第五話 ペリコローソ

「ほら、あるでしょっ!」檸檬は右足をどかし、火炎放射器を露わにした。「正確には、ライターじゃなくて、火炎放射器なんだけど」

 佐藤は目を丸くした。「ど、どこにあったんだ、そんなもの」

「靴の中に、隠しておいたのよ。麻酔弾が刺さってから、気を失うまでの間に」

 檸檬は深呼吸をした。(仕方ないわ。何より、ベストの下のウイッグが発見されることを避けなければならないのよ)

 それに、まだチャンスはある。音声操作機能さえばれなければ、不意を衝いて攻撃することができる。

 佐藤は、放射口の前に体を出さないよう気をつけながら、火炎放射器を取った。

「赤いボタンがあるでしょ。それを押したら火が出るわ」檸檬は半ば投げやりに言った。

 しかし佐藤はボタンを押すことなく、こちらを睨みつけてきた。「あのな、敵から取り上げたならともかく、貰った武器をほいほいと使うわけないだろ。罠じゃないのか? 例えば、ボタンを押したら爆発するとか」

「罠なんかじゃないわよ!」

 檸檬は大声で言った。火炎放射器を使うのをやめて、再びライターを捜し始められたら、堪ったものではない。

「はたしてそうかな。第一、何でせっかく隠していた、場合によっちゃ起死回生できる武器を、俺に渡すんだ? それも、ライターの代わりにしてくれ、なんて、ふざけているにもほどがあるだろ」

「実は私も、こう見えて重度のチェーンスモーカーなのよ。もちろん、今だって吸いたくてうずうずしているの」

 心にもないことを言った。煙草など触った経験すらない。

「それなのに目の前で、喫煙しようとしてライターを長い間捜されてみなさいよ、イライラが酷くなるわ。あと、あなたが煙草を吸えば、副流煙で喫煙気分が味わえるし」

「ふん。チェーンスモーカーねえ……お前さん、どっからどう見ても未成年だろ?」

「か、隠れて吸っているのよ」

「……いや、いくら喫煙したくても、そのために切り札を手放す馬鹿はいないだろ。駄目だ、やっぱり信用できない。ライターを捜す」

 彼は再び、ベストを掴んだ。

「私がやる!」

 また大声を出した。喉ががらがらに嗄れていた。

「私が火炎放射器を作動させるわ。それなら、例えば、押した瞬間に爆発、みたいな機能がついていても、あなたは害を被らないでしょ」

「いいや」佐藤は首を振った。「いくら何でも、せっかく没収した武器を、一時的とはいえ、持ち主に返すような真似はできねえな」ベストを数センチ持ち上げた。

「音声操、ごほっごほっごほっ、音声操作機能がついているのよ、それえ」

 檸檬はとうとう、奥の手まで言ってしまった。無性に泣きたくなってきた。

「特定の音声を認識して、作動するようになっているの。これなら、返さなくてもいいでしょう」

「確かにそうだが、しかし」

「罠なら、あなたがそれを持った時点で、とっくに作動させているわよっ!」檸檬は怒鳴った。

「それもそうか。分かった、少し待て」

 佐藤はそう言うと、左手で火炎放射器を、誰もいない空間に向けて構えた。そして右手で、煙草二本を放射器の角に当てて固定し、それらの先端を放射口に近づけた。

「さあ、作動させろ」

 檸檬は「サラマンダー」と言い、放射器を作動させた。二秒弱経ってから、再び言い、炎を止める。煙草に、無事に火が点いたのを確認すると、佐藤はそのうちの一本を、さも美味そうに吸い始めた。

 彼女は八、九度深呼吸した。(まだよ。まだ、諦めるのは、早いわ。やつが、使い終わってどこぞに置いた火炎放射器を、音声操作機能を用いて作動させ、不意打ちを食らわす、という手段が──)

 そこまで考えた時だった。佐藤は突如、大窓を開けると、そこから火炎放射器を外に投げ捨ててしまった。檸檬は唖然として、あんぐりと口を開けた。

「煙草は二本だけで十分だ。もうこれは必要ない。不意打ちを食らわされたら堪らないしな」佐藤は彼女の考えを見透かしたかのように言うと、こちらに向き直った。「お前さん、チェーンスモーカーなんだろ?」

