第3話

 特に考えがあったわけじゃなかった。なにも考えていなかったら出たであろう協力だった。ケウの話を聞いて、ひとつわかったことがある。やはり自分は記憶を失っているのだと。


 ケウの説明が驚くほどすんなり飲み込めたのだ。質問は? とケウに訊かれ特になかったのも、一度どこかで訊いたことがあったからだろう。


 たったそれだけのことだが自分にしてみれば大きな一歩だったし、このまま記憶喪失でうろうろしていてもしょうがない。


「今更だが、警察に駆け込むというのは考えなかったのか?」


 旅装束に身を纏ったケウが訊く。隣には同じく旅装束を纏ったイルがいた。フードですっぽりと顔を隠せるため、顔がバレにくい。一人で、しかも軽装だとあやしまれるかもしれないが、二人ならばそれもだいぶ隠せるというものだ。


「ほんとに今更だけど、それはないよ。どうやらこれは旅の衣装でしょ。だったらこの街の警察に保護してもらったところで、あまり意味ないじゃんか」


「知り合いにはるばる会いにきたのかもしれんぞ」


「だったら荷物にその人につながるなにかは入ってるでしょ。お土産のひとつもないんだから、それはないよ」


 一応二人で荷物を確認してみたが、中に入っているのは日用品ばかりで、買いそろえたばかりなのか新品だった。レシートやタグの類はなく、どこで購入したかわからないが、ケウも見覚えがあるものがほとんどだったので、このあたりで買ったものなのだろう。


「そういえば」


 イル、と顔を向ける。


「お前、財布はあるのか?」


「財布?」


 イルはポケットに手を伸ばし。


「そういえば、ないね。盗られたかな」


「強盗にでも合って、頭を殴られたか?」


「財布だけ盗って、荷物に手を付けないなんてあるのかな」


 二人が速足で向かうのは、街の中心にある豪邸だった。


 そこのカンゼンという男が『天国の生徒名簿』保管しているらしい。なんでも代々にわたる古くからの権力者で、この街のきっかり中心から半径数キロにわたって買占め、大豪邸を建設したらしい。


 メディアに出るのが好きらしく、名前を検索したらすぐに顔がわかった。生え際の後退した、小太りのおじさんだった。


「この顔に覚えは?」


 ケウが訊いて。


「残念ながら」


 とイルが返す。


「万が一ないとは思うけど、もしイルがこいつの関係者だった先に謝っておく。場合によっては二三発殴るかもしれない」


「関係者じゃないだろうけど、了承はしておく。人をひとり殺そうとしてるんだから、それぐらい覚悟の上でしょ」


 街の中心にある、ということがわかっている分、カンゼン邸を見つけるのはたやすかった。中心に向かうと、いきなり巨大な鉄扉が現れたのだ。格子状になっているそれは向こうが見えるようになっており、キレイに整理された庭の向こうに遠くからでも巨大とわかるカンゼン邸がある。縦ではなく横に長い造りで、いくつ部屋があるのかここからではわからない。


「ここが正面玄関ね」


 ケウがいった。このまま門扉が開かれれば車数台が横に3台は並べそうなほど広い。


「で、見えてると思うけどあれがカンゼン宅。あそこにお目当てのものがあるはず。どこにあるかまではわからないけど」


「持ち出してる可能性は?」


「ないとはいいきれないけど、ここは警備も厳重なはずだから、下手に持ち出すよりもここにあったほうが安全と考えるはず。それに、大事なものだったら肌身離さず持っておきたいものでしょ。近くにあると思う」


「まあ、なかったら訊けばいいか」


(簡単に教えてくれるとは思えないけど)


