エピローグ

「おい、テッド。窓の外に何かあるのか?授業を真面目に聞け」

 先生からの声に反応して、テッドは窓から視線を黒板の方に向ける。また呆然としていて、窓の外を見過ぎていたようだ。授業中の態度について、謝罪の言葉を口にする。

「失礼しました。以後、気を付けます」

「何回気をつけたら、その癖が治るんだ?まったく」

 先生が言った言葉に反応して、クラスの何人かがこそこそと笑っている。こちらが気が付いていることはわかっていると思うが、わざわざ相手をするのも面倒なので、他の生徒と同じように、テッドも黒板に書いている内容を複写する。授業が終わりに近づいているので、今更書き写しても遅いが、他にやることが思いつかない。黒板に書かれている内容をノートに書き写している間に、授業の終了を示す鐘の音が聞こえる。


「今日はここまで。明日はここの続きからやるから。予習を簡単にでもしておくように」

 鐘が鳴り止むまでの僅かな時間の間に、歴史の教師が教科書の一部を指しながら話す。今日の授業が中途半端な場所で終わったので、明日はその続きを彼が示している箇所から行うようだ。熱心な教師だが、やっぱり授業の内容に興味が持てない。そもそも無意味なことを学んでいると本格的にわかってしまったので、ノートに書き写すのも面倒だ。授業が終わったが、黒板に残っている授業の内容を書くかどうか悩んでいる間に、メアリが近づいてきた。

「テッド、また怒られてたでしょ?程々にしなさいよ」

 メアリは話しながら、先程のテッドと同じように窓から頭上の景色を見ている。頭上一面に広がる壁がずっと佇んでいた。


「また見てたの?」メアリが尋ねると、テッドは黙ってうなずく。

「うん、見てた。僕にこれからできることって、何だろうかって。そのことをずっと考えていた」

「授業中ずっと?」メアリは呆れた様子で聞いている。

「う、うん。授業中ずっと・・・・・・」テッドが自信無さげに応える。

「まぁ、いいけど・・・・・・あたしも最近あんまり真面目に授業を聞いてないし」

「え、そうなの?」

 テッドは意外に思ったが、メアリは文句あるのと言いたげな視線を向けてくる。

「だって、もう聞く必要無いんだから、真面目に受けてるの馬鹿らしいじゃない?でも、他の勉強はしているからね。テッドみたいにさぼっていた訳じゃないからね」

 文句があるわけではないが、結局聞いていないなら、その授業については不真面目になるのではないのかと思う。


「で、どうするの?」メアリの質問にテッドは何が言いたいのかわからず、彼女の質問に咄嗟に答えられない。

「どうするって、何が?」

「行くんでしょ?」

「え?」メアリが言っている場所は、ここではあまり口にしない方がいい。その考えが過ぎり、テッドはメアリの話を遮ろうとする。

「メアリ、その話は・・・・・・」

「何か勘違いしてない?明日、探しに行くんでしょ、下宿先」

「ああ、その話」

 メアリが言っていることは、半年前の2人で体験した不思議な旅の話ではなかった。バードル大学校への2人の進学が決まり、そろそろ下宿先を決めないといけなくなってきた。明日、そのためにセントラルやバードルまで探しに行くのだ。


「その話以外ないでしょ?一体、何を言っているの?」

 メアリは話しながら、手で小さくジェスチャをする。そのジェスチャは、2人で決めたものだ。誰もいないところで、あの時の話をしたい時に、そのジェスチャをするように決めた。

「ごめん、ごめん。その話以外・・・・・・ないね」

 テッドはそう言いながら、メアリのジェスチャに答えるように同じジェスチャを返す。一体、彼女は何を話したいのか。前の時は、壁の向こうで食べた夕食の話だ。よっぽど美味しかったのか、あの味を目指して、彼女は最近料理を始めた。実験に付き合わされるのは、誰でもない。テッドだ。

「忘れないでよね。じゃあね」メアリが自分の席に戻る。


 テッドはメアリが去るのを見送ってから、視線を窓に戻して、窓から見える頭上の壁を見る。テッドは壁の向こうの世界から無事に帰って来たときのことを思い出していた。

 上から下の世界に戻り、無事に家に辿り着いたのは、バードル大学校の文化祭に行った、翌日だった。メアリを家に送り届けようと、彼女の家に向かうと、の母が家の前に立っていた。テッドは、メアリを丸一日どうしていたのかと責められると思って覚悟していたが、メアリの母は娘の顔を見ても、いつもと変わらない雰囲気だった。


 メアリの母は、2人に「おかえり」と言った後、テッドを家に招こうとしてくれたが、テッドは自分の母のことも気になっていたので、それを丁重に断り、メアリの家には入らず、そのまま帰路に着いた。

「じゃあ、テッド。また明日ね」と言って、メアリと別れる。

 メアリの母からも「また遊びに来なさい」と言われた。頭を下げ、メアリの家から自分の家に足を向けて歩き出してすぐ後に、メアリと彼女の母が何やら話し始めたのが聞こえた。後日メアリに確認すると、彼女は2人で1泊2日のデートに行くと、母親に話していたらしい。テッドがメアリの家を去った後、母親との話で随分盛り上がったそうだが、その話の中身は全く教えてくれなかった。


 メアリの家に寄った後、テッドは丸一日空けていた自分の家に帰った。テッドの母は、彼が無事に帰って来た様子を見て、「おかえり。疲れたでしょ?」と優しく声をかけた。普段と変わらない様子で出迎えられて、テッドはそんなものかと唖然としていたが、夕食に出された料理がいつもより手の込んだものだとわかり、母が自分の帰りを喜んでいることを実感できた。

 あの時の母の夕食の味を思い出した後、テッドは頭上の壁に向けて呟く。

「何で、お前は存在するんだろうな・・・・・・」


 誰に聞こえる訳でもなく、1人呟く。頭上の壁は答えない。いつか、今住んでいる地上に未練が無くなったとき、自分は壁の向こう側に行くのか。あるいは、壁の存在が無くなり、人としての価値を天秤で測るようなシステムがない世界になるのか。この先の未来を見届ける義務が自分にあるとテッドは考えている。誰かが作った世界の中で生かされている。その実感があっても、未来に対する希望を捨てる必要は今のところ無さそうだと、テッドは頭上の壁を見ながら思った。

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