キミは他人のために死ねるか?
ねすと
第1話
技術は進化していく。
遅かったものは速く。脆かったものは堅く。少なかったものは多くなっていく。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。技術の進歩は生活をよくするためのものだ。より生きやすくするために、便利さを追求する。生きやすくした毎日に、なにがあるのかわからないが。極限まで快適さを求めた日々とはいかなるものか想像できないが。技術を追い求めた結果、温暖化とか少子高齢化を起こして逆に問題になっているじゃないか、声も聞こえてくるが、しかしやはり、過去に戻りたいとは到底思えなかった。
技術の賜物を一度味わってしまえば、もう昔には戻れない。一度くらいは経験してみてもいいと思うのだが、それはあくまで『一回きり』で、「ああ、やっぱり便利なものっていいなあ」と再確認するだけのものでありたい。
クーラーを知ってしまえば、扇風機が頼りなく思えて仕方がない。団扇なんてもっての外だ。仰いでもその運動で汗をかいてしまい、まったく意味がない。
不便には戻れない。
では、魔法はどうだろう?
魔法だって、ほとんど同じだ。
魔法と一口に言ってもあまりに広すぎるためわかりにくいが、要は魔力を変換し、形を変えて出力しているに過ぎない。たとえるなら、電化製品のようなものだろうか。電気というエネルギーを使い、掃除機やら洗濯機からを動かす。それが人に変わっただけだ。
魔法が電化製品だとすれば、毎年のように新しいものが出てくるのも想像しやすいかもしれない。
より便利に、より快適に。もう改良の余地がないように見えて、実はまだまだ改善点は残されている。
少し時が経てば、今使っている魔法より上位互換のものが出てくる。『上位互換』なのだから、性能も使い勝手もあとから出てきたほうが上だ。いいのだから、そちらを使いたくなるだろう。
ましてやそこになんのデメリットもなければ、わざわざ一つ過去、不便を選ぶ理由などない。
快適さを追求していくのは技術と同じ。
だが、それは魔法のそれは、進化ではない。
進化と呼べるものではない。
単なる上書きだ。
ある種の魔法を使いこなし、結果上達するのではなく、もっといい魔法を見つけ出し、習得する。
家電を買い替えるように、前のを完全に捨て去り、新しいものにする。
それが、魔法という技術の進化方法だった。
それをさんざん叩き込まれたうえで、そして『進化方法』をきかされた上で、私は、言われるのだ。全ての人から。親から。恋人からも。
だからお願い。死んで?
と。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
少女が走っていた。
どこかの学校の制服なのか、落ち着いた色のスカートと、腕と胸に校章が刺繍されたシャツ。胸には深緑のリボンが結ばれている。走るには不向きの合成皮の靴を目いっぱい折り曲げながら、その少女は全力疾走していた。
少女の特徴をひとつあげるとすれば、メガネをかけていることぐらいだが、記憶に残るほどでもない。それなりに量のある髪を左右に束ねてボンボンのように結っているが、それもおしゃれしたい女子学生では一般的な髪形と言える。長身でもない。誰もを虜にする美貌の持ち主でもない。そんな少女が全力で駆けている。
すれ違う人、追い抜かれる人はみな「遅刻かな」と思う。だが、今の時間がお昼も間近であること。そして少女が鞄の類を一切持っていないことに気が付き、「おや」と思う。まだあどけなさが残る少女が、街中を息を切らしながらかけているのだ。ただならぬ気配を感じ、中には親切にも彼女に声をかけようとするが、その後ろから真羅という制服を纏った男たちが追ってくるのをみて「ああ」と合点がいく。
そして、ふい、と見なかったことにする。
振り返った者は前を向く。中断していた話を再開する。止めていた歩を進める。
真羅を纏った男たちが通過したあとは、もう誰も少女のことを気にかけてはいなかった。いや、真羅を纏った男たちを目撃した人はみな、少女のことを気にかけはしなかった。哀れと思った人も多少はいるだろうが、それも数秒の内に忘れる。
