第2話
少しだけ戸を開ける。そして中に誰もいないことを確認し、魔法の類もないことを確認する。そこでようやく一息つき、ケウは「さ、入って」と後ろにいる少年を促した。
「おじゃまします」と律儀にも挨拶をして、少年は足を踏み入れる。「へー」と感嘆の息をもらした。「なんというか、言葉を選ばないでいうと、なにもないね」
「まあな」
そこは女の子、それも年頃の女の子にしては殺風景すぎる部屋だった。
家具の類はほとんどない。洋服もたたまれたものが床に置いてあるだけだった。けれど流石に食器を床に置く趣味はないらしく、小さな食器棚がキッチンの近くにおいてあるが、テレビもなければ冷蔵庫もない。
部屋の中心には正方形のこたつ方のテーブル。椅子は座椅子がひとつだけだ。
「とりあえず、座って。飲み物は、コーヒーでいい?」
「あ、手伝う」
ケウは首を振った。「インスタントだから、イルは座ってて」
少年はしげしげとうなずき、「そっか」と思った。イルとは、自分の名前だった。
座布団はないのでリュックをお尻にしき、コーヒーを待つ。着ていた外套は丸めて部屋の隅においた。その下は、普通の、一般学生が切るような普通の服だ。
だが、この服を買った記憶はない。まるでない。趣味がかけ離れているわけでもなく、これが道端で売られていたら買ってもおかしくない。丸きり新品ということもなそうなので、さっきそろえたわけでもなさそうだった。ここにきてから買ったのではないとすると、ますます絞り込めない。
(さて、これはどういうことか)
思案していると、「はい」とコーヒーが来た。
ケウは自分の分に口をつけながら、この部屋にあるただ一つの椅子に座る。
「それで、まずはなにから話そうか」
「何から……って、言われてもな」
「ま、そうだよね」
ケウはコーヒーすすり、(なんでこんなことになったんだっけね)と思い返す。
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「記憶がないって……それって大問題じゃないの」
少し前。うっかり大声を出してしまったケウに対して。
「あはは、そうかもね」と当の本人は軽く答えた。
「え……ちょっと待って。それは本当? それとも私を騙そうとしている?」
声を落とし、真顔で訊くと、向こうもやっと笑うのをやめた。手が頭に行き、髪を弄る。
「記憶がないのは本当かな」
でも、と続ける。
「それを信じてもらうのは難しいかもね。なにせ僕自身もあまりよくわかってないくらいだから。記憶がないってこういうことを言うんだろうなって、少し面白いくらいだし」
「……記憶がなくなったって、そんなに平然としていられるものなの?」
魔法の中には記憶を操作するものもある。それを使用すると、対象者は慌てふためくのが一般的だ。こうして笑っていられる人は、今まで知らない。演技だとしたら、この人は世界で通用する俳優になれるだろう。
「どうだろう。一部がなくなっただけなら、慌てたのかもしれない。でも、僕は、いっさいなにも覚えてないんだ」
まるで、たった今生まれたみたいにさ、と少年は言った。
「……最初に覚えていることは?」
ケウが訊く。
「飛び込んできたケウの姿。そのとき初めて目を開けたような気がした」
「そっか」
ケウはこの少年がいつからここにいたのか知らない。ケウが気が付いたときはすでに彼はいた。魔法で上空から俯瞰していたものの、この少年ひとりがいつからいたかなんてわからないし、そもそも人の量を気にしていたのであって、顔ではない。
「……ということは、だ」
「ん?」
「お前は記憶がない状態で私を助け、あの連中を相手にしたということだな」
「そうなるね」
「そんなことが可能なのか?」
「…………」
「…………」
「できたんだから、可能なんでしょ」
少年の答えはそれだった。
確かに。と思うしかない。記憶がないというがこうして会話ができている以上、一定の常識と学力は身についていそうだ。
「……いや、常識はないのかもしれない」
「え?」
「常識がかけているから、私を助けたのだしな」
「……そのあたりが、よくわからないんだけどさ」
ねえ、と少年は首を傾けた。
「キミは、なにをしたの?」
難しい質問だ。ケウは少し悩み、
「なにもしていない、というのが正しいだろうな。私はなにもしていない。だが、それが罪だ。生きることが罪だ。私は、この世の全員から、死ぬことを望まれている」
