第12話「母さんと僕と、それから皆のためのサマータイム・ブルース」

 こんにちは、僕は国吉聖也くによしまさやっていいます。


 とは言っても、皆はこれを読んでるころにはすでに何もかもを知り尽くしてることだろうし、きっと皆からしたら余計に映っちゃってるのかもね。


 まあ、蛇足と言ってしまえばそれまでなんだけれども。


 ゴメンナサイ、少々、軸が見えてこないので次の段落から本題へと切り替えていきたいと思う。


 ……ところで、皆は『夏』についてどう思う?


 夏と言えば、茹だるような暑さとかスイカとか遊び真っ盛りなイメージが一般的なんだけれど、僕個人の見解から言わしてもらうと大変『疲労困憊』に満ちたものがずっと付いて回る感じだ。


 なにより、僕はこの一夏の体験によってあっという間に夏が億劫になってしまった。今回はそれを嘘偽りなくさらけ出そうと思う。


 事の発端は、僕の授業参観のあった一学期最後の通常授業の日。


 僕はあれほど口を酸っぱくして言い聞かせてたはずだし、母さんも母さんでその忠告をと耳にたこが出来るくらいには聞きなしていたというに、再三にも渡って僕は母さんに対して注意深く指導を呼びかけていたのだけれど、結局、母は最後の最後にまで自らを改めることは一切無かった。


 事もあろうに――――なぜか、授業参観と言う公衆の面前でメイド服姿をお披露目しやがったのだ。しかも、オプションとして頭にはファーの付いた猫耳に、腰からはだらりと長い猫しっぽまで搭載という有り様である。


 席にと座っていた当時の僕の記憶には、ある時からクラスメートたちが何度も訝しげに後ろをチラチラ見ていたので、僕も気になりパッと振り返ると”ヤツ”がそこにちょうどいたという感じなのだ。


 なぜかたまたま母の隣にいた、ヒョウ柄のドレスを纏ったコウのお母さんと共に楽し気に語らっていたのが僕の中で映えていたのである。さながら、有閑な時を耽るのが趣味な貴女とそれをそこはかとなくサポートしていく雇われのメイドみたいな光景だった。で、後なぜか僕の前にて据えていたコウがやたらに笑いを押し殺して全身を小刻みに何度も揺らしているのを覚えていた。


 きっとこのときの僕はひどく心中、穏やかであるには程遠いものだったのだろう。現に、僕自身この授業参観の時の記憶はこの後全篇にわたり砂嵐が掛かってる始末だ。


 たったひとつ、何かそこでのセリフが思い出せるのだとすれば自信をもってこれだけは明言できる。




『マサくぅーんっ! ガンバルンバ、ガンバルンバ!』




 これが原因で、その日の放課後僕は『ルンバ』という実に掃除好きそうなあだ名をクラスメートから付けられてしまった。そして、僕は帰りの会が終わりいつものように教室を後にしようとすると、未だクラスにのさばっていた生徒全員からルンバ・コールをランドセルとともに背中にいっぺんに受けて、涙ぐましくその学校から足早になって立ち去ることとなった。


 六年生最後にして、一学期最後の登校日。


 僕は、とんでもなく不名誉な称号を付けられてしまった。


 だけど、僕はまだ完全には絶望しちゃいなかった。なぜならば、まだ僕には『夏休み』という希望という名の切り札が用意されていたのだから。


 まだ、大丈夫。だから、大丈夫……そんな風に僕は高を括っていた。


 だって、夏休みに入ればおよそ四十日のその間は直接顔を合わせなくて済むのだから。ということは、つまりクラスメートの中では僕の『汚名』も『忌々しい記憶』も二学期に入ってしまえば彼らにとっては単なる遠い記憶でしかなくなる。


 そのためにするべきことは、ただひとつ。


 そう、僕が夏中引きこもってさえいればいいのだ。


 クラスメートの有象無象どもが、好奇心と探求心ばかりのみを頭に詰め込んで山だの海だのと行ってる間。僕はというと、ひとりマンションの3LDKで冷房の利いた室内で堂々と勉強に専念するべしということなのだ。……いろいろと、言いたくなることは分かるが危惧すべきなのは僕の存在を目の当たりにしたことで、肝心なクラスメイトたちがそれによって僕にとっての思い出したくない過去をいろいろと思い起こさせてしまっては元も子もない。


