さわって、はって

赤井ケイト

さわって、はって


 触らぬ神に祟りなし。


 関りを持たなければ余計な災いが起こることもない、といった意味のことわざだ。

 しかし、災いを避けるために誰とも関わらない生活など、無理な相談である。インターネットが普及した現代にあっても、結局はひとの助けが必要になるのだから。

 では、どうすればいいのか。

 余計な災いから身を守るための防御策とは。

 レッテル貼り。

 これがひとつの答えだと僕は思っている。


 レッテル貼りの使い方には二つある。

 一つ目は、神の正体をあばく方法。自分にとってその神が災いとなるのか、分類して判断する。

 例えば、僕が電車に乗ったとしよう。二人掛けの座席が並び、相席すれば座れそうな席がひとつだけ空いている。先客はこんなひとだった。

 眉間に皺を寄せたおじさん。いかつい体つきで、膝の上にパソコンを広げ、キーボードを打鍵だけんする音からは苛つきを感じる。

 僕は真っ先に、【怒りっぽいひと】というレッテル貼りをして、隣に座ることはやめる。分類の結果、危険と判断すれば、悩むことなく無関係を選ぶのだ。


 二つ目は、災いとなる神をこき下ろす方法。

 例えば、さっきのおじさんとの出会いが職場だったとしよう。彼は実際に怒りっぽいひとで、僕は彼の部下になってしまった。上司と無関係ではいられない。こういうときは、頭のなかで相手を好きなように解釈していく。

 眉間に寄った皺をして【悩めるブルドッグ】。

 いかつい体をして【脳まで筋肉マン】。

 打鍵がうるさいことをして【早打ちナルシスト】。

 といった具合だ。

 こき下ろしてやった相手なら、心に余裕を持って対応できる。

 レッテル貼りこそ、僕の処世術だった。

 大抵のことは、それで何とかなると思っていた。

 これから僕が話すのは、そんな慢心が招いた結果である。




 十年近く前になる。

 当時、会社勤めをしていた僕は、両親のいる実家に住み、白い犬を飼っていた。

 彼は僕が中学生の時分から暮らしており、だいぶ年寄っていた。それでも毎日、朝晩と散歩をせがんだ。

 飼い主の僕はどんなに帰りが遅くても、散歩へ連れて行った。

 ある日仕事から帰った僕は、夜の遅い時間に、犬の散歩へ出た。

 月明りの少ない寂しい夜だった。


 散歩道に立つ電柱は、午後六時を過ぎると蛍光灯がともる。

 うちの犬はいつもその明かりの下に僕を引っ張って、小便なんかする。しかし、そのときの彼は二の足を踏んだ。

 ぼんやりと歩いていた僕は直前に気付き、心臓が飛び上がるほど驚いた。

 ひとりのおじさんが立っていたのだ。

 年齢は四十代か五十代前半くらい。

 むっつり顔に細縁の眼鏡をかけて、頭はぬるりとしたスキンヘッド。

 その立ち姿はインテリジェンスも感じるのだが、なにせ、その光景が異様だ。

 蛍光灯の明かりを頼りに、本を読んでいたのだ。


「こんばんは」


 おじさんは口を開いた。

 ぽつりとこぼしたような夜の挨拶。

「――こんばんは」

 たじろぎながらも挨拶を返す。

 知らない人物、異様な光景、話しかけられたこと。

 僕は素直に『なんだか怖い』と感じた。

 このひとには、触れてはいけないような気がした。

 だから、僕はおじさんに貼った。

【おかしいひと】レッテル一枚をペタリ。


 レッテル貼りをして、すこし落ち着いた。

 すると今度はじくじくと腹が立ってくる。

 そもそも、何故こんな所で本なんか読むのだ。

 おかげで一瞬だけれど驚かされた。

 プライドを傷つけられた気がしてならなかった。

 結果、自分から関りを持つ、という選択をしてしまったのである。


 僕は会話を探して、おじさんに切り出すことにした。

 彼の本について尋ねてみる。

「なにを読んでいるんですか」

 おじさんは持っていた本を掲げた。

 背表紙だけを僕に見せる。

 ……暗くて見えない。

 それほど本に興味はないが、それにしても口で応えればいいではないか。

 僕は少しムッとした。

 おじさんの頭に、【気が利かない朴念仁ぼくねんじん】レッテルを貼る。

 話題を振られたことに気を良くしたのか、おじさんも話し出した。

「家庭に居場所がないんですよ。家だと肩身が狭いので、ここで読んでいるわけです。ははは」

「それは――居心地が悪そうですね。あはは」

 いや、いや。

 正直言って、そんな事情は聞きたくなかった。

 今度は【家でも外でも厄介者】レッテルを禿げ頭にペタリ。

 つるつる頭も賑やかになってきた。

「そちらはお散歩ですか。本当に賢そうな犬だ」

 おべっかまで使いだした。

 うちの犬のなにを知っているというのか。

 愛想笑いを返しつつ、【ゴマすり坊主】レッテルをペタリ。

 おじさんの頭部は、すっかりとレッテルに覆われていた。

 これで禿げ頭も寒くない。

 完全にこき下ろしてやった。

 優越感すらある。

 よし、ここらで去るのが無難だろう。

「それでは、邪魔をしても悪いですからこれで」

 僕は軽く会釈をして、犬に繋いだリードを引いた。

 何が楽しいのか草むらの匂いを嗅いでいた犬は、足を突っ張って抵抗の構えをみせる。なんだってこんな時に。



 ――犬の名前を呼ばれた僕は固まった。

 僕はひとことも名前を呼んでいない。

 思わず振り返って息が止まる。

 肩がぶつかりそうなほど、彼は傍に立っていた。

ご主人を待っているのかな」

 僕の目を覗き込んで放さない。

 彼がそのスキンヘッドを撫でると、

 レッテルがばらばらと剥がれていった。

 それから、にっこりと笑う。


「散歩道、暗いので気を付けて」


 全身が一気に泡立った。

 強引にリードを引かれ、タロウが不満そうに鼻を鳴らした。


 足早に歩いてその場を離れる。

 段々と小走りになる。

 最後は全力で走っていた。

『おかしい』

『どうして』

『なんで』

 振り向くのが怖かった。

『あいつは誰だ。なんで僕のことを




 以来、そのおじさんには一度も会っていない。

 恐ろしくなって散歩コースを大きく変えた、というのもある。

 タロウはそれから二年は生きて、老衰で死んだ。人間で言えば大往生だった。

 僕はといえば、家を出て、町から離れたのである。


 触らぬ神に祟りなし。

 触れば、間違いなく祟られる。

 あの触ってしまった出来事を思い出すたび、背後をぞろりとした影が這っている。

 これはきっと、祟り。

 結局、レッテルとは紙であって、祟る神に効果はなし。

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