第10話「母さんと、授業参観 前編」
はっピィス!
”ときめく胸にいつもある、夢とボイン。”――――(多分)みんな大好き永遠の十七歳の地図・国吉かなえことかなかなちゃんだぜィ?
はっピィス!! …………ホヨヨ? あっれー、おっかしいなぁーなんかぁー。ウケが、思ってたんと比べるとなんかイマイチ、かも。
大事なことは二度言っておけば、笑いが稼げるって養成所で教わったはずなのに?
いや、私お笑い養成所出身じゃあなくて普通に声優養成所出身ですから! 残念ッ!! (じゃかじゃーんっ)
ふぅ、渾身の決まり口上を済ませたところで、それではいよいよ本題に移らせてまいりますわよ?(突然の令嬢口調)
……あのね? ちょっち、訊いてほしいの。
私ってさ、一応肉体年齢的に見ればもう大人じゃん。
お酒だってもちろん毎日飲んでるしぃ、選挙にもちゃんと投票に行っているしぃ、仕事しててなおかつ税金だってキチンと納めてるしぃ、のど潰しちゃうからやってはないけれどその気になれば煙草だって吸えるしぃ。
あ、あと。ムダ毛がいろんなとこからのびてちょっち今ジャングルだし。(どこがジャングルなのかは乙女のひ・み・つっ)
それとー……、結婚してるから当然マイ・ダーリンもいるしぃ、ダーリンとの間にはマイ・サンことマサくんというもう小学六年生にもなる子供もいるし。
これだけなら、社会的に見れば確かに私は大人なんだって思うじゃん。
でも、そうじゃないの。いや、そりゃ確かに普段からみんなの前で憚ることもなく「くによしかなえさん、じゅうななさいですっ」とかなんとかのたまってんだけどでもね? みんなはそれを聞くと、唇を端っこだけつり上げて何かを言わんとするような笑みで、私に大人な対応でもって接してくれんの。ただひとり、私の一人息子であるマサくんを除いて。
結論から先に言わせてもらうと、最近、息子からなめられまくってると思う。
いや、断じてペロリスト的なそういう特殊性癖的な嗜好にはまだ走ってないよ?
そんなんじゃなくって、実子であるマサくんからイマイチ尊敬されてないんじゃないくさい雰囲気ってのがひしひしと感じ取れるんだ。
うん、なんかね? ほら、私ってさ、声優でしかも売れっ子じゃん?
そうなってくると私基本忙しいじゃん? 休みないじゃん? そんでもって飲みにも行っちゃったりするじゃん?
そんなようなことがあるから、私自身、ひとりの親としてあまりマサくんに接してあげられてないんだな、これが。
ひょっとしたら、私って親としての威厳が足りないんじゃないか、って思うこの頃でもある。だからこそ、ここはなんとしてでも、実の息子であるマサくんの弱みを握らねばいかんぞ、と。そんな思いが加速を極め、とうとうそれらが私のセルライトでおおわれた腰を上げさせるに至ったのだ。
いささか性急な発想じみてるんじゃないかと思うけれど、こうでもしなければ私はこれから先私の愛してやまない息子からあまり意識されなくなってしまうのではと結論づけたまでだ。それだけは、ぜぇったいに阻止しないといけない!
何より全ては私自身が不徳だったからに他ならない。
ならば、とことん自分がやるべきことを突き詰めていって納得のいくとこまでやろうと決めた。
かくして、私は行動に移った。
決行日は、ちょうど仕事が半ドンで終わった日だった。
私は、マネジャーのフクフクとバイバイしたあとに急いで家に帰って、マサくんの部屋に入った。そして、罪滅ぼしという建前も兼ねてから掃除機を片手に携えて私は、マサくんの弱みを掴みとるべく探り探りし始めた。
隈なく部屋を見遣りつ、カーペットの上から縦横無尽に掃除機の吸い込み口をあてがう。
勉強机。
クローゼット。
本棚。
寝台。
ついついありそうなところへと目を配ってしまう。
でも、一見して部屋はキチッと整理整頓がなされており、やましいというのは感じさせない。
腑に落ちない思いを抱きながら、ベッドの下の空間へと掃除機のノズルを突っ込ませたら、カサカサと何かが詰まったような音がした。何事かとノズルを引っ張り出すと吸い込み口の先っちょに纏わりついた様子のわら半紙が一枚ある。
強にされていたスイッチを止に切り替え、紙を手に取る。
くしゃくしゃになったわら半紙を、自ずと広げて見遣る。
そこには、『授業参観のお知らせ』と題されたお知らせが書かれていて、思わず私は目を見張った。
そう言えば、私って小学生の息子がいるのにマサくんの口からそんな授業参観のことを聞いたことなんてなかった……。
だから、授業参観なんて実の息子が入学してこの方、今までで一度も行ったことすらなかった。
私は愕然とするあまりその場で、膝から崩れ落ちてただ茫漠とした心境にひたり両手で携えた紙の上をただ眺めるばかりであった。
(てっきり一糸纏わぬ姿な
と、同時に私はここへ来て初めて自らの掃除の本音をあらわにした。
例の紙を片手に、そのままリビングへ。椅子に座した途端、なぜだか大きくため息がでた。
そして、夕暮れ時。とうとうマサくんが帰ってきた。
はやる気持ちをなんとか抑え、私はマサくんをリビングにと呼び出して真正面に座りあうかたちでもって問い詰めた。
「いったいどういうことなの? これは」
声は完全に震えあがっていたし、なにより状況的にも立場的にも有意なはずのこの私自身がとうに先の見えない恐怖により絆されてたからに他ならない。
もはや、破れかぶれ同然にとうの息子に対しチャージを仕掛けに行く。
けれど、実の息子はというとそんな私のアプローチを毅然としてブロックしにかかってきた。
「どう、って言われても」
「とぼけたって、無駄だよ。いーから正直に答えて頂戴。授業参観、あったんだよね?」
「う、うん。まあその、一応あったっちゃああったんだけれど、」
「どーしてそのことを今までこそこそと隠しておくような真似してたの!? どーして!?」
憤りと不甲斐なさも手伝ってか、少々威圧じみた声をマサくんにと浴びせかけた。
しかし、マサくんはというとそんな状況にさらされながらも、静かに言を返しにかかってくる。
「どーして、って。言っておくけど別に隠してたわけじゃないよ。ただ伝えてなかっただけで」
「それは、ち……違いますぅ~! そんなの、ものは言い様ってことなんですぅ~! 言うに事欠いて、ホウ・レン・ソウをうっかりしてたなんて調子のりすぎよっ!」
「乗ってない。調子、乗ってないって」
「乗ってますぅ~! 今、マサくんがどれだけノリにノってるかというと、ちょうどほうれん草の煮びたしを心待ちにしていたにも関わらず上に鰹節が乗っかってないのに食べ成すくらいには調子にノってるもん!」
「あ、ホウ・レン・ソウってそういうことだったんだ。報告連絡相談とかじゃなく。て言うかさ、お願いだからややこしい言い回し、止めてよ? なんか頭痛くなってきた……。」
「そっちは頭が痛くなってるかもしれんけど、こっちはもうずっとずっと胸の中が痛くてたまらないんだよっ。とにかく、悪気があるなしとか関係なしに、誰それに嘘をつくのはよくないんだから……」
