後編 二人目のバスコーニ
ニト、と名乗った子供の熱心な話を、コビードは途中から聞いていなかった。
今までも何度か弟子入りを志願する若者はいた。しかし相手の力量や人柄問わずに断ってきたし、今回の相手は雑用もこなせないような細腕だ。
青白い肌と痩せっぽちの体、そして頭に乗る大きくて奇妙な帽子は何なのだ。コビードは睨む。黒くて起毛した布地のそれは、森に住む魔術師が被るもののようだった。
妖の術を使う魔術師の存在を、コビードは快く思っていなかった。例え治癒の術や悪魔を倒す目的の術であっても、自然に反した奇跡を起こす魔法を、コビードは不要のものだと考えていた。
年齢を見てもニトを魔術師だとは思っていなかったが、なぜこんなものをかぶるのか、こそこそと顔を隠すような行為が受け入れられなかった。影から目だけをギョロつかせる姿はおぞましいではないか。
「話は終わりか。なら出ていけ」
コビードの冷たい言葉に、ニトは黙る。その隙にコビードは立ち上がり、店の奥に引っ込んでしまった。
風の強い日だった。修理の終わった時計を抱え、コビードはニーズの村を歩いていた。目指すのは村で一番大きな屋敷。屋敷とはいっても村で唯一、二階建てで独立したキッチンがある、という慎ましいものである。変わり者の異種族二人を快く迎えてくれている村長一家の家だった。コビードが最初に村を訪れてから、もう八人目の村長である。
村長の奥方が、コビードの帰宅を知り、早速修理を頼んできたのだった。
「コビードさん、ちょっと寄って行ってよ」
露天で煙草と菓子類を売っている村の男が声をかけてくる。
「新しく入れた蒸留酒なんだ。俺は飲めない体質なんで、味を教えてくれよ」
男はそう言いながら青色の綺麗なガラス瓶を差し出してきた。酒に目がないコビードは遠慮なくいただくことにする。
強い糖蜜の匂いにコビードは唸った。
「うまい。メリムデからの舶来品だな?」
「製法はね。隣村で作り始めたらしいんだ。うまいなら定期的に送ってもらうとするかな」
得意げな店主にコビードが頷いた時だった。後方が騒がしくなる。振り向くと村の子供たちが村の外に向かい、何かを囃し立てていた。相手は黒い鍔広帽子をかぶるニトである。コビードは少し眉を動かした。
「あれは?」
子供たちの様子は決して友好的ではなく、むしろ排除するかのように石まで投げる子もいる。他の子供よりも一回り小さく、痩せたニトを取り囲む、というあまりの光景にコビードは思わず質問していた。店主の男はコビード越しにそれを見、頭をかいた。
「いつの間にか村に居ついたジプシーの子供でねえ、みんな持て余してるんだ。どうも親がいないみたいで、どうやってここまで来たのかも分からないような子なんだよ」
男が言うのは無論、ニトのことである。その説明を聞いてコビードは尚更、あの怪しげな見た目は何とかならないのだろうか、と疑問に思った。あれでは子供たちの輪に入れないのも無理はない。
鼻を鳴らすコビードに、店主の男は包みを渡してきた。重さからして酒ではない。包装紙越しに窺える形状や感触で、店に並んでいる菓子類だと判断できた。
「それ、渡しといてくれないかなあ、あの子に。俺、ダメなんだよねえ、ああいう境遇の子。でも俺から渡すと訝しがられそうでさ」
「わしから渡しても訝しがるだろうよ」
「いやいや、コビードさんなら村に滅多にいないし、大丈夫だよ」
コビードには店主の言い様を理解出来なかったが、酒を振る舞ってもらった手前、頑なに断るのも気が引けた。渋々引き受けると、包みを懐に仕舞う。店主に挨拶すると本来の目的である村長の家に向かった。
用事を済ませ、村を出て林の小道を歩いているコビードの目に、黒い帽子がチラチラと入った。うずくまり、何かを探す様子のニトの方は、コビードに気づいていないようだった。しばらく様子を見ているが、どうも木の実やきのこの類を探しているようである。それはニトの空腹具合を嫌でも窺わせた。
「おい、小僧」
低音の呼びかけにびくりとなる。振り返る顔はやはり帽子から目を光らせたもので、コビードは眉を寄せた。
「腹が減っているのか」
気難しい顔のドワーフにニトは恐る恐る頷いてみせた。コビードは無遠慮に近づくと、ニトの手に包みを握らせた。
「村の露天商の男が寄越した。お前に、だそうだ」
コビードが手をどけると同時に、薄紙の包みが解ける。中から現れたのはショートブレッドとジャムを挟んだビスケットだった。ニトの顔は明らかに遠慮に戸惑っていた。しかしそれも一瞬のことで、餌に食いつく獣のように菓子を頬張る。
夢中になって口を動かす子供に、コビードは心底嫌な物を見るように顔を歪める。そして呟いた。