「それは……穏やかじゃないね」
少年は腕を組む。その態度をみて、ケウはやっぱりこの男は自分を知らないのだと改めて思い知った。演技と呼ぶには自然すぎる。悪意や本心を隠そうという気が全くないのだ。
「助けてもらったお礼だ。腹は減っているか」
「……まあ、そこそこは」
「なら、家に来い。昼食ぐらいは、ごちそうしてあげる」
「それはどうも」
「それと、お前はイルだ」
「……イル?」
「お前の仮の名前だ。ナナシだと呼びづらいから、勝手にそう名付けた。そこにいた。だから、イルだ」
イル、イル、と少年はしばらくつぶやいたあと「了解」とそれを受け取った。
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今更だけどさとイルは、この家の主に向かって話かける。テーブルの上にはサンドウィッチと、生野菜のサラダが二人分用意されていた。コーヒーとともに用意したものだ。ケウはそれに手を伸ばしていたところだった。
「会って間もない男を部屋にあげるのはどうかと思うよ」
「いきなりなにを言い出すか」
「だってねえ」
サンドウィッチを一口。気を使ってか、イルの方が心なしか量が多い。
「私だって、むやみやたらに人を家にあげたりしない」とケウは言う。
「ただ、あまり外に出ていたくはなかったから、仕方なく、だ。あいつらに見つかって一時間もたっていないのに、のんきに喫茶店に入っていられるほど、私は能天気ではない」
「……あいつら」
イルの頭には真羅を纏った男たちが思い浮かぶ。だが、話した印象だと、そこまで危険な様子ではなかった。そんな気がする。
「それに、もしお前、イルが私を襲おうとしても、なんとかできる自信があった」
「へー、合気道でもやってるの?」
「そんなものはやってない。単に、私の固有魔法の話をしているだけだ」
「魔法!」
ケウがびっくりして顔をあげる。今までイルからは想像できないような大声だった。
「魔法なんてものが存在するんだ」
「……ああ、そうだ」
ゆっくり。ゆっくりと頷く。考えるように下を向き、ややあってから、顔を上げた。
「まずはそこのあたりから説明していこうか」
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魔法。そして、固有魔法。
「それが、今私たちが魔法と呼んでいるものだ」
「……魔法と呼ばれるものの中に、魔法が、ある?」
「ああ」
「なんか不思議だ。魔法って文字の説明文に魔法が使われているのが、とてつもない矛盾なきがするよ」
「別に意味を指しているわけじゃないからな」
さしてそこに意味はない、と言う。「大事なのは、固有魔法と区別されているところだ。魔法と固有魔法は違う。そこだけわかっていればいい」
ケウがイルの前で手のひらを見せる。すると、そこに炎が生まれた。
「これが、魔法だ」
「へー、すごい」
触ってもいいと訊くイルに、やけどするからやめろと炎を消す。
「魔法は、使い方さえ知っていれば子どもでも使うことができる。おそらくイルにでも使えるはずだ。いや、使えないはずがない」
「言い切るね」
「そういう風になってるからな」
なってる? イルが首を傾げる。
「『どんな人であっても個人差なく同様の事象を起こすことができる』これが、魔法の根本的な考え方だ」
「どんな……それって、大人でも子どもでも同じ魔法を使うことができるって意味?」
「ああ。その通りだ」
「ふーん」
イルはサンドウィッチを口に頬張り、飲み込んでから言った。「危険すぎない? それって」
「なぜだ?」
「だって、今の魔法もそういうことになるはずだよね」
さっきケウが見せた魔法は、炎を生んでいた。
「ケウは、危険だからという理由で、僕にそれを触らせなかった。でも、万人がそうするとは限らない、もっと言えば、分別のつかない子どもが使って、相手にやけどを負わせることがあるかもしれない」
「そうだな」
ケウは否定しなかった。そのくらいのことは、とっくに議論されている。そして、そのくらいのことは毎日のように起きていることだ。
「魔法は道具だからな。正しく使わなければ危険だ。だが、その危険を教えるのが大人で、正しい使い方を教えるのが教育だろう?」
「……まあ、そうなんだけど」
