第6話

「もしかすると、あたしも志水君と同じなのかもしれないな」

 彼女はプラットホームのベンチに腰掛けた。俺はその横に座り缶コーヒーのプルトップを開けた。

「何が同じなの?」

「人間が嫌いだってところ」

「好きって言ったじゃないか」

「嫌いで嫌いでどうしょうもないから、好きになりたかったし、必死に好きになろうとしたの。でも、やっぱり好きにはなれなかった。……どこ向いても嫌いな人だらけだと、絶望するでしょう? 人間嫌いなんて、致命的だわ。そしたらもう、いっそ自分が消えちゃえば……なんて、思っちゃうでしょう? あたしも志水君みたいに、人間なんて大嫌いだって、最初っから思えていればね」

 彼女は、まるで他人ごとのように明るく言って、どこか淋しそうに笑った。

「俺みたいに、きっぱりすっかり人間が嫌いならさ、絶望もないと思う訳だ」

 それは違うんだと言いたかったけどやめた。

 彼女は缶ジュースを手の上で転がして、それに視線を注いでいた。

「あたし志水君見つけたときね、ちょっと感動したんだぁ」

 まるで人を犬か何かのように言ってくれる。

「一人ぼっちって言葉が似合わない一人ぼっちがいるんだって、思ったの。廊下を歩いてる時も、バスに乗っている時も、堂々としていてね『これが俺様の生き方だ!』って言ってるみたいで、一人ぼっちで淋しそうなんて微塵も感じさせないの。だから志水君の後ろ姿、とっても好きになったの」

「単に嫌われ者なだけだよ。だからそういう顔して、そういう態度でいるだけさ。机にかじりついて八の字書いてるようなのは、俺の趣味じゃないからね……」

 その言葉はでも、俺にしてみれば負け惜しみのようだった。たぶん、人を好きになりたがっている……俺にしてみれば。

「志水君って、強いんだ。一人でも全然平気で、自分を見失うことなくて」

「そんなことは……ないと思う」

 人は本音を口にする時、その言葉はどうして曖昧で、小さくなってしまうのだろうか。

「何度も同じ経験を繰り返すと、慣れてくるじゃないか……そんな感じでさ、人に対する感情が麻痺するんじゃないかって、思うよ。……人が好きになりたいのに、出会う奴に、いつも決まって嫌われてると……人間なんて嫌いになった方が楽かもしれないって、思うようになる。人間は楽な方を選ぶんだ。楽な方を選べば、自分を死に追いやったりしないし。それなら俺なんかより、強いのは……」

 俺は逃げていた。人間が嫌いだと言い切ることは、絶好の逃げ場だった。一途に人が好きだと思い続ける強い気持ちなんて、俺にはなかったから。

 二番ホームに電車が入ってきた。それは俺が乗る電車だったが、三番ホームの電車待ちでまだ出ないことを知っていた。どうやら、彼女もこの電車には乗らないらしい。二人とも黙って座って、目の前を縦を横へと行き交う人の列を見つめていた。

 俺は彼女のことなんて知らなかった。だけど、彼女は俺を見ていて、知っていた。知らなければ、知らないですんだのに。俺も、冒険をしてみようなんて思わなかったのに。

「ありがとう。志水君」

「ありがとうなんて、おかしいよ。俺、君が何に悩んでいたか知らないし、話もじっくり聴いてやった訳じゃない。訳わかんないよ、こんなの。それなのに礼を言われる筋合いなんてないよ」

 そうなんだ。俺は何もしていない。

「そんなことないよ。一緒にいてくれたじゃない。一緒に歩いてもくれた。少しは話したし、それで十分。黙っていても、何だか志水君の中でいっぱい考えていてくれそうだったから、嬉しかったの。ちゃんと目を見て話してくれる人って、珍しいもん」

 そうやって俺の目を見つめてくれる彼女の瞳はキラキラしていて、すべてがあけすけに見透かされているようだった。今も俺は陰険な目付きで彼女を見ているんだろうか。それなら、あまりにも真っ直な彼女の眼差しに申し訳ない気がした。

「俺の目付きって、悪いだろう。陰険だって言われるからな」

 らしくなかった。そんなことを気にしている俺なんて。でも彼女はその首を横に振った。

「目を見て話されることに慣れていない子が多いのよ。嘘ばかりつく心を覗かれるのを恐れてるんだわ」

 初めてわかった。俺は目を反らさない相手と話したことはないんだ。彼女と話していてどこか違和感みたいなものを感じるのは、そのせいだったんだ。

「俺……」

 初めて人間が、人が好きになれそうな兆しが差した。……冒険の終わりに。

 アナウンスの声が三番ホームに電車が入ってくることを告げた。また、ざわついて、忙しい人の塊が動いた。

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