自分は父を殺してしまったのではないかと今でも思っている
伊藤全
自分は父を殺してしまったのではないかと今でも思っている
父が他界しました。
最後を看取る事が出来たのですが、
その時の事を考えると今も後悔に押しつぶされそうになります。
これは『ここからは”看取り治療”になる』と聞いていたのに、
回復するのではないかと勘違いしてしまったバカな私の話です。
自分は父を殺してしまった。
その告白と懺悔です。
過去に何度か助からないと言われながら回復してきた父。
以前入院した時なんて、数日意識が戻らなかった後に回復した事もありました。
最後の入院の時も、苦しそうだけどちゃんと反応する父を見て
また元気になってくれるんじゃないかと思っていました。
『今夜が峠』と聞き、
それを超えられたら回復するのだと思い込んでいました。
そんな浅はかな私は父を苦しめ、死を早めてしまいました。
最後の三日間とその後の話を聞いてください。
父と仲は良かった方だと思います。
いえ、正確には、仲良くというか、逆らえないというべきでしょうか。
厳格で、まさに昭和の頑固親父。
友達らしい友達もほとんどいなかったと思います。
そう、実際には人間的に問題もあったと思います。
お見舞いに来てくれるという人にさえ、
入院中の情けない自分の姿を見せたくないと断ってしまったりと
良く言えばプライド高い人、悪く言えば自分勝手な人。
ですが、自分に自信がなく、どちらかと言えば人に依存してしまう私から見ると
父は恰好良く見えました。
生きるのに不器用、意地やプライドを優先する人。
そんな姿がストイックに見え、畏怖と尊敬の対象であり、恰好良い思っていました。
そんな父が他界しました。
父と仲が良いと書きましたが、巧く疎通というか
会話はできていなかった気がします。
本当はもっと色々話せば良かったのではと思うのですが、
私は父が望んだ事を叶える事もせず自分勝手に生きてきてしまったので、
私が何か言う事で機嫌をそこねたり、ガッカリさせてしまうのではと思うと
喋れる事がみつからなく、当たり障りのない都合のよい事ばかり言ってしまい、
しかもそれすら実行しないダメな子供であったと思います。
父は30年ほど前に胃ガンになりました。
当時幼かった私はそれが命に関わるレベルの事だったと理解できずにいたのですが、
かなり危なかったようです。
ですが、幸いにも手術は成功しました。
さらにその後も三度にわたるガンの再発。
その都度助からないと言われ、姿もまさに骨と皮という感じになっていたのですが、
ことごとく生還し、ある意味タフな人だったのだと思います。
とはいえ、二度目の手術では胃の殆どを摘出。
膀胱等も摘出したため様々な人口器具をとりつけ、段々動く事も辛くなっていき、
晩年はあまり外に出る事もできず、楽な30年ではなかったと思います。
他界する1年前、三度目の手術からあまり時間がたたないままのガンが再発。
体力的に手術は望めず、そこからは薬による治療を行う事になりました。
それからは段々と入退院する事が増えました。
『今回は出る事ができない気がする』
そう言って最後の一か月となる入院をしました。
今思うと確かに覇気がなかったと思います。
それでも相変わらずのタフぶりを発揮、段々と元気を取り戻していく父に、
今回も回復するのではと感じるほどでした。
入院から三週間ほどたった金曜日の事でした。
母から、父が『看取り治療』の状態に入ったと連絡があり
会社を早退して病院へ向かいました。
『看取り治療』
私はそれがどういう物なのかを理解していませんでした。
それは、回復や治療を前提にしない、まさに看取るための物だったのだと思います。
実際にそうだったのだと思うのですが、
情けない事に、ちゃんと病院側に内容の確認しなかったのです。
その言葉の響きや、自分の勝手な想像で、
父はもうすでにドラマ等でみるような危篤状態になっていて
後は息を引き取るのを待つだけになっていると想像していました。
ですが、病院に到着したところ
治療を受ける父は苦しそうにしていましたが意識もあり
こちらの言葉に反応もしてくれました。
父の事だから、この状態を乗り越えればまた元気になるのでは?
まだ回復する見込みがあるのでは?