少女はそれを理解していた。
だから駆けているときも、誰も助けを求めなかった。手なんか差し伸べてくれないことぐらいわかっていた。期待さえしなかった。
逆に誰も気にかけないくらいがちょうどよかった。
追手側に加勢されたら、いくらなんでも逃げようがない。
だが。
(このままってわけにも、いかない)
体力には自信があると思っているが、相手は成人男性。ちらっと振り向けば、一人ではない数の男たち。一人の女子生徒を捕まえるにはあまりに大人数だが、それも仕方ないことかと思う。
スーツ姿の男性を追い抜き、美味しそうなクレープを食べているOLの間を抜ける。人の陰に隠れてうまく逃げられればいいという考えはとっくになくしていた。見失うほどの人がいたらこちらも相手を見失ってしまうし、第一身動きがとれなくなってしまう。相手は一人じゃないのだ。いざというとき右にも左にも行けるようにしておく必要がある。
(でも、それって結局、相手も同じなんだよな)
今まで捕まっていないのは相手が魔法を積極的に使ってこないからであり、もし人がいない開けた場所なんかに出てしまえば一斉に攻撃されることは目に見えている。
どちらかと言えば警官に近い彼らは、街中でむやみやたらに魔法を打っては来ない。これで市民に怪我でもさせたら大変だからだ。同じ理由から、車やバイクでいきなり取り囲むような真似もしない。その対象がいくら『神様の生徒名簿』に載っているからとはいえ、信号無視のようなルール違反を犯していい理由にならないし、市民を殺していい理由にはならない。
少女のほうも、市民を盾にこの場を乗り切ろうとははなから考えていない。そんなことすれば真羅を纏った男たちのほかに、ここの人みんな敵に回すことになる。それは良策ではない。
森の中をかけているのと同じ。人間は気にせず、木と思う。こちらの邪魔もしなければ、相手の加勢もしない。そういう存在だ。
少女は走りながら魔法を使った。攻撃魔法ではなく、自分の位置を確認するためだった。視点を上に持ち上げ、今自分がいる伊木史市を俯瞰する。上げすぎるとわけがわからなくなるため、適当な場所で止め、自分の位置を、それから追手を確認。数を数えている暇はないので、塊が動いているのを確認しただけだった。それから、この先にそれなりに人込みがありそうな場所を探す。幸いにも伊木史市は大きい街だった。どこへ行ってもそれなりに人がいる。お昼どきということもあって、会社勤めの人のお昼休憩に重なっているのも大きい。
目星を付け、肉体を少しだけ強化、疲れにくい体にする。この魔法も何度目だろうか。それを繰り返しながら鬼ごっこを続けているのだが、相手は諦めるどころか数を増していた。俯瞰しているからわかるが、すでに街の中のいくつかの通りは封鎖されている。このままだと一時間もしないうちに捕まってしまう。
(どうしよう)
焦りからか、急に息が切れだした。酸素が回ってない頭ではうまく魔法が使えない。精度が落ちれば、それだけ早く捕まってしまう。
捕まれば、その先にまっているのは死だ。
助かることはありえない。
少女はちらっと後ろを確認した。まだ真羅を纏った男たちはついてくる。しかも息切れさえしていない。そのことに少女は苛立ちを覚えた。目の下にたまった汗をぬぐいながら、少女は右に曲がる。
本当は、もっと先で右折するつもりだった。
見ていたから知っていたが、理解するまでには至らなかった。
その先は行き止まりだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「イテッ」
「お……っと、すまない、少年」
よろけた少年に、男性は手を差し伸べた。曲がった直後だったものだから、避けることなくぶつかってしまった。
「怪我はないか」
「はい。ああ、いえ、別にどこも痛めていませんので、お気になさらず」
少年は手をひらひらと振って笑顔を見せた。とても演技とは思えないその笑顔に、ぶつかった男性は怪訝に思いながらもほっと胸をなでおろす。
