第150話 アーカーシャの記録(上)

 目を開けると、人工的に掘られた岩の天井と周囲の壁が視界に飛び込んでくる。俺は、この岩室の中に置かれた粗末なベッドの上で眠っていたらしい。天井から吊り下げられたランタンの中で、光のオーブの光球がフワフワと漂っている。その光の動きに合わせ、殺風景な岩肌の凹凸に浮かび上がる影が、奇妙な形となって揺れ動く。


 たしか、俺は、バラクエルと刺し違えて……。ここは、どこなのだろう……? 俺は、助かったのか……?


 記憶を辿っても、それ以上のことがわからない。ただ、シトリア油田強襲作戦は、全体的に順調に進んでいた。予定通りに彩葉とデニス卿が製油プラントのエンジニアたちを救出し、また、キアラとエーギス隊がサンダルフォンを撃退したのだから。あの状況から、作戦が失敗するだなんて考えられない。いや、考えたくもない。


 彩葉やみんなは、無事なのだろうか? そして、今は、あの戦いからどれくらい時間が経ったのだろう……?


 推測しかできない今の状況がもどかしく、姿が見えない彩葉たちのことを思うと、不安に押し潰されそうになる。気を失っていた俺が、みんなを心配できる立場ではないのだけれど……。


 とにかく、目が覚めた以上、いつまでも寝ているわけにいかない。


 俺は、上半身を起こそうとベッドに右手をついた。しかし、思うように力が入らない。それどころか、少し動いただけなのに、鳩尾あたりに鋭い痛みが走り、血の気が引くような激しい眩暈に襲われた。


「うっ……」


 俺は、予想していなかった眩暈と激痛に耐えきれず、思わず呻き声を漏らしてしまった。


 この鳩尾の痛みは、バラクエルの膝蹴りを受けた打撲傷だろう。あの時、すぐにバラクエルを仕留めていれば、奴の強烈な一撃を貰うこともなかったはずだ。これは、少しでも情報を聞き出そうと、バラクエルに話し掛けた俺の油断が招いた結果だ。


「気が付いたのですね、ハロルド。体の具合は、いかがですか?」


 突然、俺を気遣うエコーが効いた女性の声が、ベッドのヘッドボードの裏側から聞こえてきた。


 この独特な声の主は、人型のオートマタに聖霊を宿す星光の天使ティシュトリヤに他ならない。ティシュトリヤは、その場で立ち上がり、仰向けで横になる俺を覗き込んできた。どうやら、俺がティシュトリヤに気がつかなかっただけで、彼女は、始めからヘッドボードの裏側にいたらしい。


「体を動かすと眩暈が酷く、気分は最悪です……。喋るだけで胸が……、すげぇ痛いし……。それよりも、教えてください。ここはどこで……、彩葉たちは、無事……、ですか?」


 俺は、痛みを堪えながらティシュトリヤの質問に答え、そして、俺からも彼女に質問を投げかけた。呼吸をしたり会話をするだけで胸部に激痛が走る。この痛みは、肋骨が何本か折れているのかもしれない。


「ハロルド、無理に声を出さず、冷静に聞いてください。ここは、王都の鷹の活動拠点である、メザテ銅鉱内の救護所です。私たちは、昨日のシトリア油田の戦いで、第四帝国の製油所の機能を停止させ、闇属性のルーアッハを回収し、そして、サンダルフォンを討つという大きな戦果を挙げました。当方の被害状況は、重傷を負ったあなたを除けば、エーギス隊に軽症者が三名出た程度で済んでいます。他の方々は、あなたが思慮する彩葉を含めて、全員無事ですから安心してください。その彩葉は、つい先ほどまであなたの隣にいたのですが……。今は、シェミーや他の方々と共に、毎夜開催される王都の鷹の定例軍議に参加しているところです」


 ティシュトリヤは、穏やかな口調で、俺が意識を失っていた間の経緯を噛み砕いて説明してくれた。その説明のお陰で、俺たちが全員無事に目的地に到着できたことと、そして、今がシトリア油田の戦いから丸一日経過した、二月十一日の夜であることがわかった。


「彩葉たちの無事がわかって、ひとまず安心しました……。それに引き換え、俺は……。バラクエルと無駄話などせずに、すぐに仕留めておけば……。アイツが竜の力を使う前に、倒せたと思う……。俺が油断したせいで、みんなに迷惑を掛けてしまった……」


