第20話

「わかったよ、やってみましょ。おまえの気がすむならね」

 了は藤堂の呼びかける声を無視して、受話器をおろした。

 うまくいくかどうかは、別問題だった。

 美容室の扉を開けて、すっかり夕暮れてしまった空を、了は見上げた。

 了はショーウィンドウに映る自分の姿を、複雑な気持ちで眺めた。

 はたして、ここまでする必要はあったのだろうか?

 涼しげに刈られた茶パツ。

 なんだか、了二が目の前に立っているようだった。

 了と了二は3年の時間差でソックリなのだ。

 情けないことに、背格好はさほど時間差ではなかった。

 ガラスのなかの了は、灰色のニットの帽子をかぶり、弟が買ってもらってから一度も袖を通したことのない、ベージュのダッフルコートを着込んでいる。

 服装まではマネできなかった。

 あんなのでも一応のセンスがいるみたいなので。

 シャツ一枚でウロウロしてもよかったが、それでは見てくれと、自分で宣伝しているようなものだ。

 了は警察署へ行かねばならない。

 きっと栗栖はそこにいる。

 まずは、どうやって潜り込むか、だ。

 容姿の特徴はかなり変えたので、ちょっと見では分からないだろう。

 安全かつ自然に警察署に入り込める方法はないものか?

 了はショーウィンドウをみつめたまま、考えた。

 そして、ニヤリと笑った。

 あるじゃないか! 確実にひとつだけ。

 ケンカして、警察に補導されればいいんだよ。

 言うはやすし、行うはかたし。

 だれにでも礼儀正しい次男坊は、皮肉なことにケンカの吹っかけ方が分からなかった。

 風は肌を刺す寒さをまし、フツウならおウチに帰ってあったまりたい、というのが当たり前の考え方だ。

 ツルんで、タムロって、お友達とアソべるところは、どこだろう?

 了二なら、迷わず、ゲーセン! と叫ぶだろう。

 ゲーセン!

 選択する余地もない。

 了は遊び下手なのか、ゲーセンとか、金の要る遊びをしたことがなかった。

 だいたい、ほかの奴らが遊んでいる時間帯、了は家族のために(特に了二)夕飯を作ってやっているのだ。

 あまつさえ、掃除と洗濯さえも!