そう思ってしまいました。
だから、まだ先があると思っていました。
回復した時、入院が長くなるとお金どうしようかな。
週があけて、会社どうしょうかな。
そんな酷い事すら考えていました。
もちろん心配でした。
だけど、今回もまだ大丈夫なんじゃないかと思ってしまっていたのです。
息も絶え絶えであり、瞳も濁ってはいたのですが呼べば反応してくれる。
濁っていた瞳が綺麗な色になる。
目に光が戻る。
だから意識があるのだとわかりました。
今は苦しそうだけど、乗り越えればまた元気になると。
『今夜が峠です』
そう聞いてはいたのですがピンときておらず、
峠を越え、朝になれば回復しているのではないかと思っていたのです。
当初、母が付き添いしていたのですが、母は腰も悪く、
病院で用意された簡易ベッドで過ごすのは辛いだろうと思い、
夜は私が付き添いをする事にしました。
家は病院から近いので何かあったらすぐに母を呼べば良いと思ったのです。
この状態になる前日の夜中、父は母に助けてくれと電話してきたそうです。
そんなのは初めての事でした。
頑固で弱音を言いたがらない人。
プライドの方を優先する人。
そんな父が助けてくれと電話してきたのが驚きでした。
さらに聞いた話では、前日の面会時間に
入院時に持ってきていたお金を母に渡してきたそうです。
何か思うところがあったのかもしれないです。
そんな夜明けに容体が急変し、明け方になって私に連絡が入ったのでした。
もうまともに喋る事はできていなかったのですが
苦しそうにしている時と、静かに眠ている時があり、
寝ている時は安静に見えました。
その横にいたため、段々慣れてきてしまっていたんだと思います。
意外と大丈夫なんじゃないかと。
苦しそうにしている時は凄い目をしていました。
必死というのはこういう事を言うのだろうという目。
タンがつまり、息がしづらいらしく
身体を起こしたり、寝る位置を変えたりしていました。
それが長く続く時は看護師さんに頼み、喉のつまりをとってもらっていました。
それが巧く行くと一時的にですが楽になるようでした。
ただ、その処方中はとても辛そうでした。
喉に吸引機を入れるのですが、口に入れられた吸引機を手でどけようと嫌がっていました。
だけど、これが終われば楽に息ができる、楽にしてあげられる。
そう思った私は、父にはもう抵抗する力が無いのをわかっていたのに、
その手を押さえてしまいました。
言い訳すると、私は本気で押さえていないから、
本当にマズイ場合は振りほどいてくれるだろうと思い込んでいました。
違うんです。
本当にそんな力が無かったんです。
あまりの苦しさに起き上がったり、姿勢を変えてはいたけど、
もう父にはそんな力は無かったんです。
だけど私はそれを理解できずに父を押さえてしまったのです。
私が殺したんです。
辛がっていたのを押さえつけて殺してしまったんです。
あんなに嫌がっていたのに、
苦しがっていたのに、
できるだけ苦しませたくなかったのに。
これを乗り切ればまた回復するなんて思っていたんです。
それどころか、元気になった場合の入院費やお金の心配をした、最悪な人間なんです。
ただ、この時の処置では呼吸が楽になったらしく、静かに眠ってしまいた。
本当に安らかでした。
私は父を起こさないようにと思っていたのですが、
だけどその手を握ってしまいました。
本当は色々な事を言ってあげたかったんです。
私が父を好きだった事、
尊敬していた事、
何かをしてあげたかった事。
だけど、言うなら、やるなら、今じゃなく、
まだ父が動けた時にするべきだったんです。
それはわかっているから、ただの私のエゴなんです。
口ばかりで何もやらなかったのです。
だけど、そのエゴすら中途半端でした。
入院しはじめの頃、
お見舞いに来た時に「父の事を尊敬していました」的な事を言ってしまったら
父に死が近いと悟られてしまうのではと思って何も言いだせないで帰っていました。
ですが、この夜にやっと言えた気がします。
わからない。
もしかしたら言わなかったかもしれません。
頭の中で捏造しているのかもしれません。
言っていたとしても、父は寝ていたから聞こえていなかったと思います。
両手を握り、顔を近づけました。
早く良くなってまた出かけよう。
今まで一緒に旅行に行った事がないから今度こそ出かけよう。
そんな言葉です。
『アイツはいつも口ばかりで実行しない』
いつもそうガッカリさせていました。
ただ実行すればいいだけの事を、
実行する時間がないからと言い訳し、
これ以上ガッカリさせたくないと言い訳し、
何も言わなくなりました。
でも言えば良かったんです。
まだ話せた時に言えば良かった。
父が動ける時にやれば良かった。
今になってそんな事を言っても遅いんです。
もっと前にできる事があったのにやらなかったんです。
ここ数年、父は幸せだったのだろうか。
私はこんな感じの人間ですから、頼りにならなかったでしょう。
どんどん体力がなくなっていき、外に出る事も辛くなり、好きだったゴルフや釣りにもいけなくなり。
父は幸せだったのだろうか、いまさらそんな事を思っています。
そんな事を考えながら、この夜を過ごしました。
私は父のベッドの横に置いた簡易ベッドで何度か寝てしまいながら朝を迎えました。
何度か起きるたび、苦しそうですが寝息を立てている父がいました。
そして朝になりました。
『今日が峠』
朝になっていたので峠を乗り越えたのでは?