そうまで言わしめた後、私は「ハイ、論破」と言わんばかりに腕組みしてから足を絡ませてみる。
すると、マサくんはというと目を伏した面持ちのまま人差し指のおっ立った右腕を私にと差し向けてきた。
「…………。」
スッ、と。
まるで、私になにかしらの『警告』を示しだしてるがごとく。
「むむっ!? なにかなっ、そのフィンガー・サインの本意は? いーい、人様に対して人差し指をこうして差し向けるなんてのは……」
「うん、わかってるよ失礼に値することくらい。そんなことはとっくに保育園で習ってるよ」
「ふ、ふーん。そっかー……、わ、わかってるんならいい」
「……気付かない?」
「え、なになにどゆこと?」
キツネにつままれた対応でもって実の息子のジェスチャーを推し量ろうとするところへ、逆に息子が促しにかかってきた。
すると、相変わらずピン! と、来ない様子の私を前にしていたマサくんはそれらを一瞥した後少しだけため息を漏らす。
それから、また改めて今までその伏し目がちだった目つきを私のほうへと真っすぐに切り替え始めた。
「母さん、もう一度、言ってみてよ?」
「なんでー?」
「い、いいからっ。ともかく、さっきまで僕に堂々と言わしめてみせた言葉を一部始終余すことなく、一言一句改変させることもないように言ってみせてよ?」
分からなかった。この子はこの期に及んでいったい何をわたしにわからせようとしているのだろう?
そんな疑問もあるにはあったわけだけれども、実の息子が至ってさもありなんな調子で抜かしてるわけだったからうかつにそれらを無碍にはできないと私は察知した。
「いーよー。仮にもしマサくんがそれで納得がいくんだってなら、何べんでも」
そこへ、息子が突如私の言葉を遮ってなおかつ私に対して、けしかけようとした。
「うん。長い前置きはいいから、言えるんならとっととはっきり言っちゃいなよ」
「なっ……!?」
今までにない高圧的な態度に私は露骨に顔をしかめた。きっと私はこの時とんでもない顔つきになってたんだろうなあ。
その証拠に、私が驚愕のリアクションをとった途端にそれらを目の当たりにしたとうのマサくんはというと、素早く顔を下へ向けだしたのである。相変わらず私に対し突き付けられた人差し指の位置はそのままにいておいて。
その時私は、ちろっと見てしまったのである。
微かだが、ほんの一瞬彼が私のしかめっ面を見、片方の口角を挙げていたのだった。
(へっへー、勝ったもんねーだ。えらそぶってかっこつけしい態度なマサくんを見事笑わせてやったぞーいっ)
完全に自分の中で趣旨は変わっていたが、私は心の中で実の息子に対して優越感を示しており幸せのトンボみたく舌をだして笑っていた。
なんて冗談は、さておいて。
「じゃー出血大サービスで、もう一回! これでダメならヨソの家庭にどうぞ?」
「ヨソってどこさ? まあ、いいや。早く」
「えっとー…………『悪気があるなしとか関係なしに、誰それに嘘をつくのはよくない』…………。あっ」
「今の自分を振り返って見て、感想は?」
「で、でもほら……い、言っておくけど別に隠してたわけじゃないよ。ただ伝えてなかっただけで……あ、あれれ?」
あからさまにとちり始めた私を前にして、息子が深く長い息を吐く。
「ねえ? うすうす思ってたんだけどさ、母さんって」
「な、なあに?」
「その、母さんて――――――馬ッ鹿じゃないの?」
「あべしッッッッ?!!!」
酷く冷酷に吐き捨てられた台詞が私の親心に、深く深く突き刺さったような気がした。
(い、言われてしまった。と、とうとう実の息子にそんなことを言われるなんて。し、しかも”うすうす”、って……と言うことは実際問題前々から私がずうっとマサくんからそういう風に見切られていたってことだしょ!? ああ、親としての誇りが、プライドが……なにより親としての威厳がッ)
心を圧倒されてしまった様子の私はというと、もはや自己保身に走らざるをえなんだ。
「だ、だってぇ。お仕事なんだから、忙しくなっちゃうのはしょーがないじゃんっ! それに、偉いさんらとお酒をご相伴させてもらうのだって、仕事の一環としてやってることだから仕方ないんであって」
次に私は決定的な必殺となる言葉のトライをマサくんに決められることとなる。
「へーぇ、お仕事、ねえ。そんなら、こないだの珠希さんたちとの打ち上げみたく、吐くまで飲みなすのも仕事のうちってワケですか? そーなんですか」
お、オワタ。
私、たった今完全に完璧にそして完膚なきまでに、息子からの返す言葉でもろ差しでござるの巻。
完全に力尽きる私。これを某ドラ○エ風に言い表したらば、「おお、声優よ。言葉で食っていってるはずが実の息子に完全論破されるとは、情けない。いや、むしろ子供と口喧嘩して負けるなんて大人として形無しすぎない?」
そんな構図だった。
ショックを隠せないようでいるうち、そんななかマサくんはさらに私に衝撃的な言葉を掛けてくる。
「授業参観は別に母さんが来なくたって、別になんてことないんだよ。だって……全部父さんに代わりに出てもらってるし」
「ぱ、ぱーどぅんッッ?!」
私は咄嗟に驚いて、テーブルに身を乗り出しながらマサくんに問うた。
「わっ、わっ、わっ…………! わっと・どぅー・ゆー・せいッッ?!」
「なんで、英語ナイズドなのさ。えっとさ頼むからさ、日本語で話してくれないかな」
「きゃにゅーせーいっ・ざっと・あげいんっ!! ぷぅりぃぃ――――ずッッ!!!!」
「あの、ごめん。プリーズしかわかんない。いや、”お願い”にしたって肝心の内容が解読不可能に陥ってるからどの道なんの”お願い”なのかを明確に示唆してくれないと、こっちとしても非常に承服しかねるんだけれども」
極めて沈着な態様を見せてくる実の息子を見、私も自然と調子を落ち着かせ
ていった。
「ご、ごめんねっ? えと、さっきの言葉をもう一度いってちょうだい、お、お願い」
「うん和訳、お疲れさん。うん、だから普段僕の授業参観にはいつも父さんに出てもらってるんであって」
「お、おかしーぢゃんっ! な、なななっ。なしてっ、そこで
ちなみに清武さんこと、
「うん。小学一年生のころからずうっと父さんには出てもらってて。最初の授業参観の前日くらいに父さんから電話が掛かってきたときに思い切って父さんに相談してみたら、翌日の学校に本当に来てくれたってのが始まりかな。もっと言えば、授業参観以外の学校行事。例えば、運動会とか学芸会なんかもそうだし、PTAの父母会にも出てもらってるんだ」
「えっ……! ふ、父母会? そ……そんなん、あったの?」
あまりの破壊力に、私は声を震わせて落胆していく。
小学生の子供を持つ親なら知っていて当然なイベントを、私はすっかりと今の今まで失念させてしまっていたのだ。
忙しさにかまけて日々の子育てをおろそかにしたツケが回ってきたのだとこの時、実感した。
「が――――ん……」
ショックさが余りあって、つい、口にと出してしまうほどである。
もうなんていうか、ね?
