Every step we take Pt.3
再び走り出した時の運転は、普段の調子をやや取り戻したみたいだった。
「春休みはどうするの?」
「とりあえず一週間は家の手伝いに駆り出されそう。啓子は?」
「私も実家帰って、それから」
「それから?」
「実はね、教習所通おうかなって思ってる。っていうかもう予約してある」
「へえ」
「何?」
「いいと思う」
「就活とかでもあったほうが便利って言うし、取れるうちに取っちゃおうと思って」
これは本心だ。本心だけど、全部では無い。
「でもそれだったら大学の近くで受けたほうが良かったんじゃないの?」
「さすがにこっちの教習所へ通う勇気はないなー。道狭いし」
「だったら私が通ったところ紹介したのに。割引があった気がする」
「あー、そういう手があったか。まあいいよ。親にも少し出してもらったし。その代わりに実家帰ったときには運転手させられるんだろうけど」
サービスエリアを出て数十分、目的地最寄りのインターチェンジで高速道路を降りる。ETCの音声。
いかにも郊外、という風景を抜け、市街地へ入る。渋滞もなく、最後の経由地となるコンビニには、あっという間に着いてしまった。
ピコピコというウインカーの音。対向車はいないので、停止することなく対向車線を横切る。そのまま前方駐車。
シートベルトを外して、降りる準備。彼女自身に動きがないところを見るに、佳歩は降りる気がないらしい。
「飲み物、何がいい?」
「コーヒー」
了解、と小さくつぶやいて車外に出ると、横着して上着を着なかったことを後悔する。急ぎ足でガラスの押戸を開けばいつものメロディ。全国どこへ行ってもこれは変わらない。やけに耳に残る店内放送の方はあまり好ましく思えないけれど。
ホットドリンクの棚から小さいペットボトルを二本手に取る。私は緑茶、佳歩にはカフェラテ。他に何が必要かを考えながら店内を回る。
冷蔵の棚からおにぎりを掴んで、でもそのまま元の位置に戻した。この先の予定をどうするか決めてないし、必要になったらあとで買えばいい。その代わりにバータイプの固形食品を二種類カゴに入れた。
他にもいくつかカゴに入れて、会計をする。電子マネーで支払って、店を出る。
コンビニを出てからいくらも経たないうちに、目印の松原が見えた。信号を曲がって、木々の合間を縫うように走る細い舗装路を走る。
「ねえ、ほんとにここ入って大丈夫なのかな」
「さあ。でも規制の看板ないから平気なんじゃない?」
そうして、いくらもしないうちに、パッと目の前が開ける。辿り着いた駐車場は案外広くて、特に海水浴の時期にはとても賑わうらしい。
でも、この時期のしかも早朝に停まっている車はほとんどない。
家を出てから初めてエンジンが止まる。
よっ、と席を後ろに倒して、上着と、さっき買ったコンビニのビニール袋を回収する。
「横着しない」
そう言いながら佳歩は外に出る。後ろのドアを開けて、運転席の後ろに掛けたハンガーからコートを外して羽織う。そしてそのまますたすたとひとりで歩いて行ってしまう。
このクソサムい中よくあんなことをやれるなあと思いつつ、しっかりコートを着込んでから、私は車の外へ出る。そしてしっかりとドアを閉める。
ああ。
外に出た瞬間、暗くてよくわからないけど、眼の前はもう海だってわかる。
だって、こんなにも潮の香りが。
駐車場はそのまま砂浜に繋がっている。硬い地面から砂浜に移ると、足を取られそうになる。
先を歩いていた佳歩はひとりぽつんと砂浜に立って、先に渡しておいたペットボトルを傾けていた。まだ、なんとなくのシルエットしか彼女の姿は見えない。
はいこれ、と使い捨てカイロを差し出す。車を出る前に開封しておいたので、すでに多少は温まっている。
サンキュとだけ返ってきて、手の中の暖かさが半分になる。
「替えの靴持ってくればよかった」
「確かに。でもヒールじゃないだけいいよ」
そうして、しばらくの間、二人並んで、波の音を聞いていた。
「あーあ、私達もこれからどんどん忙しくなるのかな」
「そりゃそうでしょう」
「そしたら、この練習もおしまい?」
佳歩の相槌が返ってくるまで、何回か波が満ちては引いた。
「そうだね」
私は佳歩の方を向く。あたりはまだ暗くて、その表情は伺えない。
「私もだいぶ運転慣れてきたと思うし。若葉マークも外せたから」
そっか、と私は小さくつぶやく。
「免許を取ろうと思った理由、実はもう一つあってさ」
彼女に何を伝えればいいのか、ゆっくり考えながら口にする。
「佳歩に影響されたっていうか、私も乗れるようになりたいなーって、思うようになったんだ。佳歩にばっかり運転させてるのもちょっと嫌だったし。だから、練習が終わりなら理由が一つなくなっちゃうなって」
