拡散

姫崎しう

拡散

「なかなか、可愛らしい話だったわね」


 都内の小さなレストラン。テーブルの向こうで、クールな先輩が珍しく、くすくすと笑う。

 職場の先輩である彼女とこうやって、テーブルを挟んで話をできているというのは、ひとえに運が良かったからだ。今日の昼休み、たまたま食堂で同じ席になり、知らぬ仲ではないから雑談をしていたら、季節柄心霊体験の話になったというだけ。

 お互い心霊体験――のようなもの――をしたことがあると言う事で、話が盛り上がり、こういった場が出来上がった。

 仕事が出来て、クールでカッコいい上に、皆に慕われている憧れの先輩と、より親しくなりたかったからという、私の下心がなかったと言えば、嘘になるけれど。


 たった今、私の体験を話し終った所だが、怖いものが特別得意だというわけでもなく、いたって平凡に生活してきた人間の体験など、まさに「可愛らしい」ものに違いない。

 笑われた恥ずかしさもあり、先輩の話はどういうものなのかと、たどたどしく促したら、一瞬悪寒が走った。いつもクールで表情を変える事の少ない先輩からは考えられない、不敵で、妖艶な笑みを見せたから。


「今の話を聞いてからだと、少し場違いな気もするのだけれど。とりあえず、謝っておくわね。ごめんなさい」


 唐突に謝った彼女に、何故なのか尋ねたら、笑顔だけが帰って来て、ゆっくりと彼女の唇が開いた。


「これは、わたしが大学生だったことの話。和楽のサークルに入っていて、よくわたしは、夜遅くまで練習をしていたわ。大学の決まりで、部室が深0時までしか使えなかったから、丑三つ時まではいられなかったけれど」


 夜中の学校、舞台としては充分ですねと漏らすと、先輩は席の向こうで首を振った。


「真面目なサークルで、わたしと同じように、練習している人が毎回10人以上はいたから、怖くもなかったし、部室で何か心霊体験をしたってわけでもなかったのよ。

 真面目と言っても、大学生らしいノリもあったのよね。2年生のある夏の日の夜、せっかくだから、今いるメンバーで怖い話でもしようって話になったのよ。

 この時15人くらいだったかしら、そのうちの5人が1人を指して、『彼は参加するのか』と尋ねたのよね。

 指された彼が、『折角だから』と不敵に笑うと、先ほどの5人はそれなら、と帰って行ったわ。残った中には、怖がりな後輩もいたのだけれど、今思うとその時に返しておけばよかったわね。

 わたしは怖い話は嫌いではないし、むしろ心霊体験は、積極的に怒って欲しいとすら思っていたから、帰る気はなかったけれど」


 先ほどの悪寒を感じた時の先輩は何処にもいなくなっていて、普段の食堂で他愛ない話をする先輩が戻って来た。状況をそのまま、思い出話でもするように話す彼女に、怖いの好きなんですねと尋ねる。

 先輩は「そうじゃないと、こんな席を設けないわ」と言ってから、「あなたは苦手そうね」と返って来た。

 どちらかと言えば、怖がりだと思うのだけれど、見栄もあって、そのような事はない旨を伝える。彼女は、「それなら、良かったわ」と耳をくすぐるような声を出して、話を戻した。


「結局、帰った5人以外で、残って怖い話をする事になったのよ。

 そこからの準備は、本格的なのか、適当なのか、よくわからないちぐはぐさがあったわね。蝋燭は、誰かの誕生日を祝った時に使ったカラフルなものだったし、そのくせ電気に加えて暗幕まで占めて、蝋燭以外の明かりはない状態まで作ってね。

 蝋燭は四隅と中央に5本置いて、携帯は各自使わないように念押しをしてから、皆で円を作って座ったのだけれど、場違いな蝋燭でも、結構雰囲気出るのよね。

 和楽のサークルだったから、畳だったし、置いてあるものも和風に統一されていたから、より良い感じになったのかもしれないわね。

 炎揺らぎに合わせて、顔に浮き出る影も、変な生々しさがあって如何にもって感じでワクワクしていたわ。

 それから、各自怖い話を始めたんだけど、曖昧にしか覚えていないものもあるし、なにより時間がもったいないから、省略するわね。さっきして貰ったみたいな、可愛らしい話も多かったから、怖くもなかったものね」


 先ほどの話を持ち出され、恥ずかしさに顔が熱くなってくる。変わらない先輩の話し方も相まって、怖い話と言う雰囲気ではなくなったのだけれど、大丈夫だろうか。


「本題は、5人を帰してしまった彼の話ね。でも、その前に彼について、少しだけ話しておこうかしら。

 わたしとは、同学年で同い年。九州から引っ越してきた人で、一人暮らしをしていたわ。集まった人の多くは、わたしを含め、一人暮らしだったわね。実家暮らしだと、特に女子は夜遅くまでは外にいられないことも多かったから。今回も実家暮らしが居たけれど、男子だったと記憶しているわね。

