第7話
私もいい加減話を終わらせたかったのだが、そうはさせてくれないようである。
「ここはなかなかいい所ですな」
狩りでも楽しんでらっしゃるような軽装で、彼の国の王はわたしの岩に座っていた。周りを見渡すが従者の類は見つからない。お忍びか。まあそりゃそうか。
ガチョウを沢に放して、ファラダの首のついた杖をどんとついた。
「王子との結婚があのようになったこと、重ねてお詫び申し上げる」
「それは構いません。なかなかお幸せそうに暮らしていらっしゃるそうですから」
お詫び申し上げるというくせに私より目線の高い所にいるのはどういう礼儀かとややむっとしていると、年齢にしては身軽に王は岩の上から飛び降りて私の側にくる。
肩を越すまでに伸びた髪を一房つまんだ。もちろん無断で。
「おいたわしいことになられましたな」
「少し前まではもっとみっともなかったですよ。お見せしたいくらいでした」
ファラダの鼻面をつきつけて髪をはらった。
「誤解されても致し方ありませんが、あの提案をされたのはあなたのご両親です」
「承知しております。ガチョウの世話がありますのでお退きいただけませんか?」
そのまま前を行き過ぎようとすると腕を引かれ、抱きしめられた。王の着ている服は肌触りがよく、胸は大きく広く温かい。こんな見え透いた絡め手を決めてくるなんてと腹立たしいながらも、いい気持ちだな、強引なところといい流石に慣れてるだけのことはあるなと感心もした。阿呆だ。
王は私の髪を指ですく。短すぎる髪の女が珍しいのかもしれない。なんでもいいが我が物顔で髪に触れられるのはあまり感じのいいことではない。
「やめていただけませんか?」
声に険を出したつもりだが、それで却って興がのってしまったのか顎を指で持ち上げる。
「お戯れが過ぎます」
さすがにそこまで厚かましいのは不愉快でしかないので、ファラダの頭でどんと王のこめかみの辺りをついた。
「このような所までわざわざお見えになった用件とは何か、そろそろ教えていただきたいのですが?」
今まで馬の首で反撃はされたことはなさそうだったからちょっと不意を突かれたような表情をしたものの、すぐに体勢を整える。なかなか目を離すのが難しい吸引力のある笑みを浮かべる。
「あなたをお迎えに上がっただけですよ」
まあ……! と目を輝かせて戸惑いと歓喜に身を震わせるような純真な態度を演じてみたかったが、それは難しかった。
それぞれの国の姫と王子がそれぞれがベストだと信じる配偶者に出会っている。もう私にはコマとしての価値は無い。趣味の悪いことに王個人が私に執着している風でもあるが、ちょっと物珍しい女にちょっかいかけるためだけにわざわざお忍びで国外へ出向くのも大げさだ。家来に頼んで拉致でもすればよいだろう。
ということは、私の手元にそれなりに礼を尽くしても手に入れたい何かがこちらがわにあるということだろう。おそらくそれはあれしかない。
距離をたもつためにも私はいつもの岩の上に座った。視線はガチョウにすえる。
「クララ王女はお元気ですか?」
「ああ……、幽閉されていたとは思えないほど血色もよく元気ですよ。一度も行ったことが無いはずの海や船の話をしてくれます」
やはりな。王が欲しているのは経理係の杖の試作品だ。大量破壊兵器としてのみ元王女(今はもう元もとれて普通の王女だが)を必要としている。魔女曰く拡大欲の旺盛な王が怪物を一撃で粉々にするような爆発を起こせるものを手に入れたがらないわけが無い。それさえあればここら一帯の力関係は一変する。我々の頭上にかぶさるような巨大な皇国の影に気をもむこともなくなる。
しかしそれは幼い王女に殺戮の恐怖に直面させることと同義だ。自分のしでかした大爆発に怯えてからあの杖を見るのも嫌がった元王女の様子をありありと覚えている。この王はあの子供に必要であれば何度も何度も爆発を強いるのでは無いか?