親の威厳云々なんていうものは、どうやら最初っから私には備わっていなかったということがよーく分かった気がした。
だって、あたりまえじゃん。
本来私が居座ってしかるべき『家事』・『掃除』・『子育て』のポジションには、もうすでに他の家族らの存在に取って代わられてたのだから……。たとえ自分という存在がいてもいなくっても、畢竟、世界はちゃあんと回り続けられるのだという事実を真正面から突き付けられたような気分だった。
「か、母さん? 大丈夫、ものすごい落ち込みようだけれど」
しかーし! こんなところで、やられっぱなしでいるかなかなちゃんではなかったのであーる!
私は身も心もズタボロ同然となるもなんとかして態勢を立て直し、改めてマサくんと向かい合った。
「……き、決めたわ。たった、いまっ」
「何を決めたのかしらんけどとにかく、一旦冷静になって……」
「マサくんッ!」
「は、はいっ?!」
私が突如として声を張り上げると、それに追随するかのようにマサくんはおっかなびっくりの裏返った声でもって驚愕のリアクションを取り始める。うむ、かわいい。
一度、深呼吸して自分のリズムを整えてから、再度マサくんに向きなおって堂々とこう宣言してみせた。
「今年の授業参観は、清武さんじゃなくって私がでまっす!」
☆☆☆☆☆☆
七月下旬。
夏の陽光が燦燦に煌いてはそれらが茹だるような暑さとして、しばしば人々を不快にさす大気として渦巻く今日この頃。
高くそびえ立つ秩父連山の尾根は地元民どもに「越えられない壁」を意識させるには十分なほどで、まさに国宝級と言って差し支えないくらいの見事な鯱張りっぷりである。
尾根のはるか先に向けて下から強く突き上げたかのような空はというと、実に晴れ晴れとしてて、もうもうとした積乱雲が大きく沸き立ちその姿を覗かせていた。
日本の関東地方に属する、そんな一自治体。ひと呼んで彩の国――――”埼玉県”。
そんな埼玉県のとある市内にて、学び舎が構えられる市立・高塚小学校では男女児の音声が交ざりあって、校舎をゆうに飛び越えグラウンドのほんの片隅にまでその声が響き渡っていた。
時刻は、まもなく真昼間へ差し掛かろうとしている頃。
鉄筋コンクリートの最高階層4Fで建造された市立・高塚小学校の最上階部分、四階にある六年一組の教室内からは、突如としてこんな声が聞こえてきた。
「ア、アカ――――ン!」
もろに関西弁調なリアクションで発せられた大声に、男女に関わらずその場にいたクラスメイトが一斉にそちらへと振り向かせた。
視線が一極集中されたその先には、驚愕の感情のあまり大仰そうに頭まで抱えていたクラスメイト、金森航平が自らの席にて立ち尽くしていた。
なんだなんだ、と。
何事かと踏んだクラスメイトたちが、それぞれ勘ぐり始め、あたりがざわざと散らつきはじめる。
すると、それらを見越した様子であった、航平の傍にて座り控えていた聖也が皆の前で衝撃の種明かしを披露してみせた。
「はぁっ」
小さくため息を掃ってから、調子を整えだすと。
「コウ。お弁当、持ってくんの忘れたくらいで、慌てすぎだってば」
言われた航平はと言うと、至ってさもありなんな感じであっけらかんと応じる。
「せやな。それも、そうやなあ。アッ、 ハッハッハッハ」
高笑いと仁王立ち然な航平を見、一転して杞憂に終わったと察した他のクラスメイト連中はというと、それから皆もといた日常へと還り溶け込んでいった。
落ち着きを取り戻してから一分も経つ間も無く、六年一組のクラスは再び賑わいに包まれていった。
皆、それぞれが好きなもの同士で机をくっつけあって、昼食の持参弁当でもって互いに饗していた。
そして、それは同じく教室に居わした聖也・航平達も例外ではなかった。
やはり、彼らも周りのクラスメートよろしく、木机をぴったしくっ付け合いながらも互いに顔を正面から向き合わす感じで並び座り合うのであった。
その場を茶化した風に、航平は再び自席である木椅子へと座りなおした。
「いやあ。笑った笑った、笑ってしまいよったわー俺」
無邪気そうに続けている親友に対し、聖也が一言。
「随分、楽しそうですねぇ。お弁当忘れてんのに凄まじい元気っぷり、尊敬しちゃうよ」
「なんやねん? その、いやみったらしいべしゃりは。お前こそ、」
航平はそこまで言うと、今度は聖也の机上にて置かれたブツに目をくれて。
「はぁ~……。めっちゃ美味そうな弁当をこれ見よがしに食うてんのに、なにを浮かない顔をしくさっとんねや」
トンと、自身の机上に手の平を乗せてみる航平。
顔つきはどことなく疑心に満ちているようで、ザッと足を組む。それから、先ほど来机に置いた手とは逆のほうの手で、顎に添えた刹那頬杖ならぬ顎杖の状態のなか相手を鋭く見据えた。
かたや、向かい合って聖也はというと。
「……な、なにさ?」
手中の割り箸の先端で取り留めもなく空を抓んだ状態で、緊張のあまり萎縮しきっていた。
(な、なにこれ。ひょっとして、僕、事情聴取されてるっ?)
