霧けむるニア諸島

細茅ゆき

死のアッツ島 生のキスカ島

アラスカとカムチャッカ半島を結ぶアリューシャン列島の中に、ニア諸島という島々がある。

シベリアに近いことから、ロシア人探検家が発見時に「近い」を意味する「ニア」をあてがったため、この名がついた。なお、現在はアメリカ領で、アラスカ州に属する。


北緯52~53度。西は日付変更線に接し、地球上でもっとも遅く一日が終わる地域でもある。

寒冷な気候のため一年中が霧が覆い、海は常に時化しけているという。人が住むには適さない、厳しい自然環境の地域だ。そのため現在でも全島合わせて50人ほどの人口しかいないという。


そんな極寒の島々で、世界史に残る戦いが行われた。

諸島内のアッツ島を巡って日本軍とアメリカ軍が戦ったアッツ島の戦い、そしてアッツ島の戦いの敗戦を受けて遂行されたキスカ島撤退作戦である。


日本軍はアメリカにより近いキスカ島に守備隊を多く割いたが、米軍はその裏をかきアッツ島を強襲。2500人の日本守備隊に対し、米軍は1万を越える兵力を投入した。

この戦いで日本守備隊は全滅。その生存率はたったの1%。この凄惨な戦いの結末を国民に伝えるために作られた言葉が「玉砕」である。

玉が砕ける。こんな美しい言葉を使わなければ、この残酷な敗北を受け入れることができなかったのだ。


アッツ島を奪われて孤立したキスカ島守備隊。制海権、制空権を米軍に奪われ、もはや死か降伏しか残されていないと思われていた。


しかし奇跡は起きた。


巡洋艦阿武隈を旗艦とした水雷艦隊が、濃霧を利用して接近、たった55分で島内の守備兵約5000人全員を無傷で収容、撤収に成功したのだ。

それはまさに、「奇跡」という言葉がふさわしい作戦であった。


死の島アッツと生の島キスカ。背反する二つの島の戦いであったが、日本軍がアリューシャン諸島の支配権を失ったという意味では同価であった。

これは同時に、アメリカの反攻作戦が本格化し、日本軍の太平洋支配が崩れていく嚆矢ともなった。


そんな人の歴史など気にもせず、今日もニア諸島は霧をまとってベーリング海にたたずむ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霧けむるニア諸島 細茅ゆき @crabVarna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る