ふたふり目:自殺しようと思ったら、ラブホテルに入っていた

 うろこ雲が浮かぶ秋らしい晴天の下、待ち合わせ場所に指定した駅前ロータリーに現れたのは、僕が予想もしていなかった美少女だった。陽の光を弾いて輝く長い黒髪に、大きな瞳が印象的なその少女は、地元でも人気の高い有名校の制服を上品に着こなし……、ってゆーか、僕と同じ高校の制服じゃないか。


「へぇ、こんなかわいい子が……しかし、世界は狭いなぁ」


 広い広いネットの世界で知り合い、今日初めて彼女の姿を見た僕は、その可憐な雰囲気に感嘆の吐息を漏らしつつ、ついそう呟いたのだった。こんな子にも死にたくなるほどの悩みがあるなんて、信じられない。容姿端麗だから幸せ、ってわけでもないってことか。


 彼女は僕が手にしている『罪と罰(上)』に気付くと、自分の持つ同書の下巻を天高く掲げた。元気のいいアクションの割りには全くの無表情なので、それが僕には大変奇妙な光景に見えた。


 ……お互い顔も知らない者同士ということで、待ち合わせの目印として用意することになってはいたけど、別にそこまで主張しなくてもいいのでは? 横の人が不思議そうに見てるじゃん。恥ずかしくないんだろうか?


 彼女はそのままの体勢で僕の側まで一定の速度で歩み寄ると、


「初めまして。私は闇猫(やみねこ)。あなたがクロスケさん、ね?」


 やけに平坦な調子で第一声を放った。なので、鈴の音のように透き通った声が台無しだった。残念。……がっている場合じゃないな。挨拶しなくちゃ。


「ああ、初めまして、かな? 同じ学校みたいだし、どこかで会っているかもしれないけど」

「そうね。でも、そんな事はどうでもいいわ」


 挨拶もそこそこに、彼女は何の迷いも無く僕の手を取ると、大股に歩き出した。そして警報音が鳴り響く駅横の踏み切りまで引っ張られた僕は、線路に向かって思いっきり突き飛ばされていた。不意をつかれた僕は、フニャフニャとした竹で出来た遮断機を、踏み越える事しか出来なかった。


 電車の通過待ちをしていた人々から悲鳴が湧き起こり、やけに近くで耳をつんざく警笛の音がする。すぐさま音のする方へと首を回すと、電車が目前まで迫っていた。


 あれ? これ、死ぬんじゃね?


「うわあぁぁぁぁ!」


 僕は奇声を発し、必死で前方へと体を飛ばす。きっとその姿はホームベースに滑り込む高校球児のようだったに違いない。しかし、こっちは命懸けのスライディングなのだ。スピードはともかく、気迫だけは僕の勝ちだろう。


 チッ。


 靴が列車にかすった。僕は間一髪、体がバラバラになるという大惨事を免れたのだ。だが、アスファルトの地面にダイブしたお陰で、服も体もあちこち汚れて擦りむいてしまったようだ。ヒリヒリとした痛みがそう教えてくれている。


 てか、今、僕は殺されかけたよな?

 自分が生きている事を確認した僕は、踏み切りの向こうにいる闇猫を見遣った。


「ち」


 え? 舌打ちした?

 闇猫は周りで大騒ぎしている人達の中、平然とした表情でこちらを見ていた。



 ――僕らは数日前、いわゆる『自殺サイト』なるもので知り合った。


 死にたいが、一人で死ぬ勇気が無いので、同士を募って皆で死のう、という人達が集まるサイトだ。アクセスの大部分は冷やかしや誹謗、中傷なのだが、確実に本気の人も混じっていると有名なサイト、らしい。そして僕も覗いてみたのだが、闇猫とはそこで偶然知り合ったのだ。


「えっと、なんであんなことしたのかな、闇猫さん」


 闇猫、というのもサイト内でのハンドルネームなのだが。


「死にたいのならいいかな、と思って」


 逃げるように踏み切りを後にした僕らは、駅から少し離れた公園のベンチに腰掛け、一息ついている。闇猫はいつの間に買ったのか、ソフトクリームなんか舐めている。ひと一人殺そうとしといて、随分余裕かましてるなぁ、コイツ……。


