第32話
ホァロウはガランとしてしまったホールに立ち、段上に突っ立っているイシュカを見やっていた。
イシュカは唐突に口を開いた。
「朱の神……あなただからお話しします」
そして、ゆっくりと歩を進め、ホールに捨て置かれた剣を一本拾いあげた。
「重たい剣ですわね、以前のわたくしだったらそんなに重たく感じなかったでしょうに……」
重たげに剣先でラピスラズリの床に傷をつけながら引きずっていき、段上にのぼっていった。
「百年まえ、わたくしは父上を殺してわたくしも死のうとしました。でもだめでしたわ……だってわたくしは父上の愛する人ではなかったのですもの。それでもわたくしにはまだ機会が与えられていると思っていました。けれど、二百年たってしまっても、父上はわたくしをお許しにはなられなかった……」
やっとのことで像の足元に剣を引きずってきた。
「沙那子はわたくしが父上を愛しているのだと言いました。わたくしはそう言われるまで、自分の心の底に鬱積しているものが何なのか、気付かなかったのです」
そして、ひどく虚ろな笑いを漏らした。
「父上はわたくしに何も与えてくださらなかった……冷たいものしか……それなのに、なぜわたくしは父上を愛してしまったのでしょう?」
ホァロウは静かに耳を傾けるだけ。
「朱の神、わたくしはあの子たちとともにあの世界に行ってしまったほうがよかったのでしょうか?」
重たい剣のつかを像の中途半端に開いた手のなかに押し込めた。剣先がやや下がり、まっすぐにホールの真ンなかに立つホァロウを差した。
「わたくしは、愛されたかった……もう、憎まれたくなかった……憎まれたとしても、ずっとおそばについていたかった……父上は、わたくしをその手で殺めることすら拒否されたのです」
イシュカは剣に背を向けて立った。そして、深く息をついた。イシュカの腹部にじわりと赤いものがにじみ、アクアブルーのローブを染めていった。
「……わたくしに、ご自分の絶望や嘆きよりも深い思いを与えようとしたのなら、父上……」
イシュカの白い指が探るように差しのばされる。一瞬、その青白い頬に赤みが差した。
「父上、父上……わたくしは……父上のおそばに行きたい……愛してくれなくてもよいです……父上……?」
唇に鮮血がにじみ、空中に浮かぶ何かを見据えるマスカット色の目から少量の涙がこぼれた。だれかをかき抱くようにそのか細い体はうなだれた。
ホァロウはすべるようにホールを横切り、イシュカのまえに立った。
「イシュカ、おぬしの魂に力を注ぎ、あの世界へ送ってあげよう。これさえも運命のこさえたゲームの一部なのだから」
ホァロウはイシュカの体から抜け出ていく金色の魂をすかさずつかんだ。その魂を次元のはざまへ送り込んだ。
金色の魂は小さなカナリヤとなって飛び立った。
男として、金の神の親友として、唯一の友人のいる世界に生まれ変わるために。
バスに乗り込み、沙那子が顔をしかめて鼻を引くつかせた。
「まさか、あんたたち、おフロ入ってないの!?」
「臭うか?」
透はクンクン自分の体を嗅ぐと、ウリウリ自分の腕を沙那子にこすりつけた。
「ちょっと、やめてよ! 汚いでしょ! あたしに近寄んないでよ!」
「命の恩人にそんなこと言うのか? オラ、翔、体罰を与えてこい」
突き飛ばされた翔はよろよろと沙那子によろけかかった。
「あっ、ごめん!」
沙那子はふと思い出し、
「ねぇ、八雲くん、もしかして、あのままキスするつもりだった?」
と、ニヤニヤしながら言った。
もじもじする翔を透が蹴飛ばした。
「えー……迷惑じゃなかったら……」
沙那子の顔の前を一瞬、天使が通り過ぎていった。それからやっとその意味を理解して、顔に火がついた。
「なんなら、ここでその続きでもやるか?」
透の言葉に、すかさず沙那子が蹴りを入れ、翔はボディに一発めり込ませた。
ディスティニー・トライアングル 藍上央理 @aiueourioxo
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