飛べない鳥もいるのさ
「世界を変えるためにはどうすればいい? 神に祈るか? 護るべきものをダシにして、真なる力に覚醒するか? バンド組むか? トラックに撥ねられて異世界に転生するか? 違うな。あたしなら手っ取り早く、こうする」
ディスコライト・ミラーボール・ヘッドライト・テールライト、乱反射する光のように見えたそれは全て、放り投げられた缶の中からぶちまけられたペンキだった。マズルフラッシュ、右ストレート、進入規制テープ、鉄条網、広辞苑の角、大陸間弾道ミサイル、バックファイヤ、CQC、レールガン、二天一流、超質量星の爆発、実在するあらゆる衝撃そのものの集約。一筆描きの破壊が足元に群がる亡者たちをべっとりと塗り潰し、キャンバスを新規作成する。上書き保存された暴徒がログを掻き消され、一般的に人間とされる比較的善良な存在がその場に改めて生成される暴力の一部始終を、俺は目撃した。
「やべえ」
極彩色のペンキが現実を侵蝕する音は小気味いい和音とハンドクラップとやたら空気の読める合いの手で彩られていた。が、俺が声に出してそう言うと、トチッたストリーミング再生のように遅延してヴヴヴッと唸った。
「邪魔すんなよ」
「邪魔すか」
「お前が生きていることがもはやだいたいにおいて邪魔」
「全否定……」
もはや最初から存在したものが何だったのかすら分からない。
今まさに
するとシャッター街がバラッと目を覚まし、つぎつぎに店主のような存在が現れ、思い思いに役立ちそうな新規卒業者を引き入れはじめた。眼下の野陽商店街は蟻地獄と化した。
「なんかすごいことになってますが……」
「来る奴も来る奴だし、入れる奴も入れる奴だな」
「あの、聞いてもいいですか?」
「だめ」
「クソッ全否定だ」
結局彼女について分かったことは何もない。びっくりするほど何もないのである。名前すらも教えて貰えなかった。
分かっていることが、このどことなく懐かしい橙色の光に包まれたバラック街が由嘉野市野陽地区という場所で、彼女はこの街に住んでいるということ、あとあのマンホールがこの街の駅前あたりに主に生息しているということだけだ。生息? マンホールが生きていて、飼い慣らしているとでも言うつもりだろうか。わけわかんねえなあ。お腹すいたなあ。
あ、あともう一つあった。彼女のペンキは、塗り潰したものを「おかしく」する。元からあったものを新しく塗り直して、まったく別のものに変えてしまう。人間すら例外ではない、というのは今見た通りで、野陽地区を侵略(?)するために定期的に隣の市からやってくるという暴徒はこうして彼女の手で鎮圧され、安価な労働力に変えられてしまうっぽい様子である。……ディストピアじゃねーか!
「あたしが誰で、なぜペンキをぶちまけるのかが気になっているなら無駄。理由はないし、あったとしても由嘉野でそんなことを堂々と言いふらすのはバカだけ。由嘉野じゃなくてもバカだな、名前も名乗らない。お前もそんな堂々と持ち物に名前を書いておくからそんなことになる。自分のフルネームが言えるか?」
「フルネーム? 佐神……」
つい数時間前まで現実世界に存在していた俺はばっちりフルネームを名乗ろうとしたが、下の名前が出てこなかった。ポッカリと、孔が開いたように出てこない。慌てて生徒手帳を見ると下の名前の部分が空欄だった。仕方がないので記憶の中で母親になんと呼ばれていたか思い出そうとしたが『■■■、お前昨日脱いだパンツにウンコ付いてたよ』そんなところは思い出さなくていいんだよ! その黒塗りの部分が知りてえんだっつんだよボケが!
「由嘉野メインストリートの治安をなめるな。お前の下の名前は既にスられたのだ」
「は? 名前を?」
「ここじゃたいがいのものは手に取れるかたちで存在するんだよ」
ピンク色のとても長いうさみみ付きフードのパーカーを着た少女はぱっきりした輪郭の目をしばたたかせながら言った。その手にはさっき暴徒鎮圧の凶器として用いられたハケが握られている。
「なんであんなことを……」
「アァン?」
「えっいや」
急に不機嫌そうな声を出されるとビビる。間違いなく俺も、あのハケの一塗りでたやすくイモリとかヤモリとかに変えられてしまうだろう。
「遠慮するなよ。あたしとお前の仲だろ」
仲もへったくれもねーよ! 出会って三十分だっつーの!
