第149話 シュオル監獄(下)

「アリゼオに駐屯する第四帝国のSSシュッツシュタッフェルの兵数は、三個師団からなる約二千五百余名。一方で、アリゼオ内で活動する全てのレジスタンス組織の頭数は、SSの数を上回るものの、実戦経験を持たない民間人が中心。その状況は、この王都の鷹も同様ということですね?」


 軍議が続けられている小部屋内に、双方の戦力を確認したヘニング少佐の声が響き渡る。


「はい、その通りです。私たち王都の鷹は、アリゼオ内で活動するレジスタンス組織の中で最大の勢力を誇ります。しかし、千五百名を超える構成員の殆どが、王都アリゼオで暮らしていた平民層の商工業者やティルベア平原で戦死した軍属の妻子など、戦闘経験を持たない一般庶民です。事実上の戦力は、アリゼオ王国の軍属だった者が約百三十名と四十五名の国防軍の方々。お恥ずかしいことに、民間人からの志願兵を合わせても、三百名に満たない状況です」


 悔しそうに肩を震わせながら、イーファさんがヘニング少佐に答えた。レジスタンス側に戦闘要員が少ない理由。それは、先のティルベア平原の戦いで、アリゼオ王国軍が武装親衛隊の近代兵器に敗れたことにある。


「漠然とですが、アリゼオ情勢が把握できました。しかし、マンシュタイン大佐。ティルベア平原の戦い以降、よく十倍近い戦力のSSを相手に、ゲリラ戦を二ヵ月間も続けられましたね……」


 クラッセン軍曹が、感心した様子でマンシュタイン大佐に尋ねた。クラッセン軍曹の発言は、私も同感だった。ティルベア平原では、三万を超えるアリゼオの正規軍が、僅かな時間で壊滅した話をイーファさんから聞いたばかりなのだから。


「それは、奴らも我らと同じく疲弊している証拠だ。SSに従軍する諜報員からの報告によれば、連中は、アリゼオ制圧後に一気に西フェルダート各地を平定したことで、所持する弾薬が枯渇状態にあるらしい」


「なるほど。SSの無能な上層部は、派手好きな奴が多いっすからねぇ。圧倒的なを見せつけた半面、アリゼオ内のレジスタンスを掃討する余裕がないってことですかね」


 クラッセン軍曹は、マンシュタイン大佐の回答に頷いた。たしかに、いくら強力な兵器を所持していても、弾薬に制限があるなら、第四帝国が王都内のレジスタンスの拠点を制圧できない理由が納得できる。


「現時点に限られる話だがな。当面の間、奴らが銃火器を惜しみなく使用してくることはないだろう。だが、油断はできぬ。SSは、有識者を集めて火砲弾薬の精製を試みているからだ。ただ、アルザルで地球の兵器を製造する行為は、天使猊下らが定めた禁忌のわざ。SSの行為は、猊下らの法に触れると思われますが……。如何でしょうか、ティシュトリヤ猊下?」


 マンシュタイン大佐は、天使たちが定める禁止事項について、小部屋の片隅で私たちの軍議を見守っていたティーに回答を求めた。


「あなたの仰る通りです、マンシュタイン。そのことに関連することで、私から皆さんに報告しておかなければならない朗報があります。つい先ほど、私たちと別行動をしているミトラから届いたものですが……、これをご覧ください」


 ティーは、そう言うや否や、二メートル四方の半透明のパネルを何もない空中に作り出し、そのパネルにシュメル語で書かれた文字を映し出した。残念ながら、私は、シュメル語の読み書きができないので、何が書かれているのかわからない。


「えーと……。パワーズのアヌンナキたちは、監視者ザフキエルにより堕天と認定された。その罪状は、禁忌に触れた第四帝国の行為の黙認と執拗な擁護。並びに、サンダルフォンの暴挙によるグリゴリの活動の妨害。彼らケルビムは、世界の秩序を乱す堕天を討つべく、グリゴリに協力することを決意した。……ティシュトリヤ、この文章を読む限り、テルースの天使たちが、あなたたちグリゴリに加勢してくれるということ?」


 アスリンは、シュメル語が読めない私やキアラにわかるように、声に出してパネルの文字を読み上げた。そして、そこに記載されていることが事実なのかティーに尋ねた。


「はい、その通りです。現在、ミトラとアナは、接触を求めてきたザフキエルの元へ向かっています。また、ザフキエルからの報告を受けた創造主ヤハウェは、ラファエルらが逃走しないように、パワーズが所持するヴィマーナを停止させるようです」