少年はどうみても鍛えているようにはみえなかった。まだ十代、ただの学生のように見える。そんな彼に魔法で強化した体でぶつかったのだ。吹き飛ばされて腰でも打っていそうなものなのに、少年はぴんぴんしている。一歩後ろによろけただけだった。
「そうか、ならよかった」
それなりに整った顔。少し癖のついた髪が束を作って上下左右に散らばっている。赤い瞳は充血しているのではなく、もともとその色なのだろう。このあたりでは見ない色の瞳だが、彼の服装をみればそれも納得できる。
「少年、旅の者か」
「……まあ、そんなところです」
少年は笑った。外套ですっぽりと体を覆った姿は、この街ではあまり見ない服装だ。むしろ外からくる人がよくする恰好で、安い割に丈夫で、雨風砂埃も防げるなかなかのものだったりする。普段着にしないのは着心地がごわごわしてあまりいいものでないことと、お洒落ではないことだろう。
男性の後ろから、どやどやと男たちが顔を見せる。みな、真羅という制服を身にまとっていた。目深にかぶった帽子で人相は判りづらいが、魔法人形などではなく、みな人間であると少年にもわかった。
「わー、どうしたんですか、なにかあったんですか?」少年は尋ねる。ぶつかった男性は答えず、
「時に少年、ここに少女が逃げて来なかったか?」と逆に質問した。
「少女……ですか?」
「少年と同じ年くらいの少女だ。我々より先にこの路地に入っていったのは見えたのだが」
男性は言葉を区切り、少年の先を見た。
その先は、コンクリートブロックが詰まれた壁があるだけで、隠れそうなものはなにもない。姿を消す魔法を使っていると考えて、解除の魔法を使ってみたが、少女の姿は現れなかった。
「ああ、その少女なら、見ましたよ」
どこへ。
その質問が来る前に、少年は言葉をつなぐ。
「さっき僕の頭を飛び越えて、そのままあの壁を乗り越えていってしまいました。忍者というより猿に近い動きで、一瞬テレビの撮影かなと思ってしまいましたよ」
かんらかんらと笑う少年を横目に、男性たちは顔を見合わせる。こうしている間にも、少女は走っていってしまったに違いない。だとしたらこのまま後を追うより、先回りしたほうがいいような気がしてきた。
「協力、感謝する」
「いえいえ」
男性たちが踵を引き返し去っていくのをみて「あ、そういえば」と少年はつぶやいた。
「すいません、僕、道にまよ」
その先は言えなかった。
「ん?」と男性の一人が振り返るが、少年はもごもごと口を動かし、やがてなにかを諦めたように鼻から息を吐いた。
ひらひらと手を振る。
なのでこちらもひらひらと手を振り返す。
真羅を纏った男たちが離れ、それから十分に時間がたったころ。
「もう行ったよ」と少年は口を開いた。「出てきても大丈夫だ」
少年の外套の下から、少女が顔を出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「服の下に隠れるなんて、すぐにでもばれそうなものだったけど、意外とバレなかったね」
快活に笑う少年に、少女は改めて深く息を吐いた。
「そりゃあ、私に協力しようとする人がいるなんて、思わないだろうからね」
逆にそれがよかったんだけど、と少女は言った。
真羅を纏った男たちが少年とぶつかる少し前、少女はこの路地に入ってしまった。目の前には壁。左右に隠れる場所もない。このときは本気で壁を乗り越えようと思っていたのだが、この路地には先客がいて、どうやら同い年くらいの男性であることがフードから見える顔でわかった。
少女は迷ってしまった。
跳ぶか、否か。
だって自分は今、スカートである。このまま跳んでしまえば、下着が見えてしまう。同性ならいい。異性でも歳が離れていれば問題ない。だが、相手は異性で、しかも同い年くらいだ。さらに突然現れた自分を凝視している。
だから迷った。迷っている場合でないとわかっていたけれど、命を一瞬の羞恥を天秤にかけたらどちらに傾くか考えようもないことだったけれど、迷ってしまった。その迷いが命取りだった。
