第11話「母さんと、授業参観 後編」

 所変わって、ここは6階のメイド喫茶の裏側に設置された店長室だ。


 ここは、応接間も兼ねているために数台のカウチがもうけられてる赴きが見られ、大変ゆったりと過ごせる空間となっている。


 そして、そこには一方的にここへと招かれた国吉かなえ。


 それから、肝心かなめの店長ことこの場へとかなえを招き入れた張本人である氷見涼子ひみすずこのふたりがその場にはいた。


 部屋の一番奥に構えられた重厚感のありそうな木机と牛革製なリクライニング・チェアーに身を置く涼子がまず先に口を開く。


「まさかまさかの再会で、悲しいかないまだこれを現実として捉えきれていない自分がいるんだけれどそっちはどうかしら? カナ」


 カナことかなえは、自然と涼子に見据えられる形で涼子の眼前に配置されたカウチと高さの低いテーブルのところにしかと背中を預けていた。


 やがてかなえもそれに答えた。


「ちょっとぉ、すー子? こんなに感動的な場面なはずなのに、どうして、悲しいとかいう否定的な感情が湧き立ってくるんじゃい。もっと喜ぼうよ~……お互い、もうかれこれ十五年ぶりくらいなんだし、さ」


 かなえの瞳に映った涼子の姿はというと、到底自毛とは言い難い見事なまでに白銀一色にと染め上げられたショート・ボブでばっちりと”メイド服”なる衣装に身を包んだ装いである。一見して、神秘的な印象を帯びてはいるが目元をよく見てみるとファンデーションでうっかり隠し忘れた小じわがかなえ自身の心にそこはかとない感情を抱かせるのだった。


 また、かなえは自分自身が先ほど来放った発言も反芻させるのも兼ねて、こう思った。


(そっか、もうそんなに年月を経てしまったというわけね。やれやれ、時間が過ぎ去るのはあっという間ね……。)


 しばらく間を置いて、涼子が椅子から立ち上がってかなえの回答を簡潔に受け答えた。


「カナの言う通りだわ。でもね、今でも私ずっとアンタに負い目を感じてるのよ。だからね、そんなこと言われてもいまいち……素直に、再会を手放しで喜べないというかなんというか」

「もう、どーしてなの。すー子?」

「アンタと同じ声優養成所を同じ時期に入学・卒業して、運よく同じ声優事務所に入所してほいでもってアンタといつの間にか仲良くなって。沢山、遊んで。沢山、飲み食いして。沢山、好きなところを行き合ったり。ほんっとに、沢山。沢山。沢山。沢山……いろんなことがあったわ。良いことも、悪いこともね?」

「すー子……」


 ぽつりと、かなえが相手の名前を呼んだ。


「”査定”の時のこと覚えてる? かなえ」


 聞いたが直後。


 かなえは、改めてカウチに腰を掛けたままの体勢で背筋を真っすぐに伸ばしなおす。


 少々、はやる気持ちを抑えながら一呼吸置いたのち涼子に向き直った。


「……もちろん、覚えてないわけがないもん。今でも、はっきりと思い出せるよ」

「ふーん」


 そう言って、涼子は元いたところからカツカツと、カウチに身を置くかなえのほうへと近寄る。


 その後、かなえを前にと言わしめた。


「ちょっと、隣いい?」


 かなえは気を利かしたようで、唐突な涼子の要求にも極めて沈着した面持ちで臨む。


無問題もうまんたいッ! こちらへと、座るヨロシ」

「うふふっ。そう、ね。カナ――――ありがとう」


 微笑みかけながら、涼子は先の会釈をかなえにお見舞しつつも自身が着用してるエプロンドレスのスカートの裾を手でなめすように整えてからかなえの隣にと座り込んだ。


☆☆☆☆☆☆


 十五年前、国吉かなえと氷見涼子はかつて同じ事務所に所属していた。


 その二年前には、二人はやはり同じ養成所を出て見事そこでの入所に成功しておりその後彼女らはそこで、ある試練を目の当たりにした。


 すなわち、それこそが涼子本人の口から飛び出てきた”査定”に他ならない。


 ”査定”とはなにか?