 何より僕は、「心の平穏」を一番に考えている。


 極端なことを言えば、夏中せめて夏休みが終わるまでの間、できることなら向日葵になって一日一日をぼうっとして生きていたい。


 故に、おとなしく。だからこそ、つつましく。それでいて、したたかに。


 僕はそう、思って明日から始まる夏休みという名の戦いに備えて早く寝ることにした。そう、明日から始まる戦いのために………………。


 その、はずだった。


 当日の夜。僕はこんな夢をみた。


 真っ白な猫の夢だった。真っ暗な空間の中で、一切の光が通らない空間に身を置いてるのにも関わらず、唯一猫だけが判別し得るのである。


 猫は僕の顔に何度も何度も猫パンチを浴びせ、僕が意識を集中させてそれを手で受け止めるとその受け止めた手と手を介して猫が僕に交信を図ってくるのである。


 ~ねえ、マサ君。突然だけどイクラ食べに行きたくにゃい?~


 唐突にそんなことを言われ、僕は慌てて考えあぐねる。すると、こちらへと聞いてきたはずの猫がまるで困ったような雰囲気を纏い項垂れ始める。


 ”ニャ~……”と、いかにも寂しげな鳴き声が聞こえてくる。


 非常に忍びない気持ちになった僕は、成りふりかまわず「僕も食べにいきたいっ」と、そう言った。


 すると、猫はそれまでの態度を一変させて、僕に向かって”ニャ!” と、いかにも了解したような口ぶりでその場から消え失せてしまった。


 しばらくして、意識を浮上させると次に僕の目に映ったのは――――飛行機の小窓から見られる、山吹色めいた朝焼けであった。


「え……何、これ。どこ、ここ?」


 早い話が、僕は僕の母によって、勝手に羽田発千歳着の飛行便へと乗せられている始末だった。


 その証拠に、隣の通路側の席を見てみると、こっちの心境も知らないでか安心めいた寝息と寝言を立てながらすやすや眠っている様子な母がまんまと目に見えているではないか。


「ムニャムニャ……先生、パクチーが食べたいです……」


 後でわかったことなのだが、なんと母はこの夏休みの間にて行われる全国津々浦々をまわって、音楽フェスに相次いで参戦を極めようとしていたのだった。


 他でもない、母さんが所属してる事務所の社長さんの方針とその各音楽フェスの企画元である、イベント・プロデューサーを務める父さんからのラブコールによる利害の一致により実現したまさに、全国にいる僕の母を慕ってくれているファンにとっては夢のようなイベントだったそうな。


 結局。僕は渋々、それについていくこととなり思いがけず母さんと共に日本全国を又にかけることになってしまった。


 一つの都市に、最低二日間はいた。一日目は、観光がてらコンサートの打ち合わせに舞台稽古。二日目がコンサート本番、そして当地での名物を食べに掛かる。


 ホテルにて、寝まったころ。


 またもや、白い猫の夢を見てしまったのだ。

 

 やはり、猫は僕の顔にとのべつ幕なし猫パンチを何度も何度も浴びせに掛かってくる。そのくせ、ニャーニャーと五月蠅くって始末が悪いので仕方なく猫の言い分を聞いてみる。

 

 すると、猫は、


 ~ねえねえ、マサくん? 冷麺、食べに行きたくにゃーい?~


『………………。』


 その後適当に二つ返事をかましてやると、またしばらくして意識が浮上する。次に目が醒めたころ僕は、E5系電車通称・「はやぶさ」に乗車していて津軽半島を南下している最中であった。


 その後どういう感じの動向だったのかと言うと、例えば、まず札幌から始まったとする。次に盛岡。その次が仙台。それまた次は宇都宮。大宮。横浜。名古屋。津。神戸。厳島それから、北九州といった具合に順調(?)に進んだ。


 僕個人的に見てみれば、この夏休みにおける僕と母さんの日本縦断リレーツアーは決して悪いものではなかったのだ。


 別に、半ば強制的にあるいはほぼほぼ実の家族に自分の身柄を拉致られたことに関して今さら文句を垂れるつもりは毛頭ない。


 それどころか、なんというか……楽しかったのだ。


 例えば、現地に訪れて一日目の際。母さんは母さんで二日目に予定されているライブのリハーサル及びゲネプロをしないといけないので、僕は比較的自由に現地で行動がとれた。


 それから僕の付き添いという名目のもと母さんのマネジャーでもある福岡さんと、互いに、行ける範囲内で観光地へと赴いたりもした。


「よ、よろしく、聖也くんっ! わからない事聞きたい事知りたい事があったらなんでも言ってね! ……スマホで調べられる範囲内で」

「あ、よろしくお願いします。(かったいなー。ラーメンの麺の固さで例えたなら、粉落としっつーくらいに固いぞ?)」


 福岡さんの自前のスマホに搭載された地図アプリを駆使して、挙ってスイーツを食べ歩き名所にと足を運んだ。(やっぱり、ケータイの使用は大人の特権だね)


「ま、聖也くん待って待って、まって! ちょっと、食べるの一旦、後にしといて。スマホで写真撮るから……はい、チ~ズっ!」

「ち、ちぃぃ~ず……。(早くしないと、アイスが溶けちゃう!)」


 それだけで無しに、ライブでは母さんの身内ということで毎回関係者席を用意させてもらい、おかげで僕は難なく普段見かけることのない母さんの雄姿をしかと目の当たりにすることもできた。


