つばくらめ
駐車場に車を止めて事務所の玄関へと向かう。さっきまであんなに急いでいたのに結果を見るのが怖かった。補強した巣は、落ちてはいない。まずはひとつクリア。そして、玄関前のポーチは昨夜の台風で洗い流され、不自然なほど綺麗になっている。が、その上に新しい糞が落ちているのを見つけた。
糞が落ちているという事は、台風が過ぎてからもツバメが玄関の上に、つまり、巣の中にいたということだ。大丈夫。ふたつクリア。私は脚立を立て、よじ登って巣の中を覗いた。そこには、きちんと2羽の姉妹が丸くなって鎮座していた。もぞもぞと動いている。良かった。
ざるの中の巣は、ホームセンターで購入した丸巣だけが残り、元の巣の泥や藁は風で吹き飛んでしまっていた。相当に強い風が吹いたようだ。脚立の上で一息ついていると、私を発見した親鳥が、ピキュンピキュンと抗議の音を立てて飛び回り始めた。ごめんごめん。良く頑張ったね。
その後は、順調だった。巣も落ちることなく、蛇も来ることなく、2羽の雛はジジジジと元気に渋い声を響かせていた。もう手を出さなくても大丈夫。私は窓の外から聞こえる声を聴きながら遅れてしまった進行をこなし、時にはツバメについて検索し、ポーチの上の糞を掃除していた。
ちょっと離れた坂の上からオペラグラスで覗くと、2羽はもうすっかり大きくなり、巣の中でごろごろしながらパタパタと羽をはためかせるようになっていた。巣立ちが近いのだろう。
そしてある日、巣の中から2羽の姿が消えた。私は思わず歓声を上げた。たぶん、無事に巣立ったのだ。あんな事があったので、羽に怪我でもしていないだろうかと不安があったのだけど、大丈夫だったようだ。
本当に巣立ったのかを確認しようと、脚立に登って中を確かめようとしたところ、背中の方からピキュンピキュンと、あの警戒音が聞こえて来た。
振り返って見ると、電線の上で1羽のツバメがこちらを見ながら鳴いていた。そして、その横に小さな2羽のツバメが寄り添うようにしてとまっていた。きっとあの子達だ。小さな2羽のツバメは、他のツバメたちよりも狭い間隔でくっつくようにしてこちらを眺めていた。その姿は、とても微笑ましかった。
***
「ほうか。そら良かったなあ。真純もひとりでよくやったもんだ」
叔父が玄関の上の台を見上げてそう言った。
「何であんな不細工な台を引っ着けたのかと思ってたら、そういうわけだったのか」
「ちょっと、不細工は無いでしょ」
叔父は呵々と笑う。だが、改めて台を見ると、確かに不細工だ。色の揃っていない木の板やアームが唐突に石壁にくっつけられ、その台の上には、うす緑色のプラスチック製のざるが乗っており、さらに謎のビニール紐が庇へと伸びている。しかも、ビニール紐や板は、ガムテープで固定されている。誰がどう見ても、素人のやっつけ仕事だ。それでもあの台は、私とツバメにとっての誇り高き建造物だ。不細工で、糞だらけなのも確かだけど。
「それにしても迷惑な客だったな。子宝や幸せを運んでくるどころか、とんだ災難だったな」
「本当だよ。なんか妹の事思い出した」
「あき子か。確かになあ。あいつも昔は、さんざん引っ掻き回してたもんなあ。今じゃあ良い母ちゃんだけんがなあ」
私は苦笑して頷いた。
「ほんで、どうすんだあの台。あのままってわけにゃいかにゃあら。外すんなら手伝うぞ」
ひとりでやっておくからいいよ、と言おうとして、止めた。
「うん。お願い。じゃあ脚立持ってくるね」
実際の所、それくらいなら一人で出来た。手伝って貰うのは悪いと思っていた。――今までの私なら。
私は、人に迷惑をかけないよう、凄く気を使って生活していた。一人でできる事は、できるだけ一人でやるのが、良き事だ。できるだけ、波風を立てずに、平穏に。のめり込みすぎないように、借りは作らないように、必死になりすぎてまわりを振り回さないように。
それは、姉として産まれた私の矜持でもあった。仕事を抱えすぎてパンクし、退職して実家に帰って来てからも、人に頼ってはいけないと、アパートを借り、事務所を借り、誰にも迷惑をかけたくなくて、一人でできる事を探して、できる事だけをやってきた。
それでも、周りはわたしを放っておいてくれなかった。迷惑はかけていないのに、なんで? なんで私は許して貰えないのだろう。そんな風に思っていたが、それでも、坦々と日々を送るしかないと思ってやってきた。
でも、そうじゃなくても良いのかもしれない。はた迷惑で、糞をまき散らして、巣を落っことしても。それでも、必死に前に進もうとしている姿は美しい。周りの人だって助けたいと思うし、助けることができたら、とても誇りに思うんだろう。もうちょっとだけ頼ってもいいのかな、そんな風に思ったのだ。
二人で台を外し、壁の泥を拭きとっていると、背中からピキュンピキュンとあの声が聞こえて来た。振り返ると、体の小さな2羽が、やはりくっついて必死に鳴いていた。あの必死さ。私には、まだ真似できない。どうすれば自分の人生にあんなにも一生懸命になれるのだろう。一生懸命になれたとき、私は許してもらえるのだろうか。
ツバメは渡り鳥だ。可愛くて、一流ハンターで、関わってしまうとはた迷惑で、美しい。1年後、またあの子達はここに帰って来るのかな。帰ってくるといいな。そう思った。そしてその時には、私も一生懸命になっている姿を見せられたらいいな。心からそう思った。
つばくらめ 吉岡梅 @uomasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます