コーカサスオオカブトの主張

高羽慧

コーカサスオオカブトの主張

 コーカサスオオカブト。昆虫綱コウチュウ目カブトムシ亜科の虫をご存じだろうか。


 普通は知らない。

 デートの誘い文句に使う予定ならば、やめた方がいい。


 だが、ここでは敢えて、語らせてもらおう。

 長い角を三本持ち、アジア最大の昆虫とされる我々は、子供には人気を博している。

 そのため、コーカサスをアジアと誤解する者もいるが、それは我々の責任ではない。文句があるのなら、東南アジアをコーカサスと呼称する運動を起こすべきだ。


 三本の角は、それぞれが崇高な理念を象徴している。

 右角は自由、真ん中が博愛、左角が平等。


 ドラクロワは、フランス七月革命を題材に「民衆を導く自由の女神」を描いた。

 その絵の女神は右手に三色の国旗を持ち、左手に三本角のコーカサスオオカブトを握る。非常食にするつもりだ。


 鎌倉時代には、日本の子たちの間でも我が仲間は愛でられ、この世の春を謳歌する。

 ただ、小さい者は、時に残酷である。

 コーカサスオオカブトに相撲を取らせることに飽きた子は、ただ自身の嗜虐性を満足させるために、我が同族を傷付けた。

 角を折ったのだ。


 最初に右角を。

 翌日、左の角を。

 さらに次の日、真ん中の最後の一本をへし折られると、コーカサスオオカブトは、コーカサスオオカナブンに貶められる。


 坊主頭のカブトムシモドキに、子は関心を失い、ゴミのように野に打ち捨てられた。

 これが三日で坊主頭、三日坊主の語源である。


 話が逸れ気味で申し訳ない。本題に移ろう。


 石、紙、鋏、この仇敵同士の戦いは、三つ巴と称される。

 しかし、我々は覚えている。かつては四者が、熾烈にその覇を争ったのだ。


 我が左右の角は、鋏を表した。

 中央角を加えると紙を示し、角を支える巨躯は石を体現する。


 卑怯だと罵られた。

 何を出しても、勝てないではないかと。


 仕方あるまい。虫の王は、生れついての覇者なのだ。


 とは言え、皆がコーカサスオオカブトしか出さなくなると、そこには千日手の無効試合しか残らない。そんなことを三日も繰り返せば、飽きてしまう。

 三本角の形は難易度が高く、指を攣らせる子供も続出した。


 かくして我々は禁じ手となり、人々の口にコーカサスオオカブトが上ることは無くなった。

 驕れる者は久しからず。ただ夏の夜のカブトムシの如し。


 三者が闘う時、どうか脳裏の片隅でいいので、かつての王者を思い出して欲しい。

 その角の表す革命理念も記憶しておけば、多少は試験で役に立つ。


 王は人の心の裡に、今も生きているのだ。

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