「みぃんなー!! 盛り上がってるぅ~?」

「あんな真剣な表情、初めて見たかも……かっこいいじゃん」


 ちなみにライブでは撮影が原則ご法度のため、記録は適わなかったもののばっちり記憶には残すことができた。どれもこれも素晴らしい光景だった。

 ライブが終わると、現地のスタッフさんとの打ち上げに紛れて、久々に父さんと会うこともできたりした。


「とっ、父さーん!」


 駆け寄ってみると、父さんの着なしていたカッターはよれよれで、僕の鼻先にと父さん愛用の煙草の残り香が微かに漂ってくる。


「よーぅ、元気にしてたか聖也。ちゃんと毎日、飯食ってるか? 風呂入って、歯磨きして、寝起きできてるか? あと宿題やってるか? それから……」

「もう! 長いこと、会ってなかったからって心配事が多すぎだっての。大丈夫、ちゃんとしてるから」

「お、おおそうか。なら、いいんだ。ちゃんとしてるんなら……ワハハ!」


 言ってしまえば実に、他愛もない話し合いを父さんとした。


 だけど、とても大事な時間を父さんと共有することができた。


 何よりも、代えがたい貴重な体験に他ならない。


 そいでもって、母さんと合流して打ち上げをこっそり抜け出し隠れ家的なお店に立ち寄って家族三人で今年のお正月以来となる、久しぶりに三人揃っての食事を摂ることができた。


「はぁ……リハやらゲネプロばっかりで、正直つらたん。せっかくこんなところにまで来たんだから、マサくんと観光したかったよ~。ねえ――――『セーブさん』?」


 ため息混じりに母さんが、あからさまな愚痴を吐いて、父さんに向け投げかける。


「まあまあ、今回ばかりはどうか泣いといてくれよ。いやー、にしても今日のライブはすごかった。次もあんな感じでよろしく頼むよ――――『お姫さん』?」


 すると、今度は父さんが母さんをまるで駄々をこねた子供をあやすかのように、先の感じみたく、すかさず丸め込みにかかっていく。


「……。(ご飯、早く来ないかなぁ)」


 そして、つかの間の一家団欒の最中。空腹の状況を密かに持て余す、僕。


 ……あっ、一応言っておくと、我が家では母さんが父さんのことを『セーブさん』と呼ぶのに対して、父さんが母さんを呼ぶ際父さんは『お姫さん』と呼ぶよ。 とはいえ、変な感じに聞こえるよね、やっぱり……。 


 その後、店を出て打ち上げ会場に何食わぬ顔で戻り父さんと別れ母さんとともに今夜宿泊するホテルの元へと、心もお腹も大満足させたうえで向かいに行く。


 お風呂で汗を流し、少し夏休みの宿題にと取り掛かったら、ホテルのベッドの上でぐっすり眠り翌日また別の都市に赴くのである。


 夏休み中は、これらが基本的な生活リズムだったので、おかげで夏休みの日記のネタには事欠かなかった。それに、お土産を頻繁に買って行ったので、お土産のお饅頭やらクッキーなんかの包装紙をまとめてピンナップすることによって早上がりな自由研究も完成させられた。


 そう、決して無駄なんかではなかった。


 大変有意義なものにと、僕の夏休みはいつのまにか仕上がっていたのだった。


 しかし、楽しいときというのはいつかは終わるのだ。


 そう、とんでもない代償を伴って。


 ……間髪を入れずあっちこっちにと出向いていた結果、全身の筋肉という筋肉にひどく疲労が蓄積してしまったのである。


 ☆☆☆☆☆☆


 時刻はただいま九月一日の正午を、ちょっと過ぎたあたり。


 夏休みが終わりいよいよ二学期に突入するというに、あいも変わらずセミがけたたましく鳴いてまわり直射日光による猛暑っぷりとそれから、うざったらしいジメジメ感は未だに勢いの衰えるところを知らなかった。


 僕はその日、高塚小学校にと赴いていた。


 夏休み中にこなしたハードワークのおかげで全身がひどい筋肉痛に苛まれてるというのも構わず、昼間の六年一組に設けられた自席にと突っ伏しているのであった。


「全身が痛い……。というか、身体から疲れが全くもって抜けらんない。おまけに暑いし、外に出ればもっと暑いこと請け合いだというのに……だ、だれか僕に安らぎと癒しの空間を分け与えてくれよお……」


 今日はこれといった授業は特になく、簡単な朝の会で出欠をとられた後で生徒全員が体育館にて一堂に集められ始業式が午前中に執り行われた。式終了後は皆各自の教室へと移動する。ちなみに僕の教室では、全員が元の席に着いたのを見計らって宿題を各自で提出するなどした。


 後は先生の号令に従い今日の日直が帰りの会を取りまとめ、起立気を付け礼。


 帰りの会が終わってから数分が経つころ、教室には僕を含めた何人かの生徒が学校の図書室で貸し出されている本を読むなどあるいは車座を組んで夏休みの思い出の語らいに興ずるなどしていた。


 担任の柞山ほうさやま先生は、未だ教室の自席に据えていた。どうやら、生徒全員が無事帰宅するのを確認するまでここから離れるつもりはないらしい。


 さて肝心の僕はというと、実際、今日はこのまま家にと真っすぐに帰るべきかどうかについて一考を喫しているのだった。


 まあ、結局家に帰るのが一番手っ取り早いということは目に見えていた。けれど、今家に帰ったからといって特にやることが何もないのだ。家には今、誰もいないし、例え帰ったところで今家にいない母が作り置きした国吉家カレーをぼそぼそと食すくらいしか考えつかない。


