鍛冶屋バスコーニ

@iguko

前編 エルフ・バスコーニ



 素焼き煉瓦に囲まれた薄暗い店内に響くアルコールを注文する声。あるテーブルでは笑い声がひっきりなしに起こり、あるテーブルでは喧嘩が始まる。酔っ払いが溢したエールの匂い、葉巻の煙、つまみになる料理の塩気とスパイスの濃い香り。かちゃかちゃとリズムを刻むような食器の音もここでは心地好い。その中でちらちらと客の視線を浴びる二人組がいた。隅にあるテーブルに着く異種族二人である。

 壁掛けのランプによって浮かび上がるシルエットは両極端のものだ。背筋の伸びた長身の男と丸い体を更に丸めた姿の男。二人ともに一見して人間族とは違う、異種族と分かる先の尖った細長い耳を持っていた。

 長身の男はエルフのバスコーニ。銀の長い髪に憂うような瞳。色素の薄い肌は空気に溶けていきそうな儚さだ。長い裾のローブを持て余すことの無い長身は、人間でいうなら優男、というイメージがつくかもしれない。だが彼には長い年月を生き、過ごしてきたエルフ族特有の高貴さがあった。他の種族には無い森の番人達のかもし出す雰囲気は、全てを惹き付ける。現に今も光の精霊達は彼に纏わり付いている。残念ながらその幻想的な光景は人間達の目には写らないのだが。

 もう一人の異種族はドワーフのコビード。ドワーフ特有のずんぐりとした体に彼本人の個性である気難しい顔。立派な髭に隠れた口は今もへの字に曲げられていた。太い腕の先にある手は長年の仕事によって固く、黒く汚れている。指は一本一本が芋虫のように丸いが、彼は驚く程器用だった。

 コビードはジョッキを傾け、中身である黒い液体のエールで喉を潤す。すると柔らかい笑みをたたえたままそれを見守っていたバスコーニが口を開く。

「コビード、僕はそろそろ死ぬと思う」

 普段と変わらぬ顔で言ったバスコーニを、コビードは唖然と見返す。髭についた泡を拭うのを忘れてしまう程だった。めったに気難しい顔を崩すことのないコビードが目を丸くしている様子に、驚かせた張本人、バスコーニは小さく笑う。

「そろそろ森に帰る時期が来たんだ」

 そう伝えるエルフの言葉をコビードも理解する。エルフは肉体が滅んだ後も精神だけはこの世に彷徨わせる、と聞いたことがあった。自らの故郷に帰り、精神世界から森を守るのだ、と。

 その知識があってもコビードは呆気に取られたままだった。なぜなら目の前のエルフは外見だけならコビードよりも若い。どう見ても壮年期より前、といったものだ。ずっと二人きりで旅をして過ごしてきたが、普段から「もう若くない」「体が持たない」「僕はもう長くない」など苦笑混じりにぼやくのを聞かされていた。しかしそれも歩き回る事が苦手なバスコーニの単なる愚痴だと思っていた。

「……馬鹿馬鹿しい。あんたは人をからかうのが好きなようだが、わしは冗談が大嫌いだ」

 そう言って席を立つコビードはいつもと変わらない台詞といつもと変わらない難しい顔だった。それをバスコーニはいつもと変わらない笑みを浮かべながら見つめていた。




 朝、安宿の狭い部屋で目が覚めると、脚を中心に固くなった体をほぐす。それがコビードの日課だった。歳は取りたくない、そんなぼやきを交えつつ。獣脂のランプの残り火で指先を温める。気休め程度だがほっとする。

 ベッドから起きて身支度を整え、バスコーニを起こしに行く。これがいつも二人旅での流れだった。エルフの全てがそうなのかは知らないが、バスコーニは朝が弱い。普段は優雅で柔らかい物腰のエルフが、朝の起床の時間にはコビードに呪いの言葉を吐く。日中なら喧嘩に発展するだろうが、朝だけはコビードも聞き流すことが出来た。

