第7話
友人は科学館の裏にある自転車置き場で待っていた。
「何もたもたやってんの! どんくさいぞお前。早くしないと母ちゃんに叱られるぜ」
少年は、とりあえず友人がいつもの友人らしくあるので、ただそれだけで安堵した。
「ごめん……でも、本当によかった」
友人の顔を見て安心したのか、少年は思わずそう声にした。
「何がだよ?」
友人は自転車に跨がりながら少年に向いた。
「夢を見たんだ、僕」
「ふぅ〜ん……どんな?」
「えっとね、ブラッ……」
友人が眉を寄せる。
「何だよ」
「いや……いい。やっぱりやめとく」
友人が小さく舌打ちした。
「変なヤツぅ」
友人は正面を向いて自転車をこぎ出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
少年は自転車を立ちこぎして友人を追った。
朝もやの中を二人は自転車を走らせる。途中、川沿いの土手で友人が自転車を止めた。
「どうしたの?」
少年が言う。
「朝焼けを見て行こうぜ」
「朝焼け?」
「だってさ、あそこのプラネタリウムはいつも夕焼けの空から始まってくだろう? 夕焼けは俺たちいっぱい見てるじゃないか。朝焼けなんて、新聞配達のおっちゃんぐらいしか見られないのにさ」
友人の言葉に少年は大きく頷いた。
「そうだね。僕らはあまり見たことないよ」
二人はスタンドを下ろした自転車に腰掛け、東の地平線に昇る朝焼けを待った。
「あの……さ、ブラックホールってさ、ダークマターのひとつなんだよね……」
少年が垂らした足をぶらつかせて、俯きかげんにボソボソと言う。
友人が両目を拡げる。
「何だぁ? 珍しいこともあるもんだな! お前からそんな話するなんてさっ! ダークマターの話が聞きたいのか? いいぜ、いくらだってしてやるよ! ダークマターってのは……」
「い、いいったら! 別に聞きたくないよ! ダークマターの話なんてごめんだよっ!」
少年は両耳を押さえて首を振った。ダークマターという語に対するお決まりのポーズだった。
友人は不満そうな顔をして腕を組む。
「いや、ダメだ。お前から言ったんだぞ! 俺の話をちゃんと聞けよな!」
友人は耳を押さえる少年の手を、むりやりに解こうと掴みかかる。
「絶対にイヤだっ! 聞くもんか! 聞いてやるもんかっ!」
と言いつつも、少年は笑っていた。ダークマターの話題になったとき、必ずこういった行動に出るのは友人の特徴であって、それで、すぐに飽きるのだ。
ダークマターは恐ろしくもあったが、友人が普段の友人らしいことは、今の少年には嬉しいことであった。
「あっ……おい! 工場の向こうに日が昇るぞ!」
友人が声を上げて東の空を指差した。
少年は友人の指差した先を見つめる。
朝もやを掻き消すような、白い光が二人の所にも届く。ぼやけた視界が一気に明瞭になる。
「僕、こんな朝早く起きるの初めてだ」
「俺もだ」
友人は少年に向き、笑顔を見せた。
少年もそんな友人に笑顔を返す……
が、それはほんの一瞬のことであった。
少年は朝日に照らされた友人の姿を見て、顔面蒼白となる。
「……ん? おい、どうしたんだよ?」
「服……その、服……」
「服? 俺の服がどうかしたのかよ?」
友人は下を向いて自分の服を眺める。薄いブルーの、目の細かいギンガムチェクの入ったカッターシャツである。
「何もなってないじゃん」
「違うよ……服が……そんな服じゃなかった」
「何言ってんの? 俺は昨日は風呂もはいってないし、着替えもしてないんだぞ?」
「でも……昨日出かけしなに君が着てたのは、胸のところにグリーンの線が三本入ってる、白のTシャツだったよ……科学館に着いたときもずっとそうだし、その後だって……」
言ってから、少年は「あっ!」と小さく声にした。
「グリーンの線が入ったTシャツ? 何それ? 俺そんな服持ってないぞ」
少年の顔から更に血の気が引く。
「嘘だよ! この前遠足のときにも着てたじゃないか!」
「だって、俺そんなの知らないもん。グリーンの線が三本とか、超ダサくねぇか? そのシャツ」
「着てたよっ! 絶対に着てたんだってば! 一緒に写真も撮ったよ!」
「何かの勘違いじゃないの? お前思い込みが激しいタイプだからさ。きっと、お前んちのママに似たんだな!」
アハハハッ! と友人は高らかに笑い、自転車のスタンドを上げると少年を置いてさっさと行ってしまう。
「早く家に帰っていい訳しようぜっ!」
自転車に跨がった友人の後ろ姿が手を振っている。
少年の脳裏に、警備室の小窓から見えたあの緑色の酒瓶と、そのラベルに描かれた帆船の絵が鮮明に蘇る。
『カティーサークっていう銘柄の緑色のボトルで、快速帆船の絵が描いてあるやつ……』
確かに、友人はそう言っていた。
そして、最後に見た、あの警備員の笑い。まるでブラックホールのように真っ黒だった口の中……
少年の全身が総毛立つ。急激にわき上がった冷や汗の粒が、少年の体を凍らせる。
ある言葉を少年は思い出し、繰り返している。
中の情報は一切外に出て来ることがない。
中の情報は一切外に出て来ることがない。
完全な不可知の領域。
完全な不可知の領域。
暗黒の口……
暗黒の口……
「う、嘘だよ……」
少年はブンブンとかぶりを振り、汗を拭って自転車を走らせる。
「待ってよぉ! 待ってったらぁ! どうしてそうやって意地悪ばかりするんだよっ!」
運悪く、つぶれた空き缶を踏んでハンドルを切りそこねた少年は、自転車ごと横転して右膝を擦りむいた。
【おわり】
宇宙幻 〜プラネタリウム〜 十笈ひび @hibi_toi
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