 ちなみに、御存じうちの母さんはというと、今朝がた「かなえ、いっきまーす!」とかなんとか宣いながら今日も元気に仕事へと向かって行った。


 さて、ここまでで一旦状況を整理しておこう。


 まず、現時点で僕の家にはダイニングのコンロにて鍋ごとそびえ立っているカレー以外に待つ家族はいない。それから、夏休みは終わったとて現在進行形で外はひたすらに暑いままだ。おまけに、僕自身夏休みボケと疲労が抜けきってないせいでとてつもない倦怠感にと襲われている。


 僕が導き出した結論は、こうだ。


 いっそ、夕方まで粘って外がちょっと涼しくなったころを見計らって帰ればいいという僕の担任である柞山先生からすれば迷惑千万に他ならない、そんな発想だった。


 すると、そんな破滅的な考えを抱いている最中の僕に近づく、一人の影。


 そんなことはつゆ知らず、ひたすら愚痴と妄想を垂れ流している僕は結局最後までそれに気づくことができなかった。


 影から伸びてきた両手が、机に突っ伏した状態な僕の背中に思いきり乗っけられた。ちょうど、筋肉痛が一番酷く感じているところに体重を掛けられたのだ。


 しかも、それが実の親友により行われた何気ないものであるのだった。


「いよう、『ルンバ』! 元気、しとったかぁ」


 ワースト・ウィークポイントをジャストにヒットされた僕は、痛みと驚きのあまり夏休み中でも出さなかった大声を構わずぶっ放してしまう。


「の、のわああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 その叫んだそのままの勢いで、反射的にそこから立ち上がってみせる。パッと、視線を仰いだ矢先にはこれまた意地悪そうに小憎ったらしい笑みを浮かべた航平が突っ立っていた。


「ナハハ! 相変わらず元気そうでなによりやな、『ルンバ』――――いやあ、マサ」

「いや、あのさあ、」


 すぐさま反論を述べようとしたものの、僕はその時ハッとさせられた。


 なんと、教室にいる柞山先生やらクラスメートらがそろいもそろって僕の方へと何事かと神妙な感じで見遣ってきているではないか。


 自分を取り巻く現状に吃驚させられた僕はというと、コウを引き連れてとっととその場から退散せざるを得なかった。




 さて、そんなような旨があった次第。僕とコウは二人そろっていつもの帰路にと着かんとしていた。


 僕の見立て通り、外は暑いことこの上なくあっという間に僕らがピーカンなアスファルトの路面上で汗だくになるのは訳ないことであった。


 そんな中、僕はコウといつものように足を運ばせつつも互いに語らう。


「コウ、久しぶりに会えたから嬉しさを爆発させる気持ちはわかるよ? でもね、ちょっとくらいこっちの事情を察してみて、それからゆっくりと会釈を交わし合ってからでも遅くはないと思うんだ。要するに僕が言いたいのは、いきなりヒトの身体叩きながらでっけー声でがなり立てんなこの野郎!」

「ナハハ……ま、まあまあ、ええやんけ。せっかく夏休みも開けて、久々の再会なんやから、ちょっとは堪忍したってえな。なあ、マサ?」

「たっく、もう。……堪忍してもらいたいのは、こっちのほうだってのに。僕だって、久々にコウと会えて嬉しかったってのに。あーあ、なんだか台無しにされた気分だよ」

「おっとー……マサ。こらぁ、大分機嫌がアレしとるアレってわけやんな?」

「何だよ、その言い回し。ともかく、現時点で僕の虫の居所はめちゃくちゃ悪い事この上ないまであるから、少なくとも心境はいいなんてもんじゃないよ」


 ぶちぶちと、僕が恨みつらみを惜しげもなく垂れ流しているころ。隣にいたコウは、まるで僕がそんな風になるのを見透かしてたような空気を出してあっけらかんと僕に向き直って言った。


「おっほっほっほー、なるほど、なあ。そうかあ、けったくそ悪いっちゅうワケやんな?」


 僕の今の気分なんてのをヨソに、相変わらずコウは飄々と仕切っている様に思えた。自分の憤りをネタにされ、まるで茶化されたみたいに感じ取れたので、僕の心の中は相変わらず煮え切らないことこの上なかったのである。だから、僕はたまらずコウに対してこれ以上ないくらいに皮肉を呈させてもらった。


「へえ、随分と楽しそうだね。きっと、コウに掛かればどんなことだって、何でもハッピーなふうに捉えられるんだろうね。そう、こうしていつも通り歩くことさえもコウにとってはちょっとした冒険たりえるんだ」

「なんや、お前。俺のことしっかとよう解っとるやないかー! せやねん、俺、ハッピー・ボーイやねん。おかんはよう俺のことを、『アンタ、年がら年中頭ン中お花畑やんな』って言ってくれるもん。人生バラ色、って言葉はまさに俺の生き様を表すんにふさわしいてなもんや」


