トロピカルレインボーブリッジ

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トロピカルレインボーブリッジ

 大学生、サークル、忘年会。今の僕の状況を簡単に表すとこんな感じだ。この三つのワードだけ聞くと、いかにも遊んでる大学生のような状況だが、実際はたった五人ばかしのサークルで、活動頻度も多くはない。

 映研と銘打ってる以上、部室で映画は見ているが、その日いるメンバーで適当にレンタルしてきたものを観るだけであって、研究しているかと言われれば微妙だ。こうして飲み会をしてるのも珍しいくらいで、忘年会でなかったら集まらなかったかもしれない。


 メンバー個々の仲は悪くないものの、いかんせんメンバーにまとまりがないため全員集まって飲み会なんてのは久しぶりであり、僕も最初は緊張していた、最初は。

  


 お酒の力は偉大である、それが飲むペースが過剰に早い大学生ならなおのこと。飲み会が始まり約一時間、僕の緊張は解けきり、ほろ酔いを通り越し泥酔の三歩くらい手前まで来ていた。だがそれは他のメンバーもそう違わないようで、皆いい感じに出来上がっていた。

「誰か一発芸やれよ、一発芸!」

 サークル一のバカ、加藤が騒ぎ出した。

「そうだ~、やれやれ~」

 そこに、最早おっさんとなってしまった哀しき女子大学生の先輩が便乗する。めんどくさい、というよりも五人で飲んでいるのに「誰か」とはいかがなものだろうか。後の二人といえば優男風のイケメン君、常時機嫌が悪そうな顔してる後輩の猫田さん、そしてミスター地味っこの異名を持つ僕。誰がやるというのだろうか、というかお前がやればいいではないかバ加藤。という感じで僕は心の中で悪態をついていた、酔っていないときの僕なら。

 

二度目になるが、お酒の力は偉大である。それはもう本当に。ミスター地味っこの僕が一発芸を志願するほどに。

「おっ、珍しくやる気だな?」

 無言で立ち上がる僕、囃し立てる加藤と先輩、酔いが悪い方に入ってグロッキーなイケメン君、やや冷めた目の猫田さん。僕はフラフラした足取りで、座敷の空いてるスペースに移動し深呼吸。メガネをクイッと上げる。酔いのまわった頭を少しでも落ち着ける。なにせこれから行う一発芸は危険が伴う、諸刃の刃なのだ。


 そして精神統一。いける。


「トロピカルレインボーブリッジ!!」


 僕は酔った頭で必死に考えた、出来るだけユーモアに溢れる技名を叫びながらブリッジをした。

 因みにブリッジとは、直立した状態から上体を後方に反らせ、背中を地面につけないように手と足で身体を支える逆四つん這いのような姿勢のことを言う。今思えばこれが読んで字の如く、彼女との懸け橋となったのかも知れない。でもこの時はそんな事は微塵も考えていなかった。理由はみんなの反応を見れば簡単だ。


「……」


 場が凍っている。それはもうガッチガチに。おい加藤、お前どうした、さっきまでめっちゃせわしなく動きまくってたろ。ハイスピードカメラでも捉えられるか怪しいくらいに。

 まるでビールの泡まで動きを止めたかのような空間。騒がしい居酒屋の中、僕たちがいる座敷だけが異質な状態。そんな中、小さな奇跡が生まれる。


 眼鏡が、落ちた。


 ブリッジの態勢なのだから当然といえば当然であり、たったそれだけことなのだが、確かに空気は変わった。

「なんですかそれ、変なの。というかメガネ落ちてますし」

 そう言いながら猫田さんはクスクスと笑った。普段の表情からは想像出来ない無邪気な笑顔だった。そういえば、猫田さんの笑顔をしっかりと見るのは初めてかもしれない。


 実のところ、やった本人である僕でさえ、どこが笑いどころなのか分からなかったが、猫田さんのツボには入ったらしい。よく分からない。

「あは、あははは……」

 でも、猫田さんはまさに救いだった。猫田さんの、控えめだけれど本当に愉快そうな笑いは、凍っていた場は動きださせ、僕を含む猫田さん以外の人は乾いた笑いに包まれた。


 正直、忘年会の事は僕の捨て身の一発芸と、猫田さんの可憐な笑顔以外はあまり覚えていない。盛大に滑ったせいか、笑った猫田さんにときめいたせいか、泥酔三歩前どころか昏睡三歩前まで飲んでしまったからだ。





