第21話
凄まじいエネルギー波が、了の全身を襲ったのだ。
常人では感じられないエネルギーが帯電しているのだ。
何のエネルギーかは、あえて言わない。
信仰の場所だから、と言っておこう。
了は立ちすくんだ。
栗栖ゥ、壁が厚すぎるよォ、せめてハンデをつけてくれよ。
了は半泣きで教会を見上げた。
たとえば、これが牡丹燈籠なら、死美人への愛に負けて、閉じこもっていたはずの男はフラフラと外へ出て行ってしまう。
だけど、悲しいかな。
栗栖は了のことを、愛してはいない。
しかし、栗栖が了を待っているのは確かだ。
そうでなかったら、なぜ、抵抗もせずに了を受け入れたのだ。
栗栖の気まぐれだろうか?
そうだ、と断定できない自分が悲しい。
クスンと、了は鼻をすすった。
こうなれば長期戦か?
教会の回りを囲う塀にもたれて、了は唇をひん曲げた。
近くの電話ボックスに入り、家に電話した。
下手に騒いでほしくなかったので。
運がよければ、了二か母親が出るはずだった。
トゥルルルル トゥルルルル トゥルルルル……
ガチャ
「もしもし」
?
聞き覚えのない男の声が、受話器の向こうから聞こえた。
「あの、小鷺田の家ですよね……?」
「そうですが……了か? 俺だ、俺」
「え、ええ!?」
了は思わず声を高くした。
始兄の声だ。
「い、いつ帰ったの!?」
「いや、いま……ちょっとまえくらい。だれもいねーから、どうしようかと思ったよ」
「え、じゃ、義姉さんたちは?」
「家においてきた。というか、こっちには寄っただけだから」
「寄っただけって……」
「了二やら、父さん母さん、どうしてる?」
「え、うん……元気だけど」
一応元気、ということにしておこう。
「そ……か。苦労かけてないか?」
苦労かけさせられているような気が……と了は思ったが、殊勝にも黙っていた。
「かけてないよ、あのさ、アニキ……」
「ン?」
「頼みがあるんだけど……」
了は策に困じて、死に物狂いの計画を実行することにした。
うまく行けば、お慰みだ。
「なんだなんだ、改まって」
始はナハハとおおらかに笑った。
「いま、でかい旅行カバンとか、持ってきてる?」
「んん、まぁ、あるけど……どうすんだ?」
「空のまま、持ってきてくんない?」
一瞬のマ。
「いいけど……」
「わけは会ってから話すからさ、カメラも持ってきてよ。外国人街の教会知ってる?」
「ああ、知ってるよ」
「そこに来てよ、いますぐ」
こんなんで始アニキが納得してくれればいいけど、と了は苦笑いながら、電話を切った。
計画のとおり、始は教会の敷地へ入り、了が言っていた教会の建築様式を眺めた。
それほど貴重なものには見えない。
それでもカメラのファインダー越しにそれらを見つめると、なにやら生命が吹き込まれたように見えてくる。
これまた、了に言われたとおり、始はわざと大きな音を立てながら、大きな旅行トランクを転がしながら、教会の回りを歩いた。
いいかげん寒くなってきて、始は長いコートを体に巻き付けた。
始は父親似だった。
下の弟たちとは顔立ちも体格も似ていない。
やたら横にも縦にもでかい男だった。
当然コートはマントのように体を包み込んでいた。
確かに、了が言う、絵になる場所はあった。
冬枯れした枝振りの大きな木が、教会と塀とを橋渡しするように生えている。
網目のような黒い枝が、紺と灰色のマーブルになった空を区切っていた。
「なんだね、あなたは? 夜中にコソコソ人の敷地内をうろついて」
始は、突然の呼びかけにギョッとして振り返った。
同い年くらいの背の高い男が、この幻想的な雰囲気にあわないスーツ姿で立っていた。
「いやぁ、被写体にいいなぁと思って」
「被写体?」
始は男の無遠慮な視線に耐えながら、答えた。