 依然として、コウはその減らず口をたたき続け、僕の皮肉を字面通りに受け取って一向に己の楽天っぷりを改める様子は見られない。


 だめだ、全然意図が伝わっていない。そう思い、僕はため息をついた。


 すると、そんな僕を尻目にコウが口先をこちらへと向けてくる。


「マサ、どしたん。なんや、今日は偉う疲れた顔しくさっとるけども」

「うん……ちょっと前まで、母さんと日本中あっちこっちに旅して行ってきたからかな。おかげで、全然疲れが抜けないんだよ」

「マジ、かいな! あの、マサのお母はんとで夏休みを利用して日本一周しとったんかい」

「うん。ってわざわざ付け足す意味はよくわかんないけれど、その通りのそのまんまの意味で、だよ」

「はぇ~、なんやなんや! お前はお前で、日本一周っちゅう壮大な冒険にと出向いとったんやないかい!」

「まあ、そうだね。結局、それに乗っかってたのも僕だったし」

「ええなあ、いろんな所ごっつ連れてもらいよってからに……。俺なんか、ええとこ九十九里くじゅうくり浜で海水浴やで? 一番の思い出言うたら」

「いいじゃん、海に行けて。何事も平和で、無難が一番さ」

「……ところで、さっき冒険って言葉で思い出したんやけれども。俺、お前がこっちに居てない夏休みの間、この町のこといろいろ冒険もかねて散策しとったんや。ちょうど、夏休みの自由研究で『自分の住んでる町』っていう題も付け加えてな?」

「へえ、すごいな。それで、なにか分かったの?」

「ふっふっふっふ……。流石、よう聞いてくれたなマサぁ! 実はおもろいもん見つけてきてん! 何よりも、これはお前にも是非とも知ってもらわんとと思うてな」


 そこまで言って、コウは唐突に僕の腕を掴みだした。


 僕はというと、いきなりコウに二の腕を掴まれた以上に、まったくもって自分の肉体に襲い掛かっている筋肉痛の疼痛が生じたことに一驚を喫していた。


「痛っ――――! ちょ、ちょっと、コウ? さっきも言ったけれど、いきなり人の……」


 僕の忠告を完全に聞き入れる前に、コウは僕をとある場所へと連れていきたいがあまり僕をその掴んだ二の腕をそのままに、先導を初めんとした。


「まあまあ、百聞は一見に如かずや。見た方が手っ取り早いから、はよこっち来いや」

「こ、コウ! 待って、待ってってば! そんな引っ張って行ってくれなくたって、ちゃんと自分で行くからっ。だ、だから、そんな無理矢理連れて行くのはいくらなんでも勘弁してよ?! いっ、痛いっ! 痛い、痛い! だからまだ身体中の疲労が抜けきってないってさっきも言ったじゃんかっ!」


 僕がせっかく振り絞って涙の説得を行ってみるもむなしく、僕の親友は身重である僕の身体をいたずらに引っ張りまわしひたすら目的地にと向かわさんとする。


 どうやら、夏の神様は僕を素直に家へと帰す気はさらさらないらしかった。


 コウが夏休み中に慢性的な筋肉痛というダメージを患った僕を、無理矢理引っ張ってまで連れ立たされてしばらく。


 僕は、コウによってある場所へと連れ出されていた。


「じゃっ、じゃ、じゃーんっ! 着きましては、こちらでございござーい!」

「………………。え、ここって、」


 僕はコウによって、わざわざ、普段通らないであろう道にと出て、通常通学路にて渡る必要もなかった踏み切りすら越境してまでここまでたどり着いた。


 ともかくコウにとってそこはゴールらしかった。しかし、僕にとってみればそこは単なる、古ぼけた木造建屋にしか見えなかった。


「あのう、航平さん?」

「なんじゃい、聖也さん」

「わざわざここまで引っ張ってきてくれて、嬉しいんだけど……なんですかこれは?」


 そう言って僕は、素直にその木造建築物へと指を差し向けながらコウを見遣る。


 すると、コウは上っ面を見ただけでも『なんや、こいつ! 察しが悪いやっちゃのう』と僕にも解せるくらいあからさまに顔をしかめさせた。


「あん? なんや、ワレぇ覚えとらんのかえ?」

「えっと、残念ながら」

「夏休み、入る前に自分で言うとったやんか。お前、うちの居酒屋のことを『大人の駄菓子屋』ってさ」


 コウがそう言って促しに来たため、僕はあわてて記憶を遡りはじめる。


 夏休みに入る前というから、結局およそ四十日以上前の記憶まで諸々思い出さざるを得なかった。


「あ、ああー……。そんなことも言ったり、言わなかったり?」

「ハハっ、ともかく言い出しっぺはお前やからな? いずれにせよ、お前が夏休みン間中この町に居らんかったから俺はこの町についていろいろ調べ廻っとったんや。普段通ることのない路地裏やら渡ることのない踏切やったりとか……そうこうしてるうち、念願かなってようやっとこの駄菓子屋へとたどり着いたんやざ」