私はそう思っていたんだと思います。
しばらくして母が来ました。
それから昨日と同じような事の繰り返し。
段々と父は大丈夫なんだという思いが強くなり、私は父の横で仕事を始めました。
本当は静かにするべきだったのに。
話しかけたり、何かしてあげるべきだったのに。
私はノートPCで文章を書いていました。
本当にバカだと思います。
頭がどうかしています。
締め切りがあるからといって仕事をしていたんです。
しかも、こんな状態だから父の側にいなければという中途半端な考えで。
本当に自分の都合ばかりです。
言い訳ばかりです。
それからまた夜が来て、母を家に帰しました。
このまま朝がきて、父の調子が変わらなかったら明日の夜にはいったん帰るろうかな
そんな事まで考え始めていました。
そしてまた夜が明け、朝方になりました。
6時位だったでしょうか。
気が付くと苦しそうにしている父がいました。
看護師さんを呼んでタンの除去をお願いしました。
吸入器を口にいれ、辛そうにしている父。
私はまた父の手を押さえていました。
嫌がっている父を押さえ続けました。
本当に嫌がっていました。
なのに押さえ続けました。
なんとかタンの除去は終わりました。
父は再び静かに眠りはじめました。
そのまま、しばらくは静かだったと思います。
だけど急に警告音が鳴り出しました。
父に取り付けられている機械の音が止みません。
父は静かに寝続けているのに止まらないんです。
再び看護師さんに来てもらいました。
『お母さんを呼んでください』
何を言われているのか理解できていませんでした。
血圧が下がったまま戻らないと言われました。
その時になってやっと、父の容体が危険なのだと。
今更になってやっと、本当に危ないんだと。
この時になってやっと
看取り治療とは、回復するための処置はせず、
文字通り看取る事を前提の処置だったのだろうと理解したのです。
急いで母に電話しました。
幸いにも起きていて、病院に来る準備はできていたので、すぐに来るとの事でした。
その間にもドンドン血圧が下がっていきます。
私はどうしていいかわからず、手を握りました。
看護師さんが先生を呼びに行きました。
何度も話かけると、手に力が入りました。
意識があるとわかりました。
目に光が戻りました。
だから呼びかけました。
謝りました。
謝ってどうにかなるはずがないのに謝りました。
母が来るから、頑張ってくれと懇願しました。
こんな状態なのに元気になってくれと言いました。
それを繰り返していました。
だけど、何度か繰り返すうちに目に光が戻らなくなりました。
手に力も入らなくなりました。
機械に表示される心音が下がっていきます。
もう0になりそうです。
いえ、0になっていたかもしれません。
警告音は止みません。
このまま心臓が止まってしまうのではないかと怖くなって
心臓マッサージをしてみました。
だけど、強く心臓のあたりを押すと骨が折れてしまうんじゃないかと怖くなりました。
こんな風にしていいのかわからなくなりました。
警告音は止みません。
母はまだ来ていません。
何故、母を帰らせてしまったのか。
帰らせるなら、どうしてもっと父に優しくできなかったのか。
ずっと手を握ってあげていても良かった。
話しかけても良かった。
なのに私は何もしなかった。
仕事なんて始めてしまった。
どうしようもない愚か者です。
私は父さんの子供に生まれて本当に幸せだった。
そう言えたのかさえ覚えていないんです。
最悪な人間です。
結局は自分の気持ちを満たしたかっただけだったのです。
体裁も、くだらない思慮もせず、やってあげるべきだった。
だけど実際は苦しめてしまっただけでした。
押さえつけて苦しめてしまっただけでした。
医療の事は詳しくわからないけど、
やるべきは、痛みをとってもらう事、
苦しさを少しでも減らしてあげる事だったのではないでしょうか。
モルヒネとかで楽にしてあげてくださいと
お願いするべきだったのではと今になって思います。
なんで苦しそうにしてるのに、嫌がってる事をやってしまったのだろうかと。
「これを我慢したら楽になるから」そう言って無理をさせました。
何故この後に及んで我慢しろなんて言ってしまったのだろうと。
我慢させるような事をしてしまったのだろうと。
私が殺したんです。
また回復すると思っていたんです。