「それで、ケウ。ここまできたはいいけど、これからどうするの? 正面からどうどうと行くの?」


「いいえ、さっきも言ったけど、ここは警備が厳重だから、しっかりと鍵がかかってるはず。今はどっかに隠れて、暗くなるのを待ってどっか裏から」


 ケウが言ってる最中に。


「厳重ねえ」とイルは門を押す。すると、軽く押しただけで門が空いてしまった。


「おや?」


「あら、鍵がかかってなかったのかな」


 これ幸いと意気揚々に乗り込もうと思ったが、


「…………」


「…………」


 二人の足が止まった。


 門の向こうに、人がいた。しかも大勢だ。全員武装している。魔法関係だけではない。銃器まで混じっている。


 さっきまで誰もいなかった。格子状の門からは向こうが丸見えで、警備員の一人もいなかった。そう見えたのだが、単に見えなかっただけだった。


 魔法だ。


 魔法で、誰もいないように見せていただけだった。


「思えば」


 両手を上げながらケウが口を開く。


「向こうからわざわざ殺されにくるんだもん。これ以上の楽はないわね」


 イルも手を上げる。


「まあ、これも場合によっては成功じゃない?」


「どういう意味?」


「中には入れるよ」


 かもしれない、とケウは思ったが。


「最悪の形でね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 中は広かったが、それは単なる建物の広さだけではなく、家具などの余計なものがないからのように感じた。そういえば外観もシンプルだった気がする。ただ広さだけを追求したような家の内部は、ひとつの整備された区画を歩いているようだった。


 廊下を歩いて部屋にぶつかり、曲がるときもあれば突き抜けるときもある。すると出てくるのはまた廊下だ。さっきとは窓から見える景色や、日の差し方が違うのでわかるが、それ以外はわからない。絵画の一枚、花の一輪さえ飾っていない。

 客人、もしくは捕まえた二人を疲れさせることが目的のようにしばらく歩き、ようやく今まで見たことない部屋に通された。


 街の中心に建てられた家の、さらに中心。そこに、大広間があった。


 これまた広い。天井は高く、部屋全体が半円型になっている。ここだけは力を入れたのか、天井には楽園の絵が、壁には調度品や立派な額に入った絵などが飾ってある。


 そしてその中心には、玉座があった。


 あるのはそれだけだ。玉座のあたりだけ高さがつけられており、座ってもなお視線を上げなくては顔を見ることができない。テーブルもないので食事や休憩のための椅子ではないことは明らかだった。


 今は誰も座っていないが、ここに座るであろう人物の顔はすでにわかっている。


 二人は背中を押され、玉座の前に行くよう指示された。ここまで連れてきた人はいかないらしい。けれど部屋から出ていくこともないようで、壁に背を向け、直立していた。


「縛らなくていいのかね」


 ケウが言う。確かに、手も足も自由だ。魔法を制限された様子もない。試しに使ってみようとも思わないが、使われても対処可能であると自信の表れなのだろうと解釈した。この部屋にいる警備員らしき人は20ほどだが、おそらく全員が手練れだろう。自分が魔法を使ったとしても、たったひとりでさえまともに相手にできる自信はない。


 ふとイルを見ると、なにやら目を細めて玉座を凝視していた。


「そんなに目を凝らさんでも、あそこには誰もいない」


「本当? 姿が見えないんじゃなくて?」


「ああ。小さくなっているわけでもなさそうだ。派手な奴は、こういうとき大抵遅れてくるものさ。待たせることが力を持つものの特権、と言わんばかりにな」


 特にすることもないので天井を眺めたり部屋の中を鑑賞していると、急に部屋が騒がしくなった。


「ようやくお出ましか」


 イルの言葉も聞こえなくなるほどざわざわとしたあと、ぴたりとやむ。部屋にこの家の主が入ってきた。


 王様のようだと、イルもケウも思った。王族など見たことないが、きっとこんな感じなのだろう。事前に仕入れた情報より少し肥えている。これで赤マントに王冠があれば物語に出てくる『おうさま』だ。あまり賢そうでなく、小さな子どもにでも馬鹿と言われそうな雰囲気がある。