 それからというもの、頭から猫田さんの笑顔がついて離れなくなってしまった。また猫田さんの笑顔が見たい。だがサークル以外で接点はない上に、猫田さんは気まぐれで部室を訪れるので、顔を合わせる機会は少ない。そこで僕は、部室にほぼ毎日顔を出し、出来るだけ猫田さんに会える機会を作った。まるで中学生、我ながら気持ち悪い。      


 猫田さんを目で追ってしまう。ギャップ萌えというやつなんだろうか、普段はそれこそ不機嫌そうな顔をしているものの、時折見せる笑顔は無垢で無邪気で、咲いたばかりの花の様だった。それに、平常時の不機嫌そうな顔も別に本当に不機嫌という訳ではなく、彼女のデフォルトの表情という事が分かった。


 なぜ僕がこんなに彼女を見ているかと言われれば、答えは一つで単純明快。好きになってしまったからだ、彼女の事が。短く切りそろえられた黒髪、少し釣った二重の目、そしてなによりも不意に見せる笑顔。彼女の仕草一つ一つがより一層彼女のことを好きにさせた。


 でも彼女に告白し、付き合うなんてことは僕には考えられなかった。それはもちろん地味な自分に自信が持てなかったというのあるけれど、最大の理由は別にあった。


 猫田さんには、好きな人がいた。当然僕じゃない、サークルのイケメン君。これは加藤から聞いた話だが、猫田さんはイケメン君の容姿もさることながら、自然なやさしさに惚れたらしい。優男風なのは見た目だけではなかったという事だ。


 僕はショックを受けたが、同時にどこか安心していた。もう結果が見えてる告白なんかしなくてもいい、自分の中の恋心とも戦う必要がない。憧れとして、好きな人を好きじゃなくなるまでずっと見ていればいい。それで意味もなくときめいていればいい。第一僕には到底無理だった、スタートラインに立つまでもない。その点イケメン君なら納得出来る、隣に立つ姿が簡単に想像できる。希望が無いのが自然過ぎて、うまく悲しむ事も出来なかった。


 表情に出てしまっていただろうか。失恋と言えるか微妙な心持ちになっている僕を見て、加藤が何かを察したのか探るようにチャチャを入れてきた。僕はそれを適当に返したが、心にくるものがあった。

「お前には無理だよ」

 うるさい、お前に言われなくともそんなことは誰より自分が分かってる。




 何日か経って、そんな僕に衝撃的なニュースが走る。講義終わり、加藤に何か食べに行こうと誘われ構内を歩いているさなか、突然に。

「フられた?猫田さんが?」

「おう、加藤タイムズの最新ニュースだ!」

「最新って、いつの話だよ」

「今日」

「今日!?」

 加藤が言うに今朝の出来事で、部室に忘れ物を取りに行った猫田さんと、同じく忘れ物を取りにいったイケメン君が鉢合わせて、運命を感じた猫田さんが告白したらしい。だが、イケメン君にはバイト先に既に想い人がいたらしく、あえなく撃沈。

 ショックを受けた猫田さんは講義に出席もせず部室で傷心中とのこと。

「ん?傷心中って、今も?」

「この時間だしどうだろうな。まぁ部室に行った先輩からこの話を聞いたのがさっきだから、もしかしたらもしかするかもな」

「さっきっていつだ!」

「な、なんだよ急に。えーと、四時前くらいか」

 腕時計を見る、現在時刻午後四時二十八分。一月の日はもう落ち始めている。好きな人が、こんな時間まで朝からずっと部室で一人落ち込んでいるなんて聞いて落ち着けるはずもない。

 