 俺は、彩葉とみんなの無事を素直に喜びつつも、それと同時に、状況の進展に焦りを覚えた。王都の鷹の人たちに挨拶すらできず、軍議が開かれている中で一人眠り続けていたかと思うと、情けなさと悔しさで居たたまれなくなる。


「昨日の戦は、私たちの役割が事細かに、シェミーの指示で決められておりました。その中で、あなたに課せられていた負荷は、サンダルフォンの討伐以上に大きかったはずです。闇属性のルーアッハの回収は、あなたの功績そのもの。責任感が強いあなたが、焦燥感に駆られる真理はわかります。ですが、そのような時こそ、冷静になることが大切です。あなたが今すべきことは、しっかりと静養し、最後のルーアッハの回収のために、マナを回復させることなのです」


 ティシュトリヤは、言葉選びが本当に上手い。焦る俺の気持ちは、彼女の言葉に救われてすぐに解消された。ティシュトリヤは、異形な姿をしているけれど、どの天使よりも天使らしく感じる。


「ありがとう……、ございます。ティーの言う通りですね。少し救われました……」


「礼には及びません。ハロルド、喋ると痛みを伴うなら、アートマを使用してください。私も迂闊でした。あなたが目覚めた時に、私からアートマで語り掛ければ良かったですね……。あなたの体内のマナは、シェミーと私が交代で付与し続けていましたので、アートマが使用できるまでに回復しているはずです」


 ティシュトリヤは、そう言いながら彼女の左腕から延びる、細い半透明状の管を俺に見せた。その管を辿ると、三方活栓のような形状の結合部を介し、その先に延びる管が俺の左手の甲に埋め込まれていた。


 何だよ、これ……。


 痛みや違和感が全くなかったので、今まで気が付かなかった。見た目の違和感があるけれど、これは、輸液ラインのように見えなくもない。


(この管は、輸液……ですか? その輸液で、俺にマナを?)


 俺は、右耳に装着したままにされたアートマに右手を添え、ティシュトリヤに意思が届くよう念じた。


 なるほど、これなら、痛みを伴わずに意思の疎通が図れそうだ。


(はい。呪法の使い手は、減少したマナを体内で自己生成する能力があります。しかし、一度マナが枯渇すると、術者の意識と共に、その能力が長時間失われてしまうのです。枯渇したマナは、他の術者の体液を分け与えることが最も早い回復方法です。ですから、シェミーと私が、直接あなたにマナを与えていたというわけです。この輸液の媒体は、私の聖霊が宿るコアを満たす保護液ですが、あなたの血液と同じ主成分で組成されています。抗原抗体反応や副作用はありませんから安心してください)


 オートマタの保護液が俺の体内に……?


 成分が俺の血液と同じなら大丈夫なのだろうけど……。


 まさかとは思うけど、シェムハザまで、俺に輸液を……?


 これ以上、考えるのはやめよう……。気持ちが悪くなってきた。


(な、なるほど……。マナの枯渇で意識がなくなるだなんて、初めて知りました……。シェムハザの奴、そういう大事なことを、いつも言ってくれないんですよね……。昨日の作戦もそうです。アイツは、星読みを使って俺たちに指示を出していたのだから、俺がこのザマになることも知っていただろうに……。未来を知っている癖に、いつも言葉が足りないんです。だから、アイツの言葉は、いつも腑に落ちなくて……)


 俺は、ティシュトリヤ問いに答えながら、彼女にシェムハザに対する不満をぶつけた。


(たしかに、シェミーは、昔から多くを語ろうとしません。そのせいで、誤解を招き易いのですが……。ただ、そのことは、シェミーの性格に問題があるわけではないのです)


(それじゃ、アイツの『言葉足らず』は、どんな理由があるというのです?)


 俺は、はっきり言って、目的のために手段を選ばないシェムハザを完全に信頼していない。それでも、ティシュトリヤの答え次第では、もう少しアイツのことを信頼してもいいように思えた。何しろ、良識のあるティシュトリヤが、シェムハザを必死でフォローしているのだから。


(ヤハウェがシェミーに与えた使命は、およそ千五百年周期で訪れる厄災の度に、星読みで観測した未来の情報を、選抜したアストラ・ヒアに成り得る属性八柱に提供することです。シェミーは、竜戦争の終結から今日に至るまで、その使命を全うし続けております。ここまでは、ハロルドもご存じですね?)