 でも、残っていたメンバーの半分は女子だったわ。女子が多いサークルだから、当たり前と言えばそうなのだけれど。そう言えば、あなたも今一人暮らしをしているんだったわね」


 先輩が尋ねてきたので、素直に頷く。九州の彼ではないが、親元からはだいぶ離れているし、結婚の予定もない。

 此方の反応を待ってから、先輩は仕切り直しと言わんばかりに、氷の入ったお冷を、カランと音をたてて口に運ぶ。

 それから、真面目な顔をして、「じゃあ、彼のした話をするわね」低い声を出した。


「それは、ある日の夜の事。いつもよりも早く寝た彼は、不意に目を覚ましたわ。

 汗だくだったので、暑かっただけだろうかと、時間を確認してみたところ、まだ時刻は深夜の2時。それ自体は珍しくもなく、二度寝をしようと身体を横に倒し、目を閉じようとしたとき、彼の体に異変が起こったの。

 ドクドクドクと、走っているわけでもないのに、嫌に鼓動が早く、暑さとは違う、むしろ寒気すら感じるような嫌な汗が止まらない。このままでは寝られないと、体を起こしたところ、今度はあれだけ早かった鼓動が、急に落ち着き、汗が引いていったわ。

 変だなと思った彼が、もう1度寝転がってみると、同じように、鼓動が早くなり、汗が出て来たのだけれど、それとは別に、いくつもの音が聞こえてくるのよ。

 まず、カリカリカリ……と何かが、壁を引っ掻いているような音。それから、小さな動物が走り回っているかのような、足音。天井と壁の境を叩くような、ラップ音。

 それらが、部屋のあらゆる方向から、彼が眠るのを邪魔するかのようになり続けるの。

 当然彼も音がしていると思われる方向を何度も確認したけれど、目に見える変化は何もなく、ただ、音がしているだけだったわ。

 結局寝られない彼は、空が白んでくるまで、ゲームでもして気を紛らわせて、明け方眠りについたらしいんだけど、原因も分からなければ、二度と同じような事態に悩まされることもなかったようね」


 何と言うか、怖いと言えば怖いけれど、私が話したものとそこまで変わらないようにも思う。変な落ちが付いていない分、先輩の話の方が怖い話としての体裁を保っているかもしれないが、単純に神経が過敏になっていただけ、とも考えられる。

 だが、ふとこれは「先輩の心霊体験」だと言う事を思い出した。話はこれで終わりではないのかと、彼女を見ると、楽しそうに笑っている。無邪気にも見える笑顔が、現状にそぐわなくて、気持ち悪さを感じた。


「と、彼がここまで話してくれた時、多くの人は『なんだそんな事か』と笑っていたわ。わたしは笑ってはいなかったけれど、正直拍子抜けって感じだったわね。怖がりな子は、怖がっていたけれど。

 5人も逃げ出したものだから、変に期待値が高かったのかもしれないわね。でも、中にはよくわかっていないような顔をしている人もいたのよ。

 彼はそんな状況を気にしないかのように、話を続けたわ」


 やはり、続きがあったのかと、下手に口は挟まずに、相槌を打ちながら、話を聞く。


「正確な時期は分からないけれど、この体験をしてしばらく経ってから、ふとこの事を思い出した彼は、この不思議な体験をSNSに投稿しようと140字に纏めて投稿しようとしたのよね。

 でも、エラーが出て反映されない。何か、使ってはいけない言葉があったのかと、表現を変えて再投稿を試みたけれど、やはりエラーが出るの。

 数回試したのち、SNSの調子が悪いのだろうと結論付けて、投稿を諦めたのね。

 それから、また2~3か月が経った頃、エラーになった事も含めて、投稿しようとしたけれど、やっぱりエラーで投稿できなかったらしいわ。

 流石に何かあると思った彼は、この事を話してみたのよ」


 私の中で話が繋がって、最初の5人、という言葉が洩れた。何故彼らが帰る必要があったのか、想像するよりも先に、変な汗が出てきた。

 先輩は「ふふふ……ふふふ……」と不気味に、でも満足気に笑い続けたかと思うと、「その通りよ」と歪んだ瞳で私を捉えた。何故か、その瞳から目が離せなくなる。


「この話を聞いたのは、さっきの5人含めて何人かいたらしいわね。でも、反応はおおよそ2種類。1つは話した事に対して、何かしら反応を示す。もう1つは『いま何か話したか?』と首を傾げる。

