第2話 真太郎・奉公に出る

真太郎は遠い目をして少年時代のことを思い出した。老人が遠い目をしてるのに気づいた雪歩が尋ねた。


「辛いことが多かったのでしょうか?」


そうだと答えた真太郎老人は言った。


「両親に死に別れた私は、叔母さん夫婦の元に引き取られることになったが、そこで穀潰し扱いされてねぇ・・・」


どうしてですかと聞いた雪歩に老人は言う


「当時の農村の家庭といえば子沢山だぜ」


「子沢山・・・ですか?」


父親が相当の年で子供を授かるまで随分な年月がかかったことを知る雪歩は若干羨ましげに答えた。


「羨ましいのかな?地主だったらそうかも知れないが、叔母さんのとこは食べていくのがやっとな自作農だったんだ。今日日みたいに学校から帰ってきた子供を家で遊ばせてるわけにいかないから、田植えだ牛の世話だのと肉体労働をさせられるのが普通だったよ」


「牛の世話ですか・・・」


「当時は機械が少なかったからね・・田植えとか雑草取りなんか全部手作業だったよ・・女の子の前でこんな話をするのは不謹慎だけど、肥溜め商売なんていうのもあったんだぜ」


「肥溜め商売ですかぁ・・!?」


当時は上下水道とかいう結構なものは田舎にないのが当たり前だったからねと答えた真太郎は言う


「だから、三食・・軍隊に入って初めて牛肉を食ったとかいう奴が多かったんだ・・休日付きの軍隊に行くというのは戦前の貧乏な農民の倅に取って・・日華事変が長期化する前までだけど・・ある意味、国の救済措置だったんだよ」


「戦場で命のやり取りをするかもしれないのに・・ですか?」


学校で教師たちの言ってることとは全く違うことを聞いて驚く雪歩に老人は答える


「雪歩ちゃんの思ってる通り、古参兵にどやされながら鉄砲を担いで行進するのは辛いし、最前線でダニやノミに食われながら敵に備える時ほど惨めで怖いものはなかった・・むしろ最前線でどんぱちしてる時の方が楽だったね」


「最前線でどんぱちしてる方が楽なのですか・・撃たれるかもしれないのに!?」


「うん、雪歩ちゃん達には想像もつかないのだろうけど、戦場に行く前がしんどくてね。戦場で命のやり取りをしてると脳が興奮状態になるんだろうね。疲れが吹っ飛んでしまうというのか余計なことを考えなくなるんだ・・・」


「それなら、何となくわかる気がします。私もオーディションとか仕事で始める前はどうなるんだろうと不安になることもありますが・・いざステージに立つと変に度胸がつくというのか・・」


「そうか、雪歩ちゃんにもわかるのか・・・でもそういう時ほど普段なら気付くことを見落として命を落とすんだよ。そんな奴、戦場でいくらで見てきたな」


「私もです・・・対戦相手で自分より歌唱力と魅力のある子は何人もいたと思います。でも私はここまで生き残ることができてる」


「戦場では生き残ることがまず大切なんだ・・・思えば、昔の陸海軍は学校での成績を重視しすぎて、人命をあまりにもおろそかにしすぎたのだと思う」


「神風特攻隊のことですか?」


「それもそうだ・・・大体、アメリカは当時の日本の何十倍もの生産力がある艦船をいくら破壊しても次がいくらでも出てくるんだよ。それなら替えが効かない輸送船を狙ったほうが効果的だったんじゃないのかと今にしてみれば思うよ・・それに一言言っておくけど、前の大戦での戦死者の大半は、疫病・飢餓・海没で銃弾に当たって死んだ連中はごく少数、今更だけど上層部・・帝国海軍の連中を含めてだが・・総力戦を真面目に考えてたなら被害を減らすことはできたんだ。やりきれないねぇ・・・」


学校での日本史で先生たちが教えてることとは全く違うと言外に言われてるような気がしてショックを受けた雪歩は話を元に戻しましょうと提案した。


「元に戻す・・・ああ、話を振った私が穀潰し扱いされた時から話さないといけなかったんだね?」


「はい、是非とも・・・」


苦笑する真太郎を前に恐縮した雪歩は再度お願いした。老人は昔を思い出して苦笑する


「私も軍隊時代に上官連中の精神講話だの訓示を受けるほどウンザリさせるものはなかったが・・当の本人が無駄話をしてはしょうがないね。こんな無駄を訓練飛行中にやらかしたら後席の教官連中に蹴りを入れられてるね・・・」


