37スライム雨を止ませよう2

「これは……」


 僕は目を釘付けにされたようにして、思わず呟いていた。

 眼下に広がるのは抜けたばかりの雨雲と、その上に展開されている古代魔法陣。

 ただし、ここから見えるのはその巨大な陣の一部だ。


 確証はまだ持てないけど、見覚えのある陣の模様だと感じていた。


 どこかで予感はしていたんだ。


 不可解な消えた古書店で見たあの古代魔法陣かもしれないって。


 まだ、情報が少ないから何とも言えないけどさ。

 ここら一帯は低気圧の影響で雨雲がずっと向こうまで続いているから、少なくとも今日一日は雨が止みそうにない。

 対して、見上げれば更に高層の空はもう雲がないから綺麗に青空がどこまでも続いている。ああ心が洗われるー、と思いたかったけど僕はこう思っていた。

 あんな色のスライムがいたなあ、と。

 油断していたら存外強い風に煽られた。


「わあっとと、かっ体持ってかれるかと思ったあ~」

「大丈夫!?」

「な、何とか」


 ミルカと箒で飛び上がった王都上空を覆う雲の上。強風の中、片手だけで箒の柄を握り粉々剣入りの袋を抱えてるのは結構きつい。しかも意外と寒くて指先がかじかんでいた。


「どこら辺から撒けば妥当だろう。王都全体に散らすならかなり高高度から投げないと駄目だよなあ」


 絶対に気温は氷点下だろうし空気も薄いのを思うと身震いしか出てこない。


「魔法陣の一部を壊せば遺跡の時みたいに止まるんじゃない? だからこの高さからでも問題はないと思うけど」

「ああそっか。よしじゃあさくさくやっちゃお!」

「その意気よ……と言いたいところだけど王都中心まで行くからその体力は温存してて」


 肩越しに振り返るミルカがにっと力強い笑みをくれる。よっ男前って言いそうになってやっぱりやめた。茶化している時じゃないよな。

 きっと守護の剣さえ撒けば後は上手く解決するはずだ。

 僕はそう信じて疑わない。

 王都中心へと飛ぶ間に下方を過ぎる巨大な古代魔法陣は悪意の塊みたいに禍々しく赤黒く、僕は神々しい銀色や金色じゃなくて良かったなんてどうでもいい事を思ってしまった。

 うん、あの暗い色からならスライムが出てきても納得だ。綺麗な色だったらスライムにまでクリーンなイメージを抱かれかねない。


「もう少しだけ陣の真ん中近くに寄るわね。統計的に現代魔法陣って真ん中にある模様がより重要な役割を果たしているものが多いから、古代魔法陣にもそこはもしかしたら共通してるかもしれないでしょ?」

「そうだね」


 ミルカはより効果的に破壊するためにもできるだけの事はしておきたいと使命感に燃えている。

 魔法の箒エリザベス改めメアリーはかなり優れた代物で、凄く速く飛べる。鼻水も凍るような風が顔面に当たって痛いくらいだよ。髪がオールバックになってライオンみたいになるのは言うまでもない。しかも強風のせいでそのままの髪型で形状記憶したっぽい。要は凍った。加えて息だけは何とかできるようにと凄い形相になって必死こいて到達した中央付近。


「さあアル、お願いね!」


 全く全然影響のなかったらしいミルカがやる気に満ちた表情で肩越しに振り向いた。ちょっと一瞬こっちの惨状に固まったけど仲間の残念な様子に敢えて触れない心優しさを持ち合わせている彼女は特に言及せず、むしろ何かがおかしかった。


「さ、寒いならあたしで暖を取って良……きゃーっ嘘嘘こんな所じゃいくら何でも無……イヤーッあたしってばーっ」

「ミ、ミルカ箒が揺れるっ揺れるからっ……!」

「あ、ごごこめんなさいっ、頑張って、頼りにしてるから!」

「う、うん……よぉーしぃ、やぁるぞぉぉー」


 強風で疲れたせいでしおしおとしてどこかのよぼよぼ爺さんみたいな僕は頑張ってやる気を示したよ。髪の毛はパリパリ言わせながら直した。


 粉々剣入りの袋を抱え直して息を整える。


 心の準備が必要だった。


 案の定と言うか、途中よくよく観察しながらきた古代魔法陣の形状は、印象的に脳裏に残る古書店でのそれと一致していた。


 それでもまだ全容を眺めたわけじゃないから同一だと断定はできない。

 でも、もしも同じなら、あれは現実だったって思っていいのか?


