宇宙の鳥

@chkoinu

宇宙の鳥

気付けばそこは、ついさっきいた空とは比べものにならない程広く、深く、暗い、どこまでも続く星の海だった。


「ここ、どこだろう。僕はどうしてこんなところに来たんだろう」

小鳥は辺りを見回してそう呟いた。白く、しみ一つない立派¥な羽を持ったその小鳥は、けれどこの広い海で、わたぼこりくらいの大きさしかなかった。

自分の存在を確かめる様にくるりととんぼ返りをした小鳥は、向こうにどこかで見た様な青と緑の星があることに気付いた。音も無く近づいてみる。体が嘘みたいに軽かった。

「あ、僕、これ知ってる。地図でよく見るやつだ。ね、君、地球だろ」

 小鳥は近くで見るとそれが思ったより大きい事に驚きながらそう話しかけた。知っているものに出会えて嬉しかったのだ。

 しかし、地球はうんともすんとも言わず、小鳥に見向きもしない。ただ時折ピーとかガ―とか機械の壊れた様な音がするだけだった。

「どうしたのかな。おーい、地球ー」

「無駄だよ」

 突然キン、とした声が小鳥の耳に飛び込んできた。そちらを向くと、地球よりだいぶ小さい球が、吹けば消えそうなかすかな光に包まれてゆっくりとこちらに近づいて来ているのが見えた。

「あれ」

 またもやそれは、見覚えのある物だった。遥か遠くにあって、決してたどり着くことの出来ない…

「君、確か」

「月さ。ここに来る人間たちはそう呼んでる。その星からも見えるはずだよ」

 月はすっと地球に視線をやった。だと言うのに、地球は相変わらず応えようとしない。

「うん。月って、金色で、いくら追いかけても近くに行けないものだと思ってた」

 小鳥の言葉に、黄がかった土色の星は小さく微笑んだ。そういうのって、大抵は思い込みなんだよ、とささやかれる。

「でも、無駄ってどう言う事?何で地球は君みたく喋ってくれないの?」

 しかし続けてそう言うと、少し表情を曇らせた。もちろんそれで月が湛える白の光が消える訳ではないけれど。あのね、と月はゆっくり口を開いた。またキン、と甲高い音がする。

「昔はその星だって僕らの様に喋れたんだよ。でも人間が住む様になって、咲いている花の数より人間の数の方が多くなってしまった。何百年か前に、ついに最後の花が散ってね。あんな風になってしまったんだ」

 僕だってこんな声になってしまった。花は枯れやすいから、とも。

「花?僕は地球でたくさんの花を見たよ。この前だって、一面の向日葵畑の上を飛んだ。そういう君には、一輪だって咲いてないじゃないか」

 そう言って小鳥が羽をばたつかせると、月は困った様に小さく首を振った。気付けば球はもうすぐそこまで来ていて、その表面についた石屑まで数えることができた。

「もっと近くまで来てごらん。ほら、そこの大きい穴のところさ」

「穴?」

 小鳥はすい、とひとかきして中でも大きいへこみに顔を近づけた。へこみは近づくと不思議と大きくなり、水たまりほどだと思っていた深さは池か湖くらいになった。

「なんにもないよ」

「もう少しじっと見つめてごらん」

 言われて仕方なくじっと目を凝らす。「あ」

 すると、穴の隅に小さな花の様な物が群れているのが、ぼんやりと分かった。それは今にも消えそうな、淡いうす紅の花びら。吹くことのない風を待ち、身を寄せ合っている。

「コスモス(宇宙の花)さ」

 月は静かに言った。花達を壊さないよう、大事に大事に光をかぶせる。

きれいだ、と小鳥が呟いたのを聞いて、遠くに目を移す。

「この辺りの星は、みんなこの花が咲き乱れているんだ。僕のはこの通り、こんなに少なくなってしまったけれど」

 太陽のエネルギーで育つ花なんだよ、と月は声を漏らす様に言った。いつの間にか小鳥とすれ違い、今度は湖がまた水たまりに見えてくる。

「太陽って、あの熱いやつの事?」

 遠ざかる月をぱたぱたと追いかけながら小鳥は尋ねた。さっきまでの軽さが嘘の様に体が進まず、向かい風も無いのに行く手を阻まれている気がする。

「熱い?ああ、多分そうだね。僕らなんかは何も感じないけど、たまにすれ違う僕より太陽に近い所で回っている星が、こうやって僕らを照らしている光は、全部熱で出来ているって言ってた気がする。僕と君くらいの近さにある物なら、一瞬で溶けてしまうらしいよ」

