最終話 フィーネ

 檸檬が、心の中でそう叫んだ次の瞬間、耳を劈くような轟音が鳴り響いた。

 同時に、トラックが高速でスピンし始めた。体が遠心力に引っ張られ、頭が壁に激突する。煙草が、口から落ちた。約十秒後、回転が止まり、車両は蛇行しつつも前方に走り出した。

「ぐあ。う。くそ」

 檸檬と違い体が固定されていない佐藤は、壁に頭を打ったらしかった。血をだらだらと流している。

「何だ。何が起きたっていうんだ」

 佐藤は、座席に片膝を載せ、窓から外を見た。檸檬も、目を遣る。

 歓声を上げた。

 ハイスクールのマークのステッカーを側面に貼りつけた車が、何台かトラックに並走していたのだ。本部の連中が、助けに来てくれたに違いなかった。

 嬉しさのあまり拳を握っていると、足に何か冷たいものがぶつかったのを感じて、床を見た。先程のスピンで座席から落ち、滑ってきたらしいサブマシンガンが、檸檬の足に触れていた。

「ちくしょう。助けに来たってわけか」佐藤は未だ窓を見続けている。

 檸檬は両足でサブマシンガンを挟み、グリップを床につけ、立てた。それからボディを傾け、銃口を彼に向ける。そして、親指でトリガーを引く。ボディはとても重く、引き金はひどく固かったが、何とか発砲できた。

 銃は衝撃で大きく振動し、たった一発放っただけで両足からすっぽ抜けた。しかし、それで十分だった。弾丸が心臓付近に命中し、佐藤は仰け反った。その後、物も言わずに、俯せに倒れると、動かなくなった。

(やったわ!)檸檬は、心の中でガッツポーズをした。

 足を使い、佐藤の体を引き寄せる。非常に重量があり、わずかしか動かせなかったが、服を調べるには十分な位置にまで移せた。

 ポケットを、片っ端から探っていく。しばらくして、ズボンに、鍵を三つ束ねたキーホルダーが入っているのを発見した。それを、足の指で摘んで、引っ張り出す。脚を振って空中に飛ばし、口で咥え受け止めた。

 体のすぐ横に落とすと、手を伸ばして掴んだ。束ねられている鍵を、手首の手錠の穴に次々と差し込む。合う鍵があり、金属音とともに手錠は外れた。檸檬は次に、腰のベルトと、足首の手錠も取り除いた。

 立ち上がると、すぐさまウイッグを掴み、頭に着ける。

(できれば、いつものツインテール以外の髪型は、他人に見られたくはないわ……)

 サブマシンガンを握り、運転席に続く扉の手前に立った。カーテンを開け、小窓から中を覗く。

 強面の男が、ハンドルを掴んでいるのが見えた。檸檬はドアを開けると、彼めがけて短機関銃を連射した。胴体と頭に、それぞれ複数発命中し、ドライバーは動かなくなった。それを確認すると、運転席に乗り込み、死体を外に蹴落として、座る。ブレーキペダルを思い切り踏み込んで、車を急停止させた。

 後方で、メウがうるさく吠え立てているが、連れて行く気になど、とうていなれない。檸檬は扉を開け、外に脱出しようとした。だが、路面に両足をついた瞬間、誰かに、後ろから腕を首に回された。

「ちくしょう──ふざけ──ふざけやがって──クソがっ!」

 死んだはずの、佐藤だった。どうやら、まだ生きていたらしい。彼は檸檬から、サブマシンガンを奪うと、彼女のこめかみに突きつけた。

「おい! 空上を離せ!」車から降りてきた味方たちが、様々な銃器を手にしてトラックを取り囲んだ。「さもなくば、撃つ!」

「うるさいっ!」佐藤は怒鳴った。「お前さんたちこそ、この女を殺されたくなかったら道を開けろ!」

 檸檬は舌打ちした。(厄介なことになったわね……あと、もう少しで助かったのに。早く、逃げないと)

 しかし、もはや彼女には何の武器も残されていない。この状況を打破しようと思ったら、味方に佐藤を射殺してもらうしかない。だが、この状態で発砲されると、彼女も巻き添えを喰らってしまうかもしれない。とにかく、ここを離れる必要がある。

(でも、そんな隙はないし……佐藤を動揺させられれば、できるかもしれないけど──あっ……そうだ!)

 檸檬は彼に話しかけた。「ねえ、ちょっと」

「何だ」佐藤はぶっきらぼうに言った。

「面白いものを見せてあげるわ」

「なんだと?」佐藤は、じろり、と檸檬を見た。

「いち、にの」彼女は、左右のウイッグを両手で掴んだ。「さんっ」

 そして、思い切り下に引っ張った。

 鈍い音を伴ってテープが外れ、ウイッグが取れた。

 佐藤の全身が硬直し、腕力が少し緩んだ。

 檸檬は素早く屈んで、拘束から抜けると、全力疾走で逃げ出した。

「おい待ちやが──」

 壁になっていた味方の間をすり抜けた直後、背後から聞こえ始めていた佐藤の怒号が、銃声にかき消された。


「空上さんっ!」

 振り返り、倒れ込んだ佐藤を眺めていると、懐かしい声を聞いた。そちらに目を向けると、新咲が駆け寄ってくるところだった。

「お怪我はございませんか?!」

「新咲ちゃん?! 無事だったのね!」檸檬は彼女を、ぎゅっ、と抱き締めた。「怪我はないわよ」

「そうでございますか!」新咲も、ぎゅっ、と抱き締め返してきた。「それはよろしかったですわ!」

「支部の被害状況は?」一通りハグし終え、檸檬は彼女から離れた。「どうなっているの?」

「ひどいものですわ、ほとんどの人が殺害されて、設備も滅茶苦茶に壊されてしまって……それにしても、空上さんが無事で、本当によろしかったですわ」

「まあ、精神的にはすごい疲れているんだけれどね……」檸檬はため息を吐くと、ウイッグをそれぞれ、ぎゅっ、と片手で握った。「やっぱり、もう、やめちゃいましょうか、こんな髪型──」

「空上君っ!」

 再び、聞き覚えのある声がした。今度は、目を向けるより前に、玖仁也が駆け寄ってきた。

「大丈夫でしたか?」

「え、ええ」檸檬は頷いた。

「そうですか──よかったあ……」玖仁也は中腰になり、安堵のため息を吐いた。「空上君に何かあったら、どうしようかと……」

「ありがとう」

「怪我なんかも、ないようですね」玖仁也は檸檬を、じっ、と見つめてきた。思わず、どきり、とする。「顔とか、髪の毛とかも、大丈夫みたいですし」

「そうね……って、なんで髪の毛?」

「あっ、えっと、いやあ……実は僕、ツインテールが好きなんですよ」玖仁也は、ははは、と笑った。「空上君の、長くて綺麗な髪が傷つけられたりしていなくて、本当によかったです。……それで、どうして、ツインテールを掴んでいるんですか?」

 檸檬は、ウイッグから手を離した。「別に、何でもないわよ」にこっ、と笑った。


   〈了〉

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