「じゃあ、撒くよ」


 ミルカが頷く。


「そーれ!」


 袋を逆さまにして底に残らないように軽く叩きさえする。

 パラパラキラキラと、剣の欠片達は落ちていく。


「やばっ、うっかり柄まで捨てちゃったよ!」


 慌てて下方へと腕を伸ばした。


「アル!?」


 結果、僕は間抜けにもバランスを崩して箒から落っこちた。こんな状況じゃ剣も回復アイテムも役には立たない。


「うわあああああっ! ミルカ助けてえええっ!」


 彼女は咄嗟に魔法鞄から魔法杖を取り出して僕を浮かばせる魔法を展開してくれたようだった。

 でもその間だって落ちる。


 落ちていく。


 僕も、柄も、欠片も、落ちていく。


 古代魔法陣の上に。


 そして僕に先んじていたそれらは陣に触れ、悉く何もなく素通りしていった。


 単に普通に、落ちて行った。


 もう一度言うけど、落 ち て 行 っ た 。


「どええええええええーーーーっ!?」


 最も近くで目撃した僕は目を剥いてそれ以上は言葉にならなかった。ウィリアムズさん話が違うんですけどおおおっ!?


 次は僕の番だ。古代魔法陣の赤黒い光が眼前に迫る。


 ところで、人間があれに触れても大丈夫なんだろうか。ジュッと焼ける音を立てて瞬時に蒸発しちゃったりしないよねえぇ~?


「ぎゃーーーーっミルカ頼むから早く浮かせてくれーーーーっ!!」


 ミルカの杖から出た風魔法が僕を包むのと、指先が古代魔法陣をかすったのとは同時。


 グワッと目の前が急激に明るくなってどこか別空間が開けるかのようだった。


 僕の意識はどこかの石造りの薄明るい太い廊下にいて、カツンカツンと突く杖の音がする。その杖を持つのは全体的に丸っこい印象の白髪の老人だ。

 行き止まりで立ち止まったその人が小さな古代魔法陣を発動させると、辺りは廊下からどこかの洞窟のような場所に変わった。

 そこからまた前進して、その人はようやく後ろを歩く僕を振り返った。


 僕と祖父と同じ変光眼が現れる。


 ――!?


 その顔……あの幻の古書店の老婆!?


『この先が頼まれて造った例の場所だよ。しかし、本当にそんな事になると?』


 視界が揺れたのは、小さく頷いたからだろう。この先と示された方には水辺が見える。


 洞窟湖……?


 老婆は嘆息し、どこかやりきれないと言うような或いは残念でならないと言うような顔をする。


 全く意味のわからない僕は、僕じゃない視界の中でふと老婆の杖にフォーカスして仰天した。


 それってミルカが使ってる――シュトルーヴェの魔法杖だよね!?


 どういう事だよ……? 以前の持ち主なのか?


 それか、本来の。


 でも大魔法師は男性って伝えられていたはずだ。


 彼の奥さんとか、家族? それとも、性別を偽っていたか。


 そもそも、この光景はいつの――……?