自分の娘をおしとやかなプリンセスにするのだと息巻いていたあのうつけ王子は娘をこの王から守れるだろうか。案外言いたいことを言う程度の鼻っ柱はあるようだから抵抗くらいはさるだろう、でも実力行使に出られるとひとたまりもないに違いない。
あれをこの王に渡すわけにはいかない。許可を出した覚えも無いのに私と同じ岩に上ってきたような男に。
ファラダの杖を構えて王に聞こえないよう吹け吹け風よと唱える。が、おかしい。風の精霊は私の呼びかけに応じなかった。それどころかぐらっと頭の中身を直接ゆさぶるような強烈な目眩がおそった。
その直後に何があったのかを悟り自分の迂闊さを呪った。魔女の直接支配する一帯であることにすっかり油断していた。
「魔女の棲む山を訪れるのですから、手ぶらというわけには参りませんでしょう? あなたに気づかれぬよう魔法を仕掛けるのには苦労いたしました。驚いていただけましたか」
悔しいが驚いた。目眩が激しくて岩に両手をつく。回転する目でこの魔法を仕掛けたものの姿を探ったがフラフラするばかりだ。王は立ち上がりファラダの首のついた杖を蹴り落とす。せめて手を使ってほしい。
「ここに住まう魔女はあちこちで敵をお作りのようですなあ。私の求めに手練れの魔法使いが応じてくれました。あなたが子供の頃より戦場で活躍していた手練れですよ」
「敵が多いのは、あなたも同じではありませんか?」
睨みつけようとするも視線がさだまらない。今はきっとさぞかし胡乱な目つきになっているのだろう。
それでも周りの気配を探る。いつもいるはずの隊長の気配がない。こんな時だというのにあの男は……!
「隊長、出てこい! いるんだろう⁉︎」
クラクラする中みっともなく声をはりあげると口を吸われた。初めての接吻を奪われた小娘のように拳をどんどんぶつけるという拙い抵抗になってしまい王はやすやすと封じて私を組み敷く。それにしても流石に盛んなだけにあってただでさえふらつく頭の芯がぼんやり霞んでゆく。
複数の足音がザリザリと砂利を踏みしめる音が聞こえたのでそっちを見て少しは正気がもどった。黒い外套で体を覆った集団が両腕を後ろに回した隊長を引きずって歩いてきたからだ。黒ずくめの一人は隊長に弩弓をつきつけている。それが隊長の愛用の武器だったからおもわず笑った。
「ざまあないな」
「お互い様だ」
隊長は額から血を流している。まあまあ抵抗はしたのだろう。
いやだな、この状況。
こういうのに昂ぶるタイプでないといいのだけれど。
「あなたも王と呼ばれる方なら、名もない小娘に無体な事をなさるような恥知らずではないと信じたい」
「それはあなたの返答次第ですよ」
「ならば私が取りに行く。その手を離していただきたい」
「いえ、遣いのものにとりにいかせましょう。魔女の惑わしはとっくに攻略しております。あなたが隠し場所さえ教えてくださればそれで結構ですよ」
嘘だな。魔女の惑わしの魔法を攻略していたのならしのごの言わずに魔女の家を征圧するくらいのことをとっくにしているだろう。それなのに私に交渉をしかけてくるとは魔女の惑わしがまだ攻略できていないか、もしくはこの状況に昂ぶるタイプかのどちらかか。後者だったら最悪だ。
「リーゼルから手を離せ!」
拘束された隊長が叫ぶのでおもわず「馬鹿!」と怒鳴ってしまった。
「黙ってろお前は!」
私が言うまでもなく隊長は黒ずくめに殴られて強制的に黙らされた。
「王様、いささか趣味が悪うございませんか?」
なるべく興が削がれるようにありったけの軽蔑と嫌味をこめたつもりだが、気を取り戻した隊長が再び暴れ出すので台無しだ。王は隊長に見えるように私の体を持ち上げるとボロとはいえ一張羅を引き裂いた。これは恥ずかしいあらゆる意味で。
「王様、目的を見失い気味ではありませんか?」