 誰だって落ち込んだりへこんだりする、でも彼女には出来るだけ笑っていてほしいと思う、心から。僕のエゴなんだろうけれど。

「んで、飯か酒かどこにするよ」

「悪い、ちょっと忘れ物したわ」

「え、おい」

 適当な言い訳をしてサークル棟に駆け出す。行かなければ、どうにかして励ましたい。でも一体何をすれば笑ってくれるだろう。何かないだろうか、何か何か何か。

 後ろの方から加藤の声が聞こえる。


「遅くなると居酒屋は混むから急げよー!」


 その言葉に僕は閃いた。とっておきのやつがあった。たまにはいいこと言うじゃないか加藤。もう人生で二度とすることはないだろうと思っていたが、まさか二度目があるとは思わなかった。正直、落ち込んでいる猫田さん相手にやって効果があるのかは不安だが、これしかない。元々、諸刃の刃の技だ。覚悟を決めろ、僕。





 切らせた息を整え、ショルダーバックをかけなおし、僕は部室に入った。部室には彼女しかいなかった。僕が部室に入ると彼女は伏目がちにこちらを見て、少し震えた声であいさつしてきた。

「あ、今日は私しかいませんよ……」

「知ってる」

 僕はバドミントン選手も驚く反応速度で即答する。

「映画、観るんですか。すいません、今日は私帰ります」

 彼女は力なく、それでも素早く荷物をまとめようとする。

「あ、ま、待って、ほしい」

「え、あ、はい?」

 ちくしょう、吃った、でも止められた。僕にしては上出来だ、よくやった僕。でもまだだ、ここからだ。

「猫田さん、少しへこんでるって聞いたから……」

「まぁ、そうですけど。先輩には関係ないですよ」

 戸惑いながらもバッサリ、いつもの僕ならここで引き下がってしまっていただろう。でも今回ばかりはそうもいかない。

「そうだけど、少しでも励ませればって」

「励ましなんて……」

「見てくれるだけでいいんだ」

「えっ?」 


 僕は彼女の言いかけた言葉を封じ、ショルダーバッグを置いた。目を閉じゆっくりと呼吸して、メガネをクイッと上げる。少しは落ち着けるかと思ったが、心臓が信じられないくらい早鐘を打っているし、脳ミソの半分くらいはやめろと叫んでいる。

 だがしかし、何回も言うようだがやめるわけにはいかない。やるんだ。そう決めてきたはずなのに、口が、体が、動いてくれない。何ために来たんだよ、動け、動いてくれ、頼むから。

「先輩?」

 彼女の訝しげに僕を見る。そうすると、なぜだか分からないけれど体が動いた。まだやめろと叫んでる脳ミソの半分を残して、気持ちは覚悟と躊躇いがぐしゃぐしゃに混ざったまま。


「トロピカルレインボーブリッジ!!」


 やってしまった。夕方、傷心の想い人と二人。何故かブリッジしてる僕。傍から見たら、滑稽を通り越して訳が分からないだろう。正直僕もこれが正解なのか分からない。でも、ここに来ると決めたときには、これをするしかないと決めていた。僕が少しでも彼女を笑わせられるのは、これしかなかったから。

 

 固まる二人、異様に響く構内の声が遥か遠い世界の音に聞こえる。案の定凍る空気、やっぱり不味かっただろうか。


 そう思いながら猫田さんに視線を移す。でもブリッジしながら見た彼女の顔は、怒りや呆れという表情というよりかは何かを待っているようで。

 そんな中、その沈黙を破るように小さな音を立てて、メガネが落ちた。


 たったそれだけのことだ。でもたったそれだけの事を、待っていた様な気がする。


「やっぱり、おかしいですよ」

 そう言って彼女はクスクスと笑った。何回見ても、猫田さんの笑顔は素敵だ。

「や、やっぱりそうかな」

 ブリッジをやめ、メガネを拾いながら立ち上がる僕。頭の中はやってやったぞという気持ちでいっぱいで、顔は熱を持っているのがよく分かる。


「はい、おかしいです」


 夕暮れの眩しいくらいの赤い光が差し込む部室には、小さいけれど、確かに明るい笑い声が響いていた。

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