エピローグ 2 【家族】




「お帰りなさいませ、スライ様――此度の旅はいかがでしたか?」


 柔らかいその声に、目を開ける。

 するとそこにいたのは、俺のもう一人の【家族】――フーコ。

 雪のように美しく白い髪を撫でながら、彼女は小首を傾げて微笑んだ。その姿を見ると、改めて帰ってきたのだなと、そう感じる。愛おしいとさえ思われる少女に、俺はつい手を伸ばして――。


「――ひゃうっ!? ス、スライ様っ!?」

「あ、ごめん。つい……」


 頭を撫でてしまっていた。

 それはまるで、孤児院の子供たちにそうしていた時のように。

 フーコはびくりと肩を跳ね上がらせる。まぁ、突然にそんなことをされたら、驚くのは当然のことだよな。――と、そう思った俺は、慌ててその手を引こうとした。

 すると、彼女は思わぬ反応を示した。


「あ、あの――っ! そ、その! このまま……!」

「……フーコ?」


 フーコは俺の腕を強く掴んで、頬を赤らめる。

 そして上目遣いにこちらを見つめ、唇を軽く噛んで黙ってしまった。

 これはもしかすると、もしかするのかもしれない。だとするならば、ちょっと確認を取ってみなければ……。


「フーコ。もしかして、それって……ヤキモチ?」

「――――――――――っ!?」

「いてっ、いてっ!?」


 と、言ってみたらポカポカと叩かれてしまった。

 フーコは、もう耳まで真っ赤になってしまっている。どうやら俺の指摘は正しかったらしく、図星、というやつなのだろう。しかしそうだとしても、ここまで恥ずかしがるモノなのだろうか。俺にはイマイチ理解できない部分であった。

 それでも、ひとまずは謝らなければ……。


「ごめん、ごめんって。な? フーコ」

「……ん~っ! もう。スライ様はいけずです」

「い、いけず? それって、いったいどういう意味です?」

「し、知りません! もう、この話は終わりにしましょう!!」


 はて? 今度はそっぽを向かれてしまった。

 しかもよく意味の分からない言葉を使われて、こちらは呆然とするしかない。とは言え、もう終わりと断言されてしまったのだ。これ以上、話を広げるわけにもいかないだろう。そんなわけだから、俺は一番最初の問いに答えることにした。


「……良い旅、だったと思うよ」

「そう、ですか。それなら良かったです」


 するとフーコは、ふと安心したような表情を浮かべる。

 それはきっと、を不安に思っていたからに違いない。俺はここ数日慌ただしかったこともあって、思い返せなかったあの日――リベドとの決着がついた時のことを思い出すのであった。



◆◇◆



「どうして!? ようやく会えたのに、昔に戻れるのに――ねぇ、どうして!?」

「アニ…………」


 リベドとの闘いの後に、目を覚ましたアニは――二度と起きることのないユキを見て、悲痛な叫び声を上げていた。


 ――どうして、と。

 自分の守りたかったモノが、今まさに目の前で、砂のように零れ落ちていく。

 それは彼女にしか分からないことであろうが、さぞ耐え難いことであることは十二分に伝わってきた。普段の冷静沈着な仮面は剥がれ落ち、今は泣き虫な女の子になったアニは、何度も何度も揺すっている。


