33.未解決問題を論じる時

 ふとステファンは、見知った個体と群体が何やら深刻そうな様子で話し込んでいるのをみつけた。いずれも明るい緑に彩られた細胞と赤いアイ・スポットが特徴的だ。単細胞藻類の代表格、Euglena属ことミドリムシのお方と、おなじみ緑藻Eudorina属のユドくんたちである。


「おはよう。どうしてひそひそ話をしているんだい」


 水の流れで彼らと合流できる頃合いに、話しかけてみた。ユドくんたちが小声のまま応じた。


「ステファンか。実はこちらのユーグレナさまが、RNAウィルスの気配をしきりに感じると言ってな」

「え、ウィルスに気配なんてあるの。そもそも魂もないよね」


 つられて小声で返してしまう。あのゲノム注入マシーンに聴覚器官があるわけでもないのに、何のために声を潜めているのかは謎であるが。


「そうとわかっていても、彼奴らの圧力を感じるのですな。しかし魂ですか……」


 幾星霜もの間、ニンゲンたちが解決できずにいるひとつの討論議題ディベートである。

 ウィルスは生物か、非生物か――?

 数多の生物に取り付いて遺伝子の繁殖を成し遂げるウィルスの在り様をさも「生きている」ようだと解釈する者もいるが、自力でエネルギーを消費する構造を持たないのは果たして「生命」と言えるのか、というのが長らく生物学的に受け入れられてきた見解だ。その一方で、取り付いた生物の進化を促す重要な働きが太古より観測されているのにウィルスを「いのち」の枠外にとらえるのはどうか、という意見もある。


「感じると言ってもね。ぼくらがどうこうするには小さいよ」


 藻類からしても、ウィルスはあまりに小さすぎる存在だ。たとえばユーグレナさまやステファンが全長或いは直径約20ミクロメーターだとすると、ウィルスを測る単位はナノメーター、ミクロメーターの千分の一である。

 大きさの問題がなかったとしても、内容物に複雑さが足りない。あれらが自我を持てるなど極めて考えにくいだろう。


「ステファン、ユーグレナさま。我々はひとつの可能性に思い至ったのだが、いいか」

「どうしたのユドくんたち」

「我らがすでにウィルスに『かかっている』と、どうして言いきれないのだ」

「…………」

「……」


 真核生物を宿主とするウィルスはさまざまにあり、それでなくとも、「生きる」ということ自体が皮肉なほどにウィルスと共にある現象なのだった。母たる細胞から分裂してこの日まで、気付いても気付かなくても数え切れぬほどのインフェクションを経てきたのは間違いない。

 ちなみにウィルスが緑藻にもたらす影響から、水のアルガル・ブルームなど水域の突然災害を引き起こすこともある。


「なるほど、一理ありますな。彼奴らをいちいち知覚する意味があるか否か。個とはすなわち、交換と変遷の果てにあると?」

「細胞分裂の段階でミューテーションが生じる以外に、ウィルスがぼくらの種の遺伝子集大成にとっての主な多様性の源だもんね……」

「だからといって、感謝などせぬがな!」


 唐突にユドくんたちが小声の音量を逸脱したのを、ステファンはシッ! とたしなめる。


「した方がいいかも……魂がないのに共にあるってなんか怪異みたいだよね」


 周囲で静聴していた他の微生物含め、誰からも反論がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

藻ん藻んとした日々 甲姫 @pekshiz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