「これは失礼。こういう状況が久しぶりなので止めようにも止められません。ああいう血気盛んな小僧の視線は堪えられませんな」
本当に最悪だ。
「そういうわけだから隊長、お前ちょっと落ち着け。お前が静まれば王様も勝手に萎える。黙ってろ!」
「そういうわけにいくかよ、バカ!」
感情むき出しの隊長は体裁を取り繕うゆとりもなくなったらしい。地の口調に戻ってがなる
「お前も少しは暴れるなりなんなりしろ! 本当は楽しんでたりするんじゃないのか⁉︎」
はああ? 私の怒りは一瞬めまいを押しのけた。
「んなわけあるか馬鹿! そいつらの変な魔法のせいで目眩で苦しんでるのにその言い草はなんだ、一回死んでこいこのクソ脳筋!」
「てっめ、心配してやってんのに死ねってどういう了見だコラ!」
「わけわからん賊に拘束されてる分際で粋がるなクソたわけ!」
怒鳴った反動で目眩がより酷くなったが、私の上半身を弄っていた王様の手が止まっていた。首をひねって後ろを見るとなんだか微妙な表情で頭を抱えている。どうやら王様を無視して怒鳴りあい出した我々によって傍観者の立場に立たされたことが不本意で萎えたらしい。全く自分に視線が怪我の功名というべきか。隙をついて王を岩から蹴り落とすと破れた服の前をかき合わせた。
王様が突き落とされてガチョウが大騒ぎする中、さらにドボンドボンドボンと派手な水音を立てて上空から何かが降ってきた。浮いてきたのは黒い外套だ。
直後、隊長を拘束していた黒ずくめ達の首がまるで酒瓶の栓を抜くようにすぽんすぽんと捻じ切れる。それこそシャンパンのように血が噴き出してあたりが真っ赤に染まった。
あたりが血で染まる中、悠々と姿を現したのは魔女の娘だった。
「まーったく、つっまんないオチがついたわねえ」
血塗れになった隊長を蹴飛ばし、黒ずくめの遺骸を蹴り転がす。
「面白そうなことやってるから見物してたのにさあ。グッダグダじゃん。隠れ損じゃん。あたしのワクワクを返しなさいよ」
むちゃくちゃを言いながら血の海を歩き、ファラダのついた杖を拾うと投げてかえす。
「ホラ、ウチの家に入ってきた賊は退治したからもう大丈夫だと思うけど」
確かにひどい目眩は消えて視界も頭もスッキリはしている。が
「礼を言うべきなんだろうがそんな気になれんのはどうしてかな?」
見ていたなら助けてほしかったという抗議を視線にこめたが魔女の娘はしれっと無視して、ようやく川から這い出てきた濡れ鼠の王様へ手を上げて見せた。
「ハイ、王様。クララとルドルフとゲオルグとベルタとあとサロンの皆さん方はお元気?」
その瞬間の王様の表情といったらない。まあ王様にとっては蘇ったり死人を目の当たりにしたことになるのだから顔面蒼白になるのも無理はない。
「貴様……! 生きていたのか⁉︎」
腰に回した剣をぬこうとしたが魔女の娘がちょいちょいと指を動かすと剣は一匹の大蛇になって手に巻きつく。大慌てで王は大蛇を振り払った。
「死んだけど生き返って、んでやっと魔力が最近戻ってきたとこ。ったくもー、超痛かったんだからね」
「バカな、私はお前の亡骸をこの目で確かめたんだぞ! 完全に死んでいた」
「いやだから、死んで生き返ったんだってば。人の話聞けって」
魔女の娘の全身にダラダラと血が流れる穴が開く。凄まじい変化に王も川の中をザブザブとあとじさる。
「糞……っ! おのれバケモノめ!」
「ちょっとさあ、自分のしでかした仕打ちのエグさにビビんのはやめてよね」
呆れたように魔女の娘は呟くと元どおり山国のぶどう踏み娘のような格好の娘にもどった。そのあと「ん」と魔女は無造作に何かを投げてよこした。ぼちゃんと川に沈む。
「あんたの目的はそれでしょ? それやるからとっとと帰って。で、二度とこの山に近づかないで。ここはもうウチらの領地だし。リーゼルんとこの実家も認めてるし。公的に決まってるし」