 コウは手を高く掲げ、誇らしげにとそう語って憚らない。


 僕は、あまりコウのほうを見ないであくまでも駄菓子屋(と思しき建物)の方に向けて言を発した。


「……へえ、これまたずいぶんと。うん、大したもんだよホントに」


 それから間もなくして、僕はコウとともに駄菓子屋の中へと入って行った。


 店主は恐らく店の奥へといるのだろうが、少なくとも店内にて人という人は僕らだけであって至って静寂を保っているのである。


 店中に設けられた棚と言う棚には、ありとあらゆる駄菓子のストックされた箱が所狭しと犇めき合い、中には年代物と思しきかなり年季の入ったプラモの箱も埃を被ったままで陳列がなされていた。


 上ばかりでなく、下のほうにも目をくれてみるとまず入ってきた入り口すぐのところでは無骨そうに冷却器から発せられるブーンという音を奏でる、アイスケースが先に目に入ってくる。


 木箱が整然と並べられた箇所は、木板によってひとつひとつ区切られそこにそれぞれガムやチョコや飴なんかもそれぞれに配置がされていた。


 駄菓子屋さんとはいうものの、お店の中はさほど甘ったるくなくむしろ居心地のよい香りが立ち込めていた。僕自身、初めてここへと訪れたというのになぜだかとても懐かしい印象を抱いていた。


「ああ、なんだかいいなあ。ここって」

「せやろ! ……いうてそろそろ、昼飯時やんな? せっかくやから家に帰るまでの腹塞ぎにとなんか買うてかえろか」

「ええっ、そんなコウってば! 下校途中の買い食いはダメだって先生が……」

「かまへんかまへん、ここは俺らの通うガッコのスクールゾーンからは真逆のところにあるさかい心配無用じゃ」

「だ、第一お金は? 僕もコウも大して持ってないはずだろ?」

「せやから心配すんなってー! なんたってここは駄菓子屋や、値段は全て据え置きやさかいなんぼほど買うたってもたかが知れとるわ。せやろ?」


 困惑しきった僕をヨソに、コウは先の言を僕にいいながらもその右手にはしかと粒チョコをまとめて握り緊めていく。


 あくまで校則にと従わんとする僕と、それにとらわれない自由で冒険めいた人生を画策せんとするコウとでズレが生じているところで、思いもよらぬ第三者の声が割って入ってこられた。


「こらっ! あなたたち、下校途中の小学生でしょう。買い食いは、堅く禁じられてるはずだわ!」


 薄暗い店内に、甲高い声が至る所に響き渡る。


 びっくりした拍子に振り返ってみると、そこには制服を身に纏った推定中学生くらいの女子がひとり、駄菓子屋の敷居前に佇む姿があった。紺に白というコントラスト。おまけに、胸の部分にスカーフが巻き疲れているというよくあるセーラー服な赴きのそれだった。


 思わず僕が気を取られている最中にあった。コウはそれまで、手中にしてた菓子を全て木箱にて積まれたお菓子の上にと乱雑に散らしたあと、態勢を切り替えスタコラサッサと一目散へと逃げようとした。


「あ、アカンっ! 見つかってもうた! はよ、逃げな!」

「ま、待ってよ、コウ――――あ、痛っ!」


 コウに促され僕も慌てて逃げようとするも、ここへ来て夏休み中に僕の体内にて蓄積されていたダメージが僕の逃避行を邪魔させる。


 筋疲労のあまり硬直した僕は、大手をふってまで必死こいて逃げるコウの背中を見てなんとかコウだけでもこの場から逃げてくれと考えたのも束の間。


 がしっ、と。その中学生は足早にここを去ろうとしたコウが背負っていたランドセルの持ち手ハンドルを強く握り緊めて離そうとしない。


 とっ掴まれたコウは往生際悪く、手足をじたばたさせることしか碌にできないでいた。


「う、うわあ、うわわわわっわああ……。そ、そちらのお姉さん? 悪いんやけども、その手ぇ放してもらえますか。してもうたら、俺すっごくうれしいなぁって」

「あら、そう。なら、仰せのままに……ダメッ! こんな決定的な現場をみすみす見逃しになんかできないわ。さあ、観念して素直に白状なさい。あなた、どっから来た子なの? 名前と年齢、そうね学年も言って貰おうかしら」

「お、俺……ええっとぉ。ボクはぁ! 隣町の方から来た子なんですぅ」


(こ、コウお前ってやつは……)


 僕はそれを聞きながら、呆れてものも言えないという状況に陥っていた。


 これだけ圧倒的に不利な立場においても、まだシラを切る気なのかと。驚いたのを通り越して一瞬だけ清々しくなってから、コウが首だけ向きを変えこちらへと何やらアイコンタクトを送ってきた。はたして、僕はこれを”俺に構わず、早く行け”ととるべきかあるいは”とにかく、口裏合わせろ”ととるべきなのか次に取るべき行動を自らの中ですっかりと考えあぐねてしまってた。


「え、ええっと……」


 どっちつかずのままでいると、コウを先ほど来捕捉した中学生がそのままの態勢でコウを尋問し始めた。


「オホン。それで、あなたは隣町から来たんだ? なら、その町の名前を言ってみてよ? それからあなたの言っているその隣町にあると思われる小学校の名前もついでにこたえてくれると助かるのだけれど?」

