或ル洋館ノ悲劇

緑茶

或ル洋館ノ悲劇

 ある時代の物語。

 世界の悪意から身を守るため、とある私立学院に通う少女達は、街外れの洋館に立てこもった。

 無論、食料も生活用品も、何もかもを大量に携えて。半ば衝動的に、しかし確固たる意思のもとに始まったその籠城は、いつの間にか一つのコミュニティとして確立されるようになっていた。そして数ヶ月。


 そこは時の止まった世界だった。

 かつて、あらゆるものが彼女たちを虐げた。ある者は虐待され、ある者はその身体を弄ばれた。そして前提として、総ての者達は常に精神的な負荷を心の内側に抱えつつ生きてきた。誰もかれも、この世界の毒牙によって狼狽え、傷つき、そして崩れ去ろうとしていた。

 この洋館は、そんな少女達が人間らしい暮らしを営むための、最後の牙城だった。 ここなら誰も攻め入ってこない。誰も、悪意を及ぼすことはない。偏見と欲望に満ち満ちた総ての目から遠ざかり、誰かを犠牲にすることなく、互いを思い合う善だけが支配する世界を作り上げる。それが洋館を支配するテーゼだった。

 どれだけの季節が流れても、ここは6月のままだ。永遠に踊り、歌い、学ぶことができる、一つの隔絶された楽園だった。


 しかしある時。嵐の夜だった。


 誰もが皆普段通り、大広間でお茶会を楽しんでいた。

 壁面や床のそこかしこに蜘蛛の巣が広がり、使われなくなった建材が乱雑に転がるそんな場所だったが、気にならない。シャンデリアは一部分が欠けていても機能するし、テーブルクロスだって皺を伸ばせば簡単に使えた。

 ゆえに、お茶をくんで、皆で笑い合うという行動には何の問題もなかった。穏やかな時間があった。決して大声ではなくとも、皆お互いに声をかけて、なめらかな会話をしていた。一片の棘もない、凪のような刻があった。

 そんな中、ある一人の少女――ちびのコゼットと呼ばれていた生徒が、窓の外を見ていた。ひどい暴風雨が吹いていて、草原はわななき、雨風が割れかかった窓を何度も叩きつけていた。彼女の目はそんな情景に向けられている。

 誰かがふと、少し笑いながら「そんなに見て、一体どうしたの」と言った。すると彼女は抑揚の乏しい小さな声で答えた。


「誰かが、呼んでいるような気がするの」


 コゼットといえば普段からぼんやりとした少女であり、誰もが彼女のどこか浮ついた発言を真に受けないでいた。だからその時も、少女の一人が言ったのだ。あなたが見ているのは、ただの枯れ木に過ぎないわ、と。

 コゼットは振り返って、少し不満げな顔になった。

 そして、皆に反論しようとした。


 その時だった。

 轟音が室内に大きく響いたかと思うと、すべての照明が立ちどころにその明るさを失った。同時にひび割れた窓ガラスの無効から稲光が強烈に差し込んできた。どこかで茶器の割れる音がして、悲鳴が聞こえる。それから雫の垂れる音。

 ざわつきが広がって、明かりの消えた原因を探る声が木霊した。しかしそこで、もう一度稲光。

 そして今度こそ、大きな悲鳴が炸裂したのである。


 大扉が、開いていた。

 見ると、その向こう側に影のような一人の少女が佇んでいる。


 ゆらゆらと揺れて、その見た目は判然としない。変わり映えのしない一人の少女であることは分かる。だが、その姿を見て誰もが凍りついていた。

 一番年下のコゼットだけが何もわからないままキョトンとしていた。皆は顔を青ざめさせて後ずさっていく。

 影の少女はゆらりゆらりと前に進んでいく。

 コゼットもわけがわからぬまま皆の後ろに隠れる。そして誰かが言った。


「マディライン! 死んだはずじゃなかったの――!!」


 その瞬間。

 頭上のシャンデリアが落ちて、広がったテーブルクロスに飲み込まれた。

 衝撃で茶器は砕け散って一面に広がった。

 