「――アル! 大丈夫!? ねえアルってば! ショックで放心したいのはわかるけど、箒にしっかり自分で捕まっててくれないとこれ以上は破片を網羅できないわ!」

「……へ? あ、浮かんでる。あ、ありがとうミルカ」


 ハッと我に返った僕はミルカのおかげで箒メアリーの上だった。すぐさま現実を思い出して言われた通りしかと箒を掴む。

 一方ミルカは他の魔法も展開していたようで、守護の剣の破片や柄が空中で止まっている。

 そうか、彼女はあれ以上地上に落ちないようにしてくれてるのか。

 あの光景が何であれ、今は僕の生きる現実に焦点を当てて何とかしないとならない。


「魔法陣破壊できなかったけど、やっぱり剣が不完全だからかな?」

「うーん、それはどうかしら。だけど全くの効果なしなのは確かだったわよね。……まさか捨てちゃったとかアルが言ったから?」


 後半部分はよく結び付きがわからなかったけど、前半部分に対してこくこくと首を振る僕はとある重大事に思い至ってザッと血の気が引くのを感じた。


「効かないなら僕は何て事を……っ、ガラスの破片にも似た危険物を何の防護対策もせずに上空からただばら撒いた愉快犯じゃないかーっ!」


 地上じゃ魔宝石拾いに多くの人が依然として道端に出ているはずで、そんな彼らの頭上に小さな小さな凶器が降り注ぐ様がありありと想像できた。


 ミルカの魔法がなければ今頃は大惨事だったよ。


「破片を浮かせてくれて助かったよミルカ。スカが出なくて何よりだしさ」

「実は、そうでもないの。時間の問題……っ」

「え?」

「破片が沢山あり過ぎだし、陣の下は魔法妨害されてるでしょ。そこをここから無理やりねじ込んでいるから相当魔法のオンオフが不安定で、あたしの技量じゃさすがに長時間はこのまま浮かせてられない。全体の調和を取るのがかなり辛どいの……っ。あと一分もたないわ!」

「何だってえええーっ! 欠片を空中で集めるには僕にできるどんな方法を使えばいい!? あ、魔力回復薬飲む!?」

「そんな事をしてもじり貧よ」

「それはそうだけど」


 なんて騒いでいるうちに「ごめんもう駄目っ」とミルカの魔法が切れた。ミルカー!


 辛うじてメアリー号はバランスを保ってくれているけど、僕は疲れてふらふらなミルカを支えないとならなかった。


「何か、何か僕にできる事はないのか!?」


 自問自答するも何も浮かばない。破片は落下を始めている。

 ウィリアムズさんに少しの憤りを感じつつ、最終的に行動に移したのは僕自身だから責任は僕にある。

 ああチクショー僕は何て無能なんだ! 最悪の場合は仲間には迷惑を掛けないようとっとと自首するしかない、なんて半分諦めてぐるぐる考えていると、ミルカがハッとしてこんな助言をくれた。


「アルが、守護の剣よこの手に集まれーって命じればいいと思うわ」

「ええと、本気で言ってる? そんなの気休めにもならないしそもそも意味ないよ」

「地上到達まで時間がないわ。とにかくいいから叫んでアル! 例えばスライム撲滅の神様にそう命じられたと思って! 早く!」


 ええーそんなに試す価値ある事? 全然そうは思えないけど肩越しのミルカが必死の形相だから応じてみるしかなさそうだ。


「わ、わかった」


 一度言葉を切るど深呼吸。

 何の繋がりもない剣に向かって叫ぶとか、最早罰ゲームとか羞恥プレイ以外の何物でもない。でもミルカは本気っぽいしトホホと思いつつも覚悟を決める。


「しゅ、守護の剣よー、ええーと、復活してここに集まってきておくれー。そうしてくれたら、一度戦闘で使ってあげるよー。……よ~? ――ってアハハ、なんて言ってくるわけないよね!」


 ――その時、キラキラとした無数の光が眼下の雨雲の中に見えた。まるで粉々剣の一つ一つの欠片が輝いているみたいだ。

 それらは見る間に浮き上がって突き抜けたはずの古代魔法陣を今度は下から抜けて僕の目の高さに広がった。しかも柄も一緒に。


「ひいいっホントに破片だったあああ! ミルカミルカミルカ何これ何これ剣の幽霊!? 粉々剣さ、よくも投げ捨ててくれたな~って怒り心頭で目潰ししてくるんじゃないのおおお……!?」

「アルったらこんな時に冗談? 剣には血が昇る頭なんてないじゃない」

「冗談言ってるように見える!?」


 いつのまにやら回復ポーションを一瓶消費して元気になったミルカは全く危機感を抱いてないみたいだ。

 その間にも残る破片がどんどん上って集まってくる。


 そして、おそらく全部上がってきただろう直後、僕達の目の前で落雷のような強烈な光が弾けた。


「うわっまぶしっ」

「きゃあっ、何!?」


 発生した青白い光は剣身の色と同じだ。しかしまさかと思う間もなく、その光は太くなり光同士が重なりついには雷となって天と地上とを貫いた。


 ――ズドオオオオオオオーーーーンンンン……!!!!


