第2話

 三人の視界が暗転する。

 苔むした匂いが、鼻の奥をくすぐる。

「……無事入ったか」

 薄暗い石壁と剥き出しの土の地面を松明が照らし、狭い通路が奥へと続いている。

「やっぱリアルだよなぁ」

 ジュンが呟く。

「リアルというか、ホンモノなんだけどな」

 亜空間に建造されたダンジョンは、単に存在する空間が異なるというだけで、『本物』だ。勿論、それらしく見せるために魔術を使った生態系管理や見た目の経年劣化はされているのだが。

「の割には、こんな狭いとこで火なんかもやしたら、空気無くなりそうだけどね」

「夢ないこと言うなよな」

「いや、カヨの心配も尤もだ。そういうのはたしか、圧縮空間でコントロールしてるはずだ」

「昔のダンジョンだと、酸欠とかもあったって聞くしな」

「やだ、怖い。ジュンちゃん、もしものときは息止めてね?」

「何で俺の犠牲前提なんだよ!そういうのはカンジに頼めよ」

「……流石に、法律で決まった安全基準をクリアしてるし、万一の時は店員が助けに来る、と思う」

 しどろもどろになりながらそう返して、カンジは壁を指差す。苔むした石壁には第十層を示す『↓』型の十個の青白い魔術光が灯り、その下に、一見してそれとわからないように『非常用』と書かれたカバー付きのボタンが隠されている。

「ここまで来ると、壁のラクガキも少ないよな」

「まぁ、この店のは付けてるのほとんど俺らだけどな」

「大抵はジュンの落書きだけどな」

「お前の攻略だって、激しくネタバレじゃねーか!」

 ダンジョンの壁に落書きをする、というのはDB(ダンジョン・ビルダー)のプレイヤーが行う一種の慣習だ。そういう行為が禁止されている店もあるにはあるのだが、大抵は攻略の共有や、マッピングの目印などの情報を先人がダンジョンの壁に書き込んでいることが多く、また、メーカーの開発者がヒントやイースター・エッグの類を刻んでいるケースすらある。

 ……尤も、鵜呑みにすると痛い目を見る場合も往々にしてあるが。初挑戦のフロアでは落書きを探す者は多い。

「あっ、相合傘!」

 佳代が指差す。名前は掠れて読めないが、たしかに相合傘だ。

「ケッ、相合傘だ」

 ジュンは苔むした壁に書き込まれた相合傘を見つけて舌打ちをする。このように、攻略と特に関わりのない純粋な落書きもあるところにはある。

「男の僻みはみっともないぞ……」

「普段美人と一緒のお前にわかるかよ!……それに、俺達が苦労して辿り着いたとこに、カップルでイチャつきながら来たなら、めっちゃムカつく」

「それはわからなくもないが……でも、こんな階層に落書きがあるなんて珍しいな」

「どうせなら、私達も書いとこうよ」

「えっ」

「それは……その、相合傘を?」

「うん」

 佳代がふと口にした言葉で、二人は凍りつき、続く言葉を飲み込んだ。

 『誰と?』と。或いは、『どちらと?』と。

 二人は恐れた。この年頃の関係性など、ふとしたことで壊れてしまうものだ。そして、これがその切欠になるかもしれないのだから。

 そんな二人を他所に佳代はダガーを抜き、壁の石壁にハートマークと傘を掘りはじめる。カンジはそれを固唾をのんで見守り、ジュンもつられて注視する。

 そして、佳代は傘の下に名前を……

「カンちゃん、ジュンちゃん……と」

「何故俺達をカップリングした!?」

「……僕はそういうのはちょっと」

「俺もねーよ!」

「えへへー」

「お前、最近妙な趣味覚えてないか……?」

 ジュンが趣味の詳細について尋ねるか悩んだ、その時。

 地下通路に、地響きが走った。

「地震⁉」

「いや、違う……!」

 土床が、まるで生きているかのように蠢く。ベルトコンベアのように蠕動しながら、寄り集められた土の塊が盛り上がり、次第に人の形を為していく。

「ゴーレムだ!」

「床から出るのかよ!」

「これ、巻き込まれたらどうなるんだ……」

「佳代、『鑑定』!」

 ジュンが叫ぶ。

「スキル、『鑑定』!ゴーレムだよ!」

「見りゃわかる!弱点はなんだ!?」

「弱点は水!土に耐性!攻撃はたぶん物理だけ!」

 ゴーレムの腕が大きく歪む。ジュンは盾を構え、前に出る。

「カンジ!バフ盛れ!耐久優先だ!」

 重い一撃を盾で受け止めながら、ジュンが叫ぶ。それよりも一瞬早く、カンジが術式を起動する。

「魔法詠唱。プロテクトⅢ!」

 発光エフェクト。『DEF UP』の文字と『↑』のアイコンがジュンの頭の上に表示される。続けて詠唱。

「魔法詠唱。パワーⅢ!」

「おっしゃあ!」

 この三人のパーティーには、防御役タンクがいない。つまり、戦士ファイターのジュンが物理攻撃と防御を両方受け持つ必要があるのだ。

 その無茶を可能としているのは、カンジの習得する補助魔法である。幸いなことに、ゴーレムは属性攻撃魔法や状態異常は使わない力押し。だからこそ、防御バフを盛って物理攻撃を耐えればいい。