 テレビは習慣でほとんどつけないし、たまに了二がみている番組のお相伴をするくらい。

 だから、未経験なゲーセンの雰囲気に、了はすっかり圧倒されてしまった。

 目まぐるしい色彩のなかに、了二によく似た格好の少年たちが集まっている一角を見つけた。

 ゲームの格闘技らしい。

 どうやら、頭と手足にプロテクターらしきものをつけ、画面のキャラクターとシンクロして、戦うらしい。

 バーチャルリアリティの初歩的なゲームみたいだ。

 目的とゲームの魅力に誘われて、了はトコトコと寄っていった。

 どうやら、仲間内の対戦式でチャンピオンを決めているらしい。

 部外者は完全に排除され、彼らはずっとこのゲームを独占しているらしかった。

 一時間近く、了は魅せられたようにゲームを眺めていた。

 やたら強い少年がいた。

 実際殴り合うわけではなかったが、ケンカ慣れした身のこなしだった。

 ボクシングでもしていそうなカンジ。

「アイアムザチャンピオーン!」

 少年は右手を上げて、得意がっていた。

 彫りの深い、色黒の美少年。

「待ったァ、俺、挑戦したいんだけど」

 了は手を振って、自分の存在をアピールした。

「?」

 みんながいっせいに了を振り返った。

 しかし、チャンピオンは意外にあっさりと挑戦を受けた。

「オーケー、じゃ、500円入れてよ」

 了はダッフルコートと荷物を機械のわきに置き、ステージに上がった。

 チャンピオンは軽くステップを踏んで、ニヤニヤと笑っている。

 多分、勝つ自信があるのだろう。

 よろしいですよ、と了は余裕の笑顔をかました。

 それが相手のしゃくに障ったのだろうか。

 チャンピオンは冷ややかな視線を了に向けた。

 プロテクターをつけ、ゲームは始まった。

 シュッ

 いきなり、鼻先をチャンピオンのこぶしがかすった。

 画面のなかのキャラクターはすでに殴られ、吹っ飛んでいる。

「アチャー」と了は舌打ちした。

 けっこう難しいかもしれない。

 威嚇攻撃だが、対戦相手をビビらせるには充分。

 チャンピオンは不敵な笑みを浮かべた。

 軽やかなステップに混じって、蹴りやらなにやら、とにかくエアロビクスのような攻撃が繰り出された。

「うはっ、うわっ」

 了は一々叫びながら、チョコマカと攻撃を避けていった。

「なんだよ、逃げるだけなのかよ? もう得点取られてんだぜ?」

 チャンピオンは息も乱さずに、吐き捨てた。

 いわゆる、もう負けろ、と言いたいのだ。

「なに言ってんだ、手足振り回してるだけで、ぜんぜん当たってないじゃないか。おもちゃで人に勝ったくらいで、いばるんじゃねーよ」

 言い過ぎくらいの気持ちで、了は答えた。

 どうやら、言い過ぎ過ぎたようだ。

 チャンピオンは目を三角にして、ものすごい速さで殴り掛かってきた。

 当たらないていどで、画面のキャラクターはボコボコにやられてしまうというのに、実際に殴り合ったら、画面のキャラクターはでこぼこになってしまう。

 だけど、了はあえて殴られなくてはならなかった。

 パキャ

 音のわりにはズシンと重たいこぶし。

 画面のキャラクターは地面にのされた。

 了も殴らないと意味がない。

 できるだけ力を加減してやった。

 ゴッ ガッ

 画面のキャラクターはぶっ倒れ、ノックアウトした。

 人間のほうもほぼ同じ様子。

「おおー」と無責任な観衆の歓声。

 チャンピオンのかわいい顔が血に汚れていた。

 一瞬、力を入れ過ぎたかと了はうろたえた。

 ドスッ

 チャンピオンの蹴りが脇腹に入った。

「ブッ」

 ゲームオーバー

 画面に赤々と表示され、コインインサートのカウントダウンが始まった。

 だれかが500円を投入した。

 画面はむちゃくちゃだった。

 殴られるか、倒れるか。

 たまたま偶然に決め技が繰り出され、観戦者は仮想の格闘と現実の格闘を、忙しげに眺めた。

「ウヒー」とか「キヒー」とか、わけの分からないうれしげな悲鳴が回りを埋め尽くしていた。

 チャンピオンも了も血みどろだった。

 心なしか、チャンピオンはヨタヨタと足元がおぼつかない。

 了は出血のわりにはしっかりと両足で立っていた。

 生気を吸わずに殴ることができないのだ。

 チャンピオンは二重のダメージを受けていた。

 滴り落ちた血で、ステージはヌルヌルと滑った。

 ゲームオーバーのたびに500円が入れられる。

 了は警察がくるのを、今か今かと待ち続けた。

 だから、やっとドカドカと荒っぽく背広姿のおじさんどもが入って来たとき、よろこびに飛び上がりそうになった。

 遅いよー、待ちくたびれたよー。

 そう言いたかったが、傷は深いらしく、しゃべると口から血があふれた。

 口の中を切ったのだ。

 観衆はワーッとクモの子を散らしたみたいにいなくなった。

 捕まったのは了とチャンピオンの少年だけ。

 チャンピオンの少年は衰弱でドッと倒れ込んだが、了は歓迎を込めて、血まみれの顔でニカーッと笑ってみせた。

 傷の手当をされて署内に連れて来られたのは、夜の9時過ぎていた。

 ありきたりの質問を散々され、荷物のなかまで調べられてしまった。

 了は、家出少年と断定されてしまった。

 まぁ、似たようなもんだな。

 所持品を見せろ、とは強要されなかった。

 パスポートも金も肌身離さず、持っていたかいがあった。

 しかし、いつになったら質問してくる男と二人きりになれるのだろう。

 了は補導課の片隅のいすに座って、ひとりごちた。

「ああ? なんだって?」

「なんでもないです」

 男は40半ば、白髪の交じった髪を乱暴に横分けしている。清潔感あふれる、といった印象はない。

「だから、名前くらい言いなさいよ、家出してきたんでしょ? 家出は犯罪じゃないんだからさ」

 そりゃそうだろう。家出くらいで前科がついたら、こっちがたまらない。

 もう10分以上おなじ質問を繰り返しているのだ。

 了は、もう限界かも、と、

「トイレ」

 男はキョトンと了を見やった。

「ト・イ・レ」

 了ははっきり言ってやった。

「あ、ああ、行ってもいいが、ついて行くからな」

 つれション? 