 おそらく王都全土を包んだだろう凄まじい轟音のせいで聴覚がおかしくなりそうだった。


「…………はは、は……あははは」


 そんな僕は、半笑うしかなかった。

 だってさ、だって……今のでも古代魔法陣は健在だけど広範囲で雨雲が吹き飛んでいて地上の街並みがハッキリと見えている。

 更にはそのおかげでわかったんだけど、落下していたスライム共が全て見えなくなっている。

 道筋を探すように宙を走っていく雷はまるで樹木の枝のように伸びてスライムを一掃していた。しかもまだビリビリ小さく空で燻るようにしている小雷が新たに召喚されるスライムも滅している。


 す、凄すぎる……。あれは破魔の雷なのか?


 そして規格外現象過ぎて呆気に取られる僕の目の前には、見参っ!とばかりに気付けば何と一振りの剣が浮かんでいた。


 あの雷は単純に登場シーンに必要だったとか無意味な事言わないよね?


 しかも、鼻先スレスレにある……危なっ!


「…………守護の剣?」


 僕がたまたま前じゃなくて横を向いているからこそミルカに影響なく浮かんでいるけど、青白い光を発するそれは……中々に眩しいね! くっ、せめて弱めてくれっ。

 ……って言うか、え、何これホント何これ? どゆこと?

 僕の前では眩しそうにするミルカが感激したような声を出す。


「これ守護の剣よね! 良かった完全体になってるわ。それにしても、思った以上に主人に従順よねその剣って」

「ああ、うん、……――へ? 主人? 誰の事? 近くに来てるの?」


 怪訝な声を発した僕にミルカが何か説明をしてくれようとしたけど、彼女は何かに気付いてか地上へと目を転じた。


「あー……。今の雷であそこ、大聖堂の屋根に大穴が開いちゃってるわ。ウィリアムズさんが、守護の剣は絶対的に主人にしか尽くさず他者に優しくない極度のヤンデレですからって言ってたけど、あれ見るとまさにそうよね。怪我人が出てないといいけど」

「へ、へえそうなんだ。ヤンデレって、そんな事言ってたんだ」


 まあ幾つか疑問はあるんだけどさ、気を取り直してそこの剣にまず言いたいのは世界に一つ。


「ところでこの剣はさ、どうしてまたも僕の鼻先スレスレなわけ!? こんな二度目まして冗談じゃないよ全くもうさ。大体何で主人でもない僕の目の前に浮かんでるんだよ。僕的には大迷わむぐっ――」

「これ以上は駄目駄目駄目駄目! 折角持ち直したのに容体急変したら大変よ! これまでの全部の苦労が台無しよ水の泡よ! 王都がスライムで陥落よ!」


 大迷惑と言おうとした僕の口をミルカが素手で塞いだ。僕はわけがわからず目を白黒させるしかない。


「いい、アル、よ~~っく聞いてね。ここにいるあたし達の一番の目的は古代魔法陣の破壊です。オケ? そのためにも、アルはその守護の剣で陣を叩かないといけないわ。文句はそれからにしましょう、ね、オケ?」