 そして、話が聞こえた人は、一様に数日以内に心霊体験をしたわ」


 汗と共に、今度は心臓の鼓動が早くなるのが分かる。聞こえる人と、聞こえない人に分かれるなんて有り得ない。

 でも、もしかして、今の話聞こえてはいけなかったのではないかと、頭の中でぐるぐると思考が巡る。


「ラップ音、金縛り、女性の金切り声、その内容は様々だったらしいわね。逆に聞こえなかったという人は、特に何もなかったって話よ。

 ええ、わたしが話を聞いた時も、全く同じような状況になったわ。話を聞いていた10人弱の中の2人ほど、彼が口パクをしているようにしか見えなかったと言っていたわね。

 そんな2人に対して、話をした彼は『良かったね』と声を掛けたわ。

 わたしも彼にされたから、同じように尋ねるけれど、今の話、聞こえたかしら?」


 先輩はクイズの出題者のように、ワクワクしているかのようにも見える。ここでの、選択を間違えると、きっと私も心霊体験をすることになるのだろう。

 本当は聞こえた、聞こえたけれど、そう答えれば、本物の心霊体験をするかもしれない。だとすれば、答えは1つしかない。見栄を張ったが、実際に体験はしたくないものだ。

 聞こえなかった、そう答えた私に対して、先輩は満足そうに頷いた。きっと、彼女が求めていた答えだったのだろうけれど、同時にゾゾゾッと身体が凍ったように寒くなる。


「他の人の真偽はどうかわ分からないけれど、わたしは聞こえたと正直に言ったわね。でも、明らかに聞こえていたような、怖がりな子は、聞こえなかったと言っていたわ。

 5人帰ったという事実もあるし、雰囲気も相まって、怖い事を遠ざけたかったのかもしれないわ。

 まずわたしの話をするけれど、さっき言った、彼とほぼ同じ体験をしたと思うわ。だからこれ幸いと一晩かけて、原因を調べようと思ったけれど、上手くいかなかったわね。

 他の人達も、金縛りや金切り声を聞いたって話をしていたわ。数日間はその話でもちきりだったから、誰がどういった体験をしていたかは、覚えていないけれど。これで、わたしの心霊体験は終わりだけれど、でも、一人だけ話をさせて頂戴。その子だけ、状況が違っていたから、今でもよく覚えているのよ」


 ここで先輩が、何故か話を区切る。まるで、こちらに考える時間を与えるように。そして、嫌な想像が頭をよぎって、私の顔が恐怖に凍り付くのを、先輩は楽しげに眺めていた。


「その子が言うには、その日帰宅して、真っ暗な家の中は、どこから何が来てもおかしくないと感じて、全く落着けなかったそうね。鏡を見たら自分以外の誰かが映るんじゃないか、頭を洗う時に目を閉じたら、幽霊が目の前に現れるんじゃないか。

 そう思ったらしくて、お風呂は翌日にして、その日はもう寝てしまおうと、ベッドに入って、目を閉じたらしいのよ。目を閉じてしまったらしいのよね。

 気が立っている中、目を瞑っても眠れるはずなんてないって言うのに。しかも、目を開けると目の前に顔があるんじゃないかと思って、どうする事も出来なかったらしいわ。

 隣の人が返ってきた音も、部屋の中で何かをしている音も、普段はまるで気にならないのに、その日だけは、その子の耳に張り付いたのよ。

 目を瞑っていたので、何時と言うのは分からなかったらしいのだけど、いきなり耳元で女の人の声がしたそうよ。この子だけ、はっきりと言葉を聞いたの。

『なんで嘘をついたの? 今度嘘を付いたら許さない。殺してやる』って。

 声がしてすぐに目を開けたらしいんだけど、どこにも誰も居なくて、次の日部室で会ったら、半泣きだったわ。

 これで話は終わりだけれど、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」


 彼女が形だけと言わんばかりに、心配してくれるが、指摘通り顔色は良くないだろう。

 もう見栄を張って大丈夫だとは、言い難い。何も言葉が出てこない。


「何も言わないって事は大丈夫って事ね。

 これも大学生のノリなのかもしれないけれど、この一連の話は色々実験と考察がされたのよ。例えば文字媒体でも、この話は有効なのか、とかね。結論から言うけど、有効だったわ。だからこそ、SNSでの投稿は出来なかったのではないか、って事で落ち着いたわね。

 それから、聞こえた人と、聞こえなかった人の違いも調べてみたのよ。こっちは、簡単だったわね」


 彼女はそこまで言って席を立つ。それから、伝票を持つと、目の奥に楽しさの光を滲ませながら、私を見た。


「あなた一人暮らしをしているのよね。今日の話、本当に聞こえなかったかしら?」


 彼女の言葉に何も返すことが出来ない。

 ただただ、鼓動が早く、流れる汗が止まらなかった。額ではすでに、汗の玉が顔を下ろうとしている。彼女は優雅に背を向けると、「生きて会えたら、またお話ししましょう」と言って去って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拡散 姫崎しう @himezakishiu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