第7話

「行かなきゃ……」

 そして、彼女も立ち上がった。俺が視線を止めた先で彼女の制服のスカートが揺れた。

「あたし志水君の声を聞くだけでいいって思った。……すごく切羽詰まってた。それで尋ねてみたの。何でも、言ってみるものね」

 振り向いた彼女を、俺はずっと以前から知っているようだった。

「俺って、満更人間嫌いでもないのかもしれないな。……憧れてるんだ、人を好きになることに。人を好きになりたくて、しょうがなくて……それで、医者になりたいのかも。純粋に生きることに一生懸命な人なら、本気で向き合えるかも知れないだろう。そんな人達といっぱい出会うことができたら、人間嫌いの俺も『人間っていいな』なんてさ、思うようになるかもしれない。人間のことをすっかり嫌いになってしまう前に……」

 俺も、おもむろに立ち上がった。

「人間も捨てたもんじゃない! そんな可能性を、信じてみたいんだ」

 嘘じゃない。きっと、初めて形にした自分の思いだった。 

 ……知りたかったんだな、たぶん。必死に命と向き合い闘う現場で、人間の本当の姿と、本当のことを。今まで、自分自身ですら気づかなかった真実だって気がする。こんな生まれたままのような、むき出しで無防備な思いを、くだらないと言わずに聴いてくれる人がいるなんて、とっても不思議で、何かぽわぁ~としていて、幸せだって、思う。俺の埴輪のお面は、どうやら、すっかり剥がされていたようだ。

 ざわついたホームの光景も、この目に優しく映る。

 人って、みんなそうかも知れない。自分のことを知ってほしくて、聴いてほしいんだ。道を行く無表情な面々は、アンテナをつけたロボット達は、淋しがり屋の列かもしれない。

「そんなのって……素敵ね。そんなふうに信じられたら、素敵よね。好きになれる可能性があるから、人は生きていけるって……そんな気持ち、いつか実感できるかな、あたしにも」

 無駄な時間は長く感じるものだ。でもその一瞬で、俺は彼女といた時間が本当にほんの一瞬だったように感じていた。その一瞬に、最初から最後までが充実していて、全てが必要だと思える時間だ。

 何かが大きく動いた。俺の中で。もっと彼女と話していたいと思う気持ちが膨らむ。

 「恥ずかしいけど、俺も淋しいがり屋だったみたいだね」と心の中でつぶやき、彼女に「じゃあね」と告げた俺は、二番ホームの電車に足を向けた。

「朝のバスで志水君の背中見つけたら、おはようって言うわよっ! あたし!」

 発車ベルに重なって、その声は聞こえた。

 振り返れば、慌てて電車に跳び乗った彼女が、ガシャンと閉まったドアの向こうで手を振っていた。俺は軽く右手を上げてみた。さすがに気恥ずかしくて、すぐにその手をズボンのポケットに仕舞い込んだ。


 電車の窓から見える景色はいつもと同じだったけど、俺の中では、昨日とはまったく違う風が吹いていた。

 今目に映る全ては、パソコンの画面を見つめ続けて疲れた俺の目に、とても優しく暖かい。そこには彼女のいた情景が鮮やかに重なる。そして俺の心に浮かぶ素直な言葉があった。

 ――人間って、いいもんだな。

 俺は人間が嫌いだ!……なんて、自分の中で何度となく繰り返されていたあの繰り言を、変えてみようかと思う。


【おわり】

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君に出会ったことで 十笈ひび @hibi_toi

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