 ”査定”とは声優が事務所に所属してから一定期間内にてその声優がどれほど活躍をしたか事務所にいるお偉方により精査。それから声優として選定を直ちに行うことをいう。言ってしまえば、あくまでも”預かり”(研修生みたいなもの。この時点では、声優事務所に正式に所属しているとはいえない)扱いだった者が”準・所属”として一歩先にキャリアをステップアップさせられる機会こそがこの査定の本質である。なお、この”査定”から残念ながら漏れてしまったものは、その時点で声優本人としての後ろ盾の役割を担う事務所からの支えすらなくなってしまい自ら声優業界から足を洗わなければならなくなる。


 結果でいえば、二人ともこの査定で振るいにかけられて、その時はどちらも事務所の”預かり”から”準・所属”へのステップアップはかなわなかった。


 しかし、かなえはその将来性を少なからず見出され合格不合格のいずれかですらない”保留”としての扱いになったものの涼子はあえなく不合格の烙印を押されそれからまもなく引退することとなった。


 それからというものの、二人は会うことがなくなり仲を違えてほぼ十五年もの時間が経過し、今にいたる。


 一方は声優引退後、日本から離脱。世界各国を放浪したのち、そこでの経験をもとに帰国後新感覚システムを導入したメイド喫茶”か~ね~しょん”を開店。


 もう一方は、後に就いていたマネジャーの松平とともに独立、新規事務所を設立して以降十年ほど雌伏の時を過ごすものの三十代後半にして声優業界における自分の立ち位置を確立させる。


 かなえと、涼子。立場や歩んだ方向は異なれど、それでも、かつては同じスタートにと立ち互いを称え合った戦友に他ならない。かけがえのない友情で結ばれてあった彼女らがあれからちょっとして打ち解けたのは造作もなかった。


☆☆☆☆☆☆


 ふたりが、店長室兼応接室にて話し合いを繰り広げて暫くしたころである。


「それにしても、最近の役者の演技は――――カナ? ひょっとして泣いてる」


 面と向き合って話し合い、多少しがらみも解消できたというのにかなえは無意識のうちに流した涙を旧友に指摘されて困惑する。


「えぇっ!? あら、やだ……本当。ナンでッ、ぐすっ」


 そう言って、かなえは親指でゆっくりと涙を目元から小さく拭って見せた。


 このときかなえは、水で落ちないマスカラとファンデーションを使用してよかったと少しだけ安堵した。


(わたしのカバっ。もういい大人だってのに、恥ッずかしいなあ。もうっ)


 自我という名の心のダムにと溜まりにたまった感情があふれ出しそれらは涙腺を介して流れ落ちていく。そこへ……。


 唐突に、涼子がかなえをひしと抱き寄せてきた。


「カナッ」


 ぎゅっ、と。


 かなえは背中へとすでに伸ばされた両腕が涼子のものだと認識するころには、もう涼子の身体により包み込まれているのであった。


 かなえの黒髪と、涼子の銀髪とで双頭が一つの影として重なり合う。


「す、すー子……」

「ったくもう、これなんだからもう。泣き虫なのは相変わらずってわけね」

「や、やだ恥ずかしいよ。こんなの」

「なあにが恥ずかしいんだってのさ、アラフォーなのはお互いさまだろ~~~~ッ」

「そ、それはそうだけど……でも」

「『……でも』?」

「なんていうか、そのぉ……白昼どうどうとイイ年したオバサン同士が、こうっ

……乳繰りあってるみたいで変な気分になるっていうか」

「あんた……昔、おっぱいって言葉すらも耳にしただけで顔を赤らんでたというに。よもや、乳繰り合ってるって単語を。それもこんな真昼間に、このド淫乱め!」

「ふふっ、すー子知ってる? 声優ってね、下ネタを言っても大して責任も背負うことも無い、その上お金が稼げる唯一の職種なのよ」

「こいつぅ~! このッ、このこの!」


 すっかりとおちゃらけた様子のかなえは、涼子の両手によりその頬の柔肌をつねられ右へ左へと軽く引っ張られた。


「ひ、ひょっと~! ひゃめって、ひゃ~め~てぇぇ~~~~!」

「あんたなんかに負い目を感じるなんて、やっぱり私どうかしてた! あんなクソみたいな業界にいつまでも拘らずとっとと、離れて正解だったわ。今にして思えば、私、この業界向いてないんじゃないかって査定の時はそう自分を捉えてたけれども。そう考えること事態、私には声優としての資質が備わってない証拠に他ならなかったけど、でもあるいみバカラや丁半サイコロなんかと比べても格別にギャンブリックな仕事から離れられて清々したわよっ!」