「家に来い」
「え?」
問い返しには答えず、黙って歩き出し、一度だけ手招きをする。ニトはしばらく固まったままだったが、全てを理解すると慌てて老ドワーフの背中を追いかけだした。
煙と硫黄の匂いが充満する工房に彫刻機が回るガタガタという音を響かせ、背中を丸めて銀細工を制作するドワーフへ、大きな鍔広帽が近づく。
「師匠、道具は磨いておきました」
頭を下げるニトにコビードは鼻を鳴らす。
「師匠はやめろ、コビードでいい、と何度言えばわかるんだ。薪は割ったか? まだなら早く行ってこい」
ニトがバスコーニの店で働きだして一月が経った。季節はまた寒い季節に近づきつつあった。毎日のようにコビードは「弟子にした覚えはない、図々しい」とぼやきながら鼻を鳴らす。それでも仕事を与えるドワーフに、ニトは必死で食らいついていた。
しかしハンマーを持たせればひっくり返り、鉱石を洗わせようにも重さでまともに運べない。薪を割れるようになったのがつい最近、というのがニトの状況であった。まさにコビードの言うところの「この体たらく」である。コビードは捨て猫を拾ったも同然の自分を、苦々しく思っていた。情にほだされるような性分なら、とっくに何人かの弟子を取っていた。なぜあの少年を受け入れたのか、はバスコーニを失った寂しさでもあったんだろうか、とうなだれる。
その時、工房の外から大きな音がする。カラカラと乾いた音から察するに、ニトが薪をばら撒いたのだろう。コビードは「またか」というぼやき混じりに立ち上がった。
外に出ると案の定、ニトが散らばった薪を慌てて拾い集めている最中だった。
「また欲張って抱えて、落としたな? 時間がかかってもいい。その代わり全部やるんだ」
「すいません、気をつけます」
ニトは雨樋の下の薪置きに新しいものを追加すると、ふうと息を吐き、帽子を深くかぶり直した。
「その帽子は何なんだ? 似合ってもいないし、邪魔なだけだろう」
コビードの質問にニトはもじもじとする。「これは……」と呟いてからは、言葉を探すように目を動かしていた。
「これは僕を育ててくれた人の形見なんです」
ニトの初めて聞く話に、今度はコビードが言葉を失ってしまった。
「親、というような存在ではなかったけど、僕をここまで育ててくれた人です。……残念だけど死んでしまったので、帽子だけいただいてきました」
「その者の名前は?」
「西の森の魔女、モゼリンです」
それを聞き、コビードは内心「やはりな」と合点する。魔女のような帽子だ、ではなく本当に魔女の物だったのだ。魔女モゼリンの名前はコビードも知っていた。人間だというのに歳は二百を超え、夜は森の中に大量のフクロウを放し、昼はいつも小屋から紫色の煙を上らせていた魔術師だった。バスコーニとコビード以上の世捨て人だと思っていたが、まさか子供を育てていたとは。
「……すまなかった、モゼリンを慕っていたのだな」
謝るコビードにニトは驚いて目を大きくしていた。
「善人ではなかったけど、僕にはいい人でした」
その言葉だけで、モゼリンという魔女の人となりをよく表していた。
ニトが『バスコーニ』に来て二月経った。コビードが井戸で手を洗っていると、林の中から村の子供たちが覗いていた。コビードが睨みつけると、少年二人は慌てて逃げ出していった。
店に戻ると店番をしているニトと客が会話している。その会話には加わらず、コビードは奥の工房に引っ込み、定位置の椅子に座り込んだ。
ここ最近は不器用なニトを職人として働かせるのは諦め、売り子として使っていた。しかしこれは懸命な判断であったようで、ニトは客の対応が上手かった。下手すぎるコビードと比べて、ではなく、客の要望を引き出し、最適な商品を与えることに優れていた。今も無骨でいかにも話下手な戦士の要望を辛抱強く聞き、アドバイスしてやっている最中だった。
「怪鳥退治に行くのだ」
「この時期ならロウタイ山ですね? ならアーマースーツを着込んで行くなんて無茶です」
「しかし大ロウタイ鳥の巨大な鉤爪に備えなくては」
「ならヘッドギアにしましょう。彼らは頭を狙ってきます」
親切なことだ、とコビードは苦笑する。しかし自分が採掘の旅に出る時に、妙な怪鳥はいない方が都合はいい。持ちつ持たれつ、と納得することにした。
そしてまた旅を出ることについて考える。店を空けることになるとしたら、ニトをどうするべきか。連れて行くのか、置いていくのか。両方の行末を想像してから『本人に聞く』という至ってシンプルな答えに行き着くと、コビードはまた鋼を伸ばす作業に戻った。
「僕が決めていいんですか?」
ニトの驚く顔を受けて気恥ずかしくなったコビードは、