「確かに僕は死のうと思ってる。でもね、殺されるのはゴメンだよ」


 ここはもっと怒ってもよさそうなものだけど、僕はどうも怒るのが苦手だ。


「あら、どうして? 自分で死のうが殺されようが、結果は死ぬんだから同じじゃない?」


 心底驚いたような顔してる。ざっくりしてるなぁ、この子。


「全然違うよ。自殺は自分で時と場所を選んで納得して死ねるけど、殺される場合、それが出来ないじゃないか。現に僕は、電車に轢かれるなんてグロい死に方はしたくないと思ってるし」

「そっか。そうね。でも私、一度人を殺してみたかったし、グロいのも好きなの。ちょうどいいと思ってあなたを突き飛ばしてみたのだけれど、それは私の我儘だったという事ね。悪いことをしたわ。ごめんなさい、クロスケさん」


 ……なんかズレた子だな。


「いや、分かってくれればいいんだ」


 僕は胸の前に両手を広げ、闇猫の謝罪を受け入れた。

 うん。我ながら心が広い。どうせ死ぬんだし、大概の事は許せそうだ。


「じゃあ、どうやって死のうかしら? クロスケさんは何か考えて来ているのでしょう?」

「クロスケでいいよ。うん、やっぱり自殺サイトでの死に方って言ったら、『練炭自殺』が定番なんじゃないかな。僕はそのつもりだったけど」

「ああ、一時期多かったわね。なるほど、あれなら眠るように楽に死ねると評判だものね。ついでにキレイに死ねるのであれば、それに越したことはないわよね、クロスケ」


 評判て。近所の井戸端会議で聞いてきたみたいに。この子、見かけに寄らず面白いのかもしれないな。そう思うと、僕の口元は緩んでいた。


 ところで、僕は「闇猫」と呼び捨てにすることを許してもらっていないけど。てっきり「私は闇猫でいいわ」って言ってくれるもんだと思ったよ。しっかり僕は呼び捨てにされていますが。


「さて、そうと決まれば行きましょうか」


 すっくと立ち上がり、またしても僕の手を取った闇猫。胸がドキリと跳ねたように感じるのは、手を握られたからなのか? さっきは何も思わなかったのに。


 それより、今度はどこかに突き飛ばされないように警戒しなくちゃな……。




 ――僕らは、気付けばホームセンターの中にいた。


 闇猫は練炭と七輪をカートに入れて、レジへとずんずん突き進む。あまりに無駄の無い彼女の動きに、僕は付いていくので精一杯だ。


 その時ふと、僕は一つの懸念を持った。


「闇猫さん、ちょい待ち」


 少し歩速を速めた僕は、闇猫の前に回りこみ、彼女の表情を観察する。

 う。かわいい。けど。


「何?」

「――ダメだ。そんな顔して、そんな物レジに持っていったら、警察に通報されるかも知れないよ」


 眉間に皺を寄せ、決意に満ちた闇猫の顔は「これから自殺します」と誰が見ても分かるだろう。大体、高校生が買うような物ではないのだから。渋すぎるチョイスだし。


「見た目通り細かい事に気がつく人ね。分かったわ。では、こうしましょう」

「え?」


 見た目通り? 僕、そんなに神経質そうに見えるんだろうか? とりあえず褒められた気はしないな。いや、絶対褒めてないよね。


 そんな細かい事に気を取られていた直後、僕は彼女への可憐なイメージを崩壊させることとなる。


「きょ~おは楽しいサンマの日~! 本格派~にはやっぱり七輪~!」


 土曜日の昼下がり、満員の店内に、闇猫の陽気な歌声が響く。沢山のお客さんが僕らを訝しげに凝視しつつ、固まった。分かりますよ、皆さん。「こいつおかしい」「普通じゃない」「アブナイ」って思ってるんですよね……。実は僕も思ってますよ、ええ。


「サ、サ、サンマ~、サ、サマンサ~!」


 サマンサって誰だよ? 闇猫はそんな冷ややかな視線にも屈することなく大声で歌い続け、更にスキップまで加えてレジへとショッピングカートを運んでいった。猛スピードのカートは、途中小学生やお年寄りを跳ね飛ばした。吹き飛ばされた人が陳列棚に激突し、商品が落下する。


 湧き起こる悲鳴。飛び交う怒号。泣き叫ぶ子供達。

 店内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。

 だが、闇猫はそんなことお構いなしだ。


 どんだけサンマが楽しみなんだよ、そのキャラ!


