放課後の校舎

あめのあいまに。

第1話

 放課後の校舎、人も捌け静かになった廊下を走る少女の姿があった。少女は荒い吐息と上履きの音を響かせながら、自分のクラスへ向かっていた。英語の宿題が出ていたのに教科書を忘れたため、自宅に帰ったのにわざわざ学校まで再登校したのである。

 英語の先生はとても厳しく、宿題忘れなどしたらどんな罰が待っているか分からないということで、少女は忘れ物に気づいた時迷わず家を飛び出していた。それでも、自宅が学校から遠いこともあり、学校に着いた時には最終下校時刻ギリギリであった。

「あれ?」

 少女は教室の扉を開けようとしたが、直前で手を止めた。中で物音がしたのである。

 この時間、ギリギリまで活動する吹奏楽部や一部の運動部を除き多くの生徒は既に帰宅している。運動部はもちろん外や体育館だし、吹奏楽部は音楽室だ。最終下校時刻を何度か超過するとペナルティが課せられるので、こんな時間に教室に人がいることは稀なのだ。

「私みたいに忘れ物かな?」

 そう言いながら、しかし少女の直感がそうではないと訴えかけたため、少女は教室の扉を静かにずらして中を覗いた。

 逆光が目に眩しい。少女は思わず目を細めた。

窓から見える夕日に照らされて、二つの影が教室中央辺りの机で重なっていた。机に座った影は仰け反るように体を反らし、もう一つの影はゆっくりとその影の首筋に顔を近づけ、小さく口を開き――


四限が終わり昼食の時間を迎え騒がしくなった教室で、その喧騒をかき消すほど大きな声が教室中に響いた。

「あれは絶対吸血鬼だよ!」

 興奮し顔を紅潮させた幼気の残る少女、野村美月の熱弁に対し、向かいに座る青木静香は弁当を広げながら適当に答える。

「はいはい、怖いわね」

 教室中が美月の言葉に驚いたのか、一瞬静かになったが、やがてヒソヒソと話す声が立ち始め、少し経つと先ほどのようにワイワイガヤガヤと煩くなりだした。

「もう、ちゃんと聞いてよ」

 美月は頬を膨らませながら自分も昼食の準備を始めた。

「ちゃんと聞いてるわよ。だけど吸血鬼なんて言われてもねえ……」

 静香はそう言ってから一旦窓の方へ顔を向けて溜め息をつき、再び美月の方へ向き合ってこう続けた。

「そもそもアンタ、吸血鬼なんて本当にいると思うの?」

「当たり前田のクラッカーだよ!」

 まさかと思ってした質問に、まさか過ぎる即答が飛んできて、静香は思わず俯き眉間を押さえた。歳不相応の世間知らずさを発揮されて頭を痛くする彼女を尻目に、美月は純真そうな目を爛々と輝かせていた、

「ということだから、今日の放課後早速確かめに行こうよ」

 美月が言うと、静香は何言ってんだコイツという顔をして声の主を睨んだ。そして間を空けてから口を開いた。

「よしんば吸血鬼が存在したとしても、昨日いたからって今日いるとは限らないでしょ。そもそも私が付いてく理由ないし。一人で勝手に行きなさいよ!」

「静香ちゃんは私が危ない目に遭っても良いって言うの? ひどいよー」

 美月の回答として半分も成立してない返事に、静香は、じゃあ行かなきゃいいだろ、という柄でもない荒い言葉を吐きそうになったが、なんとか飲み込んだ。


 ――で、なんで私はここにいるんだろう。

 だいたいの生徒が下校して静かになったオレンジ色に染まる校舎で、静香は自らのお人好しさに呆れて心の中でそう呟いた。その静香の隣には落ち着かなさそうにしている美月の姿があった。彼女は一旦下校して再集合してから、ずっとこんな調子でソワソワしている。

 二人は、言い訳が面倒なので他の生徒や先生に見つからないように隠れながら校舎を進んでいた。目的の教室が近づいたとき、美月が静かに、しかし鋭く言った。

「止まって」

 二人が教室の前で立ち止まって耳を澄ませると、中から物音が聞こえた。

「やっぱりいたんだ……」

 美月は興奮を抑えられないようで、小さいながら弾んだ声でそう言って静香を見た。が、一方の静香は何かに気づいたのか、あまり気乗りしないようだった。

「ねえ、やっぱりやめない? こんな事してても、あまり良い事ないわよ」

「せっかくここまで来たんだから最後まで突き進まなくちゃ!」

 静香はいちおう提案してみたが、予想通り即答で突っぱねられた。美月はゴクリと唾を飲むと、教室の扉に手をかけ思いっきり開けた。静香は、自分の予想が外れていることと、いちおう吸血鬼がいないことを祈りつつ、教室の中を覗こうとした。しかし、扉を開けたまま、夕日の色よりなお赤く顔を染めて硬直している美月の姿を見て、すべてを悟ったのだった。


 扉の前で固まっている美月と、美月の視線の先で固まっている二人組を交互に見てから、静香は教室に入って中の二人に事情の説明を求めた。

 要約すると、教室にいたのは吸血鬼ではなく先輩カップルで、部活が終わった後にイチャイチャしていたというだけのことだった。美月たちの教室が逢引の場所に選ばれたのは、上層階の角部屋で放課後の遅い時間に生徒があまり立ち寄らず、教師の巡回も遅く位置的にも目立たない、という理由からだった。

 二人は家が離れていて互いに部活もやっていたのでなかなか時間が取れず、部活後に人気の少ない教室で雑談等をするようになったのが最初らしいが、だんだんエスカレートしていったのだと言う。先輩カップルは、今後このスリリングな校内デートをやめて休日や部活のない日に普通にデートするだけに留める旨と、二人への謝罪を述べて下校していった。美月と静香も先輩たちが帰ってからすぐ帰路についた。

「いやあ、驚いたよー。吸血鬼じゃないのは残念だったけど」

 美月は空を見上げながら心底残念そうにそう言った。

「そう? 私はだいたい予想してたけど」

 静香は前を見つめてそう返した。

「流石静香ちゃんだね! ……それにしても、カップルって言ってたけど二人とも女の子だったよね?」

 美月は視線を空から静香に移して、疑問を口にした。ただでさえ色恋沙汰から縁遠い美月にとって、それは理解が出来ないとか受け入れられないというより、単に考えもしないことだった。答えを求めたわけではなかったが、自然と静香に質問するような形になってしまった。

 静香は、美月の言葉を聞くと足を止め、ジッと彼女の顔を眺めた。気がつくと二人の登下校路が別れる交差点まで来ていた。黙る静香を、美月は頭にハテナを浮かべながら純真そうな目で見つめていた。それを見て静香はゆっくり口を開いた。

「そういうのもあるのよ」

「へえ、そうなんだ」

 短く単純な答えに、美月は何を思うようでもなしに、そう答えた。

「じゃあ、また明日。ばいばい!」

 そして別れの挨拶を言うと、可愛らしく身を翻して自分の家に向かって歩いっていった。

「はい、また明日」

 静香も美月に挨拶をしたが、しばらく美月が進んで行った方を見つめ、少し経ってから下校路を歩き始めた。薄明るい下校路に赤い目と白い牙が光っていた。

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放課後の校舎 あめのあいまに。 @BreakInTheRain

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