 十五年来にわたり、募りに積もった感情としがらみとを見事に出し切った涼子はそこまで言い切るとそれまで掴んで離さなかったかなえの両頬から手を退けて見せる。


 された側のかなえはというと、すっかり赤みを帯びた自らの頬をやさしく擦りながら目にはうっすら涙を浮かべていた。


「ンモー。ひっどいなあ……」


 ぶつぶつと一人、文句をたれるかなえである。


 そこで、涼子が再びかなえのもとへと改めて向き直った。


「でも……」

「ほぇ?」


 呆気にとられかなえは、間抜けな声をあげる。


「ありがとう、カナ」

「き、急になによすー子……」

「カナ。本当にありがとう……私の夢を。私の代わりに、追いかけてもらってくれて。今のアンタをみて――――ああ、私のかつて歩んだ声優への道はけして無駄なんかじゃあなかったんだ、って初めてそう思えたのよ」

「水臭いよ、すー子っ!」 


 訥々と述べていく涼子に、かなえが全身全霊で抱き返し寄せた。


「カナっ……!」

「……すー子ぉ!」


 かなえの大きな手によって背中を押され、涼子はなすがままにかなえ自身の巨躯へともたれ掛かった。


 わだかまりも解け、ようやく安穏としてきたその頃である。


 ドバンッ、と。


 唐突に、社長室兼応接間の廊下へ通ずる扉が開け放たれた。


 開けたのは、アケミ同様にここのメイド喫茶にて勤めているメイド達のうちのひとりであった。


「め、店長ッ……!」


 なぜかいきり立った様子でドアを開け放った張本人はというと、とうの室内側にて据えていた涼子から見て半身をひょいと突き出した感じだった。


 顔も緊迫と困惑の境地に追いやられたようで、息も完全に切れ切れで非常に忙しなく思えたのだ。


 直感的に嫌な予感を察知して、涼子は一旦かなえを傍に置き意識をメイドのほうへと向けた。


「な、何なにっ? どうしたの、そんなに慌てて」


 涼子が至って毅然としていると、とうのメイドが合わせて答えた。

 その身を以ってして。一歩、部屋への敷居をまたいで廊下からの入り口を潜る。


「こ、こちら、をッ……! ご覧、なっ、てくださ……いッ……!」


 そう言いながら、上司である涼子に対し彼女から見て今まで半身にしていた姿勢をそちら側へと捩って見せつける。なんとそこには、先ほど来かなえをこの店へと引き合わせた仲人に他ならぬ、アケミが例のメイドによって肩を担がれている有り様が見えるのだった。


 顔は赤黒く、額から首筋からとめどなく汗が噴き出し、それにやや過呼吸気味という例え素人が一目見てたとしても熱中症な様相を呈している。


 事の重大さをようやく把握するに至った涼子はというと、咄嗟に立ち上がりとりあえずは手負いであるアケミの元へと駆け寄った。


「アケミちゃんっ……大丈夫?」


 困憊であるものの、アケミは実の上司の声を耳にして一旦は意識を浮上させ、懸命に振る舞ってみせた。


「あ、あはは、は。め、店長……すんませ、ん。今は書き入れ時もいい所だってのに」

「こんなんにまでなってるってのに何、いってんの!」


 空元気を振りまくアケミをそう、一喝した後。


「とにかく、心配は無用よ。今は火照ったその身体にはクール・ダウンが必要みたいね?」

「め、メイドちょ~」


 優しく語りかけてた涼子に今まさに答えんとするアケミであった。


 しかし、そこへとさっきまでカウチを温め続けていたかなえが割り込みをかける。


「大丈夫?」

「……あ、あなたは」

「もし、あなたに会ってなかったらここに来ることもなかったし、何より涼子にも合うことはなかったんだわ。だから、」

「お、お礼には及び」

「ありがとう……胸平らちゃん」

「ですから……わ、たし…………はっ。……アケミ、ですっ…………て。ば………………」


 そこまで、言ってアケミは一抹の不安を胸中に抱きつつも意識を失った。


「アケミッ! し、しっかり……!」


 卒倒してる彼女をそれまで肩に担いでここまで引っ張ってきたメイドが慌てふためいた様子で、すでに意識のない相手へとエールを送る。


 そういった感じでガクリ、と項垂れた様子のアケミを涼子とかなえはいつまでも眺めているしかできなかった。


☆☆☆☆☆☆


 アケミが熱中症に陥って、しばらく。あらゆる出来事が、ここ”か~ね~しょん”では目まぐるしく移ろっていった。


 先ほど来無用の働き者と化したアケミを肩担いでいたメイドは、涼子が呼んだタクシーにアケミと乗り込んでそのまま病院に向かった。(救急車を呼ぼうとまずは思ったものの、気を失う直前に『迷惑かかるといけないから、救急車だけはやめて』とアケミの証言を代弁したメイドの発言を気遣った涼子の一存による)


