第23話 三鷹の家
青々とした葉が生茂る両側の垣根をゆっくりとした足取りで砂利を踏む音を聴き健三は祐之介の後姿を眺めながら追いかけていた。駅より勾配が浅い登り坂になっている道は武蔵野台地特有の平坦な広がりをして、遠くまで見渡せることが出来た。古びた日本家屋の向こうに銀杏の大木が風に揺れ葉の擦れる奥から白い二階建ての洋館が見え、其れは丁度登り坂の頂上付近にあり白い木板と赤茶の屋根がコントラストが一際目についた。祐之介は洋館の鉄製の門横にある引き戸を開けると仲へ健三を促した。
健三は立ち止り洋館を見上げ再び笑顔で促す祐之介に見据え思いを巡らせた(この人の家だろうか)今まで隙間風が通る湿気た部屋にしか見ていない健三にとって、その洋館は黄金色に見えていた。この人は普通の人では無い、俺にも良い事が巡って来たかも知れないと不敵な笑みを浮かべ門を潜った。
「この家が貴殿の居で御座いますか」恐る恐る伺うと祐之介は玄関の呼び鈴を押し
「そうです。私と家内の家です。今は二人暮らしですが」と帽子を取り答えた。
「感服致します。お二人でお暮しになるには大きすぎる家だと思いまして。」妙に伺う健三は取付く様に「ご家族は一緒ではないと」と付加え、祐之介は眼を細め
「子供はおりません。家内が大きい家が良いと申すので、友人の建築家に頼み建てました
時々友人達が泊まりに来ますが。」想い付いた様に祐之介は「怱々、恩師と学徒達も寄りますので」その言葉に健三は首を傾げ「恩師、学徒!」と考え込む様子に、玄関の扉が開き
「お帰りなさいませ、祐之介殿」白い洋服を纏い、髪を短くした志野が顔を出した。健三は志野を見るなり耳朶が赤く染まるのを覚え
、祐之介の後ろに下がった。
健三に取って清楚で優美な女性を真近で話す事に躊躇し、言葉が出ずにいると、
「志野、お客人だ。えーと名前は何と申したかな」と祐之介の考え込む姿に志野は笑みを浮かべ「お客様に失礼ですよ。」と健三を見据えて云い、健三はゴクリと唾を飲込み
「わたくしは横田健三と申します。」と会釈をした。
「そうだ健三君、帝大の学生さんで電車の中で会いお連れした」頷きながら祐之介は答え
、「また、無理やりお連れしたのではないですか」伺う志野に間髪を入れず健三が
「この様な素晴らしい家にお招き頂き感謝しております。私の様な貧乏書生には嬉しくて堪りません。」嘘話の滑舌に心酔しながら健三は志野を食入る様な眼で見ていた。
「立ち話も良いが、志野お茶の用意を頼む。中で話そう」
漆赤の絨毯が敷かれた床と香とペンキの匂いが混じり合った部屋に健三は通された。
壁を飾る重厚な家具と棚に洋書と古文書が整然と並べられ、丸テーブルを中心として布張りのソファーが置かれていた。健三はとんでもない所に来てしまった事と高価にしか見えない調度品の数々を見渡すと壁に一際大きく壁に飾ってある写真に目が留まり、その様子を見ていた志野は「その写真は学園を去る時に記念として撮りました」懐かしそうな眼を写真に向けた。「学園ですか」伺う眼に志野は「私共は武蔵野女子高等学館に従事しておりました。」
武蔵野女子学館は志野が学園長、祐之介が理事長を行い、今から5年前学園長の席を後進である咲に譲り、志野は咲の経っての願いで相談役として祭事毎に出る程度の事に留めていた。志野は咲の願いを当初快く思っておらず「自分が頂点に達し、まだ遣れると思える時が進退を決める時。散り際とは潔くないといけない」云い全てから身を引く構えを見せていたが、咲は「では、私の相談事は誰にすれば宜しいでしょうか。私は今でも不安で御座います。
志野様が築きし学園を継いでいくには志が出来ておりません。」と哀願する顔に志野は
「咲、私が築きしものを受継ぐのでは真志は得られません。志とは本柱の如く揺らがず、心奥に留め置くものです。学園はその本柱が動かずにいれば心配いりません。貴方には見えていないかも知れませんが、私は咲の心中にしっかりと見えております。長とは悩み決断することが信義です。」その言葉に黙り項垂れる咲を見て志野は渋々5年間の相談役を受け入れた。
今の健三の頭では到底理解できない話の内容で、理事長と学園長と云う言葉だけが頭を巡っていた。此れは良い物がたくさんありそうだ、金になる。ふとそう思う健三の悪知恵が働いていた。
「志野、お茶はまだか」着替えを済ませた祐之介の言葉に志野は頷くと部屋を出て行った。
気さくな祐之介の話に健三は相槌を入れ談笑をし始めた。
花園の蕾 @kaibakougan
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