(えぇ、シェムハザ本人から直接聞いています)


 俺は、ティシュトリヤに頷いた。


(ここからが本題となります。シェミーは、その気が遠くなるような時間の中、たった独りで、幾多にも分岐する未来を観測し続けています。その数は、宇宙に輝く星と同じように、数えられる量ではありません。それ故に、シェミーは、過去に観たことがある星読みの結果と類似した未来を観測すると、記憶に混同が生じ、正確な情報を伝えられなくなるのです。シェミーは、それが理由で予測的な発言を控え、確実に伝えられる情報だけを伝えるようにしているのです)


 俺は、ティシュトリヤの話を聞いて、シェムハザの『言葉足らず』に納得した。そして、長い孤独の中で自らの使命を担い続けるシェムハザに少し同情した。


 未来は、今を生きる人たちの行動次第で、様々な結果に向かってゆく。シェムハザは、その多岐に渡る全ての未来の結末を、たった独りで観続けている。シェムハザは、都合の良い未来へ進むために、どれだけの数のバッドエンドを観て来ているのだろうか……。


 もしも、俺がシェムハザの立場だったら、間違いなく頭がおかしくなっていると思う。


(それならそうと……、正直に最初から伝えてくれれば……。とりあえず、シェムハザの『言葉足らず』は、記憶の混同による誤報防止ってことですか……。まだ腑に落ちない点もありますけど、もう少しシェムハザを信頼してみようと思います)


(本当ですか?! きっと、シェミーも喜びます。シェミーは、あなたに信頼されていないことを気にしていましたから……)


 ティシュトリヤは、俺の言葉に声を弾ませて喜んでいる。


(は、はぁ……。でも、俺は、今までと同じ距離で接するつもりです。突然親しくするのも変ですし……)


 シェムハザを信じると言っても、それは、厄災を阻止するまでのこと。俺は、厄災を阻止した後まで、シェムハザと仲良く行動するつもりなどない。俺には、ラミエルの聖霊を引き継ぐために、彼女と交わした契約があるのだから。


 そう、シェムハザが十万年以上に渡って守護してきたを討つという契約が。


 呪われた運命を背負わされた属性八柱の怒り。ルーアッハに聖霊を封じられたアヌンナキの嘆き。そんなことが、厄災の度に繰り返されている現状。それもこれも、俺がラミエルと交わした契約を果たせば、真竜王アジ・ダハーカの『呪怨』から解放され、アストラと属性八柱の存在意義が共に消滅することになる。


(どうされました、ハロルド? 何だか顔つきが険しくなっていますよ?)


 俺は、ティシュトリヤに指摘されて我に返った。いつか、シェムハザと敵対する可能性がある以上、俺とラミエルの契約をティシュトリヤに悟られるわけにいかない。


(あ……、そ、そうですね……。氷属性のルーアッハを回収すれば、いよいよアストラを起動させる時が来るのかと思いまして……)


 俺は、咄嗟に思いついた当たり障りのないことを言って、その場を誤魔化した。


(最初のルーアッハの回収から、二ヵ月以上が経過していますから……、急ぐ必要があると思います。ルーアッハに封じた聖霊は、時間の経過と共に徐々にを失います。やがて、完全にが失われると、ルーアッハの聖霊は、次元を超えて幽世かくりよへ向かってしまいます。ですから、そうなる前に、アストラを起動させなければなりません)


(もし……、そのリミットに間に合わなければ、どうなりますか?)


(失われたルーアッハの数に応じ、カタストロフの門からレプティリアンが降臨してしまうでしょう。彼らは、人知を超えた異形の姿で現れる怪物。もしも、彼らが地上へ降臨すれば、空が炎に包まれ、大地が引き裂かれ、岩をも薙ぎ倒す暴風と全てを呑み込む大波で、テルースとアルザルで生きる多くの生命が、彼らによって奪われてしまうでしょう……)


 レプティリアン……。


 その存在は、トロルやゴブリンなどの妖魔族がと崇める、彗星ニビルに巣食う忌まわしき生命の敵。ティシュトリヤの話を聞いただけで身の毛もよだつ。


 そんなヤバい奴を、絶対に地球とアルザルに降ろすわけにいかない。そのために、属性八柱である俺がアストラを使ってカタストロフの門を破壊する。それが、シェムハザのシナリオ。


 ところが、渦中の俺は、アストラの扱い方やカタストロフの門の詳細について、何も教えられていない。厳密に言えば、シェムハザやアナーヒターに尋ねても、『時が来れば』と適当にはぐらかされてしまう状態が続いている。恐らく、俺が今そのことを知ると、シェムハザにとってプラスにならないことなのだと思う。


(そんな奴、絶対に地上に降ろすわけにいかない……。そうだ! ティーは、たしかアナーヒターと同じ、元属性八柱の二次的なアヌンナキでしたよね?)