 了の表情を読み取って、

「これもお仕事なんだから、しようがないでしょ」

と、男は了をトイレに連れて行った。

 トイレにはだれもいなかった。

 チャンス到来!

 了はすかさず、後ろに立つ男に飛び掛かった。

「!」

 叫び声さえ上げさせなかった。

 男はトロンとした目付きで、了を見やった。

「藤堂を知ってるか?」

 男は頼りなげにうなずいた。

「案内できる?」

「いや、藤堂さんとはじかに話をしたことがないんだ……」

「だけど、署内のどこにいるかは分かるだろ?」

 男は困った顔をした。

「あの人のことは上の人間しかしらないんだよ」

「だれかに聞けるか?」

 男はうなずいた。

 二人はトイレを出た。

 今度は男が先頭に立っていた。

 男はほかの部署へ行き、自分の知り合いを呼び出した。

「よぉ、どうした?」

「なぁ、話題の人はどうした?」

「帰ったよ」

「え? 国に?」

「いやいや、ほらあの人、実家がここだろ?」

「ああ、実家か……」

「なんだよ、藤堂さんがどうかしたのか?」

「いや、ちょっと気になって……」

「?」

 了は戸口に隠れて、この会話を聞いていた。

 あぜんとしたのは言うまでもない。

 藤堂は栗栖を連れて、教会に逃げ込んだのだ。

 冗談じゃなかった。

 了は男から荷物を返してもらうと、警察署を出た。

 空は晴れ切っていたが、スモッグで星はほとんど見えない。

 了は寒くもないのに、背中を丸めて夜道を歩いた。

 もちろん、行く先は外国人街の教会。

 火事の日、神社の杜から見やった、あの教会だ。

 あのときは、こんなにも自分に関係がある建物とは思ってもいなかった。

 教会に逃げ込まれては、手も足も出ないじゃないか。

 了は唇が白くなるまで噛んだ。

 がむしゃらに教会まで駆けて行って、バーンと扉を開け放ってやりたかった。

 栗栖が、了の手の届かないところまで逃げれば逃げるほど、胸にドロドロとしたものがたまっていくように感じられた。

 火事のとき、扉の向こうの栗栖に感じた感情が、遠くからやってきそうだった。

 少しずつ、その一角が現れそうになる。

 栗栖、栗栖!

 飢えているんだ、俺は。

 了は思った。

 了の体に巣食う、ヴァンパイアの血が、栗栖を求めてやまない。

 了の脆弱な細胞では、とうてい長くヴァンパイアの血を養ってはいられないのだ。

 栗栖がいなければ、いつか了は自我もろとも獣の血に負けてしまう。

 栗栖、栗栖!

 血のせいだけじゃない。

 なぜ、信じてくれないんだ。

 なぜ、俺を傷つけるんだ。

 おまえにあこがれて、いつのまにかおまえを目で追い、おまえの言葉、おまえのすることなすことにときめきを感じた。

 心が破裂しそうだ。

 これは、なんという名の感情なのだろう?

 了は胸元をかきむしって、ため息をついた。

 教会は神々しく、目の前にそびえていた。

 寒々しい白いしっくいが、闇夜のライトに照らされ、青白く浮かんでいる。

 大きく、困難な障壁。

 これをかいくぐれ、と栗栖は了に要求しているのだ。

 栗栖は、まさに捕らわれのお姫さま状態。

 藤堂側から言わせれば、決してそうじゃないのだけど。

 了は教会の敷地に足を踏みいれた。

 ギリギリギリギリ!

「ギャッ」と叫んで、了は足を引っ込めた。

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