「え、う、うん」絶望のあまり、咄嗟に反応できなかった。「そうだけど」

「火を貸してくれた礼だ、吸わせてやろう。なにせ、副流煙のために起死回生の隠し球を犠牲にするほどの愛煙家だからな」

「えっ」

 檸檬は首を横に振りかけたが、チェーンスモーカーの反応としては不自然すぎることに気づき、仕方なく礼を言った。

「ありがとう」

「ただし、これきりだからな」

 佐藤は吸っていないほうの煙草をこちらに持ってこようとした。

「わ。ちょっ。ちょ。ち、近づかないで!」

 檸檬は叫んだ。寄られるほど、左のウイッグがないことに気づかれる危険性が高まる。

「近づかないで近づかないで! あんたみたいなツインテール萌えの男なんかに近づかれたくないわ! あっち行ってよ!」

 佐藤は明らかに傷ついた顔をした。しかし、すぐに不審そうな表情に変わった。

「さっきは、火炎放射器を貸すとか言って近づかせたくせに」

 しまった、矛盾した行動をとってしまった。

「さては、お前さん」

 ごくりと唾を飲み、佐藤の発言を待つ。

「ツンデレだな」

 檸檬は安堵の息を吐こうとした。

「いや、違う。ツンデレなんかじゃない」

 息が途中で止まった。やはり、そう簡単にはいかないか。

「デレツンだ。デレが先でツンが後なんだから」

 檸檬は佐藤をぶん殴ってやろうかと思った。

「もう、それでいいわよ。とにかく近づかないでちょうだい。そうだ、そこから投げてよ、口で受け止めるから」

「分かった分かった。それ」佐藤は煙草を投げてきた。

 何とか、咥えることに成功した。非常に煙たく、呼吸器系中に激痛が走る。涙が出そうになったが、それでも、愛煙家を装うため、必死に吸い続けた。

「どうだ、美味いだろ?」佐藤が訊いてきた。

 檸檬は懸命に口角を釣り上げて言った。「そうね」

 佐藤はその後、元いた場所に座ると、左手を席の上に下ろし、右手でスマートホンを弄り出した。

 檸檬は、咳き込まないよう懸命に努力しながら、吸い続けた。幸い、彼女に喫煙経験がないことは、佐藤には気づかれていないようだ。

 必死に煙草を吹かしていると、左方からメウが近づいてくるのが見えた。メウは、残存する右のウイッグに興味を示しているようだった。揺れに合わせて、首を動かしている。

 案の定、跳びかかってきた。檸檬は頭を動かし、それを回避した。

 メウは失敗しても諦めることなく、二度、三度とジャンプしてくる。必死に首を振り続け、それらすべてを躱し続けた。

(あっちに、あっちに行きなさいよっ、このクソ犬が!)そう、心中で叫びつつ、先程から睨みつけているのだが、まったく効いていない。

 数秒後、ついに跳びつかれた。メウが仕掛けた、左と見せかけて右に跳ぶ、という作戦にまんまと嵌まってしまったのだ。

 音も立てずにテープが外れ、ウイッグが取れた。さらに最悪なことに、メウはテープを咥えると、床に下り、反対側の座席に跳び乗った。そして何と、佐藤に近づくと、ウイッグをそばに置き、彼の左手にじゃれ始めた。

(なんでっ、なんでウイッグを奪ってからあっちに行くのよ! 早くこっちに戻ってきなさいっ!)

 しかし、メウが戻ってくる気配はなかった。佐藤はスマートホンを見続けたまま、左手でメウを撫でている。

(見るな。見るな。見るな見るな見るな見るな見るなっ。犬を見るな私を見るなスマートホンから目を離すな顔を上げるな──)目から涙が溢れてきた。

「ああ、そうだ。お前さんに、まだ披露していない、スカチルについての考察があったんだった」佐藤はそう言って、スマートホンをポケットにしまった。

(ああ、駄目──顔を上げられちゃう……見られちゃう。もうどうしようもないわ……ちくしょうがっ!)

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