日常的な観察

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「物書きにとり観察は大切だ。ただ見るのではない。ねぶるように視て、隠れたところに疑問をぶつけ、脳内で必ずすべて描写する。その時に赤貝だあわびだとありふれたものではなく、自分のみだらさをかきたてるような新しい言葉を探すことだ。物書きは日常的に視姦するべきなのだ」


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■解説

 アーダルトは、毎日の生活の中でも自分が文学者であり、物書きであることを忘れない男だったようだ。

 朝起きてから寝るまで、いや下手をすると夢の中まで物書きとしてエロいことで頭がいっぱいだったのかもしれない。

 だからこそ、彼は偉大だったのだろう。


 この格言もその片鱗を感じさせてくれる内容である。

 彼は常に女性を見る……いや、視る時に脳内で姦淫していたのかもしれない。しかし、それはただエロいだけではない。常に視た情報を文章化して、脳内で描写して楽しんでいたのだ。

 それはある意味で天才的な才能と言えるだろう。


 もう少し深く切り込んでみよう。

 この格言では、大事なことがいくつも書かれている。


 まず、日常的に観察する癖をつけるということだ。

 毎日、酔生夢死で生きているのでは、物語は生まれない。

 何事もただ「見る」のではなく、「視る」ことで新しい発見――つまり話のネタを探せと言うことなのだろう。


 それをするコツとしてさりげなく書かれているのが、「疑問をぶつけ」である。

 つまり、なぜ? どうして? ホワイ? だ。

 物事をそのままに受け取るのではなく、そこにとことん、この言葉をぶつけるわけだ。


 例えば、スカートを視る。なぜスカートをはいているのか? その下にはなにがあるのか? パンツがあるならそれはどんな色や形なのか? その下には何があるのか? その神秘はどんな形なのか? くぱぁと音がするのか?

 だたスカートを視るだけで多くの疑問が生まれ、それだけ多くのネタとなり、後で役に立つオカズとなる。


 さらに、それを自分の言葉で表現する。

 自分なりの描写の練習になるというわけだ。


 少し話はそれるが、アニメや漫画、映画を見た時にそのシーンを文章に直すという訓練がある。

 これは描写力の練習になるのでぜひ試してほしい。


 ともかく、物書きを目指すならば、普段から舐るような視姦を忘れないことだ。

 むろん、そのせいで通報されても当局は一切関知しないので気をつけて行うようにしてもらいたい。

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アーダルト・ドエロスキーの格言 芳賀 概夢@コミカライズ連載中 @Guym

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