「さっきの炎を生む魔法も、悪意を持ってすればいくらでも危険なものになりうるが、使うのが子どもならばその使い道は予想がつく。経験と、魔法の知識の差でいくらでも対処が可能だ。少し話が異なるかもしれないが、さっきの炎をうっかりさわってやけどしてしまった場合でも、その傷を綺麗になおしてしまえば問題ないだろう」
「……なんか、ものすごく暴力的な気がするけど」
「炎の熱さを知らずに、炎を使うことはできないさ」
話の区切りを知らせるように、ケウがサンドウィッチをひとつ食べる。
「話しの腰を折るようだけどさ。この食べ物はなに? おいしいね」
「……サンドウィッチというものだ」
ケウが一口たべ、イルも頬張る。「知らなかった」
「そのわりには、私より先に食べていたな」
「食べたことを体は覚えているのかもね」
そうじゃなければコーヒーも飲めないだろう。知らない人から見れば黒い水だ。
いや、知らない人が見れば、なにを見ても異形なものにしかみえないだろう。それを口に入れる勇気は、ずっと持てないかもしれない。
「料理が上手いんだ」
「ただ野菜と肉をパンで挟んだだけだ。火も入れてないし、マヨネーズをかけただけだ。お手軽に食べることを目的としているサンドウィッチだから、それに習った」
お前にもできると言って、ケウは一呼吸置いた。
誰にでもできる。道具と、材料さえあれば。
「パンと野菜と肉、それとまな板と包丁があれば、これは誰にも作れる。魔法も同じだ。魔力と知識さえあれば、私とお前は同じ魔法が使える」
今度はイルは話を遮らなかった。
「この、魔法は道具であり、万人が平等に扱えるようにすべきだ、という考えを作ったのが、センジツと、ハクアイという魔法使いだった」
「というと、それまではそうじゃなかった?」
「少なくとも、みな平等、ではなかっただろうな。その時代に私は生まれてさえいなかったが」
しかし、と今度はケウは話を一時中断する。
「こんなのは学校で最初に教わることだが、本当に知らないのか?」
「全く。どこかの小説の設定を聞いている気分だ」
「私は、異世界から来た若者にこの世界のことを説明するヒロインの気分だ」
さて、と話しを戻す。
「この二人の魔法使いの登場で、この世界は一気に変わった。そいつらの固有魔法が、まさにそれだったのだよ。センジツの固有魔法が『魔法の共有』そして、ハクアイの固有魔法が『魔法の記録』」
誰かの魔法を記録し、そしてそれを共有する。二人がやったことはそれだけだった。
だが、それによって、革命が起きたのだ。
「すべての人が、同じ魔法を使えるようになった」
子どもも大人も、今まで落ちこぼれだった人も優秀だった人も。全員が差異なく同じ魔法が使えるようになった。
なってしまった。
「それまでは魔法と言えば、先人の教え通り、誰かに魔法の使い方を教わり、それを鍛え、上達していくものだった。固有魔法、という考え方も、そのときはなかったのかもしれないな。ただの個性として、終わるはずだった」
記録する魔法は存在する。映像を、音声を、過去を、記憶を。それにあった魔法はある。今でこそ全員が同じ魔法を使えるが、その前は個人で差があったことだろう。初めて使ったときは少ししかできなくて、使っていくうちに慣れてくる。極めれば仕事になったかもしれない。
記録する魔法のなかには当然、魔法を記録するのもあったはずだ。そしてその魔法を一番うまく使えたのが、歴史上もっとも扱いに長けていたのが、ハクアイだったのだ。
そして共有の魔法を使いこなしてしまったのが、センジツだった。その二人が同時期に生まれ、知り合ってしまった。
ただそれだけなのだ。
「もし、そんな状況になったらどうなると思う?」
「どうって……」
少し考える。サンドウィッチをもうひとかけら食べ終えるまで思考し。
「混乱はするだろうね。今まで使えなかった魔法が使えるようになるわけだから、楽しいのもあるだろうけど、困惑のほうが大きいと思う。自分が今まで使ってた魔法より高度なものもあるだろうし」
「それだ」
「え?」
いきなり遮られる。その言葉を待っていたかのように、ケウは話を始めた。
「自分が使っていた魔法よりずっと高度なものがある日いきなり使えるようになった。それが、起きてしまった一番の事件だ」
「…………」
「使えなかった魔法が使えるようになったことは、本当は大したことじゃないんだよ。今は知らないだけで明日教わるかもしれなかったことだ。魔法は技術だからな」