 所々台詞が軽い反面やけに真剣な声と顔のミルカに、僕は一人で勝手に取り乱していた自分か恥ずかしくなってくる。

 冷静にならないと。


 この陣を消滅させない限りはスライムも増えていくんだ。


 王都スライムで陥落は決して皆無じゃない。

 僕の落ち着きを察してか、ミルカがまだ浮かんでいる守護の剣を一瞥し、次には僕へと手に取るよう促す眼差しをよこした。

 どこか厳かな気持ちで頷く僕はその手を伸ばして柄をしかと掴む。


「できんならさっさとそこのスライム量産陣をぶっ壊してこいやーーーーっ!!」

「アルーーーーッッ!?」


 うん、もうね、我慢ならなかった。何しろ意味がわからない。僕に一体どうしてほしいんだよ。

 そんな募った苛立ちを掴んだ剣を振りかぶって真下に投擲して発散した。


 守護の剣は遠心力が掛かったのかくるくるくると回転して落下していき、古代魔法陣に接触。


 その瞬間青白い光が炸裂して魔法陣に亀裂が入ったかと思えばその部分から赤黒い光が消失していく。


「ミミミミルカミルカ、とうとうやったよ、守護の剣あの子が……っ。あんなに大きくなって……ううっ」

「そうね! 一瞬ヒヤッとしたけど結果オーライよね!」


 仏の心でアホな会話に合わせてくれるミルカは、彼女も興奮はしていたようだけど顔を見ると当初の目的を果たした安堵の方が大きいみたいだ。

 そこは僕も同じくほっと胸を撫で下ろしている。


 たださ、解せないのは、役目を果たした守護の剣がまたまた僕の鼻先にスイーッと飛んで戻ってきた一点かな。


 いやさ、そんな顔面に近付かれても危ないからねっ。うっかりしたら鼻が二つになっちゃうから! 良い子は真似しちゃいけません。

 そのままだと目の上のたんこぶよろしく超絶邪魔だったし、僕は仕方なく手に持った。だって放っておいて真っすぐ下に落下されても怖い。


「うーん、一度は戦闘に使うって言っちゃったし、剣は嫌じゃなかったからこうして粉々からの復活を遂げたんだよなあ? ふむむむ余程誰でもいいから誰かに使って欲しかったと見える」


 ずっとガン無視されてた剣だから人恋しくなったんだろう。


「一先ずはジャック達の所に戻ろうか」


 そうねと同意するミルカに箒の操縦を任せる僕が今更ながらに周囲に目を向ければ、やや離れた上空にはポツポツと王国騎士団の魔法騎士達だろう人影が見えた。


 彼らは一様にびっくりしたようにして僕達を見つめていた。

 古代魔法陣がすっかり消えて喜んではいると思うけど、それ以前にどうして僕達みたいな若造がここにいるんだって疑問と、あともう一つ、僕が守護の剣を手にしているのにも気付いているようだった。

 あのガラクタ剣が役に立ったなんてウソだろって思っていそうだよ。


「ねえミルカ、騎士団の人の目が気になるし、少し速度を上げてもらってもいいかな。この剣にしたって無断で使ってるなって咎められたら、ウィリアムズさんがいてくれないと何を言っても信じてもらえないかもしれない」

「……そうね。そこはあたしも懸念してるわ。うん、早いとこ戻りましょ」


 そんなわけで僕達は視線を気にしつつ、魔法の箒メアリー号を飛ばしてジャック達が今か今かとじりじりして待っているだろう王都の外に降り立った。

 上空で騎士団の誰かに呼び止められたりしなかったのは幸いだった。


 ここはまだ雨雲が残っていたから普通の雨がシトシトと降っている。吹き飛んで一時的に晴れた王都中心もこの雲の流れからしてまた雨になるだろう。


「アル! ミルカ! スライムが出てこなくなったぜ。それにその剣、もしかしなくても見事にやったんだな!」


 箒から降りるとジャックが駆け寄ってきた。


「ええそうなの! 我らのアルがやり遂げたのよ!」


 ミルカが自分の事みたいに声を弾ませるから照れる。


「ええと、たまたまだよ。ミルカがいなかったら無理だったしさ。僕だけでやり遂げたわけじゃない。ジャックだってウィリアムズさんだっていたからこそだよ。僕達皆の力だよ」


 ジャックに遅れてウィリアムズさんも傍にやってくる。

 彼は直ってピカピカな剣を見て嬉しそうにした。


「良かったですねえ。やっと主人に握ってもらえて」


 にこにこして彼は僕と剣を見てうんうん頷いている。


 ああまただ。剣の主人って。


 さすがにこの流れだと、それまでの皆の不自然な言動の積み重ねもあって僕の胸中にじわりと生まれる考えがある。


 それでも考え過ぎだと言い聞かせて、でもそうであると考えた方が辻褄が合う部分しかない。


「あ、の……ええと、ウィリアムズさん、一つお訊ねしたいんですけど、守護の剣の主人って、――僕だったりします?」


 彼はキョトンとして目を瞬かせた。

 あ、はははそうだよね、僕の勘違い勘違い。そんなわけないだろー。恥ずかしい思い込みしちゃったぜ、てへぺろ!