いまから跳んだのでは間に合わない。乗り越えるところを見られ、そこを狙い打たれる。
万事休すとあきらめかけたそのとき。
「入る?」と少年が外套の裾を持ち上げたのだ。なんか追われてるみだいだね、と視線を外に向ける。そこには集団でこちらに向かってくる男たちがいるはずだった。
「これ、結構隙間あるし、背中にぴったり寄り添ってれば、大きめのリュックでも背負ってると思って、ばれないかも」
たしかに、少年は旅人のような恰好をしている。言われたとおり、リュックを背負っていると思ってくれれば、ごまかせるかもしれない。
少女にもう、迷っている時間はなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふーん、でも、外套をめくるぐらいはしてもよかったのに」
「……なんか、私に捕まって欲しかったような言いぐさだな」
目を細めると少年は「まさか」と首を振った。
「でも、なんでまた追われてたのさ」
「……へ?」
「うっかり助けちゃったけど、キミが悪人とも限らないんだよね?」
少年は腕を組む。それをみて、少女はさらに目を細めた。
「あんた、私が誰だか知らずに助けてくれたの?」
誰だか? 少年はまじまじと少女を見る。少女はびくりと体を震わせたが「有名人?」と少年はピンと来ていないようだった。
「私に覚えはなくとも、あの男たちに覚えはあるだろう?」
「あの男たちって、さっきの変な服をきた集団?」
「そうだ」
ふーむ、と少年はあごに手をあてる。やがて、答えをひねりだした。
「キミはアイドルで、あいつらは追っかけとか」
「そんな平和的なものじゃない。アイドルでもない」
違ったか、と少年はまた頭を悩ませた。少女はまた息を吐く。
「あんた、本当に私が誰だか知らないの? 外から来た人でも、真羅くらいは知ってると思ってたけど。というか、それがわかると思ってたんだけど」
「知らなきゃマズイことなのかな?」
「そりゃあね」
と言って、なんで自分が説明しなきゃいけないのかと思う。だが、思い返してみても、この少年は追手を見たうえで手を貸してくれた。追手が来ないうちにさっさとこの場を離れたいのはやまやまだったが。
「私の名前はケウ。聞いたことぐらいはあるんじゃない?」
「ケウ?」
少年は眉根を寄せた。ほら、やっぱり知ってたと少女、ケウは思った。自己紹介をしてしまった以上、この少年の力を借りるのは難しい。
と考えていたが。
「その名の通り珍しい名前だ」
「おい」
やっぱりわかっていないようだった。
「ふーん、今はそんな名前が流行っているのか」
「……あんた、本当に知らないの?」
ん? と少年がケウを見る。
「知らないと思う」
「思うって……」
「だって、そんな珍しい名前聞いたら忘れなさそうだし、きっと覚えてるよ」
「へー」
頬がひくひくしているのが自分でもわかる。なんなのだこいつは、と憤慨している自分がいる。それなりに有名と思っていた自分が恥ずかしく思えてくる。知らなければそれでいいのだが、なぜか「知ってろよ!」と理不尽に怒鳴りたくなってくるから不思議だ。それに。
「なら、あなたの名前はきっと素敵なものなんでしょうね?」
名前を繰り返し珍しいと言われたことが、馬鹿にされたような気がしてならない。
「え?」
「きっとありふれて、でもかっこいい、素敵な素敵なお名前なんでしょう?」
「名前……」
どんな名前がきても一回は馬鹿にしてやろうと小さく笑ったケウだったが、少年はいつまで経っても名乗ろうとはしなかった。むしろ。
「名前、なんだっけ?」
と訊いてくる始末だった。
「はあ?」
「名前なんて、あったかな?」
「……え? ちょっと待って、どういうこと、それ」
「そういえば、そもそもここはどこだろう? なんで僕はこんな格好をしていて、なんでここにいるんだろう?」
「…………」
「ケウは知ってる?」
知ってるわけないだろ!
そんな有り体な突っ込みも、驚きが勝って言葉にできなかった。
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