「なるほど、技術か」
「ん?」
わかったか? と言わんばかりにケウがイルの顔を見る。
「だとしたら、否定されたような気分になるかもしれないね」
魔法は技術。鍛えれば当然レベルはあがっていく。
鍛えて鍛えて、納得のいく魔法ができあがったとしよう。そこに、共有の魔法でそれよりもずっとハイレベルの魔法が来たらどうなるか。
「魔法は進化するのをやめてしまった」
ポツリとケウが言った。
「切磋琢磨し、試行錯誤した時代はもう終わった。そうだろう? 自分がどれだけ努力しても届かないものを、他人はあっさりとやってのけ、しかもそれを万人が使えるようになる。バカバカしくもなるものさ」
次のサンドウィッチに手を伸ばそうとして、もうなかったことに気が付いた。仕方なく、イルはサラダに手を伸ばす。
「魔法の進化は止まった。じゃあ、もうずっと魔法のレベルは低いままってこと?」
「いや。むしろ、その逆だな」
「…………」
魔法の共有化のあと行われたのは、魔法の選別だった。
炎を生む魔法でも何万とあったのだ。その中で一番効率的なものはどれか。使い勝手がいいのは? 攻撃力があるのは? そんな理由でそれぞれのベスト1が決められていったのだ。
「私がさっき使ったのは、使い勝手がいいとされている魔法だ。最短で炎を生み、長時間持続可能。便利だな」
「……それに負けた魔法は?」
「さあ」とケウ。「その当時があったはずだが、今は失われているだろうな。わざわざ不便を選ぶ魔法使いはいないよ」
万を超えるほどの種類を持った魔法の選別が終わるのと、個人魔法にスポットがあてられるのはほぼ同時だった。
「個人魔法と呼び名が定着したのもそのあたりだろう。個人魔法は個性。ゆえに、既存の魔法を超える可能性が十分にあった」
例えば、センジツやハクアイのように。
「魔法はもう進化しない。そのレベルを高めるには上書きしかない」
より高度な魔法を使うものが現れ、それを共有する。魔法はそれでしか高められなくなってしまった。
イルは「ふーむ」とうなる。
「その記憶と共有の魔法は今でも続いてるってことなのかな?」
「だな」
「そのタイミングは、いつになるの?」
ケウの眉がピクリと動く。
「特に共有の魔法が働くタイミングがいつになるのか、それがかなり重要になってくると思う。魔法は進化しないっていったけど、それは歴史上の話であって、個人レベルでは違うわけでしょ」
料理を例にとると、レシピ本や高性能のレンジなどができてお店の味が再現可能になった。だが、材料をきったり手際は慣れや経験によって変わるものだ。当然、あとになればそれだけうまくなる。
「個人魔法だって超える『可能性』を秘めているだけかもしれない。それをいきなり上書きするのは、いくらなんでも考え無しじゃないかな」
「ああ。だからその二人は、ルールを設けたのさ」
センジツとハクアイ。その二名は。
「『共有、記憶の魔法を発動させるタイミングは、対象者が死んだときのみとする』」
これが、ケウは日々命を狙われている理由だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「『触手』」
これが私の個人魔法だ、とケウは言う。
「能力は単純。触れること」
「へー。でもそれのどこが」
ふと、左手に違和感があった。見ても、なにもない。だが、確かに『握られている感覚』があった。
視線をケウの手に移すと、なにか棒のようなものをつかむような形をしている。
握られている感覚があるところに右手を持っていくと、そこにはなにもなかった。
「これが、私のオリジナルということなのだろう。『私は相手に触れることができるが、相手は私に触れることができない』」
「…………」
「ちなみに、これは『触っている感覚』を与える魔法ではない。実際につかんでいる」
錯覚ではないということを言いたいのだろう。十分と思ったのか、左手の掴まれている感覚がなくなる。
「この程度、ほかとこの程度だけ違うだけで、命を狙われるのだ。たまったものじゃないよ」
ちなみに、とケウは付け足す。
「私と初めて会って、お前、真羅の奴らに助けを求めようとしたときがあっただろう。道に迷って、とかなんとか。あのとき、口を押えたのは私だ」
「ああ、そうだったんだ」