 ティシュトリヤと二人だけという今の状況は、厄災の真相やアストラについて詳しく知るチャンスかもしれない。


(あなたの仰る通りです、ハロルド。もう、遥か昔のことになってしまいましたが……)


(単刀直入に質問します。俺は、アストラやカタストロフの門について、その名前くらいしか知りません。アストラの形状や使い方は、かつて、厄災を振り払ったティーなら知っているはずです。シェムハザとアナーヒターは、俺が尋ねても教えてくれませんでしたが……。俺にだって、心の準備もありますし……。だから、お願いします。もう少し、詳しく教えて頂けませんか?!)


 ティシュトリヤは、俺の質問に返事をせずに、俺をジッと見つめたまま黙り込んでいる。


 しばらく沈黙が流れた。


 ティシュトリヤは、シェムハザとアートマで直接交信し、その判断を仰いでいるのだろうか……。


(ま、まぁ……。無理ならいいんです。シェムハザが言うように、近いうちにわかることでしょうし)


 俺は、無言が続く状態に耐え切れず、黙ったままのティシュトリヤに、先ほどの質問を取りやめる旨を伝えた。


(そうですね……。ごめんなさい、ハロルド。今は、あなたの質問に答える時ではありません。今は、もうひと眠りして、マナの回復を優先させてください)


 やはり、ティシュトリヤもアナーヒターと同じように、シェムハザに口止めされているのだろう。


(わかりました、ティー。無理を言って申し訳ありません。もし、その時が来たら、よろしくお願いします)


 俺は、ティシュトリヤから情報を得ることを断念した。


 すると、その時である。


 俺からの質問を拒否したばかりのティシュトリヤが、アートマを使わずに、機械仕掛けので語りかけてきた。


「ハロルド、先ほどのあなたの質問について、改めてお答えいたします。今からアートマを使わずに、私の質問に直接お答えください。その際は、無理に声を出さず、首の動きだけで構いません。よろしいですか?」


 俺は、ティシュトリヤの意味深な発言に脅かされた。深く被った白いフードの中に、人間の女性を模したティシュトリヤの仮面が垣間見れる。俺の思い違いかもしれないけれど、その仮面の目元が、微かに光っているように感じる。


 ただ、今の俺に選択肢はない。俺は、ティシュトリヤに言われるがまま頷いた。そして、俺の返事を確認したティシュトリヤは、俺を見つめたままゆっくりと話し始めた。


「ハロルド、婉曲的な言い方でごめんなさい。アストラに関して、アートマを使って答えるわけにいかなかったのです。なぜなら、アートマの通信は、軍議に参加しているシェミーや私たちと別行動をとるミトラに聴かれている可能性が高いからです。私もアナと同様に、アストラとカタストロフの門について、あなたに伝えぬようシェミーから指示を受けていましたが……。今は、この岩室に二人だけ。私とあなたの通信が彼らに監聴されていたなら、私がシェミーから疑われることはないでしょう」


「どういう……、こと……ですか?」


 俺は、胸部の痛みに耐えながら、ティシュトリヤの言葉の意味を、彼女に直接質問した。


「そのままの意味です。この際、茶番抜きで話しましょう、ハロルド。……いえ、雷天使ラミエル」


 ま、まさか、そんな……。


 ラミエルの名を呼んだティシュトリヤは、の秘密の契約を知っているのだろうか?!


 冷静に考えれば、ティシュトリヤ自身も、かつて聖霊と契約を交わし、二次的なアヌンナキとなった元属性八柱。それを思慮すれば、聖霊との契約が存在することや、知っていても不思議な話ではない。


 意図的にシェムハザたちにアートマの通信を聞かせ、安心させたところを欺こうとするティシュトリヤ。ベールを脱いだ星光の天使は、どう考えても巧妙な策士だ。


 最も天使らしく思えていた彼女は、本当の味方なのか……。


 それとも、敵なのだろうか……。

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黒鋼の竜と裁きの天使 やねいあんじ @anjyanei

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