 涼子は、アケミとアケミを病院にまで同伴して行ったメイドの空いた穴の補填のため自身がホールに立つことを決断した。


 夏休みシーズン真っ盛りで、なおかつお昼近くということもあってか店内には観光客を含めたお昼休みにと訪れた好き者としか言いようのない人間たちでひしめいている。客は、もちろん店側の事情など一切知る由もないので、ただひたすらにあるいはいたずらに乾ききったこの心という名の永久砂漠に気休めでもいいからとせめてものオアシスを求めてやまぬ猛者どもが勢ぞろい。


 対するは、店長こと涼子率いるメイド軍団だが時点での総数は涼子も含めて本店には全十名ほどで多勢に無勢と言って差し支えない。


 しかし、そんな時救世主(?)が名乗りでた。


 何を隠そう、ご存じ我らが主人公であり年増系ヒロインこと永遠のじゅうななさい。国吉かなえ(三十七)であった。




「久しく逢瀬ておらぬわが友とではたしたこの邂逅、友が働きにと赴いて窮地に追いやられる様をただ指をくわえて見らりょうか?!」(※発言は、イメージです)




 そう、かなえが困惑するメイド達の前にて言わしめた。


 しかし、目の当たりにしたばっかなかなえにメイドの道を一日にして成すのには熾烈を極めた。


 まず、入るメイド服が無かったのである。


 通常のメイド達の着る衣装は、SS~LLと幅広くサイズが取り揃えられる。例外をふたつ言えば、まずアケミはメイド達で最小のXSサイズである。もうひとつは、かなえである。日ごろライブや稽古のために激しいダンスをこなしているため、本人は知らぬうちに強靭な肉体を身にまとっていたことをかなえ自身は最後まで把握しきれてなかったのである。


 LLサイズでギリギリだったが、それでも着こなすとまでは至らずメイド服の着用を諦めた。


 しかし、不甲斐なさのあまり涙をはらはらと流すかなえの前に救いの声がみごとかかった。


 他でもない、かなえの親友である涼子の声である。




「てか、アンタ黒のワンピ着て来てるんならその上にエプロンをつけりゃとりあえずその場しのぎになるんじゃない?」




 ただちに、かなえにはフリルが満遍なくあしらわれたひらひらのエプロンが付けられ首元のスカーフ代わりにチョーカーの要領で蝶ネクタイを巻き、スカートの裾の中にはパニエ(某国民的アイドルグループなどが舞台衣装で着用している、裾をふっくらと写るように着こむもの。)を十枚弱とありったけを履き猫耳と猫しっぽといういかにもなオプションも合わせての装着がなされるのだった。


 準備は着々と進み、まもなく昼休みの時間帯にさしかかる。


 時計の針がいずれも真上を指した頃。


 か~ね~しょんでは、どっと客がなだれ込んできた。


 ガラス戸を押し開け、備え付けられたノッカーの小気味いい鈴音を耳元で転がすと、いずれも客たちは店内に入って真っ先にメイド達の出迎えを受け入れざるを得ない。




「『おかえりなさいませー! ご主人様―!』」




 はつらつとした出迎えには、例えそれがオタクだろうが非オタクだろうと老若男女を恍惚と愉悦に浸らせるのだ。


 客ひとり、あるいはひとグループにつきメイドがひとりずつ付いて、それらをもてなしにかかる。


 そして、初めてのお客には店内のシステムをあらかじめ紹介しがてら原価以上に値が張った商品を前面に見せつけて購買意欲ならびに食欲を刺激させることもメイドの大事な勤めのひとつなのだ。


 か~ね~しょんのメイドは客にとっての給仕でもありながら、実は店にとっての敏腕セールスマンでもあり、職業上での声優ですらある。そして、同時にそれこそがこのか~ね~しょんをか~ね~しょんたらしめる他のメイド喫茶にはない唯一無二のサービス提供にと関わっていくのである。