 だがしかし、ユキは閉じた目蓋を再び開くことはない。

 紫色の変質は、首を伝って顔の半分に達している。しかし心臓の位置から感じられていた脈動は絶たれ、その活動を停止させたことを、嫌というほど感じさせられた。


 ――ユキは命を落とした。

 それは、変えようのない事実であり、現実であった。


「――そう、だ。私の【治癒】なら、もしかしたら……!」


 それでも、彼女は諦めない。

 アニは静かにユキを寝かせると、その上に手をかざした。

 そして意識を集中させ、以前、ロマニさんを救った時と同様の光を生み出す。するとその光に包まれたユキの身体は、本来そうであった美しい姿に変化していった。


 しかし――。


「どう、して……? いつもなら、目を覚ましてくれるのに!! ねぇ、起きてよユキ!? 目を、開けて……っ!!」


 ――彼が、目覚めることはない。

 アニの悲鳴が木霊する。その声に、何事かと眠りから覚める男達もいた。

 それでもなお、ユキが目を覚ますことはない。悲しくも、それこそが紛うことなき運命なのだと、そう物語るかのように――。


「アニ、ユキはもう……」

「うるさいっ! うるさい、うるさいっ!! ユキはまだ、死んでな――」


 俺は、アニの肩に手を乗せる。

 だが彼女はそれを振り払って、再び【蘇生リザレクション】を発動しようとした。


 ――その時だった。


「――うっ、うぅッ……!?」

「アニ! いったい、どうしたんだ!?」


 アニが――自らの頭を押さえて、苦しみ始めたのは。

 俺は、倒れそうになった彼女を即座に支える。顔を覗き込むと、そこからは血の気が引き、青ざめてしまっていた。呼吸は荒くなり、視線もどこか虚ろ。

 一目見て、非常事態だと分かる、危険だと分かるほどであった。


「アニ、大丈夫か……!?」

「大丈夫だ。それよりも、まだユキが――」


 でも、彼女には自分のこと以上に大切なモノがあった。

 そのために、彼女は弱々しく俺の手を振り解いて、手をかざそうと――。


「――それ以上は、いけませんよ。アニさん」


 不意に声が聞こえ、俺たちは動きを止めることになった。

 それは、俺のよく知った声。その声の主というのは――フーコ。声のした方を見れば、そこには【転移】を用いてきたのだろう、彼女の姿があった。


「フーコ!? お前、どうしてここに!」

「申し訳ございません、スライ様――緊急事態でございます」


 俺がその名を呼ぶと、彼女はそう答えてこちらへと駆け寄る。そしてアニの手を握りしめて、「やはり……」と、小さく呟いた。アニは怪訝そうに眉をひそめて、しかしフーコの手は払わない。反対に、このように訊ねた。


「お前は……何だ? いったい、私に――」


 だが、それに被せるようにしてフーコは突然にこう断言する。


「――アニさん。貴方の能力では、ユキさんを救うことは出来ません」――と。


「なっ……!?」


 それを聞いて、アニの表情が明らかに変わる。

 血の気の引いていた顔には力が戻り、しかし同時に困惑の色が浮かんだ。

 そんな彼女に、フーコは言い返す暇もなくこのように、説明を加えるのであった。


「アニさんの能力は、【治癒】でも【蘇生】でもなく――【時間の逆行リトログレッション・イン・タイム】です。それでは、運命の鎖は絶ち切れない……」

「【時間の逆行】……?」


 俺が繰り返すと、フーコは頷く。


「スライ様と同じです。アニさんの使っている能力は、【魔力】を使用しないモノでした――ただ、ようやくその力の出処が分かったのです」


 そして、こう言った。


「それは、【魂の力】です」――と。


 すっと立ち上がって、フーコはアニの後ろに回り込む。

 次いで首筋に手を当て、小さく息をついた。


「やはり――魂の摩耗が激しい。このまま、その能力を使い続ければ、いずれアニさんは……死んでしまう、でしょう」


 ――出てきたのは、非情な宣告。

 それを聞いた時、俺の脳裏によぎったのは先代の【魔王】のこと。彼は強靭な肉体を持ちながらも、魂の寿命には抗えなかった。つまり、フーコの言う『死』とは、そういう意味なのではないだろうか。