 荷物を背負い、ギリギリとうるさい扉を開けて宿の寒さそのままの廊下に出る。他の客はまだ起きていないようだ。旅人しか泊り客はいない古い宿だったが、まだまだ日の出の遅い春先だからか、出発を遅らせている者が多いのだろう。

 ガタガタとうるさい扉を開けてバスコーニの部屋へと入る。案の定、彼はまだ床の中だった。寝返りを打たないのだろうか?と疑問に思う程、乱れの無い布団に真っ直ぐ仰向けで寝るバスコーニ。その彼の肩を普段通り無遠慮に叩いた後、コビードはぎくりと体を奮わせた。

 体温が無い。布団から飛び出した肩が冷えている、というだけでなく布団の中からも熱を感じない。何より呼吸が無い。いつもなら気持ち良さそうに寝息を立てる姿に腹が立っていたというのに。コビードは頭が真っ白になり立ち尽くしていた。

 死んでしまったのか、本当に。

 そう考えた後、またからかっているのではないか、とも思う。しかしコビードは動けなかった。肩を揺する、胸の音を確かめる、それすら出来なかった。

 友は死んだのだ。友、だったのだろうか。顔を合わせれば憎まれ口を叩き合っていた、バスコーニの生きている間はそんなことを考えもしなかった。自分と彼の仲など、彼との関係性などを。

 ふとコビードはバスコーニの体から漏れ出す光の粒に気がついた。光の精霊のようにふわりと漂うそれは止め処なく溢れ、上昇していく。そして光の粒が漂う度にバスコーニの体が透けていくではないか。

 咄嗟に光が漏れる体を抑える。が、コビードの手のひらを透けて友の体は旅立っていく。

「こういう事だったのか……」

 コビードはそう掠れ声を漏らした。エルフは森に帰る。精神の問題だと思っていたが違う。物質的にも森へ帰るのだ。これは幻想的で美しい光景か。悲哀に満ちた葬儀の光景か。コビードはぼんやりと見つめるしかなかった。




 その日、コビートは一人で街を出た。まだ薄暗い町の中を独りで歩く間、涙は一度も流れなかった。

 心に出来た隙間を、奥底で湧く悲しみを、怒りに変えた。その流れはあまりに自然で、コビードは自分で、バスコーニの死を理解できていないのではないか、と心配になるほどだった。顔は上気し、寒さを感じることもなかった。

 向かう先はタタゼラ坑道。昨日までバスコーニと確認し合っていた次なる目的地だった。

 空が茜色に変わり、星が登り、辺りが暗くなっても歩き続けた。ドワーフの体力は老齢であっても底知らずだ。今まではバスコーニに合わせてゆっくりとした旅だったが、今は一人だった。自分の体力を押し込めてでも、相棒に合わせる必要があったのだ。二人の中でバスコーニは頭脳であり、目であり、耳であり、知識だった。コビートは彼に従い動く、体であり、力であり、手だった。

 暗がりに思い出す。エルフのくせに暗闇を怖がる奴だった。

 ちくりと刺す痛みは前よりも大きくなり、段階を追って襲ってくる悲しみに、コビードはバスコーニを憎んだ。




 『鍛冶屋バスコーニ』。鋳物を扱う者なら知らない者はない、というほどの職人とその店の名前だった。

 実際はエルフのバスコーニが指示をし、ドワーフのコビードがその指示通りに品物を仕上げていく二人羽織体制の店だ。その事実は店を訪れた冒険者、皆を驚かせた。

 彼らの作り上げる品物は小ぶりのダガー、ナイフから大振りのグレードソード、モールやハンマーといった鈍器、重戦士の身を固めるプレートメイルまで多岐に渡った。それもこれもバスコーニの博識と、コビードの器用さの成せる技だった。