 か~ね~しょんのサービスは料金に応じてそれなりではあるが、最高値つまり店内最上級のサービスとは、なんと言っても「アフレコ体験」に他ならない。


 実を言うと、涼子が切り盛りしているか~ね~しょん全店にて勤めているメイド達は全員、現役の声優専門学校生だったり養成所を出、事務所に預かりとなったものの大して仕事がない声優の卵ばかりがメイドとしての職に就いていた。


 なぜ、そのような面子ばかりが集められたのか。


 他でもない、メイド長・氷見涼子のたっての希望により足元のおぼつかない声優の卵たちをかつての自分のころのように喰いっぱぐれさせないために、あえてそうした実態にしているのだという。


 もっと言えば、念願かなってようやく事務所預かりになったものの、結局査定で落とされてしまっても最後までこのメイド喫茶という名の居場所を確保しておき声優としてのキャリアを一から再スタートさせる足場を作りたかったのが何よりもの本音でもあるのだ。


 故に、このような「アフレコ体験」という店内オプションは、声優としての自我を保つためのメイドに対するケアも兼ねており、そんな事情があるとはつゆ知らず大好きなアニメで憧れの職業でもある声優というお仕事をこのような所で体験ができるのだから非常に理にかなったビジネス体系といって差し支えはない。


 そして、このサービスにも当然メイド長である涼子ならびに渡りに船であるかなえが携わっていくことになる。メイド喫茶の真ん中に設けられた三~四台ほどの集音マイクがおったてられ、その前にそびえたつ二〇インチほどある液晶画面には簡単な動作が組み込まれたFLASH調のアニメーションが表示される。サービスを申し込んだ客らはこの場にと直接達メイド達とともに収録にと臨むのだ。


 なお、彼らの立つ現場ではその背後にまるで芝居小屋の緞帳を彷彿とさすようなプロジェクター投影用のスクリーンがだらりと上から垂れ下がっているので店内にいる客は三六〇度余すことなくどんな角度からもその体験の様子をいやでも見させられるのである。


 言ってしまえば、半強制的な公開収録の光景そのものであるのだ。


 客に指名により、かなえと涼子が客とともに簡単なアフレコブースへと登壇する。


 左右の端と端にそれぞれ涼子それからかなえが立ち、真ん中に客が居座る。


 事前に渡された厚さ五ページにも満たない簡単な台本をもとに、アドリブありなんでもありな小劇場を繰り広げていく。


 いつの間にか旧友らふたりして客を半ば置いてきぼりにしる感じで、ただひたすら楽しむようにアフレコにと臨んだ。


 途中からはふたりともに台本を全く見ずして完璧なアドリブ劇を繰り広げるに至ったのだ。


 最後まで収録の及んだ店内において、アニメで目を、声優の声で耳を肥やし切った客らの反応は至って単純で、分かり易いものであった。


 数分間スタンディング・オベーションがやむことはなかった。


 中には、欧米あたりからやってきた観光客もいたりでノリよく口笛すらかき鳴らすものもいた。


「カナ……!」そして、「すー子……!」


 ガッシィィィィ……!


 もう、二度とこの身を離してたまるか。


 そう言わんばかりに、二人はそのままじっと互いの健闘をたたえ合い、いつまでもいつまでも抱き合うのであった。


☆☆☆☆☆☆


 店内におけるピークはとうに過ぎ去り、涼子とかなえは着の身着のまま元いた店長室兼応接間にと戻りふたりして祝杯をあげている真っ最中であった。


「『かんぱーい!』」


 店内のメニューに組み込まれて置いてあるノンアルコール・ビールを新しく開けそれぞれコップに注ぎそれらを飲みにかかる。


 ごきゅっ、ごきゅっ、ごきゅっ…………!