「あ、あのう……ボクはっ、ボクはぁ…………」


 コウはまるで道端にて段ボールごと捨てられた仔犬のように目を潤ませていた。部屋の明かりも満足についてない薄暗がりのこの駄菓子屋から見て、真昼間の往来からすぐのあたりにいる入り口付近にいるふたりはというと、未だ店内にいる僕から見れば逆光がひどいせいでうまくふたりの顔を認識することは適わなかったけれど少なくとも幼いころからのよしみであるコウの表情をなんとなくだけど察することはできた。


 それはそれは、いたたまれないものであったろう。


(だから、嘘をついてもロクなことにならないっていつも心にそう誓ってるっていうのに)


 軽くため息をはらってから、僕はそちらへと向き直る。それから、筋肉痛に苛まれてる自分の肉体を気遣いながら、ゆっくりとコウのいるところへ足を運んでいく。


「あの、すいません。ツレがお騒がせしてしまって、僕らは向かいの踏切を越えた先にある高塚小学校に普段は通ってる生徒でして……悪気はないんです。ちょっと興味本位で立ち寄らせてもらったものでして、いやあその、下校中の買い食いはやっぱりダメ、ですよね? 僕達は、このまま何も買わずに帰りますのでどうかこのことはご内密にしてもらえませんか?」


 なんとか交渉するべく、とにかく遜って、遜って、相手をおだてるために全力を尽くした。少しずつ近づいてきて、徐々に重なった影を捉え始める。


 まずは、第一の影。コウの極めて情けない色を浮かべたその顔をと捉えていく。


「ま、マサ……」そう呼びかけてきたコウに僕は、精一杯な感情を送ってやる。


「コウ、ごめんな。これ以上は、無理だよ。おとなしく、非を認めようよ?」


 僕は淡々と、コウを説き伏せていく。


「……ご迷惑お掛けして、すんまへんっ」

「最近の小学生って、なかなか殊勝な態度もとれるのね。……もう、いいわ。別にそこまで言葉を求めてなんかいないもの」

「あ……ありがとうございます!」


 堪らず、感謝の弁をと相手に述べていく僕だった。


 そして、僕はもう一つの影を認識していく。


 いままでおおざっぱにしか捉えられなかったその全体像を、至近距離から眺めにかかる。下から上へと、足元のつま先からだんだん視線を上げていく。


 ローファーとホワイトソックス、きちんとアイロン掛けがかかった様子の紺のプリーツ・スカート。白を基調としたあたかも水兵服を彷彿とさせる、胸のところにて結ばれたスカーフが大きなワンポイントたりえる上着。ちら、と見えた首元にうっすらと浮かぶ鎖骨に汗が下へと伝う首筋。それから、肩までかかった髪の毛に真面目そうな印象をうかがわせるフレームのない眼鏡をかけたその尊顔たるや。


 なんと、見ててびっくり。


 そこには、都内某所にて会ってそれきりだったあの声優の少女。黒部珠希くろべたまき、本人に違いなかった。


「『………………。』」


 気まずい沈黙が、襲い掛かる。なぜなら、僕はもちろん驚きのあまり開いた口がふさがらないほどであったものの、なにより珠希さんすらも同じように口をあんぐり開けて固まってたのだから。

 

 ☆☆☆☆☆☆


 気まずい沈黙は店を離れた後も続いた……。


 偶然にも、帰る方向が同じであったこともそうだったけれど今回は前の時に比べて自分は圧倒的に立場が弱いところに立っていた。ここは、あの時のようなレコーディング・スタジオでは無い。ひいては、虎の威を借りようにも僕の母すらいない普通の通学路に他ならない。今の自分はあわや校則を破りそうになった未遂のアウトサイダー。かたや、相手はそれを諫めんとした正義の女子中学生。


 冷静に、見比べてみよう。『どっちに軍配はあがるのか?』、と。


 もちろん、答えは火を見るよりも明らかだ。ああ、世の中って世知辛い。


 道を歩きながら頭の中で独り言を繰り広げていると、同じく歩きながら沈黙していたはずの珠希さんが僕に話しかけてきた。


「ね、ねえ。ちょっと、いいかしら」


 もちろん僕が、断る理由なんてなかった。


「ああ、はい。なんでしょ」

「あなたって、まだ、小学生だったんだ。……確か、私の記憶が正しければ今年で十二歳の誕生日を迎えるっていってたわよね。もう、なったの?」

「えっと……すいません、あいにく僕誕生日は十二月二十五日クリスマスなもんで…………まだ、ギリギリ十一歳なんです」

「そう、なのね。あー……ちなみに私は、三月三日雛祭りの日よ。来年には十三歳だわね」

「そ、そうですね……」


(僕だって来年は十三歳を迎える予定なんだよなあ)