 瞬間、皆が雪崩を打つように逃げ始める。

 コゼットは逃げ惑うものたちに押されて後方へと流されていく。

 影の少女は、全ての事象を意に介さぬかのように、ゆっくりと変わらぬ速度で歩く。その姿は外の轟音が閃くたびにゆらりと揺れて、まるで実態のないかのように動いた。

 皆、反対側の扉の外に逃げていく。コゼットもそれに続こうとしたが、室内に取り残された者達を見た。

 見てしまった。


 彼女たちは足を硬直させた。そして膝から崩れ落ちて、目を見開く。

 そのまま首元を押さえて口をかっと開き、舌を千切れるほど突き出す。彼女たちは影を見ていた。そのまま仰向けに倒れると、足をバタバタとさせてもがく。地獄のような声が口腔から溢れて、頭上のだだっ広い空間に広がる。影は彼女たちをじっと見ているようだった。影から伸びる何かが、苦しむ彼女たちに作用しているらしい。やがて彼女たちは――皮膚の上におぞましい疱瘡を大量に浮き上がらせた挙句、巨大な絶叫を響き渡らせた後、薄墨色の腐敗液を垂れ流しながら、肉と骨の累積に成り果てた。

 コゼットを含む他の皆は、その光景を目の当たりにしながら、雪崩れ込むようにして別の部屋に行った。


 別の広間に移動した生徒たちは扉に鍵をかけて蹲った。皆息を吐いてホッとした様子だったが、そこに明かりがつかない事を知って絶望した。シャンデリアは完全に壊れていたのである。

 外の嵐は更に強まる一方で、それが彼女たちをさらに暗澹たる気持ちへと仕上げた。

 皆が沈痛な面持ちで下を向いていると、何かを引きずるような粘着質の足音が聞こえてきた。――再び、恐慌がその場へと広がる。


 ドンドンドンドン。扉を叩く音と一緒に、喉に引っかかるような声が扉の隙間から漏れ聞こえてくる。皆は更に後ずさる。だが、もう逃げ場はない。よりによって彼女たちが選んでしまったのは、袋小路の部屋だった。

 何か超自然的なものが、彼女たちをそこへいざなったようだった。


「どうしてあの子が生きてるのよ!」

 誰かが非難するような口調で叫んだ。


「知らない、知ってるわけないじゃない……一体何のために私達を狙うの!?」


「恨んでるんじゃ、」


 音はさらに大きくなって、皆涙しながらお互いを抱きしめあっていた。動物が幼子を守るように。

 声は何かを誘い出す如く、徐々に緩慢な調子になって、人間の言葉のようになっていた。


「だって――だってしょうがないじゃない……私達は大人たちから逃げてきた……」


 誰かが叫ぶ。


「あの子を殺さなきゃ、私達平和に暮らせなかったのよっ!!」


 すると皆、そこで起きた変化に気づいた。


 コゼットが唯一人、扉の前に向かっていたのである。


 皆一瞬黙り込み、彼女の行動の違和を認めた。何をする気だろう。彼女の目は茫洋とした光のないまなこになっていて、その足取りはさながら操り人形のように浮ついている。まるで夢でも見ているかのように。

 彼女は扉の目の前にくると――そのドアノブの鍵に、触れようとした。


「コゼット!!何をしているの――戻りなさい!!」


 一人が叫んだが、恐怖で身体がすくんでいたために止めに行くことが出来なかった。誰も彼もがコゼットを止めようとしていた。


 彼女は振り返った。その表情は――笑顔に、張り裂けていた。強烈な振動とともに、雷が室内に放射され、コゼットの顔は白く染まった。死人のように。


「呼んでる。次は、わたし。次に死ぬのは、わたし。わたしがしんで、世界が守られる――そうよね?みんな」


 コゼットはそう言って、行動を起こした。止める暇などなかった。誰も動けなかった。彼女は扉を開けた。



 間もなく、影の少女は現れて、死の洪水が室内に押し寄せた。その後ろには、既に事切れた無数の者達の堆積があった。

 そして少女達の全ては、みな一様に、ひとつの世界へと飲み込まれていった。

 悲鳴を上げることが出来たのは、誰も居なかった。誰も、誰も。

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