 ミトラとアナーヒターが、ザフキエルと合流すれば、本当に第三勢力の天使たちがグリゴリに加勢してくれることになる。


「すると、堕天と認定された大天使らは、退路を失ったということになりますね」


 ヘニング少佐が、意味深にラファエルたちの逃げ場がなくなったことを強調した。


「ヘニング。何か思うことがあるなら、遠慮せず言ってくれ」


 マンシュタイン大佐が、ヘニング少佐に意見を求めた。


「承知しました。と全天使を敵に回したパワーズの天使たちと、弾薬が残り僅かとなったSSの連中。彼らは、一見優勢なようで確実に追い詰められております。恐れ多くも、仮に自分が堕天使ラファエルの立場であれば、ケルビムの天使やヴァイマル帝国本土から国防軍の増援が到着する前に、厄災の襲来を確定させて、を討つという目的に全力を注ぐでしょう」


 厄災を確定させる?! ヘニング少佐は、いったい何を……?


「お待ち下さい、少佐! 少佐は、大天使ラファエルらが、アリゼオ大聖堂に祀られているアストラを破壊すると、そうお考えなのでしょうか?!」


 キアラが、納得がいかなそうな表情でヘニング少佐に問い質した。それもそのはず。キアラは、ハルと同じく呪われた運命を背負う属性八柱の一人なのだから。アストラを失うようなことがあれば、たくさんの犠牲と皆の努力が報われなくなる。


「アストラは、アリゼオ大聖堂の地下で厳重に保管されています。聖堂の地下へ赴くにも、一人の属性八柱のが、他の七つのルーアッハを所持した状態でなければ立ち入ることができません。つまり、アストラを破壊することは、事実上不可能です」


 ティーは、首を横に振ってキアラの指摘を否定した。アストラを破壊できないことを知って、安心したのも束の間。ヘニング少佐の口から、とんでもない言葉が発せられた。


「アストラを破壊できなくても、もう一つ方法があります。フロイラインたちの前で言い難いが……。彼らが、ハロルド君を討てば……、どうなると思う?」


 ハルが……、殺され……る……?


 私は、頭の中が真っ白になった。私の胸の奥にの高揚感が沸き立ち、体がガクガクト震え、口元が引き攣るように綻んでしまう。ハル以外の属性八柱は、覚醒を遂げ、ラファエルらに加担している氷天使クロセルしか残っていない。つまり、ハルにもしものことがあれば、ヘニング少佐が懸念した通り、一巻の終わりということ。


「それは、私が絶対に阻止します! 私たちは、未来を知るシェムハザの助言で、これまで幾度も強敵を撃退してきました! 今回だって……、きっと……。たとえ、この命に代えても、私が必ず彼を守ります!」


 皆の視線が、覚悟を言葉にした私に集まっていた。そして、すぐに私の顔を見た王都の鷹の重鎮たちの表情が変わってゆく。竜族独特の感情から現れる、私の不自然な表情に嫌悪感を抱いたのだろう。ドラゴニュートは、凶悪なバケモノ。それがこの社会の常識なのだから、仕方がないことなのだけど。


「属性八柱の少年を守りたいという、黒鋼のカトリの強い意思。それについては、本当によく伝わってきます。ただ、ティシュトリヤ猊下。失礼を承知の上での質問となりますが、よろしいでしょうか?」


 イーファさんは、鋭い視線で私を凝視したまま、ティーに質問を投げかけた。初対面の人が、私に向けるこの視線。憎悪に満ちた目で睨まれると、胸の奥が締め付けられるように痛い。


「イーファ。私に畏まらず、何なりとどうぞ」


「はい。私たちは、メザテ銅鉱に到着したばかりのティシュトリヤ猊下から、黒鋼のカトリについて聞いております。たしかに、猊下が仰ったように、彼女は、意思をお持ちのようですが……。しかしながら、彼女は、ご覧の通り感情を制御できずに、髪と尾を逆立てて、今にも暴走しそうな勢い。私たち王都の鷹は、五日前のシュオル監獄の調査時に、そこで遭遇したドラゴニュートによって、甚大な被害を受けたばかり。猊下を疑うわけではありませんが、彼女が帝国の諜報員でないと断言できますでしょうか?!」


「イーファさん、今の発言を取り消してください! いくら何でも、彩葉さんをスパイ呼ばわりするだなんてあんまりです! 彩葉さんは、第四帝国の陰謀に巻き込まれたことが原因で、望んでドラゴニュートなったわけではありません! 死天使アズラエルを討った彩葉さんを信頼できないということは、私たちを信頼して頂けていないことと同じです!」