 そして……

「佳代!任せた!」

「スキル。『窃盗』!」

 盗賊のスキルでゴーレムの後ろに回り込んだ佳代が、ゴーレムの『核』を抜き取る。

「やった!」

 神聖エルフ文字の刻まれた宝珠を握りしめ、手の中から土塊を溢しながら佳代が拳を突き上げた。

 同時に、地鳴りと共にゴーレムが床へと還っていく。

「……反則くさいよな、この攻略法」

「時間がないんだ、しょうがない。これ無しだと、次の小遣いが出るまでかかるぞ」

 DBのプレイ時間はクレジット制だ。1クレジット1000円一時間。タイムリミットまでにフロアを抜けなければ、追加クレジットを入れない限りプレイは無駄になり、最初からやり直し。……だから、普通は数千円を注ぎ込んでじっくり攻略するか、さもなければトライ&エラーを繰り返す羽目になる(アステリオス社の発表では、1フロア1時間で攻略できることになっている)。

 そして、学生にはそのどちらも厳しい。どちらも厳しいなら、裏技めいた方法に頼るしかない。先程佳代が使ったゴーレムへの『コア抜き』も、賛否が割れる技の一つだ。

「…………」

「それとも、今回は『下見』に使うか?」

 学生といえども、冒険者(※DBプレイヤーの呼称)としての矜持はある。やはり思うところがあるのか、ジュンは考え込んだまま、暗い迷宮を歩き続け……そして、口を開いた。

「……やっぱ、よく考えるとエルフがシーフってのどうなんだろうな」

「お前何考え込んでたんだよ!」

 カンジが思わずツッコミを入れる。

「エルフといえば、弓と魔法だろ」

「種族差別はんたーい!……そもそもわたし、クォーターだし……」

 佳代が後ろから割り込んでくる。

「エルフ質は顕性だから、確か、血が薄くても外見はエルフ寄りになるんだよね。でも、それ以外は人間と変わらない場合が多くて……」

「カンジ、ちょっと気持ち悪いぞ」

「そもそも!いまどき、よほどド田舎じゃないと弓なんて使わないよ」

「でも、弓の選手はエルフ多いだろ?」

「ジュンちゃん、アーチェリー部の先輩気にしてたもんねー」

「……いや、同じ種族でどうして佳代とこうも差があるのかなって」

「ひっどい!」

「……まぁ、現実問題、俺が魔法攻撃とバフを一人で担当してるから、

遠距離攻撃担当が増えるのは有り難いけど」

「一人で二人は流石に守れないぞ」

 そう言いながら、ジュンはカンジの顔を見た。『後列で一緒に居られる』書いてあるのが見えた気がした。そこへ、佳代が一言呟く。

「……後ろに矢が刺さってもいいなら、アーチャーやるよ?」

「いいです」

「はい」

 他愛ない話をしている間に、ボスの部屋がすぐそこまで迫っていた。途中には本来、幾つもの宝箱があるが……今回は、全て無視して進んでいる。時間が無い上に、深層ダンジョンの宝箱にはミミックが潜んでいる可能性が結構な確率である。

 そして、何より……

「まぁ、シーフが居ないと、このルート探しは使えないからな」

 シーフには、宝箱を感知するスキルがあり。ダンジョンビルダーでは時間課金の性質上、宝箱は概ね寄り道と引き換えに設置されている。

 つまり、逆に言えば。ということを意味するのだ。

 やがて、三人が歩く迷宮の道の先に、開けた明かりが見える。そして天井には、王冠のような模様が刻まれている。

 ……典型的なボス部屋だ。

「そういえば、ボスってなんだろう?」

「流石に、十層ボスはネタバレ禁止だからなぁ……」

「ボスっていったら、やっぱり古代王だろ?」

「裏を突いて、邪神なんてパターンも」

「まぁ、陳腐だけどなぁ」

 ダンジョンビルダーには、申し訳程度のストーリーがある。無駄に華美な表現や複雑な固有名詞を省いて要約すれば、「古代の王が隠匿した、不死の力と財宝を探索する」という、実在のダンジョンの逸話をこねくり回した実に陳腐なものなのだが。

「でも……次で」

「ああ、ラストだ」

 実際のダンジョンから発見された不死の力とやらは、現代ではエリクサーとして医薬品(保険適用)になっているし、財宝の大半は命知らずの冒険者によって既に盗掘された後だ。

 更に付け加えるなら、ダンジョンビルダー内でドロップするアイテムは景品表示法によって額面と確率が定められているのだが。

 そんなことは、この三人にとっては些細な問題なのである。

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ダンジョン1クレ1000円 碌星らせん @dddrill

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