毛
真野てん
毛
おれ、毛。
「どこの?」と聞かれても答える義務はないさ……ただ、ちぢれてるとだけ言っておこう。
いまおれは誰かがしまい忘れた石鹸に張り付いて、冷たい風呂場の床の上に転がっている。
そうさ。おれは死んだのさ。
こんなおれでもむかしはアンタの大事なところを守っていたんだぜ?
なのに抜ければそこまで。次の日からは目が合っても「おれのじゃねえ」と他人顔。あまつさえ爪まで立てて「取れろ取れろ」と引っ掻きやがる。
まったくひどい話さ。
この世の中、おれのようにドロップアウトした奴にはとことん容赦がない。
だがおれにだって夢はある。それはなんだだって?
いいさ、答えてやるよ。
いまはこんなにちぢれちまってるけどさ、いつか生え変わったら今度こそサラサラのストレートヘアになってやるんだ。そして極太の毛根を美女の頭皮にぶちこんでやるぜ。
そんなある日、おれの前に神様が現れた。
神様はいった――誰かの役に立つ事が出来ればお前の望みをかなえよう、とね。そん時おれは飛跳ねたね……いや気持ちがね。石鹸に張り付いてるクセにとかいうなよ。
おあつらえ向きに風呂場の窓からコソ泥が入ってきたぜ。どうやら昨日、最後に風呂に入った誰かが閉め忘れたらしいな。石鹸といい、窓といい。忘れっぽいのも困りものだが、おれにとっては千載一遇のチャンスだ。
さあ踏め! 踏んでバスタブのふちにでも頭をぶつけろ! そして脳震とうを起こすのだ!
ふはははは! 神よ、おれはこの家の平和をまもったぜ――
おれ、毛。
生え変わったおれはピンと一本筋の通ったストレートヘアさ。
宿主も絶世の美女だぜ……ま、生えてるのは頭皮じゃないけどな。
まったく神様もケチなもんさ。役に立ったのは石鹸の方なんだと。笑っちまうぜ。
いいさ。またチャンスが来るのを待てばいい。
それまではいまの仕事をこなすだけ。
ああ今日もまた花粉が多いぜ。
【了】
毛 真野てん @heberex
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