なにか口に当たっているような感覚はあったが、それが魔法だとは思わなかった、深く考えればそれなりに恐ろしい話だと思うが、それ以上にいろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていた。
「ほかにそういう魔法は?」
「対象に触れるという魔法ならある。持ち上げたり、壊したりもできる。だが、それは自分の手で行うことが前提だ。見たことないか? いきなり空間が裂けて手が出てくる映像を」
と、そこまで言って、ケウは「……すまん」と謝った。記憶がないということを忘れていた。
イルは気にせず、会話を続ける。
「ケウの固有魔法とそこまで大差がないように思えるけど、相手が触れることができないのがそんなに重要なの?」
「重要とか重要じゃないとか、そういうのはもうとっくに終わっているんだよ。私の魔法は今までない要素があった。それで充分なんだ。まあ、メリットと言えば、安全ということだな。怪我はしない」
触れられないのだから当たり前だがな、とケウは言う。
「だから例えば、全身が炎に包まれていようが、触れたら一瞬で死んでしまうような毒針で覆われた奴だろうが、私は関係なくつかむことができる。活用方法としては……なんだろうな。火中の栗を拾う、ではないが、たき火の中にある栗や芋をつかむことぐらいだろうか」
「それはすごい」
素直に驚く。
だが。
だが、それは。
「まあ、もしそんな状況になったとしたら、別の魔法を使えばいいだけなのだがな」
つかまなければならない。そんな状況はあるだろうか? 捕獲したいのならなにも掴む必要はない。崖から落ちそうだから手をつかみたい? もっといい方法があるだろう。
つかむ。握る。そんなことが必須の状況なんてめったにない。十分ほかで代用可能なのだ。
「……本当に」ケウは自分の手を見た。「この程度なんだけどな」
この程度。他人が見たらすごいと思うようなことだろうかと、ケウは毎日のように考える。こんな誤差のようなものさえなければ、こんな状況にならなかったのに、と。
「……残酷なことを聞くようだけど」
「ん?」
「ケウは、なんで、そこまでして生きていたいの?」
「…………」
「僕がケウの立場だったら、正直、死んでると思う」
絶望して、逃げたりしない。だって、救いがないのだから。
「……かもな」
ケウは静かに言った。
「イルの言う通りだろう。普通なら死ぬだろうさ。死んだほうが、いいのだろうさ」
それが、一番望まれている。
死ぬために生まれていたといっても過言じゃないくらいだ。
それくらいケウはわかっている。
だが。
「そりゃあ、さっさと死んだほうがいいって私もわかってる。でも、生きたいんだよ」
「…………」
「そこに理由なんてないんだ」
ケウは微笑んでいた。
「わかっている。知っている。理解している。けどな、私は納得したつもりは一切ない。私は最後まで抗うと決めたんだ。誰のためにならなくても、全人類から恨まれようとも知ったことか。私は生きたいから生きる」
「…………」
「納得したか?」
「ああ」
イルは頷いた。
「でも、いくらなんでもそれを一人でするには危険、というか、難しいんじゃない?」
「ああ、その通りだ。私も人間だ。寂しいときもあるし、一人じゃどうにもできないことがある」
だから、私はこの街に来た、とケウが言った。
「要するに、仲間がいればいいのだろう?」
「……まあ、そうかな」
「同じ境遇の仲間がいれば、心強いし頼りになる。命を狙われているとなればなおさらだ。より仲間意識は強くなるだろう」
「こんな世の中だし?」
「将来『魔法』になることが決まっている魔法使いはそれなりにいるんじゃないかと、私は思っている」
「……でも、その居場所はどうやって知るのさ」
簡単にわかるとは思えない。わかるなら、とっくに居場所を突き止められて殺されているに違いない。ケウだってそうだ。居場所が突き止められないからこそ、こうやって生き延びている。
「それを知るために、私はこの街に来たんだ」
「え?」
「『天国の生徒名簿』というものを知っているか?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
知っているか、と訊きつつ、ケウはすぐさま説明を始めた。
「『天国の生徒名簿』。簡単に言うならば、『将来『魔法』になる子が記名されたもの』なのだろう」