「私が、死ぬ……?」


 言われてアニは愕然とする。

 ユキにかざしていた手を力なく垂らし、声を震わせた。

 彼女は何を思うのだろう。いいや、もしかしたら状況は分かっていないのかもしれない。ただ漠然と『死』という概念が、迫ってきているのかもしれない。

 それもそのはずだ。いきなり言われても、そんなこと理解できるはずがなかった。


「今ならまだ、普通の人として生涯を送るだけの力は残っているはずです。ただ、今後この能力を使うとなったら――」


 ――それでも。それが、事実であると。

 フーコはアニに語りかける。その声には、必死さが滲み出していた。

 周囲から音が消える。男達も、空気の重さを感じ取ったのか、黙して状況を見守っていた。その中で、しかしアニだけは――。


「い、嫌だ! 私なんかのことよりも、ユキが……ッ!」


 ――知らない。そんなこと、知ったことではないと。

 またもや【時間の逆行】を使用しようとし、手をかざした。だが、


「やめてくださいっ! ――アニさんッ!!」


 それを強く制止したのは、フーコであった。

 彼女は髪を振り乱しながら、アニに強く抱きついて声を荒らげる。しかしアニは止まらなかった。むしろ、より激しく力を使おうとしながら、


「お前に、何が分かる!? 私がどれだけユキのことを大切に思ってきたか! ようやく、ようやく一緒に暮らせるかもしれないんだ! だったら、だったら……!!」


 そう。泣きじゃくる子供のように、叫んだ。

 アニはフーコを振り払おうと暴れる。だがしかし、フーコは決して離さないとばかりにしがみ付いた。そして、


「分かりません! でもアニさん――」


 こう声を上げる。


「――貴方には、【笑顔にしなければならない家族】が残っている!!」――と。


「――――――――――っ!」


 それを耳にした瞬間に、ピタリ、アニの動きが止まった。

 どれだけの沈黙が続いたであろうか。数秒か、数分か、数時間か……。

 ただの一瞬に違いなかったかもしれない。それでも、そこにあった感情はその時間の中に置くには、あまりに重く、そして悲しい。


 やがて、沈黙は破られた。

 それは――。


「う、うぅ……うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 誰よりも強がって生きてきた。

 そんな、一人の女の子の泣き声によって――。



◆◇◆



 俺は、涙を堪えながら伝えることにした。


「フーコ。アニが、ありがとう、だってさ……」――と。


 すると少女は少しだけ驚いたような顔をして、その後に優しく微笑んだ。

 そして小さく「そう、ですか。良かった……」と、穏やかな口調で言い、胸に手を重ねる。慈愛に満ちたその表情からは、幸せが感じられた。


 その姿を見て、俺はふと思う。

 いいや、分かったのだ。どうしてフーコが、あそこまで真剣だったのか、が。

 おそらく彼女は、孤児院の子供たちと自分を重ねたのだ。同じ状況で、置いて行かれる者として。先代の【魔王】に置いて行かれた自分と、一歩間違えればそうなっていたかもしれない、孤児院の子供のことを……。


 だとすれば、この子はなんと心の優しい人なのだろうか。


「? スライ様。何を、笑っておられるのですか?」

「ん? あぁ、いや――何でもないよ」

「はぁ、そうですか……?」


 と、そんなことを考えていたら、表情に出てしまっていたらしい。

 俺は笑って誤魔化した。するとフーコは小首を傾げるも、追及はしてこない。

 あぁ、良かった。さすがに今のは、たとえ相手がフーコであっても、話すには恥ずかしい内容だったから。俺は、ホッと胸を撫で下ろした。


「ところで、スライ様? 今後のことについて、なのですが――」


 さて。そうしていると、フーコがそう切り出してきた。

 あぁ、そうだったな。まだまだ、【人間】について学ぶ旅は終わっていない。だとすれば、すぐに次の旅の支度をしなければならないだろう。でも、その前に――。


 俺はおもむろに、フーコに歩み寄った。

 そして、


「この城の中を、案内してくれないかな? フーコっていう、俺の大切な【家族】と共に過ごす世界について、さ」


 そう声をかける。

 すると彼女はキョトンとし、しかしすぐに満面の笑みを浮かべて――。


「――はいっ! それではまず、私の一番のおススメの場所へ案内します!!」


 元気よくそう、答えるのだった。

 そして俺は少女の先導に従って、初めて魔王城の一室から外へ出る。一番身近な【家族】と一緒に、共に過ごす【家族】と一緒に。



 次の旅に出るのは、もう少し後からでもいいだろう。

 きっと【人間】を知るには、たくさんの時間が必要だから。

 もう少しだけ、ゆっくりとこの時間を噛みしめてからでも、いいだろう――。






 ――【家族】と過ごす、この時間を――



 

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前世スライムの俺は魔王に転生しても分裂、合体、変身使えました 【家族編】 あざね @sennami0406

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