第6話 誘われて

 それは、ある駅のホームについての噂だ。

 内容はそんなに難しいものではなく、とてもシンプルなものだった。

 だが、シンプルだからこそ、恐ろしい事もある。

 その内容は……


『ホームのベンチに座って線路のある方を眺めていたら、

 飛び込みたくなってしまい、気が付いたら電車の前に飛び出している』


 と言う、救いようのないものだった。


 結論から言うと、そんな噂は


 理由は簡単で、じゃあそうなって飛び込んでしまうのなら、誰もそんな状態になったという事実を生きている者に伝えようがないからだ。

 俺はその噂についてそう結論付けて、自分のコラムを締めくくった。


 今回は、特に都内でうわさされている『電車』に関する怪異や噂話を集めて特集を組んだ。

 編集長には好評で、次もオカルト系で行くか? などと痛いくらいに背中をたたかれた。

 まったく、人の気も知らないで。




 俺は疲れていた。




 何しろ、5年も付き合った彼女と別れたばかりなのだ。

 分かれるきっかけは何だったろう。

 ほんの些細な言い合いが原因だった気がする。

 だが、おそらくそれは引き金に過ぎず、それまでお互いに言いたいことを言わずにいたことが、すべての原因なのだろうと思う。

 こうして他人事のように見れば、その原因もなんとなく分かる。

 だが、自分事として考えると……自分の方が我慢していた、などと思ってしまう。


 まったく、子供じみた考えだ。


 あいつよりも俺の方が、とか。

 あの人よりも俺の方が、とか。

 俺はそんなのばかりだな。


 自分の過去を思い出の中でさかのぼり、思い返してみる。

 大人になれよ。

 思い出の中の失敗をする自分に、思わずツッコミを入れてしまう。

 その度に、当時の俺が『これが今の精一杯なんだよ!』と言い訳をする。


 まったく、子供じみた言い訳だ。


 気が付いたら、何本も電車を乗り過ごしていた。

 そうだ。帰らないと。

 帰る……?

 どこへ……?

 もう部屋には、あいつもいないというのに……?


 生きていることは、様々な感覚を与えてくれる。

 それが苦痛であれ、快楽であれ。

 それは喜ばしい事なのかもしれない。


 だが……



 俺は疲れていた。



 電車が来る。

 もうすぐ、このホームへ。

 いや、このホームは停車しない。

 通り過ぎるだけだ。アナウンスがそう言っている。


 今なら……


 楽になれるんじゃないか……



 俺は立ち上がる。

 あの黄色いラインを越えて、ホームが途切れている向こう側に行きさえすれば……


『楽になれるさ』


 聞こえた気がした。

 いや、聞こえた。間違いなく。

 線路の向こう側に、居る何か。誰か。

 その『声』が、俺を誘っていた。


『大丈夫。疲れも苦痛も、無くなるから』


 俺は……








 あるライターの記事は、本来掲載される予定だった雑誌ではなく、オカルトの専門雑誌に特集として取り上げられることになった。

 単なる週刊誌には、キツすぎた。

 ライターが最後に書き上げた噂についての検証を、本人が実証してしまったのだから。


 記事は、多くの人に読まれ、実証されてしまった都市伝説という触れ込みでネットに拡散され、信じられ……

 強い『呪い』の力を持って、今もネットのどこかで、顔も分からぬ誰かの口を借りて、誰かの心を侵食しているらしい……



終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電車にまつわるウワサ 龍宮真一 @Ryuuguu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説