 イーファさんの言葉が終わると同時に、キアラが血相を変えて彼女に食って掛かった。キアラの反応を見たデニス卿も、黙ったまま私とイーファさんの間に移動した。たぶん、彼は、何かあれば私を庇おうとしてくれているのだと思う。


 私は、私を庇ってくれたキアラとデニス卿を嬉しく思う反面、小部屋内の空気がピリピリした雰囲気に変わりつつあることに焦りを覚えた。それに、イーファさんが言ったシュオル監獄のドラゴニュートが気になる。最後の属性八柱のクロセルがいるのだろうか? いずれにしても、この場の重い空気をどうにかしないと……。


「ま、待ってください! 私のことで、険悪になられても……、困ります。え、えーと……。そ、そうですね……。私は、ご覧の通り、ドラゴニュート。姿だけじゃなく感情も……、人間だった頃と変わってしまった部分もあります。皆さんの常識では、ドラゴニュートは凶悪なバケモノ。初めて会う私を……、いきなり信頼して頂く方が難しい……と、思いますが……。私は、理性を失って暴走したりしません! ですから……、大丈夫です!」


 あぁ……。大事な場面だというのに、緊張して上手く言葉が出てこなかった。この場にハルがいたら、『何やってるんだ』という目で見られていたと思う。


「落ち着いて、イーファ。白状すると、私も初めて彩葉に出会った時に、トロルよりも怖くてその場から逃げ出したくらい。でも、彩葉は、思いやりがある優しい人間の女の子。彩葉と私の発言に嘘偽りがないことを、風の精霊とレンスター家に誓うわ」


「ご理解いただけましたか、イーファ? 彩葉の心は、普通の人間と変わりません。あなたの不安を解くためにも、彼女が第四帝国の諜報員でないことを断言いたしましょう」


 アスリンとティーが、満足に答えられずにいた私をフォローしてくれた。トロルよりも怖いって、ちょっと酷い気もするけど……。


「承知しました。黒鋼のカトリ、ご無礼をお赦しください……」


 イーファさんは、私に深々と頭を下げてきた。正直なところ、皆の前で謝罪されても対応に困るのだけど……。


「あぁ……、本当にお構いなく……。私、初対面の人からの誤解に、慣れていますから……。それよりも、先ほどイーファさんが仰った、シュオル監獄のドラゴニュートというのは……、ドラッヘリッターの属性八柱のことでしょうか?」


 私は、イーファさんの気遣いを断りながら、シュオル監獄のドラゴニュートについて尋ねた。すると、イーファさんではなく、ギルフォードさんが彼女の前に出て私の質問に答えた。


「いや、残念だが、君たちが求めている属性八柱のドラゴニュートではない。シュオル監獄にいたドラゴニュートは、意思を持たぬ狂戦士の集団だ」


 ドラゴニュートの集団?! まさか、シュオル監獄は、ファルランさんのような、亜竜の血を飲んだ人が捕らえられている牢獄だというの?!


「ギル、どういうことなの?!」


 アスリンが、ギルフォードさんに質問した。


「まぁ、聞いてくれ、アスリン。シュオル監獄は、アリゼオ中心部の地下にある古い牢獄でね。アリゼオ王朝時代は、重犯罪者が投獄されていた牢獄で、誰も近づこうとしない陰鬱な場所だった。だが、つい数日前に、アリゼオが制圧された際に、消息不明となっていた王国家の重鎮たちが、シュオル監獄で投獄されているという情報が流れ込んできたのさ。囚われている王家の重鎮たちを救出すれば、レジスタンス組織だけでなく、アリゼオ国民の反骨精神が高まる。そこで、俺たち王都の鷹は、情報の真相を確かめるために、俺のロシュ隊とイーファのスゥーム隊、それから国防軍の少数の精鋭部隊で、シュオル監獄の調査へ向かうことになった」


「そして、私たちがシュオル監獄の内部に潜入した時のことです。呪法の結界が張り巡らされていたのか、私たちに気づいた看守は、独房の扉を三つ開放して姿を消しました。すると、その直後に、それぞれの独房からドラゴニュートが出現し、私たちを目掛けて襲って来たのです。ドラゴニュートの身形みなりは、明らかに王家の近衛兵のものでした。恐らく、王家の重鎮たちの護衛だった近衛兵たちが、ドラゴニュート化したのだと思います。もちろん、私たちは、必死で抵抗しました。しかし、近接戦で彼らの身体能力に敵うはずがありません。持ち合わせた銃で、どうにか三体のうち一体のドラゴニュートを討つことができましたが……。死を恐れぬドラゴニュートを相手に、十二名の仲間が殺されてしまいました。結局、私たちは、監獄の入口より先に進めずに、撤退を余儀なくされています」