「――ええそうですが、破魔の剣として古代魔法陣を打ち破っておいて、まだ気付いていなかったんですか?」

「…………えーと、ははっ」


 笑うしかない。けどまずは本人に確認、と。


「あー、えー、こほん、守護の剣とやら、お宅って僕のしもべなの?」


 ブゥゥンと剣が青白く光り輝いた。

 ああ、そ。ふーん、そ。へーーーー。


「正式にアルフレッド君の剣として騎士団に登録する必要がありますが、まあ特に審査に引っ掛かるような事はなくスムーズに認められるでしょう。これからは君の剣としてお世話を宜しく頼みますよ。私のメンテナンスが必要な際には喜んで引き受けさせてもらうから安心してくれていいよ。勿論無償でね」

「無償! それはとても有難いですね!」


 この剣に無駄にお金かけたくないもんねー。あ~、でも所有者らしく所持してないと駄目なのかー、うっかりしたら勝手に壊れる究極の諸刃の剣をさ。今から心労を感じる……。


「良かったな、アル。凄い剣に見初められてさ。二刀流カッコイイじゃん!」

「ねー。あたし色んな意味で嫉妬しちゃうわよ。さすがに魔法杖の二刀流は制御が難しいだろうし。ダブルでスカが出たら三日は凹むと思うわ」


 ジャックとミルカの二人は不安に嘆く僕の気持ちなんぞ知る由もない。因みにダブルスカは大歓迎だね。

 魔法杖の二刀流、か。

 僕は何気なくミルカが手に持つ魔法杖に目をやった。


 あの杖と同じ物はおそらくないだろう。


 古代魔法陣にも記憶の残滓が含まれていたんだろうか。それとも召喚されたのがスライムだったから?


 まあ、ここで考えてもわかるわけはないんだけど。


「こうなっては。早々に鞘の方も騎士団から貸し出してもらわなければね。抜き身のままは何かと不便だし危険だろうから」


 ウィリアムズさんの考えには激しく同感だ。急に砕けたり折れた時に鞘に収まってれば周りに飛び散って誰かが怪我をする心配もない。それにそもそも抜き身の剣持って歩いてたら危ない奴だし。


 現在、まさに進行形でその危ない奴な僕は守護の剣を無言で見下ろした。


 透き通ったように綺麗な薄い青。人間にも黙っていればなあって言われる人がいるみたいに刀剣類にもそんなのがあるんだなあ。感情の起伏が激しくなきゃきっと使い勝手も良かったろうに……。


「それにしても皆はとっくに僕が主人だって知ってたんでしょ? どうしてもっと早くに教えてくれなかったんだよ。きっとリリーやメリールウ先生も知ってたんだよね?」


 三人を恨みがましく見据えると、三人共に気まずそうに視線を逸らした。だけどとぼけるようにしたままってわけにもいかないのをわかってはいるのかジャックが肩を上下させて観念した溜息を吐き出した。


「ウィリアムズさんから散々この剣のビミョーな話を聞いた後だし、アルは自分が主人だって知ったら笑顔で辞退っつか放棄するだろうなって思ったからだよ。しかも古代魔法陣に対抗し得るのはこの剣だけだってなってからは特にな。今更だけど、隠してて悪かった」

「あたしもよ。アルじゃないと使えないなら尚更どうにか知らずに力を引き出してもらうしかないわよねって思ったの。でも騙すような真似してごめんなさい」


 ジャック、ミルカに続いてウィリアムズさんまでもが謝罪してきた。ここまで深刻な空気にするつもりはなかったんだけどなあ。

 逆にこっちが鈍くてすみませんって恐縮した方がいい気さえしてくるよ。


「まあスライム雨は止ませたし、一旦宿に戻ろうか。是非ウィリアムズさんも。朝からずっと動きっ放しでお腹空いたよ。王都に落ちて隠れたスライムの討伐もそれからだ。腹が減っては何とやら、でしょ?」


 僕が気分一新と声のトーンをやや上げて表情を緩めると、他の三人も僕に倣って余計な力を抜いたようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これはよくある異世界F(旧題:僕の無双はスライム限定) まるめぐ @marumeguro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