「いや、なんつーか、何でああいうことやんのかなって……ちょっとビックリして、だって人間があんな簡単に……」
「簡単に変わるさ。小学生が中学生になって超ゴシックになったり、中学生が高校生になってゴシックを超叩くようになったりするのと同じ」
いや同じって。
100歩譲って同じだったとしても、それを他人が横からペンキ塗るだけでやっちまうのはちょっと違うんじゃねえかな、と思うん
「ほう……?」
パーカー少女の顔がなんともいえない、もう本当になんとも言えないのだが「へえ……そういう……?」みたいな感じの、含みに含み抜いたアルカイックスマイルに変わった。
なに? なんか見えてます?
「さて、どうだろう。神のみそしる」
見えてんじゃねーか!!!! 今めっちゃ俺の心の声と会話してんじゃねーか!!!
何なんですかアンタは!!!!!!?????
「正体はそれほど重要じゃない。過程とグルーヴが大事。お前ん家どこ?」
「俺ん家……? えっと……」
待って。答える気がなんも感じられない。
ついでに住所も思い出せない。由嘉野……そう、あっそうだ、俺の家があったのも由嘉野市だ。学校も由嘉野高校だった。間違いない。だが、野陽なんて場所はなかったし、そもそもこんななんかわけのわからない色の空でもなかったし、マンホールは空を飛ばない。
「やっぱないか。こっちにない座標だと検索しても出てこない」
検索……とは……。
「仕方ないね。お前ん家いこ」
「え? 帰れるんですか?」 思わず思考と同時に口から言葉が出た。
「は? 帰れるわけねーだろバーカ、オメー背中にナイフ刺さったまま現実に戻って無事で済むと思ってんのか」
そう言えば。
結局のところ、前回俺の背中にザックリ刺さったナイフはそのままになっている。抜くと死にそうだし、刺さった瞬間ほどの痛みもないので忘れかけていた。というかなんでこんなザックリ刺さってんのに平気なんだ……? めっちゃ背骨に突き立ってるように見えるけど動いても違和感はほとんどない。刺さっている、という感覚だけがある。今俺はかなり冷静さを欠いている自覚があるが、冷静に考えてこれはかなりおかしい。
「やっぱここ、現実じゃないんだな」
異様なリアリティ、確固たる質量を持っているが、たぶん夢か
「あほ。現実じゃねー世界があるわけねーだろ」
「はあ!? 今さっき『現実に戻る』って言ったじゃないですか!!」
「お前にとっての現実とあたしにとっての現実は違う。誰と誰の間にも埋められないギャップがある。わかるな。それを世界征服に用いようとする、恐ろしい連中が大勢いる……あたしは、そういう連中と」
少女は空の彼方を見つめた。
そうか、さっきのあの力は、そういう世界征服とかと闘うための……
「ディ◆ニーランドとか行く」
「猛然と慣れ合ってんじゃねーか!!!!!」
「年パスで行く」
「常連じゃねーか!!!!!!」
つーかあんのかオリ◆ンタルランドが!? ここに!?
と、パーカー少女はこっちを振り向いた。
逆行で黒ずんだ顔で爛々と光る青い瞳がにまぁ、と不敵に笑う。
なんすか。
どういう笑みすかそれ。
「世界征服ぐらいでグダグダ言ってんじゃねえ、もっとヤバい闘いがあたしらを待っている!」
ファイッ、オー! と、言うなり彼女は給水塔を見上げていた俺の前に重力感を無視してふわぅと降り立ち、手首を掴んでずんずんと歩き出した。七階建てテナントビルのふちに向かって。
「えっ何すか、どこ行くんですか」
「不動産屋。住所再定義しよ。保険証はあとかな」
「えっなんかもう住む感じになってる、大丈夫なんすか俺」
「お前は生まれた瞬間から一度だって大丈夫だったことなんかない」
「すげえ全否定だ」
「否定ではない。飛べない鳥もいるのさ」
うさぎのパーカーの少女は、フードから伸びる長い両耳を風に靡かせながら、からっぽになったペンキ缶を頭の上に積み上げ始めた。
「あたしはしがないペンキ屋、お前は愉快な渡来人。これはそういうお話」
トーテムポールのように空き缶を満載した彼女が口笛を吹くと、遠くから円盤のようなものが飛来してくるのが見えた。ああ、例のマンホールが来たのか、という認識が脳の神経を駆け巡って認知まで到達するかしないかぐらいのタイミングでしかしどう考えても冷静さを欠いた加速度を持って飛び込んできたそれは多分俺の額ぐらいの場所に狙いを定めており、完膚なきまでの直撃を喰らった俺の脳は激しくシャッフル・ミキシング・スウィング・ブルースされて、彼女の喋ったことの半分の片隅の欠片のカスほども海馬に書き込まないまま完全に昏倒した。
ドタバタ由嘉野 ~eschatology style~ カササギリョーノ @Return_mysanity
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