 そう言う月はもうずいぶん遠くまで行ってしまっていた。それでも溶けてしまうとは、太陽は凄い力を持っているようだ。そう考えた小鳥は、またもや自分のイメージと本物が違っているものに出会い、興味を持った。

「その太陽、ここからだとどれくらいかかるの?」

「行くのかい」月の驚いた様な声が聞こえる。

「溶けてしまわないだろうね」

「分からないけど、あんなに遠くにあった月と話せたんだから、大丈夫じゃないかな」

 それを聞いて、月がまた微笑を洩らしたように思えた。

「そうだね、ここに居るのにガラスのヘルメットも分厚い服も着ていないのだし、きっと大丈夫だね」

 太陽はここから、ずっとずっと東、あの黄色い星を超えた方にあるよ。月は言ったきり地球の影に隠れて見えなくなってしまった。

「黄色い星──」

 月を追う羽を休め教えられた方角を見ると、確かに遥か遠くにタンポポの花弁ほどの星がある。そしてそれは月とは比べものにならない速さで徐々に西へと進んで行っている様に見えた。早くしないと、目印を見失ってしまう。小鳥は意を決してかすかな光を頼りに広い海に羽ばたきの波を浮かべた。空を掻く様で、何の手ごたえも無い中、前進を続ける。


 辺りには全く何も無かった。ただ漠然と夜闇を、いやここはずっと暗いから夜は無いのだろうが、その果てしない黒の中を飛び続けるのは退屈だった。退屈しのぎに遥か遠くで瞬く星の数を数えたりしていた時、小鳥はあれ、と不思議な事に気付いた。何も無い所が黒く見えるなら、その黒は一体何の色なんだろう?

 突然、耳元を一瞬で北風が通り抜ける様な感覚と、ぴかっと閃光が目の中で弾けるのが同時に起こった。そして次に小鳥の目に色彩が戻って来た時には、目の前をゆっくり、ゆっくりと進む澄んだ浅葱色の氷星があった。中心の球から尾を引いて、その先端から末尾までがきらきらと輝いている。星を覆う氷の粒が一つ一つ粒さに見え、それは出来たてのつららや葉末にたまった朝露を宝石にしてまぶした様だった。光を反射し四方に散りばめている。その余りの美しさに小鳥は息をするのを忘れてしまった。

「君は、だれ?」

 スローモーションの様にじわじわと動くその星に、小鳥はやっとの事でそう聞いた。すると、星はびっくりした様にぱっと、実際はゆっくりなのだが心持ち早く、こちらを振り向いた。

「今、私に話しかけた?」

 きれいなソプラノの声だった。うん、と小鳥が頷くと、星は嬉しそうにキラキラした。

「私は星の残像よ」

「残像?」

「ええ。この星は太陽に近づくと体の一部が溶けて尾を引くの。私はその一部」

「でも、君の他に星なんて見えないよ」

「それはそうよ。本物の星はとても速いから、とっくに向こうに行ってしまっているわ。たまたま残った光の私の部分をあなたが捉えたから、私だけが見えるの」

 星の残像はずいぶん難しい事を言った。その恰好はどう見ても本物にしか思えず、また本物はとても速いと言われてもピンとこない。

「じゃあ君は、もうすぐ消えちゃうの」

 小鳥が聞くと、残像は驚いた顔をして首を振り、綺麗な氷の粉を散らした。

「いいえ、なくならないわ。だって、消えちゃったら困るでしょう?星がそこに居た証拠が無くなっちゃうもの。星って突然途切れたりしないものよ。あなたが他の残像を見ない限り、私はあなたの目にこの姿でとどまり続けるのよ」

 したり顔で説明されて、けれど小さな白い鳥には意味がよく分からなかった。もう一度聞き返すのも癪で、質問を変えることにする。

「そう言えば、この近くに太陽があるんだっけ」

「そうね、ここのすぐ近くにあるわ。この辺り一帯の星をまとめている星よね」

 残像の末尾はそうしている間にも相変わらず溶けて光を放ち続けている。それでも無くならないのは、本物ではないから、なのだろう。本物は今どこにあるのだろう、残像にも花があるのだろうか、と無意識に目をめぐらした。それから太陽は花を育てるエネルギーを持っていると聞いた事を思い出した。