と前置きした真太郎は両親と死に別れた経緯から話し始めた。


「徐州会戦で父さんが死んだのがショックだったのだろう・・母さんも後を追うように私を残して死んだよ」


「お母様もですか?」


驚いた雪歩が尋ねる。真太郎は母さんは私が小学校の時から病がちでね義理の妹・・私の叔母が家のことを任されてたのだよと真太郎は答えた。


「その叔母さんがもしかして・・・」


「そう、私を引き取ることになる夫婦さ・・今更だけど、私たちに優しくしていたのは、軍人恩給とか遺族年金が目当てだったのかもしれないね・・」


「恩給ってどれぐらい出るのですか?」


「父さんは戦死して中佐になったから、世間様に恥ずかしくない生活はできるといったとこかな?」


佐官クラスで世間並と聞いた雪歩は驚いて戦時中だから軍人さんは優遇されたのでは?とおずおずと尋ねた。真太郎は学校の教師というやつは仕方ないなと前置きして答えた


「・・雪歩ちゃん、将校なんか昔の武士と同じようなものだよ?」


「と言われますと?」


「『武士は喰わねど高楊枝』というヤツだよ。将校は誇りが服を着てる生き物だから何かと物入りなんだよ」


それはどういうことかと聞く雪歩に今日日の軍隊ではどうなのかは分からないが・・と前置きして真太郎は答える。


「将校は「衣服住」全て自弁だった上に、兵隊と馴れ馴れしくすると士気に関わるとかいう理由で、食事は高級旅館で移動は二等車(グリーン車)・・ついでに言うと女を抱きたきゃ相応の料亭か妓楼に行けと煩かったんだよ」


「妓楼って慰安婦のことですか?」


「あれは戦時中、軍が募集身元管理して後方拠点のシンガポールとかラバウルに置いた連中だ・・現地だ朝鮮だので軍が強制連行して最前線に連れて行ったなんて想像力がない人権屋の戯言だね・・本当のことが知りたきゃ戦後すぐに出た兵隊さんの回想録を読むべきだと思うよ・・・まあそれはそうと無天の将校というのは昔の武士と一緒、社会的な地位は相当に高いけど貧乏だったんだよ」


「そうですか・・ところでってなんですか?」


というのは陸軍大学校に出てない非エリート将校が自虐半分につけた(エリートから見たら見下して付けた)二つ名だよ。で陸軍大学校を出たエリートたちが卒業証明書代わりに胸につけていた飾り・・正式には《陸大卒業者徽章》というけど、その形が江戸時代に使われた天保銭に似ていたので、大多数の非エリート将校が参謀として威張り腐ってるエリートどもに妬みと憤りと嘲りを込めて奉った二つ名がだよ」


「前の二つは解りますが・・・嘲りというのはどういうことですか?」


疑問に思う雪歩に真太郎は答える。


「明治の末あたりまで天保銭は代替貨幣として通用していたんだけど、その価値が一銭に足りない8厘だったから「天保銭=頭の足りないやつ」という隠語が戦前まであったんだ。「小綺麗な軍服に参謀肩章つけて威張り腐ってる貴様らに演習地で這いずり回ってる兵隊の気持ちがわかるものか!」というやりきれない怒りを込めて頭越しに命令を押し付ける参謀たちをと呼んだのだろうね」


なるほどと苦笑した雪歩は「となると陸軍士官学校は高校になるのですか?」と再度聞いた。


「それは違うな。今日日の高校になるのは陸軍幼年学校になるね・・で大学が士官学校で、陸軍大学校は大学院というより・・・海外のスタンフォードに会社の金で留学して博士号を取ると捉えた方がいいね」


「陸軍幼年学校ですか・・そこで将校の卵たちは鉄砲を担いでたんですか?」


「それは違うね・・意外かもしれないけど、軍事教練の時間は旧制中学校より少なくて、勉強中心・・特に数学と語学に重点を置いていたよ。軍事教育に重点に置くのは士官学校に入ってからだよ。上層部もその辺のことを踏まえて『幼年学校は無償教育(父親が戦死した場合は無償)ではない』と強調していたんだ」