 さらに品物の原材料となる鉱石も、自分たちで発掘し、採取し、自ら運んだ。珍しい鉱石を取りに行くのに数年掛けたこともある。時間を掛ければ掛けるほど、良いものが出来上がり、お金は無くなった。店に並ぶのは商品、というよりはバスコーニのコレクションだった。納屋を改築した店舗は徐々に大きくなり、比例して住居は狭くなった。それでも、不満は無かった。





「帰るか」

 タタゼラ坑道での活動を終え、数日ぶりに沈む日を見た時、コビードは自然とつぶやいていた。泥と砂利に塗れた全身を伸ばし、二重にした麻袋を担ぎ直す。

 帰る先は『ニーゼ』。鍛冶屋バスコーニの店舗のある、小さな小さな村だ。山間にあり、冬は寒く夏は暑い。しかし小川近くにある二人の自宅兼店舗を、コビードはこの上なく気に入っていた。生まれ故郷のドワーフの帝国よりも。半年ぶりになる我が家はどんなに荒れているだろうか。しかし取り囲む景色は今は蝶が舞い、水車が回り、咲き始めた野花の周りを村の子供たちが駆けているはずだ。

『帰ったらまずは火をくべて、釜の温度を上げる。川で鉱石を洗って、お茶を飲むのはその後だ』

 にこにこと語る相棒の顔をふと思い出し、感傷に更けそうになる。それをコビードは慌てて振り払った。今は急がなければならないのだ。

 重い荷物が指に負担をかける。ふやけた血豆を庇いつつ持ち手を動かし、コビードは決心する。


 バスコーニの名を継ぐ。


 今までもコビードが『バスコーニ』の半身だったのだ。一度、心に決めた後はすんなりと頭が受け入れた。バスコーニの膨大な知識を受け継げている自信はなかった。しかし、頭は覚えていなくとも、体が覚えている。顔を火照らす竃の温度を。指に吸い付く鉱石の質感を。ハンマーに打ち鳴らされた刀身の光を。

「他の生き方を、わしは知らぬ」

 最後には本音が唇を震わせた。





 「バスコーニ」と書かれた看板が錆びたフックを鳴らしながら揺れている。軒先きまで来て初めて目にとまるような大きさの文字で書かれたそれは、店に客を迎え入れる気は無いような雰囲気だった。

 帰宅後、それに今更ながら気づいたコビードは、看板を新調するか考える。しかし看板の文字を書いたのがバスコーニだということで、迷う内に半年も経ってしまった。

 それでもポツリポツリと客はやってくる。今も冒険者風の若い男がぎこちない動きで店内を物色し、万能ナイフを購入していった。会計時に何か言いたそうにしていたが、コビードの気難しい顔の前に惨敗して去っていった。打ち解けるのはバスコーニの役目だったのだ。これからは少しずつ、他愛ない会話も覚えるべきかも知れない、とコビードは髭を撫でた。





 商品に埋もれるベンチに腰掛け、店番をしながら壁掛け時計を直していると、ふと手元が暗くなった。顔を上げると珍妙な客がいる。頭より大きな鍔広帽子を目深にかぶった、人間族の子供である。痩せた手足がみすぼらしい服からのぞいている。大きな目をぎょろぎょろと動かし、コビードの修理の様子を見ていた。

「なんだ、小僧?」

 どう見ても客ではない様子に、コビードはいつも以上に不機嫌顔を作る。しかし子供は意に介さず無遠慮に時計とコビードの顔を見続けていた。

 奇妙な沈黙が続いた後、子供は汚れた手をいじりながら口を開いた。

「あなたがバスコーニ?」

 コビードは返答に一瞬詰まった。自分がバスコーニを名乗るのに、良心の呵責などはないが慣れないことには変わりない。

「そうだ」

 しわがれた声が髭の奥から響く。それを聞くと目の前の相手は一瞬だけ、嬉しそうに笑った。すぐに仏頂面、いや本人は真面目なだけなのだが無愛想な顔になると姿勢を正した。

「僕はあなたの弟子になりたい。どうかここで働かせてください」

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