 ギルフォードさんの状況説明に続いて、イーファさんがドラゴニュートとの遭遇戦を説明してくれた。イーファさんの拳は、小刻みに震えていた。きっと、シュオル監獄の戦闘を思い出しているのだろう。


「看守が開けた独房から出現したドラゴニュート。つまり、敗軍の兵士を使った生体兵器ということですか……?」


 ヘニング少佐は、マンシュタイン大佐を見つめて、シュオル監獄のドラゴニュートについて尋ねた。


「ネオナチのことだ。その可能性は、十分考えられる。SSの連中にとって、これは、ホロコーストの延長なのか、堕天使どもの入れ知恵かわからぬが、生きた人間をドラゴニュートに変えて兵器化するなど狂気の沙汰。第四帝国のSSの幹部には、アーネンエルベに所属し、親衛隊隆起師団ドラッヘリッターの創設に携わったグローガー中将がいる。奴が、竜の血を所持していたとしても不思議な話ではないからな」


「なんということを……」


 マンシュタイン大佐の言葉を聞いて、キアラが肩を震わせながら地面を見つめて呟いた。


「もしも、奴らが、ドラゴニュートを兵器として実戦投入するつもりなら、銃火器に頼らずに、このメザテ銅鉱を襲撃できるというわけですか……。近い将来、この二択のうちどちらかを選択せねばならぬ時が訪れそうですな。メザテ銅鉱内の非戦闘員を守りつつ奴らをここで迎え撃つか、或いは、こちらからシュオル監獄へ出向くか……」


 ヘニング少佐は、状況から導き出した選択肢をマンシュタイン大佐に伝えた。意思を持たないドラゴニュートは、ファルランさんがドラゴニュート化した時に、一度戦ったことがある。意思を持つのドラゴニュートとの大きな違いは、常に捨て身で攻撃してくること。ギルフォードさんが、狂戦士と言った理由がよくわかる。


「やはり、君もその答えに辿り着いたか、ヘニング。だが、私には、どちらの選択肢が良い結果に繋がるか見当がつかぬ……」


「自分もです、大佐。ここは、ある程度の未来を知り得るという、シェムハザ猊下のご意見に頼ることが得策かと」


 ヘニング少佐は、シェムハザの星読みをマンシュタイン大佐に進言した。


 そのシェムハザは、魔力が枯渇して意識を失ったままのハルを介抱している。なんでも、シェムハザがハルにマナを付与することで、夕方頃までにハルが意識を取り戻すらしい。昨日の夕方、意識がないハルを見つけた時は、本当にどうなるかと思ったけれど……。私がしっかりハルを支えなくちゃダメだ。ハルは、すぐ無理をするから……。


「なるほど……、それが最善に違いない。グラハム公、提案があります。もう間もなく、輸送部隊の襲撃に向かった第一遊撃隊が戻る頃です。ここは、ひとまず軍議を閉廷し、今夜の定例軍議にシェムハザ猊下をお招きして、ご意見を頂戴するのがよろしいかと」


「承知した、マンシュタイン大佐。それでは、一度軍議を閉廷し、十九時の定例軍議にて、この議題について結論を出そうと思う。客人方、たいした持成しはできないが、それまでの間、昨日戦闘と長旅の疲れをゆっくりと癒して頂きたい」


 グラハム公は、マンシュタイン大佐の進言を受け入れて、軍議の閉廷を宣言し、そして、私たちに定例軍議の時間まで休むよう勧めてきた。一同がその場でグラハム公に敬礼を捧げた。私たちも、互いに顔を見合わせて流れのままに彼らに肖った。


 何だか話が勝手に進んでいるけれど、重大な選択肢に迫られているならば、私もシェムハザの指示を受けることに賛成だった。今までも、ずっとそうして来たのだから。


 それにしても、シュオル監獄には、どれだけの数のドラゴニュートがいるのだろうか。


 もしも、本当に生体兵器としてドラゴニュートを生み出しているのなら、非人道的なその行為は、いつか必ず報いを受ける日が来るはず。


 私は、不安を胸に秘めたまま、軍議が行われていた小部屋を後にした。そして、ハルが休んでいる救護所へ速足で向かった。

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