「太陽はみんなのお母さんなの?」

 そう尋ねると、星の残像は少し思案気にしたのちこう言った。

「少し違うと思うわ。少なくとも私は太陽から生まれた訳じゃないもの」

 なつかしむ様に目を細め、どこか遠くを見やった。

「オールト…そう、オールトの雲から生まれたの」

「おーるとのくも?」

 小鳥は初めて聞くその言葉を何度か反芻し、そしてその中に聞き慣れた単語が入っていることに気が付いた。パッと顔を上げる。

「雲!今、雲っていった?」

 突如大声を出した小鳥に残像は目を丸くして、けれど親切に教えてくれた。

「ええ。私産まれた時からその名前だけは知っていたわ。白くて、柔らかくて、良いもの。この空間のずっとずっと端っこにあって、全体を覆っているの。私はここを回り続けているから、もう行くことは出来ないけれど」

 それを聞いた小鳥はにわかに目を輝かせた。

「僕そこに行きたい。雲を見たいよ」

 それはどこにあるの?と急いた小鳥の問いかけに、残像はどこにでも、と答えた。

「丸ごと覆っているんですもの。どこに行こうと果ては雲に着くわ」

 でも、と残像は小鳥を見つめた。

「あそこは星が生まれる所よ。そこへ行って、たどり着いた話なんて聞いた事が無い」

「それでも行きたいんだよ。オールトの雲に。僕、雲の中を飛ぶのが好きなんだ」

 小鳥は興奮して羽を膨らました。もしここがいつもの公園で、仲間の鳥たちがいる様であれば、声高く鳴き交わしたいくらいだった。残像は諦めたように小さく息を吐いた。

「じゃあ、僕行ってくるね。教えてくれてありがとう」

 そう言うと小鳥はくるりと踵を返し、今来た道を戻り始めた。「あ、そうだ」少し行ったところで振り返る。

「君の事、雲に伝えておくね。会いたがってたよって。あれ」

そこにはもう残像の姿は無く、氷の粒も、光のきらめきも、何一つない海が広がっているだけだった。


 小鳥は休まず飛び続けた。いつもなら気の向いたところで木に止まり羽を休めていたが、少しも疲れを感じなかったし、止まりたいとも思わなかった。そもそも丁度良い様な木の枝などどこにもなかったのだ。

 太陽も見ずに引き返し、地球とすれ違い、流れ星を見た。あの氷星の様に光の尾を持った星たちが、凄いスピードで宙を切り、どこかで突然消えて無くなった。小鳥は流れ星も星なのだと知った。それは願いを叶える瞬きではなく、大きく重そうな岩なのだ。

 途中、海に捨てられたごみの様に、広い闇にぽつりと浮かぶ箱に出会った。金属で出来ていて、アルミみたいな金色の表面がピカピカと場違いに存在を主張していた。

「君は誰、君も星なの?それともなにかの残像?」

 すれ違いざまにそう尋ねると、金属の箱は迷惑そうにこちらに顔を向け、そしてあからさまに驚愕の表情になった。

「コレはナンダ。エイセイじゃナイな、ケレスやナンカのショウワクセイでもナイ。ソシテ、羽をモチ、コキザミにウゴイテいる。コレはセイメイタイじゃナイだろうか。チキュウガイセイメイタイじゃナイだろうか。至急キロクせねば。キロク、キロク」

 箱は一人でぶつぶつと呟き、突然側面についたレンズの様な物を向けてきた。見えない光線でも浴びせられるような感覚になり、小鳥は思わず顔を覆った。なんなのさ、と箱に向かって喚く。箱はそんな声に動じることも無く、キロクを終えた途端また迷惑そうな顔になって小鳥を一瞥した。

「ワタシはキギシ。ジュウヨウなニンムを負ってチキュウ星ニホン国よりココにハケンされた。イッシュンたりともキはソラセナイのだ。ジャマしナイでクレ」

 聞き取りにくいその声は、発音もイントネーションもどこかずれていて、機械の様だった。小鳥は構わずに話を続ける。

「キギシは星じゃないのに喋れるんだね。花も無いのに」

 すると箱は一転、憤然とした顔つきになって反論した。

「ハナがドウのナンてヒカガクテキなコトをイウな。ソンナモノがナクたって、シャベレルにキマッテいるジャナイか。ワタシにはコウドなギジュツをモッテセイサクされたコンピューターがトウサイされてイルノダぞ。このクウカンスベテをキロクするハイレベルな二ンムをマカサレタワタシに、デキナイことがアルわけナイじゃナイか」

