第31話
言葉もなかった。
「そんで力はどうするんだ」
透が言った。イシュカをふと見つめた。透はイシュカの表情を読み取り、心がキリキリと痛んだ。途方に暮れているというよりも、深く絶望しているような彼女を哀れだと思った。何が彼女をそんな思いにしているのかは知らない。奇妙な親しみを覚え、イシュカに声をかけようとした。
「ほら、あの不具者の村があったよね? あの柱みたいにするのは?」
翔の提案に透はイシュカから目をそらした。
「そうだな……でも人柱じゃないか」
「なに言ってんの、この塔を柱にして力はこれに移すんだよ」
「ああ」
透はがてんがいった。
「でも、そんなこと、おまえにできるのか?」
「できないこともないさ、あたしが手伝うよ」
ホァロウがつかつかと翔のほうに歩いていき、沙那子に向かっておじぎした。
「おはつに。あたし、ホァロウと申します」
沙那子は聞き覚えのある名前にしばらく頭をひねった。
「ああ! ホァロウさん、あたしたちが帰ったら、イシュカちゃんをなぐさめてあげて」
沙那子の言葉にホァロウは片眉を上げた。しかし、にこやかにまた優雅に頭を下げる。
「かしこまりました」
「なんでこいつに頼むんだよ? おまえ、こいつ、動物狂いの変人だぜ」と透が言った。
「アレ? そーなの? 動物と話せるって聞いたけど、それって変人なの?」
透の耳打ちに沙那子は聞く耳もたずといった感じで受け答えた。
「どうするの?」
ホァロウは翔をホールの真ンなかにひざまずかせた。
「君のなかの<金>が承知していれば非常に簡単さ。さっきイシュカの力を吸い取ったのと反対のことをすればいいのさ」
翔は素直にうなずき、床に手をつくとググッと念を込めた。白い顔があっという間にユデダコになり、歯をきりきりと咬み合わせた。ホァロウは彼の肩に手を当て、力の後押しをしてやった。
ラピスラズリの暗い青が翔の手の色を青く染めていた。しだいにラピスラズリのほうが翔の手のあいだからあふれてくる明るい光に染まり返り、ラピスラズリにちりばめられた金色の粒子からわずかな瞬きが漏れ出てくる。翔を中心に熱を感じない金色の光が包み込み、翔の鼓動にあわせて拍動している。
巨大な見えない木づちがすさまじい音を立て、塔に金の神の力を打ち込んでいった。
翔から発せられていた金色の光の玉が音がするたびに小さくなり、徐々に翔の手のしたへ吸い込まれていった。
翔は深く何度も息をつき、よろりと立ち上がる。かなりの距離を全力疾走したような気分だった。ヒーハーと言葉も吐き出せず、しばらく自分をじっと見守るみなさんにまったをかけていた。
「どうやって帰るの、ぼくたち?」
「こうやって」
ホァロウが何げなく指を振ると、いままで暗かった柱の向こう側に、見覚えのある風景が映し出された。
「これって、バス停まえじゃんか……」
透が驚いてつぶやいた。
「でもイシュカちゃんがこれは催眠術だって言ってたけど」
ホァロウはクスクスと笑った。
「なんでもホントのことばかり言ってたら、あなたに逃げられるでしょ? さ、飛び込むんだよ。おっと剣はおいて。おじょうさんの服は」と、ホァロウが軽快に指を振ると、沙那子はセーラー服を着ていた。沙那子はとっさに手を頭にやる。
お気に入りだったが、あれ以来ド忘れしていたクマのパッチン止めが自分の髪をまとめていた。
「えー、あの服、気に入ってたのになぁ……」
「さぁさ、カバンも!」
空中からパッと三つのカバンを取り出すと、三人に手渡す。
「なんでこんなん急いどるんか?」
「世界が再生するからさ。いまからものすごい力で収縮していた世界が一挙に拡散するのさ。君たちはそのバネについていけないだろうし、あたしにはこれからするべき仕事がたくさんあってねぇ、なごやかな別れを惜しむ時間などないのさ」
翔は名残惜しげにホァロウを見上げた。
「うーん……そんな目で見つめられると、あたしまでついていきたくなるねぇ」
でもだめなことは翔にはわかっていた。しょんぼりと肩を落とした。
透は翔を見つめた。わけのわからない気違いじみた冒険は終わったのだ。しかし、透の冒険はまだ終わってはいなかった。次の一言が自分のこれからをすっかり変えてしまうだろう。不思議とその決意に苦しさを感じなかった。一種の満足感があった。
「おい!」
透にこづかれ、翔は顔を上げた。
「おまえ、帰ったら沙那子に言うことがあるんだろ?」
「ハ? え?」
透はじれったそうに、言った。
「いま、ここで俺が言ってもいいのか?」
「あっ、いや、ダメ!」
翔はうろたえて、透にすがりついた。
「え? あたしに言いたいことってなに? ねぇねぇ、なに隠してんの?」
沙那子が目をキラキラさせて翔といっしょに透にすがりついた。
「ホラホラじゃれあってないで、早く飛び込んでおしまい」
ホァロウが手をたたいて三人を急かした。
「ちょっと待って!」
沙那子は段上にたたずみ自分を見つめているイシュカへ駆け寄った。
「沙那子……お別れね、早くお帰りなさいな」
「イシュカちゃん、あたし、もう怒ってないよ。あんなことになったのは悲しかったけど、あたしたち、まだお友達だと思うから。いつかあたしの言ってたケーキ屋さんとか、いろんなとこ、行こうね。ゼッタイ遊びにきてね」
イシュカは微笑んだ。沙那子はこの期に及んでも、この世界が自分の世界と地続きの場所なのだと思っているのだ。
「ええ、きっと行くわね、さようなら」
「うん、バイバイ」
沙那子は振り返らず透と翔のところへ駆けていった。
「おまえ、ここが地球のどこかって思ってんのか?」
透がからかい半分に言った。
「イシュカちゃんとはもう会えないもん、だって魔法の国なんだもん」
沙那子はうつむいたまま、つぶやいた。けれど、次に顔を上げたときにはニヤリと笑って言った。
「もしかしてさ、あたしたちが戻っても再試あるのかな?」
「あるだろ」
沙那子は、
「四日もすぎてんのにィ」
とぼやきはじめた。
「ぼくはないって思ってた……」
三人はワヤワヤ叫びあいながら、バス停の風景のなかに飛び込んでいった。
三人はポンと片足を黒いタールの歩道に踏み出し、ほぼ同時に背後を振り返った。
ポプラ並木が排気ガスにくすみ、空は電柱の配線とビルと陸橋と道路標札に遮られ、かすれた青空を覗かせていた。
プオン
バスのクラクションが鳴る。
「あ、あれに乗らないとダメないんじゃない!?」
翔がバスを指さして大声を出した。
バス停まであと十数メートル。三人はあわててバスを呼び止めながらダッシュした。
突然、透が思い出したように叫んだ。
「ヤバイ! 俺たち学ラン忘れてるぜ!!」
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