 至って、他愛もない話し合いが続く。やや、ぎこちないかも知れなかったけれど、僕的にはこれが精一杯で仕方なかった。


 あ、因みにコウはあの後黙って立ち去ってしまったためいつの間にか姿を消してしまってた。


 ともあれ、なんとか事態はまあるく収まって一安心。


 とかなんとか、僕がそう思ってると珠希さんがいつか話し合った珠希さんの親御さんの話にといつの間にやらもつれこんだ。


「あのね、聖也くん。以前、私にアドバイスしてくれたことあったじゃない? ケータイを通じた親と子供のコミュニケーションの取り方について」

「いやあ、アドバイスなんてそんな、」

「まあまあ、謙遜なんてよして、最後まで聞いてほしいの。うん、それであなたに言われて初めて自分から掛けてみようって気になって。……翌日、こっちから掛けて相談もしてみたわ。そしたらね、うふふっ、初めてなのにも関わらずちゃんと私の打ち明けた悩みを聞いてくれたのっ! 今まで、素直に言え無かった言葉を洗いざらい全て口にした。気が付いたら、生まれて初めて親と喧嘩せずに最後までちゃんと電話し終えたんだわ。おかげで、今年の夏は無事に実家へと足を運ぶこともできたし全部あなたのおかげよ……聖也くん、ありがとうね」


 僕は何も言えなかった。


 まさか自分の吹聴した言葉が、自分のあずかり知らぬところでこんなにも効果を発揮しているだなんて……。本当に思ってもみなかったことだったから、どんな言葉でこの先紡げばいいかなんて分からなかった。


 だからこそ、僕は言葉でなく態度で以って返すことを決めたのだ。


「アハハハハ! ……それは、よかった。本当に」

「な、なあに急に笑って、ビックリした……うふふふっ」

「そ、そっちこそ……あ、アハハハハ、ハハッ、ハハハハハハ!」

「や、ヤバい、つぼった。と、止まんな、うふふふっ! ふふっ、えっへへへ」

「はーはっはっはっは!」「えっへっへっへっへ!」


 暑さなんて、ふっとばせ! ……ともかく、そんな風に互いに陽気に笑い合いながら珠希さんと同じ帰路を歩んでく。


 しばらくいっしょに歩いていると、僕の住まいである一〇一号室の3LDKがあるマンションが見えてきた。


 すると、珠希さんはそのあたりで、それじゃあ、と口を開き始める。


 やれやれ、楽しかったけれども、ここでお別れってことか。でも、楽しいときにはいつだって終わりが付いて回るもんだ。


「聖也くん、私はこのへんで」

「僕もっ、このへんで」


 最後にバイバイするかわりに、自分で住まいの方へと指を指し向けて別れの気持ちを示してやった。すると、




「『僕は、

     こっちのマンションだから。

  私は、             』」




 ……なんと、驚くことに僕も珠希さんも同じ方向及びマンションを指していたのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「まさか、同じマンションだったなんて」


 珠希さんが、ポカンとしたふうに言ったので僕もそんな感じに言って見せる。


「しかも、お隣さん同士だったなんて」


 なんてことを互いの部屋へと通じる扉に背をむけて、今まさに通路にて隣同士で会話する僕達だった。ゆっくり、互いに顔を向け合う。珠希さんは神妙そうな顔つきだった。僕もきっとそんな感じなんだろうか。


「じ、じゃあ、私はこれで……」


 すごすごと、珠希さんから退散されそうになり、僕はちょっと、と呼びかけ引き止めた。


「ま、待って?」

「……どうか、した?」

「お昼、まだですよね? ……よかったら、ウチに上がってカレーでもどうですか?」


 珠希さんは、”一〇二号室”という部屋番が刻まれた扉のノブにと手を掛けた態勢のままこちらに視線をむけては瞼を二、三開けたり閉じたりを繰り返した。


 なんてことの無い静寂が包む中で、明らかに珠希さんのほうからこんな音が聞こえてきた。




 ”グゥゥ~~~~~~~~………………”、と。




「………………。」


 静寂を保ったまま、珠希さんはそっと両手をお腹にと持ってきて顔を赤らめるのだった。


 フォローするでもなく、僕はなんとなく思ったことを口にしていく。


「あの、都合が悪かったら悪かったで……ただ一人で食べるよりかは味気なくなくなっていいかな、って」


 すると、


「よっ、よろこんでぇっ!」


 そう言いながら、慌てて扉を開けてその中へ突入をしたのだった。


 ガチャン、と。鈍い扉の閉まる音が聞こえてくる。……かと、思いきやそのあとすぐにちょっとだけ扉を開けて僕にと珠希さんが呼びかけてきた。


「も、もちろん。行かせてもらうわ……私服に着替えてからで、いい?」

「は、はい。どうぞ、好きなように」


 そして、また扉は閉じられた。


 気が付くと、マンションの廊下には僕が一人残されていた。


 そして、呟く。


「……僕も、帰ろうっと」


 自分の扉の方へと身を翻さすと、ポケットに入っていた鍵で開錠してから僕は意を決して扉を開けた。


 ……えっ? その扉の先に、またもや僕の母さんがいびきをかいて寝ていたのかって?


 さあ、それはどうなんだろう。それは、ここまで読んでくれた皆の御想像にお任せすることとして、最後にこれだけはいいたい。



 

 これにて、はっピィス・エンド……なんてねっ。




                       《了》

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うちの母さん、じゅうななさい。 はなぶさ利洋 @hanabusa0202

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