 甲高くいやにつよいその語り口は、聞いていると頭が痛くなりそうだったが、とにかく箱が自信満々なのは分かった。どうやら出来ない事、分からない事は無いと言う事も。

「じゃあ、質問していい?」

「ワタシのキロクをジャマするな」

「邪魔なんかしないよ。ただ、君は物知りそうだから教えてほしい事があるんだ」

「…ナンダ、テミジカにイッテみろ」

 小鳥はさっき見た流れ星と、昔どこかの村で聞いた、親子の会話を思い出して言った。

「死んだらお星さまになると言うけれど」

「ソンナコトはイワナイ。アルとスレバメイシンやオモイコミのタグイだ」

にべもない。小鳥は食い下がる。

「そう言うけれど、そのお星さまは消えたら一体どうなるんだろうね」

すると箱は何だそんな事か、とでも言う様に荒く息を吐き出した。

「ホシのキエカタにはシュルイがアルのだ。ソンザイシテいたトキのホシのジュウリョウ、オモサにヨルが、タイヨウよりカルければガスがヒロガりハクショクワイセイにナル。オモケレバセキショクキョセイ、チョウシンセイバクハツとキてチュウセイシセイやらブラックホールやらにナルのがフツウだナ」

 ソレくらいのチシキはサイテイスペックだ、と話す箱の声を流し、考え込んだ。もし星が本当にそのハクショクなんちゃらになってチリになるのであれば、あの彗星や月、そして地球も、いずれそうなるのではないだろうか。そして、もしかしたら太陽も。もしそうなれば、花と言う花は枯れ、宇宙の星は皆喋らなくなり、無に等しい空間になるのだ。いや、その頃には太陽より先に天体全てが消えて、本当の無になっているかもしれない。そう考えるだけでゾッとした。やはり、全てが無くならないうちに早く雲に行った方が良い気がしてきた。

「オイ、ハナシをキイテいるのか」

「よく分かったよ。僕はこれから雲に行ってくる。教えてくれてありがとう」

 そう言って通り過ぎようとすると、箱がチョットマテ、と呼び止めてきた。

「もうスコシオマエをキロクしないと、シンピョウセイにカケル。バックアップもトラナケレバならナイ。チョットトマッテろ」

「やだよ。僕も重大なニンムを背負ってるんだ。邪魔しないでよね」

 箱の口調を真似ておどける。先ほどより荒い息が聞こえた。ピピピ。

「記録より大事な事があるんだ。急がなきゃ」

 見えない光線に背を向けて、小鳥は羽ばたき始めた。頭は雲のことで一杯だった。


そう言えば、前にもこうやって脇目もふらず飛んだ事があった。闇を掻きながら小鳥は思い出した。はていつだったかな、と首をかしげ、同時に白一色の空間が頭をかすめた。それが何だったかは、思い出せない。ただ、遠ざかっていく群れの影だけが鮮明に浮かんだ。


 それは雁の群れだった。旅鳥の彼らは、決まった巣を作らず、季節に合わせてあちらこちらと移動していた。

 小鳥は羽を休めていた彼らと出くわし、話をした彼らは小鳥が見たことの無い場所を沢山知っていて、一つ一つ面白おかしく話してくれた。

 そして時が来て飛び立った雁の群れを、小鳥は戯れに追いかけた。それは何の気無しのほんのちょっとした気まぐれで、まさか目的地である別の国まで追いかけていこうとはくちばしの先ほども思っていなかった。

 それにしてもそのスピードは速かった。自分とは比べものにならず、距離はどんどん開いていった。それでも小鳥は懸命に追い、自分の知らない速さ、高さ、景色に触れて興奮していた。雲をぬって飛ぶのが純粋に楽しい。そして、喋っていた時とは全く違う引き締まった表情で風に乗る彼らにも心惹かれた。

 そして気付いた時には、一面真っ白で。回って、回って、回って。真横にあった雲が、遥か上の方に見えた。


 それからの事は一向に思い出せない。どうやってここに来たのかと同じくらい分からないな、と小鳥は遠くの星屑を横目にぼんやりと考えた。

「危ないよ」「!」

 突然後ろから声が聞こえて、振り返るとピュウッと何かが頬をかすめた。残像は見えない。その声の主を探す間にも、次々と似たような何かが小鳥を追い越していく。

「何だこれは」「新顔か」「変な形してるな」「ケレスに聞いてみれば良いだろ」「今どこに居るんだ」「知るかそんなの」

 喋り声がひっきりなしに近づいては遠のき、その視線は絶えず小鳥に向いていた。

「何これ」

 小鳥が一言呟くと、瞬時にまた方々から声が上がる。

「喋ったぞ」「何て言った」「何これだってさ」「いや、それそれだ」「これこれじゃないか」「何これだよ」「多数決、何これに決定」「で、何が何これなんだ」「知らないよ」「聞いてみろよ」

