プリンが四ついる理由


 私は田辺博士の部屋にいた。扉に鍵の類は無く、いともあっさりと私は目的地に辿り着いていた。自分の父親の私的領域に不法侵入者を招き入れた秀一は「後はご自由に」と言い残して再び閉められた扉の向こうで待機している。目当てのものを手に入れた後、窓を開けて逃げ出すことも出来たが、手帳を人質に取られているのでそうもいかない。

 諦めて室内を見渡すと、まず初めにPCラックが目に入った。その横には、書類に埋もれて、数段に分かれた引き出し。――USBメモリを手に入れるならあそこを物色するのがよかろう。

 書類をかき分けると、一段目の引き出しを開ける。

「……これはこれは」

入っていたのはアルバムだった。手に取ると、写真でいっぱいなのだろう、確かな重みを感じる。表紙の色は藍色。この部屋に本棚はないので、これが依頼の品だ。優先すべきはUSBだが、アルバムのほうも一旦分りやすいところによけておくことにしよう。文机の適当なところに置いたとき、写真が一枚端から覗いているのに気付いた。唐突に野次馬根性が膨れ上がり、写真をそっと引き抜いて表を見る。

 そこに写っていたのは、生まれたばかりと思しき赤ん坊だった。肌触りの良さそうなタオルケットにくるまれ、大泣きしている。左下に橙で日付が印刷されている。年から考えると、この赤ん坊は秀一か。彼を愛おしそうに抱いているのが母親だろう。彼女の顔も涙でぬれに濡れているが、その頬にはくっきりと笑窪がみてとれた。秀一は母親似らしい。不意に既視感が込み上げた。私はどこかで、この母親を見たことがあるように感じたのだ。

 その正体に気づいたとき、思わず笑みが零れてしまった。大した興味も抱いていないように見えたが、その実、この依頼の成り行きを一番気にかけていたのは彼女だろう。息子に似て――いや、秀一が彼女に似たのか――演技のうまい、とんだ食わせ物である。

 二段目の引き出しを開けると、溢れんばかりに記録媒体が入っていた。雑に詰めこまれたそれらを見て辟易した私は――一目見ただけでも、十数個はUSBメモリが入っているようだった――重たいアルバムを手に、博士の部屋を後にした。たかがメモリ、たかが五十万……撤回しよう。五十万は大きい。だが、私はすでに、アルバム以外のものを持って帰る気は無くしていた。

「お目当てのものは見つかりましたか? 」

部屋を出ると、秀一は紅茶もどきを片付けているところだった。

「おかげさまで」

私がアルバムを持っているのを見て、意外そうな顔をする秀一。そんなものに何の意味が、とでも言いたげである。

「真柴さん、アルバムなんか持っていくために不法侵入を働こうとしていたんですか? 」

座ってください、と席を勧められたので、遠慮なく先ほどの椅子に腰を下ろした。

「美人が写ってたんでね」

軽口をたたく。秀一は私の向かいに座った。

「まあ、何を持ち出してもらっても構いませんが、お願いはちゃんと聞いてくださいね」

「聞くも聞かないも、まだその、『お願い』とやらの内容を教えてもらっていないように思うんだが」

今度は緑茶が差し出される。例にもれず、黒い。失敗しました、と少年は耳を赤らめた。だからどうやって淹れたんだ、これ。

「そうでしたね、失礼しました。では、説明します」

秀一はおもむろに、一枚の紙をテーブルに置き、こちらに向ける。紙には、『六時半、朝ごはん』『八時、小百合、秀一、学校』『三時、小百合、下校』『七時、夕飯』などなど……几帳面に手書きされている。

「おおよそのスケジュールです。これから一年間、学校への送り迎えと、食事の準備をお願いします」

「ちょっとまってくれ」

あまりに予想外の内容に、混乱する。秀一がまだ何か言おうとするのを手で制し、頭の中を整理した。聞きたいことが多すぎる。

「質問いいかな」

「どうぞ」

頷く秀一。

「一つ目。僕は一応犯罪者の端くれだが、そんな奴に妹の送り迎えをさせていいのか」

「真柴さんだって、すぐ捕まって余罪てんこ盛りで起訴――なんて、嫌でしょう」

手帳の存在を思い出す。確かにあれが秀一の手元にある限り、田辺兄妹に危害は加えられない。元々、そんなつもりは毛頭無いとしても。

「道理だな。じゃあ二つ目。山道を妹一人で帰らせるのは大変だし、食事の支度も手間のかかる作業だ。人にやらせようってのは分かるが、今まで、つまりお父さんが失踪してからの三年間、そういう仕事を誰がしていたんだ? 親戚が世話を焼いてくれてたっていうなら、これからもそいつ、ないしはそいつらに頼めばいいんじゃないか 」