「将来、『魔法』に……。それは全員?」
「もちろんだ」
ケウは言った。
「名前の由来はいくつかあるが、まあ一般的には『神様に愛されたが故に今までにない魔法を授けられた。死んだら天国へ行くに違いない』というなんとも身勝手なものだな」
「それにはどんな情報が載っているの?」
「さあな。私は見たことがないからわからんが、顔と名前、固有魔法くらいは書いてあるだろう。所在は、大まかにはわかる程度だろうな。そんなものがあったらいくらなんでも逃げられない」
「それだけでも十分じゃないかな」
イルの疑問は最もだ。それだけでもわかれば、もうおしまいと言ってもいいくらいに。
「どこにいるか伝えて、町民全員で押さえかかれば」
「それが可能ならできるが、実際はそううまく行かんのさ」
過去、そうやっていたことがあった。
『魔法』候補人を早く『魔法』にすべく、情報を出していたことが数十年はあったはずなのだ。
「その結果、多くの人が死んだ」
「それは」
「将来『魔法』になることない、まったく関係ない、無関係の、普通の人が大量に殺害された」
多くは誤解だった。
もしくは間違いだった。
『魔法』になりたくない人が抵抗し亡くなった人もいる。だが、それ以上に一般人が死にすぎた。
姿を変える魔法。もしくは、幻を見せる魔法。
『魔法』候補人に見せかけて、憎い奴を殺させる人が相次いで現れたのだ。
「もちろん姿を変える魔法も、幻を見せる魔法も対処法はある。だが、自分がかけられたと知らないのなら、対処もなにもない。おまけにそんな方法があると知られたことで、模倣犯が大勢増えたほどだ」
それに、『魔法』候補人だと思って殺した、という輩も増えた。
悪意ある間違い。殺したい奴がいて、そこに「こいつなら殺していい」というルールができたのだ。それに乗っからないわけがない。正しい情報に見せかけ、そいつの顔写真をばらまく。それでおしまいだ。
真偽を確かめるまでもなく、弁解も反論の余地もなく、猶予も情状もなく、死ぬだけだ。
結果、『魔法』候補人以上に一般人が死んだ。
それを踏まえ、今では特定の人しか『魔法』候補人を殺せないようになったのだ。それと同時に、『天国の生徒名簿』も公開をやめている。
「それが、ケウを追いかけてた特徴的な服を着た人か」
「あれが奴らの制服さ。あれには視覚的な魔法が組み込まれている。見ただけで、あの服を着ていることがどういうことは伝わることになっている」
言葉が伝わらなくても、街中でケウと殺そうとしても邪魔に入らないように、うっかり助けないように。一種の身分証のようなものだ。簡単に模倣品が出回らないようにしているし、他人が来てもその魔法が発動しないようになっている。
「なぜか、お前には効かないみたいだけどな」
「その魔法が発動する条件があるんじゃないの? そういう知識が必要だとか」
「……かもな」
いくらコピーしにくくても魔法には変わりないので、自分に使えないわけがないが、知識が足りないので使えない。もし使えればそれなりに有利になるのだが、そううまくいくわけではなさそうだ。イルには効果がないということがヒントになればいいが、それを見つけ出すのは大変だろう。
「あの制服を着ているあいつらのみ『魔法』になる人の所在や名前が告げられる。あとはさっきの通りさ。ほかの人は見て見ぬふり。協力をしてもいいことになってはいるみたいだがな。もし一般人が私を殺しても大した罪には問われないだろう」
だが、とケウは言葉を区切る。
「うっかり他人を殺せばそれは殺人で重罪だ。おいそれと協力はしないさ」
「…………」
長い話になったな、パンと手を打ち、ケウが空気を変える。
「魔法のこと、これで少しはわかったか?」
「よくわかったよ」
「ならいい」
最後のサンドウィッチを口に頬張り、一気に流し込む。いつの間にか、イルはサラダも食べ終えていた。
「このあと、ケウはどうするの?」
「決まっている。『天国の生徒名簿』をもらいにいくのさ」
「簡単に言うね」
「もう後には引けないさ。もうすでにこの街からは出られないだろう。だったらがむしゃらに走るしかない」
「なるほど」
なら、とイルが言った。
「手伝おうか」
おいしいサンドウィッチのお礼にね、と。
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