 どうやらそれらは星の様だった。ごつごつして小さい。流しそうめんんの様に止めどなく飛んでいくそれらに、また舵を取られてはいけないと小鳥は大きく息を吸い込み、一気に吐き出した。

「君たち速すぎるよ。ちょっと話を聞いて。僕はオールトの雲を目指してるんだ。ここからどのくらいかかるか知ってる?このまままっすぐ行けば良いのかな?目印とかはあったりする?あ、それから君たち何なのさ?星ってこんなに沢山一所に集まるものだったっけ」

 言い終えて顔を上げると、水を打った様に静まり返った星たちが、相変わらずのスピードで小鳥の横をすり抜けていくところだった。そのあまりの変わり様に、何か間違ったことを言ったかなと小鳥が不安になった時、さざ波の様にざわざわと声が上がった。それは本当に波と形容すべきもので、星達のざわめきがだんだんと強くなってこちらにこちらに押しよせてきた。この星たちは宇宙の一部みたいだな、と小鳥は思った。

「何て言った」「何て言った」「速いって」「俺達が速すぎるって」

 速い速いと面白がって繰り返す波があちこちで起きた。星達は長い文章を聞き取れない様だった。

「当たり前さ」

 不意に、波の中で一点トビウオが跳ねた様なピントの合った声がした。そちらを見ると、数ある小さな星の中で一際目立ついびつな形のものがあった。「君は誰」小鳥が聞くと、

「俺はケレス」とその星は言った。言ったと思えば他のと同じように去って行ってしまうので、小鳥は慌てて追いかけた。

「俺らが早いのは当り前さ」

 ケレスはついてくる小鳥を横目に見て自慢げに言った。

「俺らは生まれた時からこうやって廻る事だけをしてきたんだ。本能ってやつだね。君はついて来れるかな。きっと無理だよ。ここの者じゃないもの」

「僕だって速いよ。ここまでほんの少し飛ぶだけで来たんだ」

 小鳥はだんだんと開いていくケレスとの差に焦りながらそう言い返した。けれどケレスは不敵に笑うだけだった。そして一段とスピードを上げ、

「そんな速さなんてまがいものさ。ここは宇宙だよ」

 そう言い残して見る間に点になり、視界から消えてしまった。速いはずなのに、風は感じなかった。

 「危ないよ」

 呆気にとられて止まっていると、さっきと同じ台詞が同じ角度から飛んできた。追い越していく星達。

「ここで生まれてない奴は、ここに居れない」「雲だか何だか知らないけど」「ここには無いぜ。他を当たりな」「そうだそうだ」「ほら、早く」

 その流暢な言葉の連なりに誘導される様にして、小鳥はいつの間にか星の輪から抜け出していた。もうあそこへは行きたくないな、という、うっすらとした思いが残った。

「宇宙だから何だっていうのさ」

 小鳥は一人呟いた。


 海の暗さにも、もうだいぶ慣れてきていた。遠くの光を数える事もしなくなっていた。雲が近い様な気配を感じた。小鳥は黙って飛び続けた。体がどんどん軽くなっている様な気さえした。辺りは静けさに満ちていて、その上で浮かんでいる風でもあった。そうか、宇宙海の黒は静けさの色なのかもしれないな、などと考えたりもした。

 不意に、辺りの温度がスッと下がった様に感じて、小鳥はうすもやに包まれた。ついに雲に着いたのか、と思ったその時、

「私の中に居るのは誰」

 月の高い声とも、残像のソプラノとも、箱の機械音ともケレスの硬い声とも違う、柔らかく大きな声がそこらにこだました。小鳥はその圧倒的な迫力に気圧されて、どもりながら答えた。