そう考えたあまり、夏の暑さも手伝ってか。
額には脂汗背中からは冷や汗が伝い、彼自身非常にただただ汗ばむばかりである。
「まァまァ。そんな固くならんで、どうぞ、俺に構うことなく続けたってくれや。昼食を、ジュルッ!」
「よだれよだれ! わーかったよ、ほらっ。コウ、僕のお弁当食べていいよなんならそっちの方にぜーんぶ寄越すから」
「マジかァ、マサ! ……い、いやいや、いやいやいやいやいやいや。いくらなんでもそれは悪いわ~。無理繰りお前からかっぱらう感じがして、したらもう俺、明らかに
「そんな、縋るような目つきでもの欲しそうによだれ垂らした様子の悪者がいるかっての。僕はいいから、どうか勝手に食べちゃってくれよ」
「……ほ、ほんまに、ええのんかマサ?」
最終決定を待ち望んで固唾を呑み下す、航平。
(すでに受け入れの態勢は万全なんじゃないか)
プッ、と一息を吹き出させてから、ひとり滑稽な雰囲気にと晒されている航平を見遣って声を掛ける。
「どうぞ。さあ、遠慮なく召しやがれー……ってか」
「なら、遠慮なく頂戴させてもらうわ! いただきますぅっ」
航平はそう言ってなんの躊躇うことなく、聖也が持ってきた弁当に主菜・おにぎりにと手を伸ばし始める。
3個あるうちの、航平自身からみて右端のを取り出してみると何やら紅いものが点々として在るのが見えた。
よく見るとその赤みの正体は柴漬けであり、それ以外のおにぎり二個にも目いっぱい埋め込まれているでないか。
片手では収まらないほどの大きさのあるそれを前にし、一旦間を置くなぞしてから、いざおにぎりを頬張り始める。
もくもくもくもく…………。
ハムスターみたいに頬をぱんぱんに膨らせながらも、ゆっくりと咀嚼していく。
ゆっくりと、口内の食塊を喉元へ送った後嚥下さす。
「うん、うまい!」
清々しいまでの、サムズアップを親友聖也へ送る。
乾いた笑みを浮かべ、聖也が返答した。
「そりゃ、よかった」
そこまでいうと、それから、と言葉を紡いでおかずの敷き詰められたパッケージをと差し出して。
「おにぎりだけで無しに、こっちもどうぞ」
十センチ四方のプラスチック容器によって内包されし、主菜・副菜群それらが確認できる。
航平が右手人差し指それから親指とを駆使して、おかずのひとつをつまみ上げる。
スライスされた極太サラミの上にとろけたチーズが載っかり、ブラックペッパーを軽く散らした一品。
意気揚々と食されていく。
「うまいうまい!」
航平は間髪をいれずに、続けてもうひとつのおかずに手を伸ばす。
「どら、どら。続いてはこの竹輪さんの穴に酢キュウリを通した一品をばっ……うまいっ! 先に食したおにぎりとサラミとでしょっぱさによって支配されまくった状態の口ン中に、ちくわのふっくらした食感と甘みが放り込まれたことによって相殺されるだけで無しに後から浅漬けのキュウリが追い付き、結果口ン中はさっぱり&すっきりさわやかやァァ――――ッ! ま、まるでっ、ディープ・インパクトが引退試合として迎えた有馬記念において繰り出された怒涛の追い上げを観ているかのようなそんな気分やんな~!」
止めどなく飯への感想を述べだす航平を尻目に、聖也は至って冷静に言を発する。
「おー、そうかいそうかい。でも、ちゃんと野菜も摂らなきゃあ……ほら、ほうれん草の煮びたしに鰹節かけたやつも、喰いなよ」
(母さんが酒盛りの延長で作った弁当をよくも、まあ。……見てるだけで口の中がしょっぱくなりそうなのにそれを完璧なまでに美味しく食べなすとは、流石は、居酒屋の息子は伊達じゃあないな。どれもこれも、居酒屋にてメニュー提供されてそうなものばかりなのに、それらを全く意に返すこともしないなんて)
気持ちを込め過ぎて、一転して親友に皮肉めいた感情を抱いた風になり聖也はそんな自分を嘲笑った。
「……フッ」
するとひとりきな臭い空気に浸る様子の彼を前にして、航平は食べるのをやめ、改めて聖也のほうへと向き直った。
「なんや、マサ。今日の態度は、一段とスカしとるくさいなぁ」
「そうかな? 僕はいつも通り平常運転だと思うけれど。……そういや今日もいい天気だなあ。暑そう」
韜晦しきったふうに、突然、自分らが身を置いてる教室から外を覗いて晴れ模様を捉えはじめる。
「うん、夏やからな。暑いから汗かくのも当たり前——、って誤魔化すなよ」
口元に先ほど来食したおにぎりのご飯粒、文字通りの意味で「お弁当」をばっちりと残したままで突っ込んでいく。
それから、取り留めもない様子で航平は黒板のその上を見遣った。
壁から突出した校内放送用のスピーカーのわきにかかげられた時計の内側が示す時刻を見、再度呆気の取られた顔を浮かべたままな聖也に視点を切り替えると、航平は不敵に笑ってみせた。
「ハハン、さては『授業参観』のことやんなあ? 『よせばええのに今日は親がわざわざ自分の子供がいち生徒として真面目に勉強に勤しんでるかしかと見届けにやってくるから、緊張のあまりおまんまもロクに喉とおりませーん』って、そんな感じやろ」
「ご明察、コウ」
聖也・航平が通う高塚小学校では、毎年学期末に授業参観を実施している。
それに加えて、給食の配給も授業参観と同時期にストップする。
だからこそ、今日のふたり引いては、六年一組のクラスメートを含めた生徒全員が持参した弁当で昼を過ごしているのだ。
くつくつと、笑いを抑えめに航平がさらに聖也に対し言う。
「やっぱり、なあ。でも、なんでなん? お前に限って言えば、そんな不安とは無縁やないんか?」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「だってぇ、いつも授業参観になるとお前のお父はんが決まってくるやんか。背もスラッと伸びとるし、おまけにシックなスーツ着こんどる出で立ちや。めちゃめちゃカッコいいことこの上ないやろ!? それに引き換えウチのババアときたら」
「こらこら、仮にも自分のことを産んでくれたお母さんにそんなこと言わないっ」
「べっつにぃ? 俺が、産んでくれーだの取り上げてくれーだの頼んだ覚えないしぃ、第一俺のほうがよっぽど親が授業参観にこられて迷惑する思うわいね」
「ええ、どうしてさ」
