第5話

 俺たちは、ただあてどなく歩いている。人間嫌いの俺は、何も考えずに、ただ自分自身に冒険しようとしている。彼女は俺の横には並んで歩かなかった。すぐ後ろを歩きたいと言うのだ。俺たちは駅に向かって無性に急ぎ足のロボット達をよそ目に、その道を遡っていた。このまま行くと、またバス停に戻ってしまう。だから、俺は立ち止まった。そこはさっきの本屋の前だった。ずっと人通りは激しくなっている。制服姿の学生に、灰色の背広を着こんだ大人が混じってきた。

 俺は邪魔にならないように電信柱のすぐ横に立った。彼女もそうした。そして、黙ってた。

「俺は壊れてるんだ。みんなは何かの命令を受信するアンテナを頭の先に付けてる。だけど、俺にはない。きっと折れて、壊れちゃって、どこかに落したんだろうね」

 本当に、冒険していると思う。俺は、赤の他人の前ではこんなに饒舌じゃなかった。

「あたしはどうなのかな……」

 彼女の声はぼんやりしていて、独り言みたいだった。だから俺は答えなかった。

「あたし、わかんないの。人を好きになりたいのに、好きになると、とっても疲れるの。……それってアンテナが壊れてるせいかな」

 俺達は電信柱を挟んで、呆然と佇んでいた。

「みんな忙しそうよね。でも、あたしは違う……志水君だってそうよね。急いでる人をこうやって眺めてられるでしょう?」

 それがどういう意味か知れないけど、俺は、変なところでつまらない人間だった。

「君はそうかもね。でも俺は君と違うから、ずっとこんなことしていたくはないね。忙しいのはみんなだよ。俺も例外じゃないんだ」

 俺は足下の鞄を持ち上げ、背中に担いだ。

「いつだってあの人込みに混じって歩けるよ。……俺は」

 それで、彼女の前を通り過ぎようとしたんだと思う。どんどん流れていく人込みに溶け込もうとしたんだと思う。彼女が平気な顔をしていたなら。

「……ていうのは、嘘だけど」

 そんなことでも言わないと、持たない。

 彼女は俯いて、見るからに泣いていそうな感じを漂わせていた。

「俺はずっと前に諦めてるから……何も望まないから、人間には。……だから、相手が人間なら腹を立てることもないし……怒りもしない。一緒になって笑ったりもしない、泣いたりも、しないよ」

 俺も下を向いて言ってた。その言葉は半ば自分に言っていたのかもしれない。それで、もしかすると、違うんじゃないかって……

「志水君は一人でも平気な人ね。あたしも、志水君みたいだったらよかった」

 顔を上げた彼女は泣いてはいなかった。俺と目が合って、やっぱり彼女は笑うんだ。いつまでも俺は埴輪なのに。

「あたし、時々ね、消えたいって思うんだぁ」

 不意にそんなことを言われた。彼女には悪いけど、俺はその言葉は嫌いだ。

「都合良く人は消えることなんてできないけどな。死ぬことはできるけど」

 俺は容赦なく早口に返した。彼女の気持ちなんて、きっと考えちゃいなかった。だって、その言葉は自分に向いてる。過去の自分に。人は消えたりなんかできないから悩むんだろって、散々浴びせた言葉だ。

「だから、死んでもいいって思ったよ」

 小さな声だったけど、彼女は本当のことを言ってる。俺には、それがわかる。

「死ねないよ。すぐに邪魔が入ってあきらめることになるから。何かのせいにしてだらだらと……消えもしないし、死ねもしない!」

 散々考えたんだよそんなこと! そんなことを、いちいち人に明かす義理なんてない。でも、人が簡単にそういうこと言うのは放っておけなし、少し、腹立たしい。

「そうね。邪魔が入ったんだわ」

 俺は内心目を見張る。彼女は、切り返した。

 ……そうか、彼女も散々自分で言葉を浴びせたのか。

 もしかすると、俺は少し笑っていたかもしれない。

「それ……俺だったりして」

 彼女は口許に手をやりフフっと笑い、俺に背を向けた。

「その通りだわ! 志水君のせい!」

 後ろから見る彼女は、胸を張って歩いているようだった。その足取りが、違う。俺の知っている人間とは違っている。亡霊なんかじゃなくて、彼女は今を生きて歩いている、そんな感じのする、清々しさと精気を伴ったていた。

 やっぱり、違うんだ。人間が嫌いだと、いつも俺が言い聞かせてる心の繰り言は、嘘かもしれない。

 俺は黙って彼女の後について歩いた。

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