 これをわざとだしているのなら侮れないが、そうじゃないのだろう。


 悠然とした足取りで玉座まで行き、ゆっくりと座った。座っている姿だけは、なかなか様になっていた。しかし、頭を下げてやろうという気にはならない。


 確認するまでもなく、カンゼン、その人だった。


 お目当ての人物にあったというのに、イルもケウも目が違う方を向いていた。カンゼンではなく、その後ろの従者を追っていた。


 部屋に入ってきたときからずっと、後ろに一人、従者が付き添っていた。


「ねえ、あの手に持ってるの」


「さて、どうだろう」


 カンゼンよりもずっと威厳がある従者の手には、黒の表紙が見える。だが、ただの手帳のようにも見えるため判断ができない。カンゼンは今、手ぶらだ。ということはその手にあるものが……と考えるのは早計だろうか。


「お前が、ケウだな」


 椅子に深く腰掛けたカンゼンが口を開く。イルのほうには向いていないので、やはり顔がわかっているのだろう。


「わざわざ捕まりに来てくれるとは、有難い。一度逃げられたと聞いたときはどうなるかと思ったが、安心した」


 顔が動き、今度はイルを見る。


「協力、感謝する」


 協力。その言葉に反応したのはケウだった。


「あんた、まさか最初からグルだったの?」


 その可能性も考えたわけじゃなかったが、いつの間にか頭から抜けていた。だとしたら相当間抜けな話である。もし仲間であるなら門が開いたこともすんなり説明が付くのだが。


「仲間……だったのかな」


 イルは首を傾げるだけだった。


「悪いんですが、記憶がないんです。逆に訊きますが、僕はここで雇われていたんですか?」


 一瞬、部屋の中でざわめきが再開するが、それは驚きのものだった。少なくとも、ここの人はイルのことを知らない。そもそも知っていたのであるならば、門を開けたときになんらかの反応があったはずだ。一緒に捕らえられるはずがない。


「なに? それは災難だ。記憶喪失の魔法でもかけられたか」


 そんな魔法が? とケウに目で尋ねるが、ケウも首を振った。魔法は膨大だ。記憶操作の魔法はあるにはあるが、ケウでさえ全て知っているわけではないし、あったとしてもどれを使われたかなんてそれこそかけた本人にしかわからない。


「望むなら、解除の魔法を試さんでもない。ここまでそいつを連れてきた礼だ」


「……別に連れてきたわけじゃありませんが」


「いいじゃないか? もらえるものはもらっておけば」


 言ったのはケウだった。


「魔法は減るもんじゃないし、記憶が戻ったら嬉しいでしょ」


「…………」


 確かにそうなのだが。もしそれで記憶が戻ったとしても。


「まあ、後味はよくないよね……」


 それにさっきのケウの話なら、その解除の魔法もケウは使えるはずなのだ。


(じゃあなんで使わなかったのか、って話になるんだけど)


 その疑問を悟ったのか、ケウが口を開く。


「魔法の解除って、そこそこ難しいものなんだ。類似が多い魔法だと数を試さにゃいかんし、簡単にできるとは限らない。私だって、調べなきゃわからんしな」


「なるほどね」


 だとすればなおさら、ここでやってもらう必要はない。もしここですんなり記憶が戻ったとしても、こいつがその記憶喪失の魔法をかけたとも限らないのだ。その瞬間、どうなるかは目に見えている。


「やっぱり遠慮します」


「……そうか」


 カンゼンは首を振る。


「残念だ」


「そんな魔法があるならば、あなたではなく、ケウにかけてもらうことにします」


 その言葉を言った瞬間。


「死ね」


 カンゼンの言葉と同時、イルの胸に、穴が開いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 一連の動作はまるで、お芝居を見ているようだった。だからなのだろう。あまりに現実味がなく、反応が遅れた。テレビの向こうで銃口を突き付けられても届かないとわかっている。人が殺されそうになっても、自分じゃどうにもできないことを知っている。ラジオの向こうで悲鳴が聞こえたからと言って、警察に連絡したりしない。