 それから、ため息がこぼれ互いに口上を宣う。


「ぷっはー! このために、生きているといっても過言じゃあないわねぇ」


 と、涼子。


「はっぷっぷっぷ~……私は見た。火照った体にビールを流し込んだところ、喉の奥で白く光って唸るコスモを……!」と、かなえがそれぞれ言う。


 備え付けのカウチにそれぞれ身を置きつつ、ゆっくりとだれ合う。


 少しの間があって、涼子が。


「カナぁ……」

「なーに、どしたの? すー子」

「私いまでもこれが、夢なんじゃないのかなってそう思ってる自分がいるのよね」

「……試しに、ほっぺでもつねってみたらどう? クス、クス」


 せせらうような笑い声が聞こえたので、涼子が応じる。


「そんじゃあ、一丁。ほいっ」


 ぎゅいいいいいい……と、強く抓まれて頬が引っ張られていく。


 かなえのが。


「イッ?! 痛いッ、痛タタタタタタタタタタタタタタ……! や、やめって~! やんめってぇぇえぇぇぇぇ~~~~!?」


 つまみあげられ、ゴムのように伸びたかなえの柔肌が今しがた涼子の意志によって引っ張られていく。


 涙目になった様子のかなえを見て、涼子は大笑いしだす。


 思わず手を離れ、かなえは素早く涼子の手を彼方にと払いのけてその後ゆっくりと撫でまわし始める。


「あっはっはっはっはっはっはっは……! やっぱり、カナ! あんたっておんもっしろいヤツよね~!」

「ぶー……! かなかなちゃんのほっぺは、そんなゆーとぴあ地味た遊びのためにあるんじゃないもんっ!」


 すっかりとむくれ、かなえは咄嗟に涼子のいるところとは真逆なところへそっぽを向く。


「ひどいよ、もうっ」

「まーまー! ……悪かった、悪かったってぇ。ね、カナ。今日は、本当に来てくれてありがとうね? まさか声優を辞めてからもなお、あんたと共演させられるなんて思ってもみなかったことだったけどメイド喫茶開店以来の大賑わいだったもんだから、おかげで私自身もうんと張り切らせてもらったわ!」

「ほんとぉ? 口でならどうとでもいえるけれどねっ、あーあ。流石は、腐っても元・声優ってところかぁ~」

「本当も本当だってば。あんたが納得いくまで何度だってこう言ってやるわよ? ”ありがとう、カナ”ってね」


 不甲斐ないあまり、かなえは小っ恥ずかしさも相まってか、冷房の利く室内にいるにも関わらず顔を赤らめる。


「~~~~~~!」

「まったく、お前は可愛いなあ! よし、こっちゃこい。頭を撫でてやろう」

「いっ、いいよ! そんなことしなくっても! そ、それよりも、仕事は?!


 すー子は大丈夫なの? こんなところで私と油売ってて」


「あー心配には及ばんて。もう、ピークは過ぎたから」

「そうなの? ならいいんだけれど……」


 ホッと胸をなでおろすかなえを尻目に、涼子はなおも喋り続ける。


「昼間の混雑してたのは、夏休みだったのとちょうど昼休みだったせいもあるけれど一番の理由はやっぱり、電車の運行がストップしたからってのが要因ね」

「あー……そっか、そっか。みんな、そういうことだったんね」

「今はある程度の余裕も見られるし、そろそろ電車も再運行し始めてるでしょ」

「え……ね、待って? 今なんて言った、その電車がどうこうって」

「いや、だから……昼前にストップした電車も今頃は無事運行を再開にとこぎ着けられるようになって」


 聞き出した情報によって、吃驚させられながらもかなえは涼子にさらなる情報をと臨む。


「ウッソぉ?! で、今は何時?」


 手元の腕時計を見、涼子が答える。


「んーと、今は、そーねぇ。もう、昼の十二時五十五分に差し掛かってるわね」

「大変! こんなとこでだべってる場合じゃないっ! 行かなきゃ!」

「あら、急ぎの用でもあんの?」

「急ぎも急ぎッ! 大至急よッ! ごめんねぇ……すぐ出なきゃなんないの」


 申し訳なさそうな顔を浮かべるかなえをヨソに、涼子は淡々と接して見せる。


「そっか。なら、とっとと行きなよ。なに、シケた面ぁ、してんのさ! ここに来れば、会おうと思えばまたこうしていつだってあえるんだもの! 今度は、ゆっくりと飲みに行って、それで……遊び行こっか。ね?」