警戒心をにじませながら王はかがみこみ、沈んだ杖に指を伸ばす。
おい、と私は魔女の娘を止めようとしたその手を止めた。川に沈んだ杖の宝石に気づいたからだ。
「あ、それ拾う前に約束してくんない?」
魔女の娘は岩の前にかがみこみ、今までとは違うぞっとするような声音で王に向けて警告する。
「それを拾ったあんたは二度とこの山には立ち寄らない。クララとルドルフとゲオオルグとベルタをいじめない。その杖をゆずった私に毎年金貨百枚を十年間支払うこと。いいね。この約束をまもること。魔女との約束を破ったらどうなるか」
返り血を浴びた魔女の娘の眼がらんらんと輝いて見えた。おそらくそれは魔女が疫病で住人が死に絶えた館の中で幼い少女の中に見つけた、魔女として類まれな素質の片鱗だ。
「わかるよね?」
「……承知した」
王は魔女の娘に気おされたことを隠そうとしたのか強がった笑顔を浮かべつつも杖を拾い上げた。
「私も王家の人間だ。約束は守ろう。ご婦人との約束は特に」
「しっらじらしー」
いつもの調子で魔女の娘は呟いた。同感だ、どの口が言う。
ざぶざぶと音をたてて岸まで上がった王がさっと手を翻すと、そこいらの木々から黒ずくめの集団がわらわらと出てきた。ずぶ濡れの王は気取った様子で一礼する。
「ではリーゼル嬢、またの機会があればダンスを一曲」
「そんな機会が来ないことを祈りますよ」
我々のしらけ切った表情(と隊長の怒りに燃える目)に見送られながら、王は黒ずくめの集団を引き連れてさっそうと山を下って行った。
「……」
「……」
王たちの気配が十分去ったであろう頃合い、ぐあぐあと平和なガチョウたちが鳴く中私は切り出した。
「一年に金貨百枚それを十年間とはふっかけたな」
「ふっかけてないわよ。あのサファイアはそれくらいの価値がある最上品だよ? 気づかないであたしにくれたの? うっわーバッカじゃない?」
魔女の娘が投げてよこした杖にはまっていた宝石が経理係が言っていたナントカ回路とはまるで異なる青い輝きを放っていたのでもしやと思っていれば案の定、私が魔女の娘にやったサファイアだった。どうやらこっそり入れ替えていたらしい。 それにしても宝石加工ギルドの親父が結婚祝いとしてくれたあの宝石がそれほど高価なものだったとは……。道理で下女にマナーを仕込んでやってくれという私の頼みにあっさり快くホイホイ応じたわけだと納得しつつ、親父の好意を踏みにじった気がして申し訳なる。しかしまあ、私が持っていても箪笥の肥やしになっていただけだから平和に貢献しただけ宝石も本望だろう。
「にしてもこれ、やばいわ~」
魔女の娘は石ころでももてあそぶように青白く輝くものを上下に放り投げた。それこそ経理係が杖にはめていたナントカ回路だ。
「クララだけじゃなくうちの血筋の魔力に反応しやすい精霊が住み着いてるっぽい。力が制御できなくてあんたらの首もねじ切りそうになったし。ヒヤッとしたよ」
それをきいたこちらはヒヤッとするでは済まされなかったが、何を思ったのか私に押し付けてきた。
「あんたにあげるわ。結構奇麗だしそれで指輪でも作れば?」
「なんで指輪?」
「指輪じゃなければ首飾りでもなんでもいいけど、そういうアクセサリーみたいなのを一つは持っておきなさいよ。そこの軍人は何にもくれないみたいだし」
「なんで急に俺を引き合いに出す⁉」
全身についた血を川で洗い流していた隊長が振り返った。まだ血まみれなので顔色はわからないが真っ赤になっていそうだが私は視線を逸らす。
「まー下っ端の軍人の給金じゃあ最下等のくず宝石だって買うの無理でしょうし。情けない話よねー、宝石の一大産地だっつうのに。ショっボ」
「うるせえよ、しゃしゃってくんじゃねえ、業突く張り魔女の娘が!」