 そんな感覚だった。


 これがもし、ケウに向けられていたならば、少しは変わっていただろう。


 ケウに向けて攻撃があったのならば、反応は取れたかもしれない。


 イルだったから反応できなかった。


 甘えがあったのかもしれない。


 まさかいきなり攻撃するとは思っていなかった。それが、ケウの言い分だった。


 殺される理由がない。今だって、一緒にいただけだ。自分のように『魔法』になるわけでもない。犯罪者でもない。


 だから大丈夫だ。


 そう思っていた。


 死ねとカンゼンが言ったときも、従者が動いたときも、危機感らしいものは一切なかった。


 イルもそうだった。


 自分の胸に穴があくまで、いや、穴が開いてもきょとんとするばかりだった。


 後ろに倒れるのは、前から衝撃を受けたからだろうか。


 体が動かない。顔が動かない。なのに、胸にぽっかりと穴が開いたとわかる。そこだけなにもないのを感じている。感じないからこそ、感じている。


 どんと背中に衝撃を感じたのと、ケウの驚きに満ちた顔が見えたのは同時だった。


 ケウは言葉が出なかった。あまりのことに頭が真っ白だ。


 考えろと言い聞かせる。頭を働かせろ。じゃないと死ぬぞ。


 わかっている。なのに、目の前のことをどうにかできないかと思って必死なのだ。


 どうにもできないとわかっているのに、なんとかできないかと思ってしまう。


 もっと別のことに頭を使わなくてはいけないのに、そっちまで手が、思考が回らない。


 ようやく、首を折るくらいの気持ちで顔ごとカンゼンのほうに向けた。


 従者はまだ、手をこちらに向けていた。何の魔法かわからない。破裂や破壊のような荒々しいものではなかった。言うならば消滅だ。消え去ったというほうが正しい。


 その系統で魔法を探ってみようとするが、頭の回路はショートしたかのように浅いところをぐるぐる回っている。


「あんた」


 ようやく出た言葉は、荒い呼吸に混じって小さい。


「残念なことだ」


 カンゼンが言った。


「なんで」


「なんで? お前はそう訊いたか?」


 ダメだ。頭が働かない。この場をどう切り抜けたらいいか、まったく浮かんでこない。


「お前の仲間だからだろう」


「仲間じゃ」


「ここまで来て『無関係です』なわけないだろう」


 確かにその通りだ。だが、だからと言って。


「いきなり殺す必要はなかったじゃない」


「なぜだ?」


「なぜって……」


「怖いんですよ」


 答えたのは、従者だった。


「私は、お前を、ケウという名の者を知っている。だが、そいつは知らない」


 一切隙を見せることなく、言葉を紡ぐ。


「そいつが将来『魔法』になるかどうかなんて、私は知らなかった。」


 今もわからない。そう言ってのけた。


「…………」


「だから、先手を打ったまでだ」


「…………」


「臆病なんだ。だから、わからないものが、とてつもなく、怖い」


 ああ、とケウは思った。


 やはり連れてくるべきではなかったのだ。


 腹が立つ話であるが、向こうの言う通りだった。ケウの仲間であるなら、そう思っても不思議じゃないのだ。


 いままで仲間がいなかったことを考えるとそうじゃないか。


 ケウの仲間だったら将来『魔法』になる可能性が高い。だから先手を打ち、殺した。


 わかってしまえばこれほどわかりやすいこともない。


 イルが安全だったなんて、ケウにしかしらないことだ。記憶喪失だって、信じてもらえたとは思わない。いや、そんなことどうでもいいのだ。


「結局、そいつはわからんままだったが、調べるくらいはしてやろう。これで『魔法』になるのであれば、お前とそいつで二人になるしな」


 おい、とカンゼンが従者を呼ぶ。従者は手に持っていた黒表紙を開いた。


「欲しかったのはこれだろう?」


 カンゼンが言う。


 とすれば、あれが『天国の生徒名簿』なのだろう。あれだけ欲しかったのがそこにあるのに、なぜだろう、もう手が出なかった。疲れてしまっていた。あれを手に入れたところでなにをしたらいいのかわからなくなっていた。