「ウチのオカン、恰好がケバケバしいねん! 毎年毎年、飽きもせずようあれだけ自分の容姿いじれんなあって感心するがな。すさまじい化粧の気合いの入れようっぷりときたら、あのレベルまでくるともはや山姥じゃ! それになんでいつもいつも授業参観を迎えると、髪ぃ染め直すんや。そして、なぜよりにもよって金髪をチョイスする?! 日本人ちゃうんかい、うちのオカンは!?」
勢いあまった拍子に、今度は自身の机を思いっきり叩いてみせた。
そうとうな憤りっぷりを垣間見た聖也はというと、一旦、眼前の親友に対し制止を呼びかける。
「ま、まあまあ。落ち着いて……で、でもあれだよね? 実の子供の晴れ舞台を見届けたいから、そうまでしてオシャレに気をつかうってのもまた、親心ってものだよ? ……た、多分?」
「どんだけ、頼りのないエールやねん。まあ、ええわ。それで、そんなんやから俺いつも授業参観の申し込み用紙は隠しとんねや」
「えっ、でもじゃあどうして授業参観に来られるのさ?」
「したらば、こう考えてみィや? ええか、例えば精一杯頭
「……ホラーかな?」
「それすら通り越してもはや、ギャグといったところやでホンマ。だってぇ、ホンマに笑うしかないんやもん。なんでやろ」
「ちなみに隠し場所って、どんなところ?」
「うーんと、その時々によって違うけど例えば今年はベッドの下とか、去年は勉強机の二番目の引き出しの奥で一昨年は、」
流暢に思い出をつらつら述べていく航平を前に、自らの経験と照らし合わせて聖也はこう思った。
(そりゃ、すぐ見つかるわけだ。てゆうか、航平ってば……)
「て言うか、コウってば、」
「あン? なんや、どした」
「うしろうしろ」
パッと振り返る。
そして、航平はその先を見据えた瞬間に後悔ないしはひどく懺悔の境地に追いやられたようであった。
突如として押し寄せてきた負の感情が彼の心を侵食し、とうとう彼は今の自分の表情すらそれらに絆されてしまうのだった。
たった今、航平が己が瞳にて宿しているその姿はというと髪は金、化粧はこれでもかというぐらいにファンデーションが分厚く塗られており、極めつけは前時代の遺物のような代物にしかみえないそのヒョウ柄のドレスを着こなす一女性の姿であった。
しかも、なにがあったのやら、全身が震えておりとうの女性の目つきは怒りに満ち溢れていた。
そして、そんな様子を前に、航平はかすっかすの声を振り絞り言う。
その女性の、正体をば。
「……お、オカン」
「誰の恰好がケバケバしい、やとォ? アンタが弁当忘れてしまいよったからいうに、弁当届けるついでにこっちは予定前倒ししてわざわざ早めに出向いたんやが?! ……よう、そんな大口叩けたなぁ、こンの親不孝モンがァ! じゃっかしぃわ!!」
「ひ、ヒィィ――――ッ!!!! お、オカンンンン????!!!! かッ、堪忍、堪忍してくれェェ――――――――ッッ!!」
「こンの、ボケナスのアホンダラがァァ――――――ッッッッ!!!!」
只今、盛大に実の息子に対して折檻を実施している親友の母親というそんな光景を尻目に、聖也はひとり思う。
(どこの家庭でも母親に振り回されるってのは、変わらんわけなのか。コウは授業参観にうちの父さんが来ることをご所望なようだったけれど、生憎今年の夏はその期待に応えられないんだよね。だって――――――――今年は、よりにもよってうちの母さん、なんだよなあ……。)
天井を仰ぎつつ、自分なりに考えを巡らしていく。
頭で考えてもキリがないので、心の隅に追いやるとそれから柄にもなく、神に祈りを捧げ始めだした。
(ああ、神様。どうか僕に
そして、そんな彼の願いは彼自身全く得体の知られぬ形でもって、神の身元へ聞き届けられるのである……。
☆☆☆☆☆☆
「つまんなぁい……」
そのときかなえは、辟易としていた。
なぜなら、自身が現在進行形で乗りなしている列車が、線路上にて途中停止してしまってるせいだ。
原因は、総武線での列車のエア・セクション部分における長時間停車からなる、架線熔断である。これによって電気供給系統が完全に支障をきたし、その結果総武線を初めとする副都心線・丸の内線・中央線それから山手線にまでダイヤの乱れが波及しだしたというのが真相だった。
幸い山手線は電気供給系統に問題はなかったものの、完全に煽りを喰らってしまいかなえをふくめた車内の全乗客は大混雑かつ総待ちぼうけ&立ちぼうけという憂き目に見事晒されていた。
「う~~~~……人混みは嫌いじゃないけど、イモ洗いな目にあうのはヤダぁ……」
自身の出演する定例ライブにて大勢の観客を前に立たされる環境にはめっぽう慣れているものの、それ以上に圧迫感やら熱量らが圧倒的にかなえの経験値を上回りにかかるのでそこまで抑制がきかなかった。
かなえは、『待つこと』は嫌いじゃなくても一方的に『待たされる』ことは何よりも大嫌いな性格であった。
周囲を見渡すと、人。人。人ばかりが溢れかえっているのが嫌でも目に入る。
どうしようもなく見上げた姿勢へと切り替える。すると、『さあ、飛び出せ!』とでかでかなアオリが眩しい笑みを顔に浮かばすモデルの写真のわきに配置された様子のトラベル会社の中吊り広告が目に入った。
そしてその中吊りが、それよりもさらに上の位置からくる冷涼たる空調な風が吹き付けられており、たなびいてそれがとまることはなかった。
そんな様子を垣間見て、挑発されたように感じたかなえは軽く舌を打った。
(なーにが、飛び出せよ。一番飛び出したいのは私なんだっての)
いっそ背中にジェット・パックかなんかを括りつけてこんなごみごみした所から、バイバイしてしまいたい。
強くそう思い始めたそんな時であった。
車内アナウンスがともなく聞こえてきた。
《お客様にお知らせします。ただ今、総武線にて発生した架線熔断における大規模停電事故の影響によりいくつかの鉄道幹線につきまして、一部、ダイヤの乱れが生じております。謹んでお詫び申し上げますとともに、現在、各緊急停止車両に乗り合わせてしまったお客様方につきましてはできるだけ早急に最寄り駅のホームにまで車両を移動させますので、どうか皆さま安心なさった上でその場にて待機しててください……》
いや、安心できねーよ!