「・・・ひとつ尋ねたいのですが、士官学校に入るのは幼年学校に入るのが必須なのですか?」


雪歩の問いかけに真太郎はもちろん旧制中学からの募集もしていた。単に数だけを見れば、旧制中学から入ってくるのが多かったし、旧制中学から入ったからといって除け者扱いはされなかったし、出世できるかどうかは当人の努力次第だと答えた。


「モノの本に、陸軍は「幼年学校出の歩兵科」じゃないと参謀本部とかに入れてくれないとありましたがあれは嘘だったんですか?」


雪歩の問いかけにそうだと答えた真太郎は言う


「大多数の卒業生が歩兵科に行くから、単に数だけ見れば歩兵科が優先されてるように見えるけど、出世街道に乗りたいのなら砲兵とか工兵を選んだ方がいいよ・・理数系が専門の連中だから歩兵や騎兵より頭がいいんだよ」


「騎兵って出世できないのですか?」


騎兵といえば昔の武士や貴族の直系で戦車とかが出る前の戦場の華だから一番の出世コースじゃないかと思ってた雪歩が尋ねたが、真太郎は『騎兵が戦場の華』だったのは第一次大戦どころか日露戦争の時点で過去のものになっていたと前置きして答えた


「実はと言ったら何だけど・・・・横一線で槍だのサーベルだのを振り回しながら突っ込んでくるコサック騎兵を撃破したのは帝国陸軍騎兵部隊が持っていた機関銃なんだよ」


「騎兵が機関銃を持ってたんですか?」


学校で『日露戦争での旅順で横一線で突撃する日本軍はロシア軍の機関銃の前に死者の山を築き」と教えられた雪歩は初耳だと言わんばかりに聞いた。真太郎はこの時の日本騎兵が持つ軍馬は今日日のポニー程度の小さいやつしかなくてスピードが出なかったから窮余の一策としてせめて火力でなんとかしてやろうと機関銃を持ってきたんだろうねと答えた。


「まあ、黒龍江や奉天で辛くも敵のコサックを撃破して、明治末に戦場で使える程度の馬を作ることはできたのは良かったが・・・皮肉にもその時には騎兵は偵察と伝令程度にしか使えない金食い虫扱いに成り下がっていたね・・他の兵科の連中から「騎兵は頭空っぽの(劣等生)がなるもの」とバカにされてたんだ・・」


それは随分ですねと苦笑する雪歩が重ねて「お父様はどの兵科だったんですか?」と尋ねた。真太郎は苦笑して答える。


「皮肉だろうけどの代名詞というべき幼年学校出の騎兵将校だったんだよ・・」


「騎兵ですか・・・でどういう状況で戦死されたのですか?」


「師団本部からやってきた将校さんが言うところでは、部下を率いて威力偵察に出た親父は運悪く敵の主力部隊に遭遇してしまったということだ・・まあ血路を開いて戻ってきた部下の報告で本隊は危険を免れたそうだけどね・・で軍司令部の沙汰で勲功ありと認められて、中佐の軍服と遺骨が家に帰ってきた・・私とかあさんは頭を下げて将校さんをお出迎えしたが・・悲しさと不安で胸がいっぱいだった」


「・・・・・」


「父親の葬儀が終わってしばらく経った時のことだったかな・・私たちのところに親父の同期でもある浅倉少佐が訪ねてきて母親にたずねたんだ」


「何と言ったのですか?」


「奥様一人だけでは真太郎君も心細いでしょうと前置きした上で、『奥様がよろしければ、真太郎君の養子縁組を私たちで世話します。真太郎君の成績は優秀ですので、幼年学校に入れます』と請け負ったんだ・・母親もそれがいいのかなと思ったのだろう。有難い話ですが少し考えてくださいと返事したので、少佐は良い返事をお待ちしておりますと答えて帰ったんだ」


