七月二十日

節トキ

七月二十日

 燦々たる陽光が肌を刺し、初夏の熱気に包まれる七月。

 その下旬の始めである二十日という日に、私は何故か不幸に見舞われることが多い。


 ある年は四十度を超える高熱に襲われたり、またある年はこの世のものとは思えぬ凄まじい腹痛に悶え苦しみ、交通事故やら転落事故やら、その日に限って数々の厄難がこの身に降りかかる。




 不思議なことに、どれだけの辛苦に見舞われようとも大体は七月二十日が過ぎればすぐに収束するのだ。




 高熱や腹痛などは、翌日には何事もなかったかのように快癒した。しかし、搬送された病院で検査を受けるも、原因は不明。


 車に撥ねられた時は足を軽く傷めただけで、一日休めば歩けるようになった。しかし、私を撥ねた車の運転手は『ぶつかるまで君が見えなかった』と証言。


 自宅アパートの階段から転落した時は腰を強打して立ち上がることができなくなったものの、これも一日で回復。しかし、周りには確かに誰もいなかったはずなのに、私は『何かに押された』と感じた。



 と、このように、七月二十日に起こる不幸はどこか奇妙なのである。



 そういえば去年も痛い目に遭ったっけ、と思い当たり、過去のスケジュール帳をチェックして『七月二十日の不思議』に気付いた私は、この件をネタ話の一つとして多くの友達に語った。



「はあ? そんなのただの偶然でしょ」


 とさらりと流す者、


「いやそれ何かに取り憑かれてるよ、お祓いに行った方がいいって」


 と霊的な事象と捉えて諭す者、


「今年はどうなるのかな? 何か起こったらまた教えて!」


 と単純にに面白がる者など、反応は様々。




 その中で、長い付き合いである女友達の一人が画期的な意見をくれた。



「海の日やのに、海に行ってないからかもよ。あんた、海生まれの海育ちやし、海が寂しがって意地悪しとるとか?」



 今では七月の第三月曜に制定されているが、当時は七月二十日が海の日だった。


 言われてみれば、この奇妙な符号は数年前からであり、それ以前は何事もなく過ごしている。


 それ以前とは、私が地元にいた時――――海から百メートルと離れていない実家住まいだった頃だ。


 学生時代は、夏になると毎年毎日のように海水浴に出かけていた。夏以外でも気が向けば海に行き、何をするでもなく砂浜をぶらついたものだ。



 そこで、私は再度スケジュール帳をチェックしてみた。


 同じ日に不運な出来事に襲われるといっても多いというだけで、毎年ではなかったからだ。



 すると、女友達の言葉を裏付けるような事実が判明した。


 何も起こらず無事に過ごせた年は、七月二十日を迎えるより前に、必ず海に行っていたのだ。


 バーベキューや花火、デートや散歩など、海水浴に限らず海と近くで接すれば不幸は回避されるらしい。



 その後、更に色々試してみたところ、以下のことがわかった。



 ――七月二十日より日付が前ならば、いつでも良い。三月に行ってみたところ、その年は大丈夫だった。年末年始の境目は試してないため、まだ不明。


 ――車で通りかかる程度では駄目。最低でも波打ち際が見えるくらいの場所に降り立たなくてはならない。海岸からやや離れたバーベキュー施設でも大丈夫だった。距離の範囲は、まだ不明。


 ――太平洋の海では駄目。オホーツク海も駄目。生まれ育った日本海の海岸でなくてはならない。実家近くの海は砂浜だが、岩石海岸でも大丈夫だった。隣県以外はまだ試していないため、どこまで許容されるかはまだ不明。



 結果を確認できるのは、年に一度だけ。そのせいで実験はあまり捗っていない。

 それでも、これだけわかれば充分だろう。




 海に愛された女は辛いよ……毎年顔見せなきゃ、怒られちゃう。

 でも悪い気はしないかな? というより、海生まれ海育ちの海人としては誇らしいことなのかも!




 なんて馬鹿げたことを考えてはいたけれど、私だって海の恐ろしさを知らないわけではない。


 私は昔、海に殺されかけてもいる。



 正確には、私を殺そうとしたのは海ではなく、海は道具として使われただけだ。



 まだ園児だった私は、ウエストにフリルのついた水着が嫌で堪らず、浅瀬に浸かって腰から下をずっと隠していた。


 水着は気に入らないけれど、海で遊びたい。

 でもいつものように泳いだら、皆にフリルが見えてしまう。


 そこで編み出した、幼いながらの妥協案だった。



 そろそろ帰ろうと声をかけられたけれど、思う存分に泳げなかったせいもあって普段以上に名残惜しかった私は、いつまでも海水から出ようとしなかった。


 娘の頑固な性質をよくわかっている親は呼び戻すのを諦め、パラソルやらレジャーシートを片付けて先に帰り支度を始めた。


 その様子を海から眺めていた私が、置いていかれるかもしれないと焦って飛び出してくる。これが、いつものパターンだった。




 その時もパターン通り、慌てて海から上がろうとしたのだが――――それは叶わなかった。




 誰かに、水中に押し込まれたためだ。



 

 海に引きずり込まれる、という怪談はよく聞く。


 しかし私は、『押し込まれた』。


 何故なら、相手は海中に彷徨う霊などではなく、『生身の人間』だったからだ。




 体を押さえ付ける腕の力の強さ、藻掻けば藻掻くほど増していく苦しさ、目や鼻や喉に入り込んだ海水による痛み、必死で救いを求めたガボガボという声にならない自分の悲鳴――――あの時の生々しい感覚は、今も忘れられない。