 結局は、殺されるのだとわかってしまった。


 仲間になっても、殺される。


 じゃあ、なんのために仲間を探すのだろう。


 誰かいれば心強いと思っていたが、そんなもの、意味がなかった。


「『天国の生徒名簿』。これの便利はところは、なにも『魔法』になる人物の顔と名前がわかるだけじゃない。顔や名前が分れば、ある程度『検索』できることなんだよ」

 検索。なら、顔さえわかれば、イルがどこの人かはわかるということか。聞いた話ではそんな機能はなかったが、日々改良がくわえられているのだろう。


 だから、顔は残したのか、とケウは思う。


 あとで調べられるように。


 ケウは、イルを見た。


 綺麗な姿だった。


 寝ているように、倒れている。寝息さえ聞こえてきそうだ。


 体を貫通した穴。なにか通ったあとのようにも見えるし、そのまま消失したようにも思える。ほかに外傷はなく、キレイだった。



 

不自然なほど。




「あれ? ちょっとまって」


 ケウがそういうのと、従者が首を傾げるのは同時だった。


「……ありえない」


「どうした?」


 カンゼンが眉をしかめる。従者の顔はひどく歪んでいた。


「ありえない。なぜだ、なぜ『見つからない』のだ」


「どうした? いったいなんだというのだ」


「ないのです……『天国の生徒名簿』にこいつの名前がないのです!」


「それは……『魔法』にならないからだろうが」


「違います。もしそうだとしても、名前は見つかるはず……生まれたならば必ずここに名前と顔は記録される。そうなっているはず。なのに、見つからない。これではまるで、生まれてないみたいに……」


「答えを教えてあげようか?」


 そういったのは、イルだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ケウがその不自然さに気が付いたのは、あまりに綺麗すぎるからだった。


 体を貫通するほどの攻撃。なのに、その傷からは血が一滴も流れていないのだ。


 全て流れ出たのではなく、最初から血なんかなかったみたいに。


「答えを教えてあげようか?」


「え?」


 イルの目が開いた。


 体を起こす。それと同時に、あれだけあった傷が消えてしまった。ほんとうに、なにもなかったかのように。


 さすがに無くなってしまった服までは回復しないようだが、そこから見える肌は完全に元通りになっていた。


 ゆっくりと立ち上がるイルを見て、もう悲鳴も上げる人もいなかった。この場にいる全員が理解したことだろう。


「お前、なんだ」


 カンゼンの声はかろうじて震えていなかった。だが、額には脂汗がにじんでいる。


 何者だ、と訊かなかったのは、イルが人でないとわかったからだろう。


『天国の生徒名簿』に名前がなく、体を貫かれても血が流れず、死なない。もう人以外であるとしか考えられない。


「なんだ、と言われると答えるのは難しいけど、しいて言うなら」


 ケウを一瞥する。


「魔法、なのかな」


「魔法? 魔法なのか」


 急にカンゼンの声に力がこもる。魔法とわかれば、人でなくとも魔法であれば対処ができると考えたからだ。


「魔法……だからお前は名前がなく、死なないのだな。となれば魔法人形の一種か」


 カンゼンに余裕が戻る。魔法人形であれば、いや、魔法であれば大丈夫思ったからだろう。魔法である以上、必ず対処法があるからだ。


 だが、その隣の従者も、そしてケウも、まだ表情は固まったままだった。


 イルが魔法人形でないとわかっているからだ。


 いや、それどころか、魔法を感じない。魔法であると思えない。


 だが、さっきまでのことを考えると、イルは魔法でしかありえない。


 だから、怖いのだ。


 イルが、わからなくて怖い。


 その恐怖に向かって、従者が行った行動なもう一回攻撃をすることだった。不意打ちではなかったが、避けられても構わないと思っていた。攻撃することで身を護る。避けられたところで、次を打てばいいだけだ。