「僕小鳥です。オールトの雲を目指してきたんですけど、ここは雲ですか?」

 すると、またどこからか、ほう、とも、はあ、ともつかない吐息が小鳥の耳元に届いた。

「残念だけど、ここは雲じゃない。でも少しは近いかもね。私は太陽系で一番端にある星、海王星と言うやつだ。聞いた事あるかい?」

「かいおうせい…」

 小鳥は初めて聞く星の名を、ゆっくりと噛みしめた。漠然と大きいそれは、まさに全体の見えないこのもやにぴったりな響きだった。

「かいおうせいさんに聞きたい事があるんだけど」

「なんだい」

 自分を包むこの声は、箱よりも自分の知りたい事に応えてくれる気がした。

「死んだらお星さまになると言うけれど、その星が死んだら一体どうなるのかな」

 言い終えて、そう言えばかいおうせいの顔はどこなのだろうと辺りを見回した時、どこかからふっと微笑みが漏れた。

「ちりになるんだよ。ちりになって、そして雲へ帰る。そうやってここは廻っているんだ」

 海王星は、おとぎ話を語る様な優しいささやき声でそう言った。オールトの雲だ、と小鳥は小さく叫ぶ。海王星は穏やかに頷いた後、

「あそこをごらん」どこかを指した。

 行方の知れない言葉に、けれど小鳥の目は自然と遥か遠くの一点に向いた。何も無い空間。闇空。と、そこに突然、ぽつん、と小さな瞬きが現れた。小さく、弱々しく、確かな光。ちょうど、咲きたてのコスモス(宇宙の花)のように。

「星が生まれるところだよ」

 海王星と自分が同じところを見ているのが分かる。そして生まれたばかりのその星は、

「虹色だ」

 気付いた時には、小鳥はそう呟いていた。今度は紛れも無く、ほう、と感嘆の息が聞こえる。

「見えるんだね」

 あの星はもう何百光年も前に死んだ星のちりが、また集まってできた星なんだ、と続いた。

 虹色の星は周りにプリズムの産着をまとい、突き抜ける様に煌いた一筋の明りに照らされていた。遠い昔に消えた星に、守られているようだと思った。

「星は、死んだら星になる」

 瞬きを見つめたまま、小鳥はこっくりと頷いた。その意味が、今ではよく分かった。地球もまた、いつか消える星の一つなのだと言う事にも。

「おいで、雲に連れて行ってあげる」

「雲に?」

 不意の提案に小鳥は目を丸くした。海王星はそんな事もできるのか。

「本当は、雲まではずっとずっと遠いからね、ちょっぴりずるするよ」

「どれくらい遠く?」

「光でも何日もかかるくらい」

「僕は地球からここまで四十分で来た」

「それは速いね。そんなに雲に行きたいの?」

「うん」

 小鳥は大きく頷く。

「空を、雲の中を飛ぶのが好きなんだ」

 そうか、と海王星は呟いた。小さな声でも、もやに跳ね返って反響した。

「じゃあ、ゆっくり目をつむって」

 頭の中で響く声に、小鳥は素直に従った。何も見えない、真っ暗闇。

「そのまま、力を抜いて」

 言われるままに羽を伸ばす。心地よい眠りに誘われていくのを感じた。

 暗闇の向こうに、ぼんやりと灯りが燈っている。


  目を開けたら辺り一面真っ白で、一瞬あの雪の中かと思ってしまう。そう、雁の群れを追った空の下に広がっていたのは、降り積もった純白の新雪だったのだ。

しかし、すぐにここがそうではないと分かる。上を見上げても空は無く、飛び回っても冷たく無かった。それはまるで、雲の中にいる様だった。

「雲…」

 小鳥はとんぼ返りしながら考えた。くも、くもと繰り返し同じ単語を口の中で転がす。そしてぱっと顔を上げた。

「ここはオールトの雲だ!」

 ついに着いた、と言い表せない程の喜びが胸にこみ上げてきた。自分でも、なぜこれほどまでに歓喜するのか分からない。それでもただただ嬉しくて、小鳥はそこら中を飛び回った。そこはどこまでも白く、暖かい光に満ち溢れ、全てをくるむ毛布だった。小鳥はひとしきりはしゃぐと、ぎゅっと丸まり、毛布の柔らかい感触を楽しむ様に目を閉じてまどろんだ。母鳥に抱きしめられ、兄弟と身を寄せ合って眠っていた頃を思い出す。体をその頃に戻すかのように、一層背をこごめた。


広い広い、遠い遠い宇宙。その最果ての小さな銀河、太陽の周りを巡る星々で出来るその銀河の、一番外側の一番端に、ささやかな光が生まれる。それはあの宇宙の花。丸っこいその光はゆっくりと、銀河を囲むうっすらとした膜に吸い込まれていく。今にも消えそうな明かりが、その膜に完全に身を包んだ時。ぱあっと目がくらむほど鮮やかな七色の輝きが放たれ、

 そしてまた、闇が戻った。暗い海。無数の星が時々瞬いて、その存在を知らせている。


 ふわふわの光が、空になったお話。


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