る祖母を起こしに行くと、やはり祖母にもなにも聞こえない。あれだけやかましく歩き回っているのにほかの誰にも聞こえない、その事実に私はパニックになっていた。

 そうこうしているうちに上の足音は業を煮やしたのか、今度は上の足音がしなくなった代わりに屋根の瓦部分を棒で叩く激しい音が外から聞こえてくる。

『今度は誰か瓦を叩きょうる!!!外で瓦叩きよる!!』

 滅多矢鱈に乱打する、という表現がぴったりで規則性もなにもなく、ガンガン、ガンガンと何十回となく大きな音を立てているのに、やはり祖母と母には何も聞こえてはいない。母も祖母もさすがに気味が悪くなったらしく、家中の電気を点け祖母が懐中電灯を手に持ち恐る恐る外に出てみると。


 ガラン!


 何かを固い物の上に放り投げたような音がして、その音がした瞬間ぱたっと全ての音が止んだ。


『音がなくなった………もうおらんようになった……』

 私は気が抜けたのか、それだけ言ったあと気絶したように眠ったらしい。

 祖母が表から帰って来たけれど、外には誰かいた気配もないし二階の窓も懐中電灯で照らしてみたがしまっていたと後で聞いた。このあたりは猿がよくいるから猿の仕業じゃあないかと言ってはいるものの、瓦を激しく叩く音も足音も音が聞こえていたのは私だけだったようだ。


 次の日の夜、母も昨夜のことが怖かったのか家族全員で祖母の仏間で眠ることにした。兄などは『そねぇな事あるか。今度怪しげな音がしたらワシを起こせぇ』と嘯き、弟は全く知らんかったと言っていた。だが、昨夜は一応兄を起こしたのだが死んだように寝ていて全く反応せず、それは弟たちも同様だった。兄は普段寝ているところをなにかの用事で起こすとキレるし、弟達は文句を言いながらでも起きてくる。それが昨夜は全く起きなかった。

 祖母が寝る前に仏間で隣に孫全員を座らせてお経をあげ、普段は仏事に関心がない母もそれに倣う。泥棒だったら人間の仕業だから戸締りだったり警察に連絡したりと人間の世界の対処ができるが、もしそうでなければ………果たしてお経も終わり、出入り口や裏口にも塩と酒を撒いてさあ眠ろうというとき。


 ドンドン!


 ドンドン!


 裏口を激しく叩く音がし始めた。


 『今日もなんか聞こえるか?』

 一緒の布団で寝ていてくれた祖母がポツリと聞いた。

 『勝手口を誰か叩きようる。でも、あれは入ってこれんみたい』

 やはりほかには誰も聞こえていないようで、母は怖そうに寝ている弟たちを布団の中で抱き寄せたが全く起きず、また兄は死んだように眠っていた。

 『そうか。それならええ、あんたも夜ふかしせずはよう寝ることじゃ。子供が遅うまで起きとるけんきょうとい(怖い)目に遭うんじゃ。今叩いとるゆう者が何が言いたいもんかは知らんけど、ウロウロしとるもんがおるんじゃろう。さあ早う寝えよ』


 裏口を叩く音はどんどん勢いがなくなって行き、三日ほどすれば何も聞こえなくなった。


終わり



 誤字脱字が酷いと思いますがお許しください。皆様の暇つぶしのお手伝いでもできれば幸いです。


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