 ――あれだけの騒ぎを起こしながらも、奇跡的に練炭と七輪を手に入れる事に成功した僕らは、次の障害に直面していた。


 先ほどの公園のベンチで、七輪と練炭、そして一応怪しまれないように買ったサンマを抱え、並んで座る僕ら。そんな僕達を横目で不思議そうに見ながら、子供達が駆け抜けてゆく。


「……盲点だったわね。高校生である私達には、車のように手軽な密室が用意出来ないわ……」

「そうだね。いや、僕は気付いていたよ。でも、闇猫さんの動きが早すぎて、議論する暇がなかった」

「あら? 私のせいにするつもり? いやだ、心の狭い男ね」


 おいおい、それは心外だな。つい今さっき、僕はキミに殺されかけたことを許しているんだけれども。


「そういうつもりで言ったんじゃないよ。しかし、ホントどうしようか?」

「そうね……。じゃあ、ラブホでも行く?」


 ブーッ! 

 僕は飲んでいた缶コーヒーを盛大に噴き出した。


「なななな、なんでそうなる?」

「何慌ててるの? 密室に出来そうで邪魔が入らない所なんて、ラブホくらいしかないでしょう?」


 涼しい顔をして、なんという恐ろしいことを。


「ぼぼぼ、僕はそんなとこ入ったことないから分からないよ! てか、そんな事したら、そのラブホに迷惑がかかるじゃないか」

「いやね、私だってラブホに自分で入ったことなんてないわ。でも、友達からの話を聞く限り、なんとかなるんじゃないかしら」

「友達いたんだ……」

「そこ、疑問に思うとこなの? 不愉快だわ。特にあなたからそう思われるのが」

「重ねてくるなぁ。不愉快さが二倍になって返ってきたよ……」



 ――そんなこんなの議論の末、僕らは今、ラブホテルの前に立っている。


 夢と魔法の王国を想起させるメルヘンな外観を持つこのラブホは、僕の持っていたイメージとは程遠いものだった。なぜこんなに可愛らしいんだ? ここですることって、普通、アレしかないだろ?


「はぅ」

「ん?」


 ちょっとだけ想像したら急に恥ずかしくなり、おかしな声が漏れた。そんな僕の顔を、闇猫が小首を傾げて覗き込む。やめてくれ。意識しちゃうじゃないか。顔がどんどん熱くなる。なんか変な汗が出てきた。


 なにしろ僕には、キスの経験すらない。それ以前に、お付き合いしたこともないんだから。そこまで考えたら心がマッハで落ち込んだ。


 うん。やっぱり死のう。その前に、だ。七輪と練炭、そしてサンマの生臭い匂いを漂わせる高校生のカップル。


「入れねーだろ、これ!」


 という僕の予想はあっさりと覆された。


 中に入ればロビーは無人。各部屋の内部写真がパネルにより壁一面に展示されている。凄い。露天風呂が付いている部屋まであるのか。カラオケ、ゲーム、映画に食事……なんでも揃っているんだなぁ。初めてのラブホに戸惑う僕を尻目に、闇猫がなにやらボタンを押す。と、部屋のカードキーが出てきた。


 監視カメラはあるけれど、何も言われない。制服でもウェルカム? コスプレだとでも思っているのか? 本当に高校生なのに。だとしたらショックだ。まぁ、一応七輪も練炭も紙袋で隠しているし、おかしな道具を持ち込む怪しいカップルなんて、結構いるのかも知れないな。いや、僕はどんな物をどんな風に使うのかとか、全然知らないんだけれど。本当に。


 そわそわしている僕に気付く事無く、闇猫がロビーのすぐ脇にあるエレベーターのボタンを押した。ほどなくドアが左右に開き、四人乗れば一杯になるであろう鏡張りの箱内をさらけ出した。


「行きましょう」

「う、うん」


 ドキドキする! なんだ、このドキドキは! 違う! 僕らはラブホを本来の目的で使用する為に来たんじゃない!


 そう自分に言い聞かせるも、胸の動悸は速まるばかりだ。

 闇猫がカードを差し込むと、ガチンと小気味良い音がして、扉のロックが外れた。ノブを引き、ドアを開けると、部屋の玄関の照明が自動で点き、思いのほかオシャレな空間が目に飛び込んできた。僕が見た事もないような大きなベッドも、嫌でも視界に入ってくる。


「いけそうね、このお風呂。換気扇とドアの所をガムテープで目張りすれば、完全な密室が作れるわ。それにしてもこのお風呂、どうしてガラス張りなのかしら? これじゃあ外から丸見えだわ」


 闇猫は初めてのラブホにも全く何の感慨も湧かないのだろう。本当に初めてなのかは知らないが。……おっと。こんなこと言ったら殴られそうだ。


 練炭を置くと一目散にバスルームに入り、中を調べている闇猫は、自らの提案の正しさに安心しているようだ。天井に取り付けられた換気扇へと手を伸ばし、背伸びをする闇猫。上の制服とスカートの隙間から、白く細い腰がチラリと覗く。


 お、落ち着け、僕! 