と、この場に運悪く乗り合わせてしまった乗客らは確かに心を一つにさせて、そう思った。
客どもの言い分は至極全うなものであった。幸いにも停止したのは架線での電気系統からくる供給だけであり、各車両に積まれた予備電力装置によって空調システムにはなんら影響は見られなかったので依然として車内はその涼しさを保ったままである。
これで、冷房すらままなければ今頃は列車と言う名の鉄の箱が蒸し風呂と化し、暑さで我を失った乗客らによって暴動がおこり最悪窓を蹴破ってでも出ようと乗客が危険行為にまで及び、最寄り駅まで総スタンド・バイ・ミーする光景が広がっていたに違いない。
しばしの間かなえを含めた乗客全員が安穏と神妙さによって板挟みになっていると、程なくして列車全体が再稼働し始めた。
カタカタと、鉄道レールの下に敷かれた枕木がその轍に合わせて音を立て揺れる。
ゆっくりとではあるが、着実に前進したという前向きな情報はこの場にて乗り合わせた客人らを軒並み安心さすには十分なものであった。
ただひとり、国吉かなえを除けばであるのだが。
(はぁ~、やれやれやっとこさ、どうにかなりそうだよ……。思い起こせば、三日前にセーブさんから授業参観の出場権利をやっとこさ剥奪できたと感じたのも束の間、フクフクから授業参観当日に急なアフレコが入ったってお達しが来たもんだからその時は”やれやれ”と思う気持ちとは裏腹に”仕方ない”って気持ちも芽生えたけれど。その上、電車が途中で停車するなんて……ホンット神様って天の邪鬼な性格してる割りには、あんまし幸せにはありつかせてくれないのねっ。そんなお痛なマネしちゃうイジワルな神様に下れ、天罰っ!)
かなえが神に仇成す覚悟をひとり車中にて掲げてると、やがて鈍行列車は最寄り駅のプラット・ホームに向けてじりじり進んでいく。
すると、かなえがそれに気付きプラット・ホームにて掲げられた駅看板の駅名を取り留めもなく呟きはじめた。
「あ……”秋葉原”」
こうして、かなえに様々な災難が降り注いだ結果。
彼女は肝心である息子の授業参観のための学校にはたどり着かなんだものの、着の身着のまま秋葉原へと降り立つこととなった次第である。
☆☆☆☆☆☆
不慮の事故に見舞われ、かなえはあえなく秋葉原へと参上仕ることとなった。
秋葉原駅のプラット・ホームへ移ってから、エスカレーターを下る。秋葉原駅電気街口の自動改札機で入場を済ますと、そこから五、六歩足を使うとすぐさま真正面にて秋葉原UDXなる巨大建造物がありありと聳え立っているのがちょうど見て取れた。
「……でっかいわあ」
茫然と、見ていたかなえがありのまま何の取り留めもない様子で呟いた。
「でっかいわあ……まるまる、でっかいわあ」
かなえは、無意識のうちにそうして、さきほどの言葉を繰り返し述べていく。
しているうちに、自分が空ろにて発したフレーズが何かを示唆するアレ的なアレだというのにふと気づいた。
なんだったっけなー……。たしか、なんかの歌の歌詞だった気もするしぃ、うーんもやもやするなあ。
なんだったっけなー……。だれかに名前言ってもらったら一発で思い出せそうなんだけれど。名前……そう、たしか、人の名前とかも入ってたような気がする。なんだっけなんだっけ。
(山田……田中……中村……村本……本山、ってこれじゃあまた”山田”に逆戻りしちゃうじゃん! とにかく、もいちどっ。えっと、佐藤……藤川……川中……中杉……杉石……。ん? 石? そうか、”石”だ! ”石”が名前につくのよね! ……通りでここへ来て建物の感想を述べた途端に既視感が湧いてきたと思ったら、昔ぶりに聞いたことのあるテーマソングの歌詞と被ってたんだわ! そう、そしてその歌詞は――――)
「”電機のことなら、石……”」
「いらっしゃいませ、秋葉原へー! 炎天下のなか、ようこそおこしくださいましたー!」
それは、あまりにも唐突であった。メイド服を着た女性が何の前触れもなく、かなえの目の前にと現れたのだ。
膝丈までのエプロンドレス。ホワイト・ニーソックス。そして、あたまにはフリルがまんべんなくあしらわれたホワイト・ブリムを備え付け。
如何にもなメイド衣装、といった赴きだった。
検索エンジンなぞで、『メイド服_秋葉原』みたいなサーチをかければ『もしかして:メイド喫茶』といった結果になる具合が鑑みられそうな、あまりにも典型的な出で立ちに他ならないとかなえは踏んで見た。
とにもかくにも、かなえは当のメイドによって思わぬ横やりを入れられた形となったわけである。
「”石……”」
「はい~? 石がどうされましたか~?」
「……”電気のことなら、石田衣良”~?」
「はわわっ!? 唐突な小説家宣言?!」
「ご、ごめんなさいね? お、脅かすつもりはなかったのだけれど、あなたそのー……石田衣良っていうか、石平(いしたいら)っていうか、胸
「どっ!? どこ見て、言っておられるのですかあ?! アケミですア・ケ・ミィ! ほら、ちゃんとネームプレートも腰に付けてあるでしょう」
「あら、ほんと。……てな感じで、胸平らさんに六千点!」
「あ~ん、なんでこうなるの~!? この人さっきっから私の胸にしか、目ェいってないんですけど~?! やぁだ、もう、本当にィ~~~~!!!! まじセクハラ~~~~!!!! いや、まじでナイんですけどぉセクシャル・ハラスメントォ~~~~!!!!」