「自分の意見も言えんのか」
と叱りつけた。夕食のブラウンシチューから伸びる湯気が、ふわりと揺れた。
「もちろん、付いていきます」
ニトの力強い答えは、コビードの予想とは違うものだった。うるさい老人と旅するよりは、店番の方が楽だろうと思っていたのだ。ニトはシチューを食べる手を止め、興奮気味に語る。
「僕は薬草学に詳しいです。モゼリンに習いました。きっと旅に役立ちますよ。それに鉱石や地層学も勉強中です」
「ほう」
素直に感心したコビードは感嘆の声を上げると髭をさすった。
「それに、師匠は数字には弱いです。僕が一緒の方が絶対にいいです」
「余計なことを言うな」
コビードはむっとして眉を寄せるも、本当のことなのでそれ以上叱らなかった。
「出発は10日後にするとしよう。それまでに村の警備隊からの発注品を片付ける」
そう言ってコビードは蒸留酒を飲み干す。村では周辺に住むコボルトたちが繁殖期を迎えた為に、慌ただしくなっていた。コボルトが村を襲いに来ることは無いが、農作物を荒らしにくる場合は追い払わなくてはならない。
「わかりました。忙しくなりますね。どこに向かうんですか?」
「……タタゼラ坑道だ」
ニトの質問に、コビードはなぜ一瞬詰まってしまったのか、分からなかった。
それからの数日、ニトはいつも以上に張り切っていた。声は弾んでいたし、力仕事も可能な限りは頑張っていた。しかし、旅立ちの日が近づくにつれ、覇気が無くなっていく。
客の質問を聴き逃し、頭を下げる姿を見てコビードは「疲れているか、初めての旅に神経質になっているんだろう」と思った。
そして旅立ちの日の前日、ニトが改まった様相でコビードに話しかけてきた。
「お話があります」
少年のいつにない緊張した顔にコビードは眉を寄せた。嫌なのではなく、単なる癖だった。
「旅にお供する前に、見て欲しいものがあります」
そう前置きして、ニトは帽子を脱ぐ。思ってもみない行動に、老ドワーフはすでに驚いていた。しかしそれによって現れたものに、さらに驚かされることになった。
脱いだことで現れたのはニトの端正な顔と先が尖る大きな耳。白い肌に上気した頬、赤い唇。
「エルフだったのか」
コビートは紛れもなく驚いていた。自分の人生に二度もエルフと出会うとは、そしてこの店にやって来るとは、と様々な思いが駆け巡る。
しかしニトは静かに首を振る。
「モゼリンの話では、僕の両親は二人とも人間です。彼らの両親も、また人間でした。それ故に僕は一人になったそうです」
「チェンジリング……!」
まれに生まれるという先祖返りの存在を口にし、さらに驚くコビート。彼らはどの種族の社会であっても忌み嫌われ、迫害されているということも。そしてまたニトの緊張の理由も理解できたのだった。
「そう、母は僕が生まれた時のショックで亡くなったと聞いています。実際に死んだのか、それとも遠い地で生きているのか、僕には分かりません」
「……でもお前は実に中性的な顔をしている。エルフの特徴でもあるぞ」
「……だって僕は女ですから」
今度こそコビードは言葉を失ってしまった。痩せっぽっちでまだ性差の出る前の年頃なのに加え、コビートは少年のような振る舞いのニトを男だと疑っていなかったのだ。
「すまなかった。知らなかったとはいえ失礼な態度を取った」
頭を下げるドワーフに、今度はニトが驚く番だった。
「いえ、僕が紛らわしいのが悪いんです。モゼリンには『女は弱い』と言い含められていたので」
ニトの謝罪にコビードは魔女への偏見を考え直さなければならない、と自省した。チェンジリングであること、女であることを晒していたら、ニトは今ここにいないかもしれない。それを彼女が理解することは、どんなに辛いことだったろう。
「勘違いしちゃいかん。わしが謝るのはお前を『小僧』と呼んだことだけだ」
気難しい顔に戻るコビードにニトは「わかってます」と笑った。そしてコビードはもう一つ、ある予感が胸に萌していた。
ニトをバスコーニとして継がせる。
鍛冶屋バスコーニはまたこの少女によって紡がれていくのかもしれない。ならば自分はまた役割を果たせば良い。
「なに、『手』はここにあるのだ」
自分の真っ黒に汚れて年季の入った手を見つめて呟くコビート。初めて自分の生きてきた意味を、役割を理解できた気がした。自分の死の後、今度はニトが『コビード』を見つけるかもしれない。
こうしてコビートはニトを『バスコーニ』として育て上げる決心をし、二人体制の鍛冶師に戻るのだった。
鍛冶屋バスコーニ @iguko
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