 僕は何食わぬ顔をして赤い革張りソファに腰を下ろし、平静を取り繕った。


「な、なぁ、闇猫さん。闇猫さんはどうして死にたいの? そんなにかわいいのに」

「あら、ありがとう。でも、それは言えないわ。クロスケこそ、今流行の眼鏡男子だと思うのだけれど、なぜ死のうと思うのかしら?」


 闇猫は僕の隣に寄り添うように座ると、逆に質問を返してきた。二人掛けのソファは、どうしても太ももが密着してしまう。伝わる闇猫の温もりに頬が熱くなる。


「ぼ、僕は……家が医者で……でも、親の期待に応えられるような成績が取れなくなったから……」


 喋りがしどろもどろになってしまう。うう、情けないぞ、自分!


「ふぅん。いかにもな理由で、つまらないわね。もっとこう、兄が変態で、毎晩おかしなイタズラをされるとか、血の繋がった妹に欲情してしまってとか、刺激的な理由を期待していたのに」

「……期待に応えられなくて良かったよ。てか、人の死ぬ理由で面白がろうとするなよ」

「あら? どうせ死ぬなら、楽しまなくちゃ損じゃない?」

「何その一瞬納得しそうになる理屈。僕が言ってるのは……!」


 そこで、言葉が止まった。


「……どうしたの?」


 きょとんとして上目使いに僕を見る闇猫。僕はそんな彼女を身じろぎもせずに見つめ返していた。


 なんて綺麗な瞳だろう。真っ直ぐに迷い無く僕を射抜く視線に息を呑んだ。


「……そうだ。どうせ人は、死ぬんだ」

「何を当たり前の事を言っているの? そうよ、人は放っておいても七八十年も生きれば、勝手に死ぬわ」

「なら、死ぬまで楽しく生きたほうがいいに決まってる。……僕は何を悩んでいたんだろう。勉強が出来ない? 親の期待に応えられない? それがどうしたって言うんだ? そんなことが出来なくても、死んだ気になればどうやってでも生きていけるんじゃないか? もっと楽しいこと、いっぱいあるんじゃないか……?」


 そうだ。例えば今体験しているドキドキは、僕の今までの人生には無かったものだし、凄く楽しい。 闇猫といるこの時間、僕は楽しんでいるんだ。


 人生には、僕の知らない楽しいことが、まだまだある!

 今死ぬなんて、勿体無くはないか?


 これまでに何度も考えた末の、自殺という結論だった。でも、想像するのと体験するのとでは、こんなにも……それこそ天と地ほどの違いがある。


 恋は、特にそうなのかも、な。


 僕は、誰の為に生きているんだろう?

 僕の人生は、誰のものなんだろう?

 辛いのなんて、今だけだ。

 絶対、希望があるはずだ!

 必ず、幸せが訪れるはずだ!

 まだ頑張れる。

 僕はまだまだ、頑張れる!


「闇猫さん。悪いけど、僕、死ぬのやめるよ」

「そう。偶然ね。私もそうしようと思っていたところよ」


 闇猫はそう言って、イタズラっぽくクスクスと笑う。


「え? そうなんだ。でも、なんで?」

「こんなにドキドキすることがあるのなら、生きていくのも悪くないかな、って思って」


 闇猫は意外な答えに目を丸くする僕に向け、ほんのりと頬を紅潮させながら、満面の笑顔を作った。初めて見せた闇猫の笑顔が、僕の胸を温かい気持ちで一杯に満たした。



 ――ラブホテルを出て、夕闇に染まる公園で焼いたサンマは、通りすがりの猫に奪われた。僕らは二人、「マンガみたいだね」と笑った。空に一際強く輝く一等星に再会を誓い、僕らは家路につくことにした。


「じゃ、またね」

「うん。またね、クロスケ」


 次に会う時には、もっと沢山話したい。

 彼女の事を、もっと知りたい。


 小さくなってゆく闇猫の細い背中を見送りながら、未来を心待ちにしている自分に気がついた。 


「またね……、か」


 いい言葉だなと思い、月を見上げた。      



                                ~END~


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短編集「みねうち」 仁野久洋 @kunikuny9216

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