☆☆☆☆☆☆
電気街口付近でのひと悶着も一旦幕引き。
かなえはというと道中にて出会いしメイドの恰好を身に纏った女性・アケミに先導されるままに、ある場所へと向かっていた。
テクテク、と。アスファルトの道なりを踏みしめ、かなえはアケミのフリルのひらひらを視線で追いかけるのに集中させながらついていく。
かなえもまた渡りに船といった様子で、船頭を担うはアケミに対してほんわかそうに尋ねた。
「ねーねー、胸平らちゃん。 私って、これからどこに連行されていくんかな?」
「ですから、私はアケミなんですってばぁ! それにしても、連行って……。あなたは私が、警察官の恰好をしてるように見えるとでもおっしゃられるので?」
「いやあ、ただ、万世橋のお勤めなさってるお偉いさんもとうとう市民のニーズに答えてくれるんなったのか、と」
「……ここで、この装いだったらきっと警視総監はゴスロリ衣装でしょうね」
「いやっ、ビキニ・アーマーの女戦士の恰好でしょ! 」
「……もし、この国の警視総監がそんな恰好してたら私は日本を捨てて亡命しますよ。台湾とか、フランスとか」
その極めて他愛もない話し合いはしばらく続いたのだった。
その間かなえはまったくもって悠々に、あるいは、その場の流れ的にとくに疑問も抱かずについぞさっき出会ったばかりなメイドのアケミとともに往来を突き進んで行った。
もし乗り合った電車にてトラブルが起こらなければ愛しのマイ・サンが待ちかねているであろう実子の授業参観の現場へと向かっていたはずだったかなえだが、このときのかなえはひどく落ち着いている様子であった。
慌てているという印象からはまったくもって正反対ともとれるような顔の精悍さで、なによりも、現時点で彼女が身に纏っている、ひざ丈までの長さのある黒色のワンピースすら卸したてであるにもかかわらず衣服の状態に構うことなくすっさすっさと堂々とここ秋葉原の路上を練り歩く始末である。ちなむと、この黒のワンピースであるのだが、数日前に実の旦那から授業参観の権を奪取した当日に彼女自身の息子である愛しの聖也からの直々の命令で以ってして聞き届けられた産物だった。
さて、どのような命令だったかと言えば……。
「別に来てくれるぶんには一向に構わないけれども、それはともかくとして、まずは当日着ていく服をなんとかしてよね? ……まさかとは、思うけどその恰好で来るのだけはやめてよ。平たく言ってみても、そのよれよれのピンクTはまず無いよね」
息子の聖也に言われるがまま、二十年来に亘って着古してきたシャツを泣く泣く箪笥へとしまい込んだ。その翌日にブティックへと赴き、落ち着きの取れた印象の黒のワンピースを無事購入せしめる。
そして、授業参観当日の午前中いっぱいにかけてアニメの収録があったのでかなえは例のワンピースを見に纏った状態そのままで仕事へと向かい今に至る。
かなえ・アケミのふたりは互いに額を汗で滲ませつつも、ある場所へと向かって行った。
やがて、明らかとなった。
アケミによって連れられてきたかなえは、とある雑居ビルがそびえ立つ光景をとその眼前に焼き付かせていた。
「着きましたよ—―っ!」
「ほうほう。して、胸平らちゃん? ここはなんじゃらほい」
「だーかーらぁ! わったっしはぁ、『アケミ』なんですってばぁ! ……こほん。えーと、こちらはァ私が働いてるメイド喫茶・”か~ね~しょん”が組み込まれてあるビルでございまぁす!」
☆☆☆☆☆☆
エレベーターにふたりして乗り込み、操作盤の前に率先してアケミが立ちそれから操作の手筈にはいる。かなえはというと、エレベーター奥へと陣取っておりそこから先の通りの様子のアケミをありありと見据える。
するとかなえから見て、アケミは”6”のボタンを操作盤のなかから迷いなく押し始めた。まもなく、とうのアケミによって押された”6”のボタンがパッと、オレンジ色に灯される。
ふとかなえが視線を外して自身らが先ほど来利用した出入口の上へと切り替える。
そこには、このビルの各フロアにてそれぞれにどのような赴きが組み込まれてあるかを簡易的に示したガイド板があった。
・1F……中古テレカショップ ”ホビー・フェア”
・2F……カレーハウス ”ゴリラのサフランライス”
・3F……メイド喫茶 ”か~ね~しょん”
・4F……メイド喫茶 ”か~ね~しょん”
・5F……メイド・グッズショップ ”か~ね~しょん・しょっぴんぐ”
・6F……メイド喫茶 ”か~ね~しょん” (本店)
以下のように書かれてあるのを見て、かなえはこう思った。
(ほぼほぼメイド喫茶だよ、このビル! このフロアの占有率からしてもうほぼほぼこのビルのオーナーだよ、件のメイド喫茶! つーか、さりげなくグッズショップねじ込ましているあたりここのメイド・ビル経営者から発せられるマネーの虎っぷりが尋常ではないってゆー具合にうかがい知れるんですけど! そもそもメイド喫茶のグッズってどんなんよ?! メイドさんのブロマイドとか、あこがれのメイドさんとの握手券とか?!! ……そもそも、とっくにこのビルに本店は構えられてるっていうのになしてこんな同じところに支店を置いてるワケ? 果たしてそれは、本店と分ける意味あるんかいな?!!!)