 脈絡なく躊躇なく放ったそれを、イルはもう避けようとはしなかった。


 なぜなら。


「ん?」


 魔法がイルに当たる前に消えてしまった。


「……ッ」


 従者は次の魔法に切り替える。だが、それも無駄だった。どの魔法も、イルに当たる前に消えてしまう。


「なぜだ! なぜ当たらない! いや、なぜ魔法が解除される!!」


 避けたわけじゃない。弾いたわけでもない。なにかにぶつけたわけでもない。さっきやったみたく、消失したに近い。が、消失の魔法を使えばもっとわかるはずなのだ。


 魔法を使ったとわかるはず。


 それが一切ない。


 魔法を無効化する方法は確かに存在する。だが、それでも使えば必ずわかるはずだ。イルは魔法を使った様子さえないのだ。


「お前はなんなんだ!」


「だから、魔法だよ」


 イルは言った。


「もう少し言えば、意思かな」


 ケウを一瞥する。一歩踏み出した。


「僕は、ケウのような人の、想いの結晶なんだろうね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 死んだから思い出した、というのは、なにひとつ合っていないが、しかし、状況を考えればそうなのだろう。イルは死んでもいないし、思い出してもいない。


 生きていない。思い出す記憶もない。


 けれど、一回魔法で体を打ち抜かれたことによって、なにかが整理できたのは事実だった。誤作動を起こしてしまった回路が静電気によって正常に戻るような、歯車がかみ合った感触があった。


 あながちイルの言ったことも間違いではなかった。


「まるでさっき生まれたみたいだ」


 いや。正しかった。


 イルは、つい先ほど生まれたのだ。


 ケウが追いかけられて、路地に逃げ込んだとき。


 生きたいという想いが膨れ上がり、あふれ出たとき。


 イルという存在は、出来上がった、のだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「想いの結晶……だと」


 従者が問う。その顔は不愉快にまみれていた。


「ばかばかしい。そんな想いを魔法に、ましてや魔法を無効化にするようななにかを作り出す魔法は存在しない」


「だからと言って、これからもないとは限らないでしょ」


 前例がない魔法。これが、一番の恐怖だ。対応ができない。対処ができない。


 魔法を無効化する魔法なんて、実際はあり得ない。そんな魔法、使った瞬間に自分で無効にされてしまうからだ。言葉がうまく当てはまるのでそれを使っているが、実際は相反するものをぶつけているが、違うもので上書きしているだけにすぎない。

 火の魔法には水を被せる。もしくは、圧縮して潰す。切り取って彼方に捨て差る、それを、無効に見せているだけだ。


 だから、それがなんなのかわからないと、無効化もできない。


「死にたくないと思って死んでいった人の、想いが、願いが、長年たまり続け、そして、魔法になった」


 ケウに微笑みかける。


「あり得ない話じゃないと思うけど」


「認めん!」

 カンゼンが叫ぶ。そして、なにか魔法を放った。ように見えた。


 実際は、発動さえしなかった。なにを使おうとしてたのかは、カンゼンと、そしてイルにしかわからない。


「僕に魔法はきかない……ってカッコよく言い切りたいけど、さっき胸に穴が開いたから、効果はあると思うよ。でも、僕は使おうとしている『魔法』たちの想いだからね、拒否くらいはできるんだよ」


 死んだ人が魔法になる。魔法として生き続ける。その魔法がイルを生んだのだ。攻撃できるわけがない。その魔法自体がイルであり、イルのものだ。発動を拒否することぐらいなんでもない。