でも余計に苦しめただけだったんです。
本当はこの日、父に会いに来る予定だった人がいたのに
私が父の死を早めてしまったんです。
母にさえも会わせてあげられないような事をしてしまったんです。
何度も呼びかけました。
母がくるから。
父に会いに来る人がいるから。
だから待って。
いかないで。
本当に救いようのないバカです。
私がしてしまった事なのに。
絶望だけが頭を埋めていきました。
後悔だけがわき出てきました。
言い訳だけが溢れ出してきました。
そんな中、母が来ました。
間に合ってくれました。
母と二人、父に呼びかけ続けました。
心臓が止まっても脳は止まらない。
脳波は動いている、聞こえているはずと先生が言ってくれました。
呼び続け、
ほんの少しだけ手に力が入って、
母が来たことを気づいてくれたような気がしました。
わかりません。
それも私が勝手にそう思っただけなのかもしれません。
それからは反応らしい反応はなく。
そのまま父は他界しました。
実際とは違っているかもしれません。
正直に言うと良くわからなくなっています。
ただ、最後の最後まで父を苦しめてしまった。
その後悔がずっと残っていました。
看取り治療になったと言われた時点では病院へ行かず、
いっそ父が亡くなってから行けば良かったのではないかと
そんな酷い事も考えていました。
そうすれば、自分が後悔するような事をしなかったのでは
父を苦しめるような事をしないで済んだのではないかと。
だけど最後まで一緒にいれて良かったという気持ちも本当です。
全部本当だけど、この後に及んで保身しかしていないんです。
でも本当に父に何かしてあげたかったんです。
尊敬していたんです。
でも、後悔の方が大きかったのです。
その後。
仕事が忙しかった事。
式の用意が忙しかった事。
家族が支えてくれた事。
友人が慰めてくれた事。
寝ている以外は何かしらあったので頭が回らず
それゆえに後悔をこねまわさずに済みました。
本当にあっという間でした。
一通りが終わり、父を送った週末の朝だったと思います。
夢を見ました。
昔住んでいた家に何故か父が一人で座っていました。
声は聞こえなかったのですが「背中が拭けない」と困っているのがわかりました。
私は背中を拭いてあげる事にしました。
最後には体重40キロを切っていた父。
骨と皮の身体。
『改めて見ると随分小さくなったなぁ』
そう思いながら背中を拭き続けていると腰のあたりに穴が開いていました。
この30年、ガンで色々な内臓を取ってしまったために
ずっと人口器具をつけていた父。
その器具が外され、穴が空いているのだと気づきました。
『ああ、そっか、もう器具をつけないでいいんだね』
父の身体を拭き続けました。
『大変だったよね。もうつけないでいいんだね、良かった』
そう思ったら目が覚めました。
父はもういない事を思い出しました。
父が亡くなってから初めて嗚咽をもらすほど泣いていました。
ただただ謝り続けました。
式が終わるまでは泣いている暇もない、
みたいな話を聞きますが本当なんだと実感しました。
後になってこの夢の話を母にしたところ
実際の器具は身体の前側にあり、後ろ側にはついていなかったと聞きました。
この事で私は父の身体を詳しく知らなかった事を再認識しました。
プライドが高く、意地でも器具が付いている身体を
見せたくなかったんだろうなとも思いました。
あれから一年。
何度もこの文章を書き直していました。
正直に言うと今も父が死んだ実感がないんです。
ずっと、今回書いた事を考えないように逃げていました。
1年たち、一周忌を終えたいま、
やっと、この夢を見たのは
あの夜できなかった事をさせてもらったのかもしれないと思えるようになりました。
誰かに聞いて欲しくてこの話を書きました。
自分の後悔を聞いて欲しかったのと
もし、同じような状況になった時に、
私みたいな勘違いをしないで優しくしてあげられる人がいたらいいなと思って書きました。
父の事が大好きでした。
尊敬していました。
今もそうです。
ずっと。
忘れません。
ごめんね父さん。
ありがとう父さん。
あなたが大好きでした。
自分は父を殺してしまったのではないかと今でも思っている 伊藤全 @zen_itou
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