「真太郎さんはどう思ったのですか?」


「もちろん、有難いと思ったさ・・時局が時局だから『お国のために働くのは当然だ』と思っていたよ・・でも母さんは乗り気じゃないと感じたね」


「・・・親心ですか?」


「思えばそうだろうな・・その日の夜、母さんと二人きりになった私は少佐の話をどう思うのと聞かれた私は『いい話だと思う、父さんもそれを望んでたはずだ』と答えたよ。でも母さんは言った『私はお前に死んでほしくはないし、父さんもお前に軍人になることを望んでいない』とね・・もちろん私はそんなことは嫌だと反発したよ」


「お母さまは戦争が嫌だったんですか?」


「そうなんだろうけど、絶対平和主義というやつから出た言葉からだということではないと思うな・・もし両親が私が軍人になることを望まないとしたら『一人息子の私が死ぬのを望みんでない』という考えから起きたものだと思う」


「そうですか・・・もし平和が長く続いてご両親が長く生きていたのなら真太郎さんはどう過ごしてると思いますか?」


「わからなけど、普通に旧制中学に行って東京帝国大学に通って外交官でも目指してみようかな?」


微笑するながら話す真太郎につられて笑う雪歩、もしかしての儚い夢を語った真太郎は真剣な顔をして答える。


「だが、心身ともに疲れ切ってた母の命は永くなかった。少佐の言葉に対して答えることもなく数ヶ月後亡くなり、私は叔母に引き取られて大村の叔父の元に行くことになった・・・」


「叔母さんは優しかったのですか?」


「少なくともお手伝いさんとして働いていた時は・・・としたらどうかな?」


ああ、違うのかと言いたげな顔をした雪歩に真太郎は言う。


「・・・叔母さんが私にいい顔をしてたのか私が受け取るはずだった遺族年金とかが目当てだったんだよ・・叔父さん夫婦は翌日私を呼び出して、『うちはこういう有様だからと言ってお前も働いてもらう』と言われて、慣れない田畑と牛の世話をさせられたものさ」


肉体労働は慣れなてなかったからですか?と聞く雪歩に真太郎はまあそうだ、時々はキツいことも言われたこともあったさと言う


「働きが悪いと、『怠けてると筑豊か三池の炭鉱に売り飛ばすぞ!』と言われたりもしたね・・・」


「当時でも子供は炭鉱で働かせてはいけないという法律はあったんじゃないのですか?」


「確かにあったけど、日華事変と条約を破棄した海軍がアメリカと建艦競争を始めたことで鉄鋼の需要は青天井だったんだ・・・鉄鋼を作るには石炭が必要なことは雪歩ちゃんもわかるだろ?」


それは社会科で教えてもらいましたと答えた雪歩に真太郎はそういうことなんだよ。多分だけどこの時期に表沙汰にならなかった落盤事故は筑豊でいくらでもあったと思うよと話を続けた


「叔母さん夫婦に引き取られて半年がたった昭和14年の正月だった。『正月ぐらいは休ませてくれよ・・』と思ってた私だったが、部屋には叔父さん夫婦の他に見慣れない人が座っていた。叔父さんは『地主の堀江さんから来た田村さんだ』と彼を紹介した。田村さんは挨拶して君のことは叔母さん夫婦から聞いた前置きして『旦那様はお嬢様の世話をしてほしい下男を探しているんだ』と言ってどうだやってみる気はないかと私に尋ねてきたんだ」


何と答えたのですかと尋ねる雪歩に真太郎は言う。


「喜んでお世話になりますと即答したよ。叔父さん夫婦にタダ働きさせられるのはウンザリだったし、田村さんが言う「働き次第ではお小遣いも出る」というのも魅力的だったよ・・でもやはりというのか・・うまい話は転がってないものだったね」


「と言いますと?」


真太郎は雪歩の顔を見つめて言った


「お嬢様・・いや恵さんはひどい結核だったんだ。当時は有効な抗生物質がなかったから結核にかかったら罹患者をサナトリウムに閉じ込めるしか手の打ちようがないから、使用人を雇ってもみんなすぐに暇を出してくれと言い出して長続きしなかったから、私にお鉢が回ってきたということなんだ」


「でも、最後には恵さんとは愛し合うようになったんですよね・・」


「うん、最終的にはそうなるけど、最初は無下に扱われたものさ」


真太郎は雪歩の顔を見つめなおして言った


(続く)

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昭和15年の「TEARS」 @ottocaius

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