 激しく抵抗しながら、泡立ち濁る海水の中、私は相手を見た。


 それは、男性だった。

 おじさんだと思ったけれど、園児の感覚なので年齢まではわからない。




 私の歪んだ視界では、その人は笑っていたように見えた。




 幼い私には、死ぬということがどういうものなのか、理解できていなかった。ただ苦しい、痛い、嫌だ、とそればかり考えていた。




 しかし突然、それらの苦痛から解放された。


 私は助け出されたのだ――――私を海中に押し込んでいた、その男性本人によって。




 その人に抱き上げられ、親の元に届けられても私は呆然とするだけで、泣いたり喚いたりはしなかった。


 何が起こったのか、全く理解できなかったというのもある。




 けれどそれ以上に、恐ろしかった。


 自分が知る恐怖の領域を超えすぎていて、感情を暴発させることもできなかったのだ。




 なので親にも、言わなかった。怖くて誰にも言えなかった。




 ちなみに今も『入浴時に目を閉じられない』『シャワーを顔面に浴びることができない』『バスタブでも温泉でも水に浸かる時は背面に空間があると怖い』など軽い恐怖症のようなものは残っている。


 しかし、海だけは別だ。


 海で起こったことなのに、海を怖いだなんて少しも思わない。遠泳も潜水も平気だ。これもまた不思議である。




 さて話は戻り、今年の七月二十日。


 何かと多忙でうっかりしており、検証実験するどころか海にも行けなかった私に、またも不幸が降り掛かった。



 今回は肉体的にではなく、精神的な打撃であった。


 簡単に言うと、離婚問題が勃発したのである。



 詳細は伏せるが、犬も食わぬ夫婦喧嘩が拗れに拗れ、七月二十日のその日、ついに『離婚』という言葉が持ち上がったという次第だ。



 しかし、これもまた翌日には収束した。


 こちらが互いの否を認め合い歩み寄ろうとしても、頑ななまでに私を責めるばかりだった夫が、日付が変わると別人のようにしおらしくなり、『俺が悪かった、別れたくない。頼むからチャンスをくれ』と訴えてきたのだ。




 やり直す方向で承諾はしたものの、この数日間の諍いで心身共にひどく疲れ切っていた私は、久々に実家に帰った。


 親に心配をかけたくなかったので『何となく遊びに来た』とだけ伝え、泊まることはせずに、夫が仕事から帰る前に家に戻るとも告げた。



 父は仕事に出かけていて、家にいるのは母だけだった。



 リビングのソファで寝っ転がって寛いでいると、ふとフローリングの片隅に積み上げられているものが目についた。


 聞くと、孫娘――妹の子なので私にとっては姪――が『ママの小さい時の写真が見たい』というので引っ張り出してきたという。



 妹は私と違って、子供の頃から可愛いんだよなあ。今では美人の妹がいるってのは自慢だけど、当時は比べられるのがすごく嫌だったっけ。

 赤ん坊の写真だと私の方が可愛く見えるのに、一体どこで差がついたんだ?



 姉妹の顔面偏差値が分かれたラインを突き止めてやろうと、私は昔ながらの大きく重く分厚いアルバムを年代順に捲った。




 そこで、見付けてしまった。




 妹は二歳、私は四歳。


 妹は笑顔、私は不満顔。


 妹と私、お揃いの水着。


 ピンクと白のボーダー柄で、ウエストにフリルがついた水着。




 そして、色褪せたオレンジで記された日付は――――七月二十日。




 その日の写真は、それ一枚のみだった。


 私がフリルの水着を着ていた写真も、それ一枚きりだ。



 同年にも海水浴の写真はあったが、フリルの水着を身に着けているのは妹だけで、私は紺地に細かなドットを散らしたシンプルな水着になっていた。


 よほど嫌だと駄々をこねたのか、あの時の『事故』で破損したのか、縁起が悪いと親が買い替えたのか、その辺りは記憶にない。



 写真には、家族全員が収まっていた。


 誰かに撮ってもらったようだけれど、母に聞いたところで覚えていないだろう。


 もしも覚えていて、それが男性だったと聞かされたら、その方が怖い。




 私は何も言わず、その写真をこっそり抜き取って処分した。


 写真がなくなったからといって、どうにかなるなんて楽観的なことは考えていない。


 しかし、この写真を二度と目にしたくないと思ったのだ。






 あの男性が何者だったのか、今となっては知りようもない。


 私が覚えているのは水面越しに見た歪んだ表情だけで、はっきりとした顔など思い出せない。



 殺そうとしていたのか、悪戯のつもりだったのか。

 それとも本当は人間ではなくて、人の姿をしているだけの海に巣食う妖かしの類だったのか。


 それともあの時、私に何かしらの呪いじみたものをかけたのか。


 はたまた男性の件はただのきっかけに過ぎず、映画『ファイナル・ディスティネーション』のように、逃れられない不運の連鎖に囚われてしまったのか。

 





 原因はわからない。

 明確な結論もない。




 私の身には、七月二十日に不幸が起こること。

 しかし、七月二十日までに海に行けば回避されること。

 そして、七月二十日に死にかけたことがあること。


 この三つだけは、紛れもない事実なのである。


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七月二十日 節トキ @10ki-33o

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