 まるで我が子をゆっくりと諭す母のように涼子は語らうと、一方でかなえは惜しみそうな表情から一転。自信を漲らせたように徐々にと、微笑んでいく。


「そう、ね。どうも、お陰でシャンとしたみたい。それ、じゃあ。きっとまた絶対に会いに行くからね? きっと、近いうちに会いに行くから……」

「はいはいっ……わかったから。いいから、早く行きなって――――かなえ」

「……バイバイ――――涼子」


 互いに胸の奥から何やら熱いモノが込みあがってきて、ふたりはただそれを抑え込むのに精いっぱいであるのだった。


☆☆☆☆☆☆


「………………。」


 かなえが後にしてから、数分後。


 店長室兼応接間には、ただ一人氷見涼子がその場にと突っ立っていた。


 胸のあたりに握り拳を充てて、かつての思い出を遡っている。




『すー子、どーして?! なんで行っちゃうの!? たかだか、声優辞めるだけだってのに……』

『カナ、あんたってやつは……私が声優やめてもなお、友だちでいてくれるっての?』

『当たり前だよっ! いままでも、それにこれからだって……』

『カナ。あんたはそう思ってるかも知れんけれど、私はそうじゃないんだ。だって、お互いに声優ってのを志さなかったら少なくともあんたは私をこうして引き留めることも、互いに向き直ってることも――――なにより、あんたと巡り合うこともなかったのだから』

『……それじゃあ、何。こう言いたいの、私のことが前から気にくわなかったからなの? も、もう、二度とその面を拝みたくないって……そんなっ、風に』

『ち、違うッ! そんなんじゃあ、決してないわ。むしろ逆……アンタを、思ってこそだとそう思えたから』

『やめてよ、すー子。もう意味わかんない』

『いーや、やめないっ。あんたが分かってくれるまで私は何べんだって、語りかけてやるんだから』

『やめてっ……やめてぇ!』

『……あのね、カナ? 私はね、あんたにずっと憧れてたんだ。明るくって、元気溌剌で、それでいて人の痛みに寄り添っていっしょに泣いてくれていっしょに悩んで……気が付いたら、私はそんな強いアンタに自分を重ね合わせていたのよ。私も決して弱くないんだって、アンタみたいにちゃんとやってのけられるんだって……。まあ、結局は自分への逃避にしか過ぎなかったのだけれどね。カナ、私ねアンタといる時が一番心が安らぐのよ。けど、安らぎすぎるのよ。アンタには悪いけどこれ以上アンタの船には乗ってられない。このままじゃあ、お互い何も残せないまま沈没してダメになっちゃう』

『そんなあ。行か、ないっでぇ……ぐすっ、ぐすっぐすっ』

『バイバイ、かなえ。……ごめんね』

『す、涼子……』

『ごめん……』




(あいつ……さびしがりやだったくせに、いつの間にか自分から別れの言葉を言えるタマになってるなんて。私は、)


「うっ、何これ」


 目から痛みにも似た疼きが走り、慌てて拭い去る涼子だった。


 しみじみと、つぶやく。


「……やれやれ、私もトシかな」


 ため息交じりに、涼子が自分のなかで時の流れをしかと噛みしめてるそんな時である。


 唐突に、何者かによって廊下側からドアをノックする音が聞こえた。


「あ……入って。どうぞ」


 失礼します、としとやかに声を掛けながらメイドがひとり入ってきた。


 先ほど来、熱中症に喘いでいたアケミを介抱しタクシーで病院へと連れて行った彼女が今しがた帰ってきたのであった。


「店長。報告したいことがあるため、今一度ご確認いただきたいのですが」

「ご苦労さま、それで……あの後アケミちゃんはどうなったの?」

「はい。現在、病院で点滴を受けながら床に臥せています」

「で、倒れた原因はやっぱり……熱中症?」

「はい。ええ、まあ正確に仰いますと、長時間外で直射日光にかかり続けたことによる脱水症状と医者からの診断が下りました」

「つまり、平たく言えば熱中症よね? 昔は、日射病とも言ったのだけれども……わかったわ。今度から、炎天下での業務は要注意項目に指定しなきゃね。あと、今度から日傘と日焼け止めに関しても」「すいませんが、ちょっと質問してもよろしいでしょうか?」


 調子を崩されたものの、少し間を置いてから涼子が述べる。


「え、ええ。なにか?」

「あのー……今週は、猫コス強化週間ですよね?」

「そう、だけど。全員分の猫耳・猫しっぽは脱衣所のロッカーに封入済みなはずよ?」

「……その。どこにも、ないんですけれど」「……え?」


「あっ……かなえの奴」


 そこはかとなく、嫌な予感を察知した涼子はそれ以上詮索することは止めた。

 そして、この後着の身着のまま(エプロンにパニエで繕った即席エプロンドレスに、猫耳&猫しっぽ)な国吉かなえが聖也の学校、高塚小学校にて来襲して学校の教師や聖也の同級生ならびにその親たちから一斉に顰蹙を買われるわけなのだが、それはまた別の話である。

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