「あんたさぁ、キレるとそうやってお育ち丸出しの口調になる癖どうにかしなよ。出世しないよ? だからこんなところに飛ばされるんじゃん。わかってんの?」
「……うるせえっつってんだろ。魔女に同情されるほど落ちぶれてねえ」
「リーゼル、一応言っとくけどああいうすぐキレるやつと所帯もつのだけは避けなよ? 飲む打つ買うで一生悲惨な底辺暮らしだからね」
「バッカてめ何言ってんだ。大体俺は打つと買うはしねえし」
「でも飲むんじゃん。それも結構なもんだよ? ねえ?」
私はつとめてガチョウの数を数える。さきほどの騒ぎもどこ吹く風と楽し気に泳ぐ私のガチョウたち。なんて幸せな眺めだろう。
「聞こえないふりするんじゃないって。あんたらがここで何やってるかぐらい把握してるんだからね」
よし、頃合いだ。
「そろそろ帰るぞ。今日は魔女も返ってくるはずだ」
ファラダの首のついた杖を拾うと私は一振りした。慣れたガチョウたちはそれを見て岸に上がると私の後をついて歩く。
魔女の娘と隊長が私を呼びながらなにやらがなっていたが、愛するガチョウたちの鳴き声がやかましくて聞こえない。聞こえないったら聞こえない。
そんなわけで、私の身辺を脅かす一連の悩みは大方片付いた。
隣国の王様がこっそりこの山を訪れたという大騒動があった後も沢まで行けば隊長が出てきて、村のゴシップや城で何があったかを適当に話していく。「お育ち丸出し」の口調は伏せて、その日に何があったかはあえて触れない。指輪のゆの字も出すことはない。それでいい。いっそそのまま忘れてほしい。
わたしはこうして週に何度か会えれば十分幸せだ。
しかし、
「『本当は楽しんでるんじゃないか?』だけは許さんからな」
「……まだ根に持ってたんですね?」
私に睨まれた隊長は視線をそらせた。
「だって、いつかあんたと魔女の娘がなんかしゃべっていたじゃないすか。王様はなかなかいい男だとか。あんたもあんたであの王様なら嫁になるのも悪くないってなことも言ってたし……」
盗み聞きの気まずさからか隊長の言葉の終わりがもごもご宙に消えた。そんなこともあったなと、私ははーっとため息をつく。
「馬鹿」
その頃はもう木の葉が色づき始めていたので隊長の胸に体を寄せる。嗅ぎなれた匂いと温かさに私は安堵した。そろそろ肩甲骨を覆うほどになった髪を隊長は優しく撫でる。
「リーゼルぅぅぅ!!!」
そろそろ山にも春がやって来ようという頃、魔女が大声を張り上げた。
庭に出て農作業中だった私は呼ばれて二階へあがってゆく。魔女はきれいに整頓された部屋で血相をかえていた。
「お前かい? あたしの部屋の配置を全部変えたのは!」
「私ではない。精霊がやったんだ」
「精霊にそうするよう仕向けたのはお前だねって訊いてるんだよ、こっちは!」
怒る魔女はどすどすと足を踏み鳴らした。その拍子に本が一冊棚から落ちたが、ふわりと本棚の位置に収まる。癇癪を起した魔女が整然と並んだ棚に並んだものを腕で叩き落したが、ものの数秒立てばすべてが元通りになる。それを数回繰り返して息切れした魔女は、ぎろりと私をにらんだ。
「……これはどういう仕掛けだね?」
「だから精霊がやったんだ。私の命令ではなく精霊がそうしたいからしている」
ようしわかった、と癇癪を一旦抑えた魔女はすっと息をすうと大声でどなった、
「この無能ども! とっとと元の配置に戻りな! この家の主の命令を聞くんだよ!」
部屋は無言だ。美しくきちんと整っている。
「聞かないんなら火をつけて燃やしちまうよ!」
魔女は魔法で火を生じさせたが、精霊はより一層かたくなになり部屋の秩序を保とうという決意を固める。
「魔女よ、家が燃えたらこまるのはお前だろう。まずは落ち着いたらどうだ?」
「なんだい、そらっとぼけて涼しい顔してるんじゃないよ!」
