最終話 結末の先に
みんなと離れてから、一時間以上過ぎていた。
花火の終わりはすぐそこまできていて、これで最後なのだと言わんばかりに、大きく夜空に広がった金色の砂が空から落ちてくる。
その光景を二人で見上げた。
通り抜ける風の涼しさは、悠真の左手から伝わってくるぬくもりを、より一層際立たせた。
「戻ろう?」
「平気?」
「うん、大丈夫だから」
そうして私たちはみんなのもとに戻った。
崩れたメイクも、泣き腫らした顔も、たぶんみんなに見られたけれど、何も言われることはなく、普通に接してくれた。
思い返せばその日、私が憧れたものは何一つ手に入らなかった。憧れたクラスメイトのようにメイクをしたら、何かが変わると思った。自由なお金があれば、放課後に楽しそうに話すあの人たちの、その先に広がる世界を見ることができるのだと思っていた。
形のない青春という輝かしいものを求めて、見様見真似で手を伸ばし、けれども足は泥沼に入り込み、もがけばもがくほど沈んでいった。
引っ張り上げて、救ってくれたのは悠真だ。
私がだたひとつ欲しかったものを、彼は私に教えてくれた。
八月三十一日。
高校二年の夏は、今日終わる――と思っているのは私だけなのかもしれない。太陽や雲はまだ夏を終わらせる気がないらしく、朝の九時半なのに暑い。
借りていた本を返しに、私は図書館の自動ドアを通り抜けた。冷たい空気に、火照った身体が冷めていく。
恋愛小説なんて、ほとんど読んだことがなかった。
初めは仲が悪かったけどお互いを理解して仲良くなったり、恋敵がいたり、何かを努力しただとか、すれ違いだとか、そんなドラマチックな物語は、読んでいてとても切なくなってしまうけれど、恋愛の参考にはなりそうにない。
「凛、本返せた?」
自動ドアを通る悠真の姿が見えた。
「うん。今返すところ」
係の人に本を手渡して、悠真の元に向かう。思えば、三十一日にこんな風に過ごすのは初めてだ。だって――。
「今年は最後の日に泣かなくて良かったね」
「昔のことは忘れてくれ……」
忘れられない。宿題が終わらないと、おばさんとおじさんに叱られて泣きながら最終日に頑張る彼の姿を、何度この目で見てきただろう。
「凛と水族館行くから、本気出した」
「……うん」
お金を出してもらうのは心苦しくて、何度も断ったけれど、押し切られてしまった。今でも良いのかどうか迷っている。
でも私が一歳年上なのだから、働くのも私が一年早い。将来、お返しできたらいいな、などと考えながら、今は甘えてしまうことにした。
とがった石は、とてもとても小さくなって、けれども決してなくならず、胸の中を転がり続けた。抱きしめられたり、キスをしたり、ぬくもりを感じるとき、ちくりと、少しだけ痛む。
けれども、私と手を繋いで笑顔になる彼を見れば、とても幸せな気持ちになる。だから私はこれを、最後まで一人で抱え込むと決めた。
悪いことばかりではない。
私の胸が痛むのは、きっと彼に愛されているという証拠だから。
結末がどうなるのかはわからない。
私がおばあさんになって、彼がおじいさんになって、なんて姿は想像できない。一週間後に大喧嘩をして別れてしまうほうが現実味があって、でもそんなことになったら、私は……。
「大丈夫?」
悠真が私の顔を見つめて、そう言った。涙腺が緩い。少し涙ぐんでしまう。想像しただけで、世界の終わりのような気がした。
「大丈夫だよ」
手を繋いで、駅に向かう道を並んで歩く。
綺麗な水族館も、近所の公園も、私にとっては何も変わらない気がして、でも長い時間を一緒に過ごすのには、もっともらしい理由があったほうが自然なことに気付く。きっと悠真が誘ってくれたのはそういうことで、私が頷いたのも、そういうことなのだ。
「クラゲが一番楽しみかも。写真で見たけど、綺麗そう」
「俺はペンギンのところに行きたい」
あの夏に、私は恋をした。
欲しいもの全てを諦めて、忘れるということを知っていたから、憧れるしかなかったのに、悠真はそれを、私にくれた。
もらって初めて気付く。本当に欲しかったものを諦めることなんてできなくて、忘れることなどできないということに。
恋愛小説は、そこで終わってしまう。
その先にどんな世界が広がっているのかを、私は知らない。
踏み出せない理由を探したけれど、それはもう見つからない。足を前に出せば、その先に道が広がっている。
真っ青な空と白い雲は、どこまでも続いていて、小さな胸の痛みでさえも、全てが輝いていた。
あの夏に、私は恋をした 了
あの夏に、私は恋をした 常夜 @mm-lab
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