 真羅を見るだけで発動する魔法も、カンゼン邸の鉄扉のカギを解除できたのも、無意識の内にイルが解除してたに過ぎない。


「ありえない……そんな、こんなやつが」


「まだだ! 兵よ! 武器を持て」


 カンゼンが私兵に指示を出す。


「魔法がきかぬなら腕を切れ、頭を撃て。再生するなら破壊し続けろ。想いの結晶なら、いつかはエネルギーがつきるはずだ」


 近衛兵に一瞬の静寂が生まれ、そして近いものから武器を持った。しかし、とびかかろうとするものはいない。


 さっきの話が本当なら、イルだって魔法使いなのだ。魔法が使えない身でとびかかって、無事ですむ保証はない。自分が知らない魔法で攻撃されたら、対応もできない。


「一斉にとびかかれば奴とて無事じゃすまん」


 息を吸い、かかれ、と命令するはずだった。


 が、すんでのところで、できなかった。


 違和感。


 イル含め、この場にいる全員に違和感があった。


 胸。


 左胸。


 丁度心臓のあたりに違和感がある。


 イルに心臓はないが、その違和感、なにか握られているような感覚はあった。


「固有魔法『触手』」


 ケウが腕を前に伸ばしている。左手はなにか鷲掴みしているように軽く握られていた。


「私の魔法は触れること。そして、それは何事も妨害されない」


 熱さも痛みも無視し、触れる。別の空間から握っているように、ダメージを受けない。


 それは、炎や棘といった障害物を無視して触ることができるからだ。


 だから。


「私は、カンゼン、あなたの心臓を握っている」


 皮膚や骨や血肉を障害物とみなしてしまえば、直接心臓を握ることも可能なのである。


 そしてその感覚を全員に共有しているという。


「……こういう使い方をされないように、私は生きなきゃいけないんでしょうけど」


 火中の栗を拾うような使い方で済まないことは、わかっていた。むしろ、暗殺じみた使い方をされることは必至だった。どんな防御策を取ろうが関係ない。ただ手を握ってしまえば、それでおしまいなのだ。しかも、その手を攻撃されることはなく、傷つくことはない。


 世界中の人が欲しがる魔法だ。


「要求を聞かなければ、私は、この手を握り潰すでしょう」


「そんなもの」


 ケウの魔法は固有のものだが、『相手に触る』魔法はすでに存在している。だから、対応方法は存在する。心臓の位置を変える。透過させるなど、あるにはある。


「そんなもの、魔法を使えば」


「その魔法は僕が解除する」


 と、言ったら? イルが言葉を挟んだ。


 どんな魔法であれ、それが誰かの魔法であるならば、イルは解除できる。


 解除できないのは、固有魔法のみ。


 すなわち、ケウの魔法は解除されない。できない。


「もし飛び道具で、魔法じゃなく武器で攻撃してみなさい。私の手は二本あるのよ」


「まあでも、そんなもの、届く前に僕が叩き落すけどね。魔法だろうが、なんだろうが。思考が安定してきて、使える魔法もだいぶ思い出してきたところだし」


 チェックメイト。


 魔法も、飛び道具も使えない。


 この二人を止められない。


 カンゼン側の負けが決まった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 勝ちが決まり、安堵の表情を浮かべた、そのときだった。影が動いた。


 従者だ。


 手に『天国の生徒名簿』をかかえ、一人駈け出している。


「おい!」


 カンゼンが叫ぶ。まさかの行動だったのだろう。ケウも思わず、手に力を込めてしまった。


 その場のほとんどの人の顔がゆがむが、従者は走り続けていた。共有の魔法を解除したのかもしれないし、潰されたところで自分の心臓じゃないと思っているのかもしれない。


「渡すものかあ!」


 従者は力の限り叫んでいた。『天国の生徒名簿』。それの価値を知っているのは従者だった。これがなくなることの意味を、誰よりも知っているのが従者だった。


 だから。


 空間から手が現れたとき、そしてそれが、『天国の生徒名簿』に触れたとき、この世の全てが終わった気がした。


「なるほど、こういう魔法なんだね」


 イルの手が肘のあたり消えている。切り落とされたようになくなっているイルの腕は、離れたところ、従者の近くから生えていた。


「ケウの魔法と違って『相手につかんでいるのが見えている分』ダメージが大きいかも」


 従者が驚きで硬直した一瞬を狙って、イルは腕を引く。従者が慌てて力を籠めるも、もうおそかった。


 腕が出てきた空間に、『天国の生徒名簿』が消えていく。それと同時に、従者の視界も真っ暗になった。


「……ケウ、もしかして、殺したの?」


「まさか」


 イルが『天国の生徒名簿』を持って引いたとき、ケウの手がなにかを摘まんだように動いたのが見えた。たかが数センチの動きだが、それによって致命傷を与えることができるのが、ケウの魔法だ。