そうこうしているうち、ピンポーンという小気味いいベル音が内部にて響いた。
かなえが音を察知してから、瞬時に上の電光板をみあげるとそこには”6”の数字が液晶パネルに表示されていた。
目的地である本店へとたどり着くなり、アケミはほんの少し首をひねって顔を後ろにいるかなえに向け、言う。
「おまたせしました、”か~ね~しょん” 本店へようこそおいでくださいました――――お嬢様っ!」
エレベーターのサッシが開き、アケミにどうぞと前にと導かれる。
かなえからみて右側には、非常階段へと通じる入口が扉を開かせたままの状態で構えてるのが見える。
後から降りてきたアケミに、ささコチラですとガラス戸のほうへ促される。
「『おかえりなさいませ――――――!!!!!! ご主人様――――――!!!!!!』」
響きわたる、メイド服を身に纏いし女性の若人の重合音。
たちまち圧倒されたかなえは、驚いたあまりに取り留めもない感じに呟く。
「うおおお。す、すっごーい……まるで、声優養成所の生徒みたいな声の出し方しているっ」
「ぜぇーぜぇー……うふふっ、さっすがお嬢様はお目が高いのでございますねっ! ぜぇー、ぜぇー」と、アケミ。
とっさに先の言を発したアケミのエプロンドレスごしからでも、その貧相さがうかがい知れる平らな胸から気付かれないよう視線をサッと上げて彼女の顔を見遣った。
冷房は利いてるもののまだきたばかりだからだろうか、とうのアケミ本人は相変わらず顔に汗を滲ませ篤く息を発しているようだった。
よかった、お胸をみたことはばれていないみたい――――そんな結果にそっと安心感を見出していたのでとうのアケミの挙動は対して気にも留め置かないでいた。
すかさず、アケミがかなえの疑問に答えようとしたところ。
「実は、ここにいる私を含めたメイドたちは全員――――」
突如として、唐突に現れたもう一人のメイドによる声で遮られた。
ピカピカと光り輝く、まばゆいばかりのアルミ盆の上に氷水の入ったグラスを乗っけてここにと持ってこられた。
「アケミちゃーん! お外で長いこと、客引きお疲れぇ~……あら?」
「めッ、
そういって、店内奥からやってきた店長をアケミは気遣った。
かたやアケミから見て逆向かいの立ち位置にいる店長なる女は、突如としてその歩みを止めアルミ盆の上に氷水入りのグラスを置いたものを両腕で以って携えたままにじいっと見遣る始末だった。
また、女は目元をすうっと細めきそれからかつかつと靴の音をかき鳴らしてアケミとそれにくっついてやって来たかなえの元へと急接近しだす。
駆け寄って来る間に、グラス内部に積み込まれた氷はカシュン、とつんざいて水中を流動しはじめる。グラス表面を取り囲むかのように表れた結露が、一筋、底のほうへと向かって垂直に流れ落ちる。
「んん……?」
かなえとアケミの元へとやってきた女はそれから、上半身を前かがみに傾倒させた。
怪訝そうに、それから、何度も反芻させてくかのようにかなえの顔を見た。
「もしかして……」
一方で、全く持って皆目見当がつかないでいるアケミは、先の言を口走る店長を前に疑問を呈した。
「あ、あのう。め、メイドちょ~? なにか、おありでしょうかっ?」
己が職場上の上司による突飛な行動を目の当たりにして、アケミはすっかりと目が点になる。
じぃ~~~~っ、と先ほど来かなえを睨むかのように視線を傾注させる女。憮然とした風体でもってただひたすらその場にて身構えるばかりなとうのかなえ。……そして、そんな両者に挟まれつつも互いの顔色を見比べないしはご機嫌伺いにと走る様子のアケミがここメイド喫茶にはあった。
「『………………。』」
妙な沈黙がひたすらに、渦巻く有り様だった。
すでに一番最初にかなえを出迎えてくれたメイドたちはすでに、自然解散してそれぞれの持ち場にと戻られているし同じく店内に在中しているお客らもまた有象無象な感じにとただただ現場を盛り上げに掛かっていた。
メイド喫茶という喧噪の中にぽつりと浮かび上がるかすかな沈黙のあぶく。
ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆらとゆらめいている。
以外にも、そんなブラック・ゾーンを真っ先に破りに行ったのは新参者のかなえだった。
それも、あまりにも以外すぎる言葉で破られた。
「もしかして……”すー子”ォ?」
それを聞いたアケミは内心、ええっ、と大層吃驚した様子でかたやかなえと向かい合わせになっている上司に視線を送った。
すると上司は、今まで薄目めいた瞳をすうっと見開いてみせ、あっけにとられた感じに言葉をかなえにと返した。
「そういうアンタは……”カナ”ァ?」
またもや、内心にと一驚を喫する様子に陥るアケミ。
向かい合う二人の態度と、推定本名ではない互いに呼び合う名称。
判断するにはいささか判断材料が少ないとさえ思えたが、それでも、ここにいるアケミがなんとなく二人の関係を理解し終えるには無理もなかった。
(も、もしかして……二人は…………いわゆる――――)
アケミが精査的な判断を下す寸前、それより先に彼女の上司であるメイド長こと”すー子”が動き出した。
「やっぱり、そうだわっ! カナ……ひっさしぶりぃぃぃぃ!」
感情が抑えきれぬあまり、”すー子”は今まで携えていた盆を乗っけていた氷水入りのグラスごと明後日の方向へと投げ捨てた。
それから、空中へとほおりだされたグラスを追いかけるべくアケミが反応した。
「うっ、うわああああ! め、メイド長っ! ぐ、グラスがああああ!」
その次にかなえこと、”カナ”が喜びに打ち震えている様子の”すー子”の手を瞬時に取り持った。
「わ、わたしもっ! ほんっとおひさしぶりっ、すー子ぉぉぉぉ! だ、だってっ。 あ……えェ――――ッ?!」
「てゆーか、何でっ、こんなとこにカナがいんの!? なんでぇ?! いや、ほんっとなんでなん?」
「そっ、それはこっちのセリフだよっ、すー子ぉ。 そもそも、その恰好……エプロンドレスにホワイトブリムッ。おまけに、メイド長って肩書きということはつまり……そういうことなの?」
「おっ、落ちる落ちるゥゥゥゥ!!!! お盆もグラスも落ちるゥゥゥゥ!!!! みんな避けてぇぇぇぇ!!!! 危ないぃぃぃぃ!!!!」
蜘蛛の子散らすかの如く、アケミの大仰な声に大層強く応えた感じの客及びメイドたち。
現時点で弧を描くかのように落下しにかかってる盆とグラスをしかと目で補足し終えるやいなや全速力で、落体の予定落下地点にと向かう。
最後は盗塁王顔負けなほどのスライディングで無理やり到達し、スカートの中身が思わず翻っておっぴろげそうになるがそんなことはささいなことと切り捨て、両腕をビシッと上へと差し向けた。
まず右手によって掴まれる。「グラスッ!」
次いで左手により掴まれた。「お盆ッ!」
最後は、氷水が降り注ぐ。アケミの、胸元へ。
びっしゃぁぁぁぁん…………!
「お、お水ゥゥ~~~~ッッ!!」
メイド長により放り上げられたことで、グラスのなかにそそがれた氷水は遠心力と重力落下によりあちこちにこぼれてしまってたので、完全にそのことを失念していたアケミがあるていどの余裕をもった上でずぶ濡れと化したのは言うまでもない。
なお、水はアケミの胸元にと大部分が注がれていたため、その身体的特徴を店内にいる何者かが見てこういった。
「立て板に水……」
そんな不遜な発言にアケミは、
「あン? 誰だァ今言ったやつぁ?!」
せいぜい周囲を睨み見てまわることしかできないでいるのだった。
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