「ここ。普段は動物専門なんだけど、たまたま見つけちゃって。いいじゃないの、ほら、まるで蛇のような生き生きとした線。ね? ウネウネと、夢の破片のように現実を区切っているじゃないか」
しかし、藤堂は警戒を緩めなかった。
「そのトランク、何が入っているのかね?」
始兄はためらいもせずにあけてみせた。
フィルム数個と望遠レンズ、雑誌。
藤堂はコートにも目をつけた。
「その下には何を着てるのかね?」
始兄は笑って、
「おいおい、追いはぎじゃあるまいし、男の裸が見たい変態なのか?」
と言いつつも、コートをはぐった。
肉厚な体を覆うセーター以外、なにもなかった。
「名前は?」
始兄は職業上の名前を告げた。
それは小鷺田香也子の旧姓だった。
その名を聞いて、藤堂の顔色が変わった。
明らかに安堵していた。
「すみません、最近いたずらが多くて」
藤堂がそう言うと、教会から少年が出て来た。
「その人、だれ?」
栗栖はいぶかしげに始兄を見上げた。
「君も知っていると思うよ」
と、藤堂は栗栖にも始の業界名を教えた。
「あなたの写真、僕けっこう好きなんだ」
「ナハハ、ありがとう」
始は、栗栖を見つめた。
了は細々と指示をして、最後に「栗栖をその木の下で撮ってくれ」と言ったのだ。
「ちょっと、そこの木の下に立ってくれ」
始はさりげなく栗栖に頼んだ。
「この木?」
「そう」
栗栖は、木の根元に立った。
「木に寄り添って」
始の言うとおり、栗栖は木に寄り添った。
藤堂はにこやかに栗栖を見つめた。
始は、ファインダーを覗き、栗栖を捕らえ、シャッターを切った。
あくまで、それは一瞬のことだった。
ユラリと逆さまになった了が現れ、栗栖を引っつかんだ。
藤堂が「アッ」と叫び、始がファインダーから目を離したときには、風が吹いたように枝が揺れ、辺りは何事もなかったかのように静まり返っているだけだった。
塀に触れるんだから、木にだって登れるはずだ。
了はドキドキしながら、始が木の下まで来るのを待っていたのだ。
藤堂がこちらを見上げたときは、まさかばれるのじゃないかと思った。
なにが、夢の破片が現実を区切っている、だ。
まかり間違えば、その枝になりすましているだれかさんのことがばれちまうじゃないか!
しかし、始がなんの疑いもなく、了の言うとおりにしてくれてよかった。
あまりにあっけなくて、本当に起こったことなのかと、思わずにはいられなかった。
栗栖を抱き締めたまま、了は夜の道を走り続ける。
どこまで行こう?
どこまでも、どこまでも。
いまこうしている間にも、栗栖のやけどしそうな生気が胸に染み渡ってくるのだ。
「まさか、本当にやってくれるなんて……」
栗栖がつぶやいた。
「おまえにはかなわないなァ……」
「もし、叶わなくても、海を渡って、ふたりで逃げよう」
了は小さな声で告げた。
「逃げるって?」
「おまえの一族からだよ」
「その話は寒気がするよ。どうせ、お互いの血筋が絶えるまで追っかけられるわけだし」
栗栖はうんざりした顔で言った。
吹き付けてくる風から守るように、了は栗栖をきつく抱き締めていた。
「了……」
了は立ち止まった。
住み慣れた街は、すでにはるか背後にあった。
「なに?」
了は、栗栖の瞳を覗き込んだ。
栗栖は薄く微笑んだ。
「絶対僕を離さないでくれよ? 地獄に落ちたとしても僕を追ってくれよ?」
了は絶対に離さないと栗栖を抱き締める。栗栖は了の胸の中でつぶやいた。
「魔王にさらわれた王女の気持ちって、どんなんだろな?」
「まさしく、いまのおまえの気分なんだろ」
「違うね、了、王女はおまえのことだよ」
栗栖の言葉に、了は首をかしげた。
「王女を誘惑したのはこの僕だからね」
ヴァンパイアよりも邪悪に栗栖はささやいた。
クロス 藍上央理 @aiueourioxo
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