魔法の火の玉を消すと魔女は寝心地よさそうに整えた清潔なベッドに突っ伏しておいおいと泣き始めた。
「何てことだい、私がせっせと働いている間に家がガチョウ番に乗っ取られちまったよ……! 一生懸命働いた結果がこれだなんてあんまりじゃないか。こんな家じゃあ魔法の研究も金儲けもままなりゃしないよ」
おいおいと魔女は泣き続ける。演技ではなく、おそらく本気で泣いている。魔女にとってこの家はもう一つの頭脳、もう一つのわが身、生涯かけて作り上げた魔法の結晶でもあるからだ。
「あたしはこの家じゃないと、この部屋じゃないと、なんにも考えられなくなっちまうっていうのに……!」
世も末もなく魔女は泣く。魔女が一見雑然とした部屋の配置をいじられることを神経質に嫌がることからこの家はただの住居であるというだけではないかけがえのないものではないかとあたりをつけてはいた。が、まさかそれほどまでに大切な存在だったとは。
そして経理係の作ったナントカ回路の便利さよ。
経理係がお礼として置いてゆき魔女がガラクタと断じて放り捨てた杖の試作品2号。精霊がおらずカラッポのそれを、ものはためしに台所のかまどの上に備え付け、家事の合間合間に声をかけてみた所、家全体に宿っていた家政精霊がそこに集って網の目のように手を結びつながり魔女の家の隅々にまで根をおろしてしまったのだった。
どうもこのナントカ回路は精霊にとっては非常に居心地よくできているらしい。私にはありがたいが、精霊に住み着かれない回路の研究をしている経理係には忌々しい事実だろう。公国の研究機関で欠陥に気づいてくれればと思う。
家政精霊はどうしても直接家の手入れをする人間になつく習性がある上、力づくで支配してきた魔女より(自分で言うのもなんだが)話の分かる私を好んでくれている。その結果、ありがたりことに私に忠誠を誓ってくれるようになった。家の主が魔女であっても、私の命令を最優先だ。
魔女もそのことに気づいているのだろう。おいおいと泣きながら「一体どうしたら元通り住み心地のいい部屋に戻してくれるんだい?」と泣きつく。
「そうだな。この前生み出した恐ろしい疫病の素をあの国へ売りつけるのをやめたらもとに戻そうか?」
「何言ってんだい! あれの売り上げで新しい怪物をよみがえらせる研究費にあてるんだよ! 伝説にでてくる世界を滅ぼした大巨人なんだよ! その楽しみをあたしから奪おうってのかい?」
「その疫病の価格と同じくらいのもうけがでるほど村で稼げばいいじゃないか」
「村人相手のちんけな呪いでいくらの稼ぎになるってのさ……!」
「そういえば妹が城に悪魔がいついて困ると悩んでいたぞ。どうやら両親が呼び出した悪魔が魔界からやってきたときの通路がまだ生きているらしい」
「……」
ぐずぐずと小娘のように鼻をすすりながらホウキをもちだした。
「王宮からの依頼なら疫病分くらいはふっかけるからね! それにしてもこの年になって奴隷の身分におちるなんてあんまりだよ……!」
嘆きながら2階の窓から空へと飛び立ってゆく。それを見送ってから、私は手を一回ならせた。それを合図に魔女の部屋は魔女の希望通りごっちゃりと乱れる。
青空には小鳥、庭には花が。世間は春だ。そろそろガチョウをつれに沢へ行く時間だ。
ファラダの首がついたままの杖をもって外に出ると、暇をもてあました魔女の娘が勝手についてくる。
ファラダは相変わらずこう嘆く。
「ああ姫様、姫様をご覧になれば王様とお妃様はどんなにお嘆きでしょう」
そうだな、ファラダ。両親は嘆くかもしれない。私が毎日それなりに楽しそうにしているから。
胴なし馬のファラダ ピクルズジンジャー @amenotou
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