湯呑の中で揺れる、黒い液体を見ながら聞く。秀一がまともな料理を作れるとはとうてい思えなかった。

「一つ訂正を。父は失踪ではありません。どこに行ったかは分かっています」

「呼び戻せばいいんじゃないか? 」

「愛人と異国に旅立った偏屈な発明家が、たかだか一人息子の頼みくらいで、帰ってくるとお思いですか? 手紙は何通か送りましたが、返事はゼロ。このテーブルにあった書置きに行先と『部屋のものは自由に使え』という短いメッセージが書き残していったっきりです」

それを世間一般には失踪と呼ぶのではなかろうか。

「質問に答えます。面倒を見てくれたのは親戚ではありません。――声を大きくしては言えないのですが、書置きに『部屋のものは自由に使え』とあったものですから、せいぜい活用させてもらっています」

私はここにきて、アルバムを手に入れるまでの経緯を振り返った。

「まさかとは思うが、こんなことをこの三年、繰り返してたって言うんじゃないよな? 」

曖昧なほほえみが返ってきた。正気か?

「で、真柴さん、引き受けていただけますね? 拒否した場合は……お判りでしょう」

「後学のために覚えておくといい。君がやっているのは『お願い』なんて可愛いもんじゃない――脅迫だ」

あはは、と無邪気な笑い声のあと、右手が差し出される。

「マッドサイエンティストと演技派悪女の子供ですから」

犬歯がのぞく。私は小さく息を吐くと、

「一年間よろしく、ご主人様」

兄として奮闘する、若い家主の手を取った。

「よろしくお願いします、コソ泥さん」

――取り敢えず、昼食はオムライスでも作ろうか。


***


「ましば、味噌汁」

盛大に爆発した頭髪を気にする様子もなく、兎模様のパジャマを着た小百合がお椀を突き出した。

「自分でつぎな。ご飯もな」

可愛くない子供にも旅はさせなければいけない。

「けち」

唇を尖らせる小百合にお玉を渡してやる。

「真柴さん、レンジから嫌な音してるんですけど、何か仕込みました? 」

既に制服姿に着替えた秀一が怪訝そうにこちらを見る。レンジの中で熱されている銀色の固形物を見て、慌ててあたため中止。

「確かに蓋をして暖めてくれといった。だがな」

冷や汗をぬぐう。

「アルミホイルは電子レンジに入れると、発火する」

大真面目な顔でふむふむと感心する秀一。

「トリビアですね」

「一般常識だ」

「ましば、できた」

コンロが味噌汁で大いに汚れている。手近な布巾で拭こうとする小百合に注意を促す。

「熱いから後にしておけ」

「うん」

従順で良いことだ。食卓を見ると、味噌汁と白飯、もろもろのおかずがそれぞれ三皿づつと、緑茶――昨日の夕方、ペットボトルを買って来たのだ――が二杯、オレンジジュースが一杯置かれている。

「僕は家で食べるからいいって言ったろ? 三等分するには少ないぞ」

というが、小百合も秀一もそのまま席について、

「いただきます」

食べ始めた。

「真柴さん、早く食べないと、出発の時間になってしまいますよ」

確かにそろそろだ。

「ましば、たべよ」

小百合が手招きする。……食べるしかなさそうだった。

「いただきます」

なかなかに美味しい朝ごはんである。


「ほら、遅刻するから、さっさと乗って」

朝食後、秀一に結んで貰ったおさげを上機嫌で揺らしながら、小百合が乗り込む。ランドセルが金属質な音を立てた。

「おねがいします」

存外礼儀正しい。

「お願いします」

秀一は助手席に。ドアが閉まるのを確認すると、

「お嬢さん、シートベルトはしましたか? 」

「はーい」

少し遅れてカチャリと小気味いい音。嘘が下手だ。私はアクセルを踏んで、山道へとおんぼろの愛車を走らせる。街に出てすぐ――走っているのは件のファミレスの近くだ――小百合が「ねえ」と身を乗り出した。

「危ないからちゃんと座って――どうした? 」

「ましば、プリン買って」

「何個? 」

おやつ用に、ということだろうか。

「三個。ましばと、さゆと、にいの分。エクセレンスの、濃厚卵プリンがいい」

しまった、安請け合いしすぎた。洋菓子屋、エクセレンスの豪華な外装を思い出しながら、「わかった。特別な」と返す。「やったー! 」お嬢様はご満悦である。

「もう一つ、追加でお願いします」

横から思いがけない声が聞こえた。

「誰が食べるんだ? 」

カーブを曲がりつつ聞く。帰ってきた答えに、また舌を巻かされた。

「真柴さんにあのアルバムを持ってくるよう依頼した人に」

後部座席ではしゃぐ小百合には聞こえないくらいの小さな声で、

「――母によろしく言っておいてください」

――写真の中で微笑む、若かりし頃の店主によく似た笑顔だった。

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プリンが四ついる理由 上月 秀介 @hanpentororo

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