「別に、そもそも啓子の方が私に付き合ってもらってるんだから」
「そう言ってくれると思った。でも、そういう問題じゃないんだ」
そうしてまた聞こえるのは波の音だけになる。
周囲が徐々に明るくなっていく。とはいえ、私達は日の出を見にここへ来たわけではない。
そもそもこの砂浜は北向きだから、いくら待ってたって、水平線の向こうから日が昇ってきたりはしない。
「あのさ」
佳歩にしてはずいぶん固い声だった。次の言葉を続けるのを、ためらうかのように。
「ルームシェアしてもいいよねって話、あれまだ有効?」
ああ、そういうことか。私は、ようやく全てが繋がった気がした。
私達は、この話をするために、ここへ来たのだ。
少なくとも、佳歩は。
「いいよ。もちろん」
「よかった」
私の返答に、彼女がため息をついた。まさしく、安堵の一息といった具合に。
「そんな冗談を本気にされても、なんて言われたら立ち直れなかった」
「言わないってそんなこと」
そんな信用ない? って、私は苦笑いをする。
「じゃあまず部屋探さないとだね」
さっきよりは幾分落ち着いた声で、佳歩が言う。
やや意外な言葉に、あれ? とはてなマークが浮かぶ。
「いまの部屋じゃダメ? 実はさ、あの部屋ルームシェア可なんだけど」
彼女は、少し考えるようなふりをしてから。
「今みたいにたまに泊まるってくらいならともかく、ずっとプライバシーが無いのはちょっと嫌かな」
言われてみれば、もっともな話だった。時々なら楽しいことも、避けようもなく毎日続いてしまえば嫌にもなる。
「んー、まあそれもそうか。それならまず不動産屋さんに連絡? 引越しは荷物の量が決まらないと見積もりも取れないよね。あ、でも無理に春休み中にやることもないか。みんなが引っ越すタイミングだと値段も高いし」
「それより」
まくし立てる私を佳歩が遮る。
「他に考えることがあるでしょう」
「何? 親への説明? 何を今更って言われるだけだと思うけど」
「そうじゃなくて。今日これからどうするか。このあたりを回るか、それともどっか別のところへ行くか」
「ああ、そっか。ノープラン」
私は今の状況を完全に忘れてしまっていた。気づかないうちに、周囲はもうすっかり明るくなっている。耳に波の音が戻ってくる。
「このあたりに観光地何があるか調べてないや。海沿いに北へ向かうのも面白そうだけど、雪がどうかな」
「さすがにやめてよ? スタッドレス履いてはいるけど、チェーンないし」
「わかってるって。でもさあ、温泉泊まるのとかよくない? このあたりっていったらやっぱ蟹? かに、カニかー。いいなー、カニ。温泉。早めにチェックインできる宿に泊まってゆっくりするのもいいかもね。まあでもとりあえず」
私はくるりと後ろを向いて。
「モーニングでも食べながら決めよっか」
そう言いながら駐車場の方へと歩き出した。
「そうだね」
そして、私の後ろに砂を踏む音が続く。
軽く砂を払ってから車に乗り込む。流石に水を使う勇気はない。
バタン。
ドアを閉めても、まだ波の音が耳の中に残っている。
「ウェットティッシュあるけど使う?」
シフトレバー横のトレイに差しておいたビニールパックを差し出す。
「頂戴」
そうして、荷物を後ろへ追いやったりで、私達は再び走り出す準備をする。
シートベルトを締めたところで、私はひとついいことを思いついた。
「ねえ、ルームシェア、ひとつだけ条件つけていい?」
「何?」
佳歩が身構える様が手に取るようにわかる。そんな心配しなくてもいいのに。
「私の練習にも付き合ってよね? 運転」
彼女は一瞬驚いた顔をして。
「何言われるかと思った」
ふう、とはく息で彼女の緊張が緩んでいく。
「もちろん、いいよ」
私はやや意地悪く笑って。
「まーあ、佳歩お嬢様みたいに車をいただけるあてはございませんけど」
「その言い方やめて」
しばしの無言。
「貸そうか? この車」
「いやいやいや、こんな高い車いきなり運転する自信ないって」
「私は最初の車がこれだったけど」
「うーん、それでもやっぱり自分の物とそうじゃないものは同じに扱えない、かな」
「まあレンタカーでもいいよ。どっか行こう。あとで予定聞かせて」
「えっ、ちょっとまって、免許取って早々? 春休み中?」
私が騒ぐ声を無視して、佳歩の手がスタートボタンへと伸びる。
そしてまたエンジンは動き出す。
The Pulse of Your Heart sq @squeuei
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