DinDon

甲乙 丙

 JR神戸駅南口、大きく口を開いた地下街への入り口に飛び込み、ズンズンズンズン進む。辿り着いた一番奥からエスカレータで外へと出る。まるで別の世界へと来てしまったのかと錯覚する。神戸ハーバーランドは地元住民から見ても、少し特別な場所だ。

 綺麗な並木道が続くガス燈通りを歩くと自然に背筋がシャンとする。前を歩くカップルも、子供を連れた母親も、スーツ姿の男も、シャン。

 通りを取り囲むように建てられたビル群を見上げている。ビル群は特に変わった形をしている訳ではない。まるでアリスの世界のウサギのように道の奥へと誘う、得も言われぬ魔力を、頭上から感じるのだ。


 通りの果て、港と隣接する商業施設と観覧車が視界に飛び込んでくる。そちらに向かいたい誘惑を打ち消して、少し横にそれ、近代的なガラス張りが目立つ建物へと足を踏み入れた。

 すると入り口傍、皆の目に触れるその位置に、ボールマシン「Din Don」はあった。


 高さ五メートル。透明な囲いの中で、クネクネと曲がったレールの上をビリヤード球が転がっている。

 上から下へ、カン、キン、シャラン。

 複雑な動線を目まぐるしく移動しながら、時に管を叩き、琴を踏み鳴らし、棒鈴を擦って音を奏でている。

 忙しなく役目を果たした球は、地面へと辿り着くと、また、上下を貫くベルトのエレベータに乗ってスタート地点へと戻り、また転がる。ループしているのだ。


「先月の始め(二〇一七年七月)、補修工事の為に一時撤去されていたこのボールマシン『Din Don』が、補修を終えて戻ってきた」という報道を目にし、それならばと、旧友に再会するような心持ちで足を運んだ。色こそ鮮やかに塗り直されているが、概ね昔と変わらぬ姿。なぜかそれが嬉しい。

 買い物のついでという軽い気持ちがあっただけで、特別に意識するつもりはなかったのだが、いざ目の前にして見ると、予想以上に感情が揺れ動いた。

 瞳を輝かせて囲いにへばりつきながら、ボールの行方を目で追う子供たちと昔の自分が重なり、ノスタルジーが惹起され、思い出というには頼りない残滓のような過去が、頭の片隅から浮かび上がって、パチンと弾けた。


 少年時代、ランドセルという枷がなければ、どこまでも走り続ける事のできた私たちだったが、ハーバーランドへ行く、ましてや子供だけでとなると話が違った。

 そこは、いわば大人へと一歩近づく試練の地だった。ペチャクチャと喋るばっちゃんがいる駄菓子屋や、営業しているのかわからない、かすれた看板の古書店なんてものは存在しない。なにもかもが洗練された魅惑の地だった。行って帰ってきたと吹聴すればたちまち羨望の眼差しを集めるような、そんな場所だった。

 私たち、いつも一緒の五人グループは大いなる冒険心を持って、その地へ向かう事を決めた。


 事前の作戦会議。ハーバーランドは学区外である為、親や先生には相談できない(今ほど厳しくはなかったが、当時も学区外へ遊びに出ることは許されていなかった)。

 何時集合。電車の運賃。着いてからの目標などを細かく話し合う。携帯電話なんてなかったから、放課後に集まって各々が必死にメモを取った。

 出発当日。私は確か、うんとおしゃれに決め込むつもりで、姉が何枚も持っていたエドウィンのジーンズ(当時の姉は男っぽい服装を好んで着ていた)と父が愛用しているラコステのポロシャツを黙って拝借した。どちらもブカブカとしていたが、気にしちゃいられない。当時の私は学校指定の体操服で過ごす事が多かったため、ろくに服なんて持っていなかったのだ。


 電車を降り、地下に飲み込まれ、スポンと地上へ飛び出した私たちはついに辿り着いた。見えるもの全てが私たちの町にある物と形が違っていた。建物は雑巾のような色をしていなかったし、樹木はスラリと整えられていた。同じなのは建物の陰にさりげなく置かれた赤いポストくらいだった。

 浮かれ気分で横並びになり、ガス燈通りを大股で歩く。例のごとく少し視線を上向きにしながら、今日と同じように少し横にそれる。

 そして、私たちは初めて出会う不思議な機械、「DinDon」をポカンと見上げたのだった。


 今、目の前の子供たちと同じように、過去の私たちもペッタリと「DinDon」に張り付き、転がるボールを目で追いかけた。レールは複雑な軌道をしているから、なかなかどうして、途中で球を見失う。それじゃ最初から、とまたスタートからボールを追いかける。何度も、何度も。

 そうして、ついにゴールまで辿り着き、ベルトのエレベータでスタート地点へと戻る球を、満足げに見上げるのだ。

 きっと、この子供たちもそうだろう。そうであってほしい。




 さて、といった調子で建物の奥へと進んだ。様々な店が集合しているこの場所ならば、目的の物を購入できるかもしれない。


 実を言うと、今回執筆しようとしている「三題噺企画小説」の、お題の一つであるマカダミアナッツというものを、私は食べた事がなかった。

 少し調べてみると、マカダミアナッツの殻はとても硬く、専用の割り機が無いと、とてもじゃないが割ることができないらしい。その事実に興味が湧いた。

 元々、胡桃やピーナッツといった木の実は大好きなのだ。マカダミアナッツも食してみたいと思った。

 そういった理由から、私はナッツクラッカー(殻割り機)とマカダミアナッツ(殻付き)を購入しようと決めて、この商業施設なら置いている店があるかもと高をくくり、ここに来たのだった。


 結果を述べておくと、ナッツクラッカーは購入する事ができた。しかしマカダミアナッツ(殻付き)は無かった。言葉にすれば簡単だが、実際はとても苦労したのだ。

 途方もなく歩き回ったし、ナッツクラッカーだけ入っている袋をもっているのも、なんだか恥ずかしかった。

 想像して欲しい。袋にナッツクラッカーだけを入れ(ときどき取り出して弄りながら)、ウロウロしている男性の姿を。それは、ひどくホラーではないか。その後ついでに寄った本屋にて文庫本を買い、レジ店員に大きめの紙袋をもらうまで、私はナッツクラッカーマンとして施設内を彷徨ったのだった。


 施設内を上へ下へ、右へ左へ。まるで転がる球のように。

 私は結局マカデミアナッツを諦め、「DinDon」の前へと舞い戻った。

 トボトボと入ってきた扉から外に出る。

 気づけば既に太陽は傾いていた。神戸情報文化ビル(カルメニ)前にあるキリンの像が、滲んだ赤を反射して黄金色に輝いていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DinDon 甲乙 丙 @kouotuhei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