「首のあたりにある血管を少し止めただけ。脳に血が行かなくなると、数秒で人って気絶するんだって。なにかの本で読んだことある」


「……その血管の位置って、正確にわかってるの?」


「だいたいあのあたりだなあ、ってわかれば十分よ」


 さて、とケウは改めてカンゼンに向き直る。


「これで、どうする?」


 カンゼンの心臓はケウに握られ、『天国の生徒名簿』はイルの手に渡った。取引さえ叶わない。


 が。


「取引しましょう」


「……なに?」


 イルとカンゼンが同時に言った。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


 ケウとイルは、街の外にいた。


 背中には大きな荷物と、立派な旅装束。この街で一番高級なもの、ときいていたため、質感からなにまで大満足だ。


 二人が行った取引はこうだった。


「この名簿は返すから、私たちを安全に街の外まで送り届けて。そして、しばらく旅ができるように必要なものをそろえて」


 カンゼンは頷いた。それしかできなかった。


「なんで、名簿を返したのさ」


 街に出てから、イルは訊いた。わかっているようなふりをしたが、本当はなにもわかっていなかった。カンゼンがいる手前、カッコつけただけである。


「あれが原紙だとは思えなかったからね。だとすれば、あれはコピー。自動書記があるのか定期的に更新されるのかわからないけど、少なくとも魔法であることには変わりない。だから、イルなら複製できると思ってた」


 その読み通り、イルは適当なノートに『天国の生徒名簿』をコピーすることができた。試しに、程度なのでただ転写しただけだが、もう少し魔法を使えば快適なものになるはずだ。


「あとは、報復をさけるためね。あそこで逃げても、街の外に出られるとか思えない。あとで追ってが来る可能性だってあった。それは避けたかったのよ」


『天国の生徒名簿』が奪われたとなれば、町民が暴動を起こすだろう。この街にいる全員を相手にしていては、身が持たない。


「私は、この街を出なきゃいけなかったしね」


「仲間を探すため?」


 ケウは頷いた。


 名簿を見る限り、まだ『魔法』になる予定の人はいる。この人は、明日殺されるかもしれないのだ。


「今までは、これが隠されていたから団結ができなかった。団結させたくなかったから、隠していたんだと思うけど。でも、これでやっと」


「反撃できる?」


「そんなこと、しないわ」


 だって、


「ただ、平和に生きたいだけなんだから」


 それで、と街から出て少しして、ケウは振り返った。


「イルは、これからどうするの?」


「どうしよっか」


 実のところ、ケウには目的があったが、イルに目的はなかった。


「生まれたは生まれたんだけど、別に使命があるわけじゃないんだよね」


 いうなれば、『生きたい』という想いの表れなのだから、『生きる』ことが目的なのだろう。『魔法』候補人に、人類を滅亡させようという思想の持ち主は少ないらしく、イルの中にそんな感情はない。


「しばらくは、目的探しでぶらぶらするのかなあ」


「そう。じゃあ、イルも旅をするのね」


「かな」


「次の行先は?」


 イルがひとつ、街の名前を口にする。それは偶然にも。


「私の行先も、そこなのよね」


 わざとらしい、と思う。が、そういうことなのだろう。


 口にした名前だって、イルは自分が生まれた街と、そこしかしらなかったからだ。次はそこにいくというケウの話を聞いて、初めて名前をしった。


「なら、一緒にいこうか」


「あら、ボディーガード?」


「それでいいよ」


「となれば、報酬が必要か。なにがいい。あまり大したものは払えんが」


 ここで金、というのもなんかなあ、という話である。かといって、欲しいもの、と言われてもイルにそこまで知識も物欲もない。


「好きなもの、でも構わんぞ」


「ああ。それなら」


 イルは口にする。


 この街にきて、初めて知り、そして大好きになったものだ。


「サンドウィッチ」





ーー 完 ーー






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